いぬじにはゆるさない 第2話 「ヘビちゃん(1)」
「もう来ないかと思った。」
スクリーンに流れる新作映画の予告から目を離さないまま私がそう言うと、相手は少し大げさにドカッと隣の椅子に座り込んだ。
平日昼間の映画館はガラガラで、もうすぐ本編が始まるというのに私達以外に2組しかお客がいない。普通に会話をしても周囲に迷惑がかからない距離感であろうに、この男はわざわざ私の耳元に手を添えてからひっそりとした声で言う。
(言ったろ?遅れるけど絶対行くって!)
あざといと分っていながらも、この密接具合は正直なところ少しドキッとする。
けれど、同時に強烈なくらいに鼻をつくタバコの匂いは、慣れてきたとは言え多少不快だ。
・・・
約2時間後、スクリーンがエンドロールに切り替わった直後、(タバコ行ってくる)とまた耳元で言われ、先に席を立たれた。
私をぞんざいに扱ってくるこの人は、一応、今私が好きな相手である。
その背中を見送って、館内が明るくなってから1人でゆっくりと席を立ち、トイレに向かう。トイレまでの道のりの途中にあるガラス張りの喫煙室の中には、タバコを片手に電話をしている彼の姿があった。
フリーランスで仕事をしていて、かつヘビースモーカーのこの人の手には、大体、タバコか携帯のどちらか、もしくはこのように両方が握られている。
トイレを済ませてから改めて喫煙室付近に足を運ぶと、今度はガラスのこちら側で電話をしている背中を見付けた。どうやら、タバコを吸い終わってから、更に別件の電話がかかってきたらしい。
電話が終わるタイミングを見計らってから、私は彼のあだ名を呼んだ。
「ヘビちゃん。」
彼は苗字に『蛇』の字が入っており、そのヘビースモーカーっぷりと引っかけて『ヘビちゃん』と呼ばれているのだ。というか、命名したのは私なのだけれど。
「おお、スマン。待たせた?」
ヘビちゃんが私に“待たせた”と言って謝るべきなのは、今のこの状況では無い。本当は映画の前に食事をするハズだったのに、2時間も遅刻をしてきた事にこそ謝罪をして欲しいものだ。
けれど彼は一切悪びれず、「腹減ったね、何食べる?」と笑顔で言う。
映画館と同じビルのイタリアンで食事をしている最中も、ヘビちゃんはタバコと電話で計3回席を外した。
この扱いに不満があるワケでは無い。これがこの人にとっての普通だし、仕事が忙しいのは良い事だとも思う。
それに、彼はこれでも私にはある程度の好意を持ってくれているらしい事も分っている。
ヘビちゃんは、大勢でバカ騒ぎをするのは大得意なくせに、1対1の関係は苦手という面倒な性質を持っている。2人だけでの遊びにのってくるだけでも、上々と言わざるを得ないのだ。
そして、『自称恋愛リハビリ中』という状況に陥っている私は、この人がこういう人だからこそ好きになった部分も大きいのだろうなと思う。
前の恋人と別れてからというもの、熱烈な愛情も、甘いイチャイチャも、受け止めるだけの精神的なキャパなどゼロという状態だった。
そう、不満は別に無いのだ。
「最近、どうしてた?」
映画の感想を一通り語り終わったあと、ヘビちゃんがかなり適当に話題をふってきた。この男は沈黙が苦手なのだ。
この人にも、この関係にも、不満は無い。
不満は無いけれど、ぬるま湯の関係を変える時は来たのかもしれない。
「あのさぁ、イイジマ君、知ってるでしょ?ヘビちゃんも会った事あるじゃん。」
「あー、あの背がめちゃくちゃ高い営業マン?どした?」
「うん。告白された。」
ぬるま湯から出る事になるのか。それとも、もしかしてこのぬるま湯が沸いてくれるのか。
先は、さっぱり分らないけれど。
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