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心理士と、冷めた珈琲。


娘の発熱で、
思うように動けない日。

娘が寝ている隙にパンを口に放り込み。
今ならイケるか?
と、珈琲を淹れかける。

結果、
その珈琲を口にしたのは約3時間後。

淹れたのはアイスコーヒーだったっけ?
と思うほどに
冷たくなった珈琲。

それはそれで美味しかったけど。


友だちにその話をしたら、
「子どもが赤ちゃんだった頃みたいだね」
と笑われました。


あぁ、
そういえば。

子どもたちが赤ちゃんの頃って、
泣いていたら抱っこしなきゃと思って、
ぐずっていたら放置しちゃダメだと思って、
トイレさえも、
自分のことを後回しにしていたなぁ…
と、
ほんの数年前のことなのに、
やけに遠い記憶のように思い出されました。

そして。

今も、
そういうふうに、
自分のことを後回しにして
奔走してるママたちが居るんだよなぁ。
とも。

本当は、
少しくらい自分を優先しても良いし。
少しくらい子どもが泣いているのを待たせても良い。
トイレに行くときくらい、
ドアと鍵を閉めてゆっくりしても良い。

少しでも、
自分がほっとする時間をもって欲しい。


なんて、
勝手に世のママたちに想いを馳せた日になりました。



私は私で、
手を繋いでいないと寝ていてもグズる娘を相手に、
何かをするのを諦めて、
ぼーっと時間を過ごしていました。

外はとんでもないスコール。

スコールの音と。
薄暗い寝室で熱を感じながら過ごす午後。

それはそれで、
〝今〟を感じる時間になりました。



これは先日Instagramに投稿した記事。

こっそり投稿迷子だったので、
久しぶりに気に入った記事を投稿できたのですが、
これが意外に周りからの反応も良くて、
コメントに加えて、
いくつかのDMをいただきました。

そのどれもが嬉しかったのですが、
友だちから送られてきたこのメッセージがとても嬉しくて。

「ななつぼし♨️」は静岡県磐田市にある銭湯。
タイに来る前は私もひとり、娘たちと、友達と、
何度も通っていました。


「温度のなさ」
「不感」ということについて考えたことがなかったのですが、
この言葉が本当にめちゃくちゃ嬉しかったのです。

私自身、
「心理士としてこういう人になりたい」という理想像がありますが、
この「温度のなさ」「不感」というのも、
そのひとつなのかもしれません。

そしてもうひとつ。

私のInstagramの投稿は、
もれなくFacebookのページにも投稿されるのですが、
それを見た大学院の同期が
コメント付きでシェアしてくれました。


岡村心平氏はnoteに
フォーカシングに関する記事を月1ペースで投稿しているので、
興味のある方は是非!


私がこの文章を書いているとき。
正しくはこの出来事を体験しているとき、
そこには確かなフェルトセンスがあって、
そのフェルトセンスをただただ
感じるままに言葉にしたのがこの記事です。

このときから時間が経った今、読み返しても、
このときのフェルトセンスが再び湧き上がります。

でも、
書いている私自身は「時間」ということを
まったく意識していなくて。
心平氏に指摘されて初めて、
この文章に含まれる「時間」を実感しました。

自分が感じたことを文字にして、
それを誰かが受け取ってくれて、
さらにこうやって言葉にしてくれること。
それがとても嬉しい。

そして、
そのやりとりもまた
私の体験過程を促してくれます。


日本を離れた今。
仕事と直結するわけではないInstagramの運営に、
どんな投稿をすれば良いのか?
と、
最近少し迷子になっていましたが。

こうやって、
私のフェルトセンスを文字にして投稿すること。

それもひとつの方法なのかなと。
感じることのできた「冷めた珈琲」体験でした。

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