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私の選ばなかった選択の素晴らしさを説かれるのがつらい(相手になんの毒気もないがゆえに)

「私はAを選ばない」

と宣言したのに、

「そうなのね、わかった。でも、私はAを選んでこれだけ素晴らしいことがあったの、聞いてほしい」

っていうやりとりがよくあって疲れる。母とのやり取りだ。

話くらいふーんと聞いとけばいいのに、どうしようもなく疲れる。
私が選ばなかったものの素晴らしさを語られると、勝手に「Aを選ばないなんて損だよ」と自分の選択を批難されてるような気になるからだ。
もちろん私の思い込みである。母はたぶん「いい機会だから話しておく」「むしろ話すチャンスキタワァ*・゜・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜・*」くらいにしか思ってない。そこまで厭味ったらしい人じゃない。
でも不快なんだ……。母はいつでも自分の話したい話を優先する。どんな話であっても。私が子どもはもたないと決めたよという話であっても。


だから母との話で「それを選んでも選ばなくても構わないよね」というところで終われたためしがない。

私の母は私を愛してくれているが、つくづくその愛には私の実態が伴われていない。


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