代わりに読むという行為について

代わりに読む。本を誰かに読んでもらうと言うことはある意味怠惰であるが、たまには人が本を読んでどのような思考の動きをしているかを知るのも悪くはない。

そう思って、私は「『百年の孤独』を代わりに読む」を読み出した。
私は『百年の孤独』を読んだことがない。なので、本当に題名通り代わりに読んでもらうことになる,

まだ途中までしか読んでいないが、書評としては私の好きなタイプだ。コラージュのようでもあり、前衛的な音楽のようでもある。そして、アベンジャーズのようでもある。私は著者とは世代が違うので作中で使用されている例えはわからないことが多いが、その例えの全く知らなさがアベンジャーズの新しいヒーロー紹介の回を見ているように感じた。
著者の「代わりに読む」という行為に対する苦悩が各章の終わりに書かれていることも興味深かった。なにか著者の中でも模索してくれているという事実が私からしたら嬉しくなる。確かにそこに親近感を感じるのだ。

各章の初めにあらすじがあるのだが、それも速読気味の私にとっては助かることが多い。というか、ここでふと私は『百年の孤独』を読みたいのではなく、『百年の孤独』を読む人を見たいのだ、と言うことに気づく。それが私が愛している作品であればまだわかるのだが、読んだこともないような作品に対してこのような気持ちになるのは初めてで面白い。恐らく、『百年の孤独』自体の難解さととっつきにくさが「他人がその本を読んだらどう考えるのだろう」ということに焦点を当てることの助けになっている可能性が考えられる。

ここで閑話休題として私の愛している作品である、ウィッチャー3について語らせてほしい。PS4で2回プレイし、Steam版でももう一度プレイしようとしている作品だ。本作の良さは登場人物の個性と、ストーリーの重厚さ、世界観の素晴らしさに挙げられる。私は言語化が苦手なので、難しいがやってみる。戦闘もいい。魔法と剣でシンプルなんだけど、音の重厚さとスキルなどでの強化、弓で戦っても良い。霊薬もある。ストーリーは分岐が凄くて、重要な人物が死んでしまうルートも存在する。今思えば、1周目の私がバッドエンドを引いたことがこんなにこのゲームに私が惹きつけられる要因になっているのかもしれない。世界観も良い。一言で言うと私は西洋風のモンスターが好きなのだ。以上!


閑話休題のはずが、思ったより書くのに精神が磨耗されたので、ここら辺でやめることにする。では、いい一日を。

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