8.14 表現を愛す

カミュ『最初の人間』を読んでいる。内容は全くよくわかんないし、とうの昔に理解することをやめたけど、ちらほらと出てくる言葉の表現がうますぎて、ああ、こう言う文を書きたい、読みたい、って思ってたんだって思わされる。まあ具体例を出すか。ちょうど読んでるとこらから。

また雨が、アルジェリアではそうであるように、果てしのない大雨となって、道路を暗く湿った井戸にしてしまうことがあったが、そんなときでもクラスのみんなはほとんど気を散らさなかった。

カミュ『最初の人間』

前後のストーリーとかは気にしなくていい。僕もわかっていないから。岸本佐知子も言っていたように(たしか)、どれだけ文章を婉曲的に書くか、装飾を加えるか、輪郭をぼんやりさせるかが文のうまさだって、文の楽しさだって、僕は思う。

今回は大久保敏彦の訳の本を読んでいるのだけど、この本の表現の綺麗さはどちらの手柄、どちらの素晴らしさであるのだろうか。日本語に訳した大久保敏彦の凄さな気もするし、原文のカミュの凄さな気もする。これの対照実験として、カミュの違う人の訳と大久保敏彦の訳した他の作品を読んでみようと思う。最近海外小説を読むことが多いからか、岸本佐知子のエッセイを読んだからかわからないけど翻訳家の違いってものが面白いなと感じるようになってきた。また違う楽しみ方ができるようになってきて嬉しい。

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