台湾の呉さんの話
はじめに
今、台北市内のゲストハウスで、このnoteを書いています。台湾の親友は2人いて、一人は熱帯魚の呂さん、もう一人は格闘技の呉さんです。今回は呉さんとの馴れ初めや友情について残してみたいと思います。
写真や動画を多めに使った構成にチャレンジしてみましたので、是非、お楽しみください。
出会い
台湾のプロ格闘家である呉宥輝(呉東興)さんと初めて出会ったのは、ボクにとって3回目の台湾旅行となる2019年8月20日でした。ボクが台北のファミリーマートでレジに並んでいると目の前に物凄く分厚いカラダをした人が立って居ました。日ごろはやらない(嘘)んですけれど「この人一体、何者なんだろう」と勇気を出してナンパし、写真を撮って貰いました。その人が呉さんでした。
呉さんは少し緊張した様子で受け応えしてくれました。彼の話す台湾語が全く分からないボクは写真を撮って貰い、自分が日本人であることを伝えて、先に店を出ました。携帯を触りながら、写真や次の予定を確認していると、急いで出てきた呉さんが背中を叩いてくれます。
お互いが不慣れな翻訳アプリを使い、辿々(たどたど)しく話します。呉さんは「自分は格闘家でいつか日本に行きたい」「台湾に来る事があったらジムに遊びに来てよ」など熱心に伝えてくれました。その場でFacebookを交換していつか必ず再会する約束をします。
再会
すっかり台湾の虜となり、帰国したボクはその年の冬に4度目の台湾旅行を計画します。その頃にはLINE交換もし、日本や台湾での日常をやり取りする仲(💕)になっていました。呉さんには冬の台湾旅行の旅程も連絡し、だいたい会う日にちも相談しておきました。
いよいよ出発当日2019年12月25日です。呉さんは桃園空港まで迎えに来てくれると言ってくれたので、福岡国際空港から桃園空港に着いた事をLINEすると呉さんからは「え、ちょ、今日だったっけ⁉︎」と返信が来ます。ボクと真逆でとてもおおらかな呉さんは日にちを間違えていたようでした。改めて12月30日に会う事を約束し、台湾を楽しみます。
熱烈歓迎
呉さんは、自家用車のトヨタカローラで迎えに来てくれました。そして、ボクは呉さんと沢山話せるように、この日の為にポケトークをレンタルし持参しました。呉さんがホテルに到着すると、早速、クルマに乗り込み最初の目的地である九份へ出発です。
この日の呉さんは優しく笑顔で「台湾最高!」と思わせる対応でした。そして食べまくりの奢りまくりで「台湾ヤベー!」という一面教えてくれます。(n=1で語ってすみません。いつか書く熱帯魚の呂さんもこんな感じなんです)
地元へ
次は呉さんの家族や友人と食事をしようとの事で九份から東へ1時間ほどクルマで移動し、港町に到着です。
日本と違い台湾の魚市場の競りは正午から行われます。昭和初期を思わせるディーゼルエンジンの“ぽんぽん船”からは、色んな魚介類が水揚げされています。
呉さんは生エビが好きなようで、水揚げされたばかりのエビを手に取りボクに渡してくれ、「オイシイ、オイシイ」と食べるように言ってくれます。山盛りに並べられた甘エビ(?)を手掴みで何匹か試食したり、アジのような魚を吟味したりしました。弟さんらしき人も加わり、何か作戦会議をしていました。そのまま沢山のサカナを買い付け、さらにお店でも何やら注文して、それらを食堂へ持ち込みます。持ち込んだ食材が次々と調理され、呉さんと仲間たちとの食事会のスタートです。
ほとんど台湾語、ほんの少しだけ英語のそれでもお喋りな大宴会は、名前もわからない人たちが次々と現れ、誰が家族で誰が友達で分からないまま大盛り上がりで進んでいきます。唯一、一番左の人が呉さんの義弟だと覚えています。
とても楽しく愉快な宴会の最中も呉さんはひたすら「食べろ食べろ、オイシイオイシイ」と沢山食べる事を勧めてくれました。
そして、いよいよ後半になって会話を仕切っていた女性が「チキン喰いたい!チキン食べに行くぞ!!」と言い出し、そこからクルマで移動することになりました。
2台か3台のクルマで30分程移動し、大きなレストランに到着です。もう充分に海鮮を食べてお腹いっぱいの状態からチキン料理で二次会スタートです。何の話をしたかは全く覚えていませんが、話は最高に可笑しく、お腹はパンパンで苦しかったです。
夢の途中
長かった宴会が終わり、呉さんの運転で台北へ戻ります。正確な位置は分かりませんが、クルマで90分ほどかかり、遠くまで連れて行ってくれていた事がよく分かりました。
そして、いよいよ呉さんのジムへ訪問です。そこは台北中心の地下二階で駐車場の奥の倉庫の様な場所でした。
携帯の電波も届かない決して綺麗とは言えないジムで、2020年2月22日にイギリスで行われるラウェイの大会に向けて練習や準備をしている事。出資者が現れ近いうちに自分のジムを持てる計画がある事。いつか日本に行って試合をしたい事を語ってくれます。
ルールが過激で知られるラウェイは、日本では馴染みがないかも知れません。その『立技何でもあり』の過激さ故、試合でのダメージは大きく、選手生命は余り長くありません。しかし、45歳(2019年)でも試合に出続ける呉さんは自分が国内外で有名になる事で、周囲を幸せにしたいという強い信念があり、恐怖には絶対に負けない覚悟があるそうでした。
コロナを超えて
ちょうどこの時、ボクが台北の呉さんのジムを訪れた2019年12月に武漢で始まったCovid19が世界を止めてしまいました。しかし、人類は、そして、ボクたちは歩みを進めます。
呉さんは自分のジムが開設されるまでの過程を途絶える事なくずっとずっと知らせてくれました。一斉送信している内容も幾つか見受けられましたが、それほど気には留めませんでした。
同じようにボクも連絡します。総合格闘技を始めた事、MMAの試合が決まったけれども直前にコロナで中止になった事、異動した事など、色々と話しました。
今回の台湾旅行まで、お互い、イマ出来ること、やるべきことを積み重ねて過ごしました。また、お互い歳をとりました。そして、やっと彼の本業である格闘技を通じて、再び交流することができました。
詳しくはYouTubeをご覧ください。
最後に
ある時、たまたま偶然に、文化も仕事も境遇も全く違う同い年の2人の男が、台北市内のファミリーマートで並びました。
あの時に、ボクが話しかけなければ、または呉さんがボクを追っ掛けてこなければ、始まらなかったご縁が今もこうして繋がっています。
ボクは台湾語を学びませんし、彼は日本語も英語も学びません。でも、互いが互いを尊重し、高め合っていると思います。
年齢を言い訳には出来ませんが、格闘技を続けていくには現実的に厳しくなっています。この先、彼はどのように変化していくのか、ボクはどのように変わっていくのか、そして2人はどう関わっていくのか、とても楽しみで、期待してしまいます。
順調に行けば4月30日、彼は台北で、ボクは北九州で試合を行います。プロとアマの違いはあれど、健闘を称え合う試合にしたいですね。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。近いうちに、熱帯魚の呂さんについても書きたいです!
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