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2024

明けましておめでとうございます。
2024年1月5日(金)、ボクは台北市の国立中正記念堂にいます。
ここは大都会の台北にいきなり超巨大な4つの建造物がそびえ立つ、ボクの大好きな場所です。荘厳な気持ちになります。ぜひ、台北にいらしたら来て欲しい場所の1つです。
さて、長かった15日間のこの旅も間も無く終わります。今回は人との繋がりを感じる旅でした。一昨年から昨年への年越しシンガポールとは“違う成果”のある旅です。

熱帯魚

に関しては呂さんとIvanさんとの絆が深まりました。世界を目指して仕事をしている2人との時間は大変有意義であり、熱帯魚に関する意識を期待以上に高めてくれました。
このnoteを読んで下さっている皆さんは熱帯魚業界の熾烈さをご存知ないかも知れません。そんな皆さんに熱帯魚業界を伝えるには、自動車で例えるのがわかりやすいと勝手に思います。
多くの皆さんは自動車免許を取り、最初は小さくて安価な自動車からスタートした(する)と思います。次第にクルマは大きく、高級になり、自分にとってバランスのいいサイズや排気量や価格で平衡するんではないでしょうか。まれに、1台目から高級車に乗る人もいるとは思いますし、ある時、大衆車から外れ“マニアック”な道へ進む人もいると思いますが、これも熱帯魚に重なる部分が多いです。
たまたま立ち寄ったペットショップやホームセンター、おしゃれなショップや友人知人宅で目にした熱帯魚をきっかけに、グッピーやネオンテトラ、はたまたオスカーやシルバーアロワナなどから飼育を開始し、自動車と同じような軌跡を辿り、自身やご家庭の嗜好に合った水槽サイズや水槽本数や魚種で落ち着くでしょう。例外に一匹目からアジアアロワナだとか、水槽部屋を作ってしまったという人も存在します。
そうそう、中には親の影響って人もいますよね。生まれた時から熱帯魚(車)に囲まれて育った人。また、熱帯魚(車)が好きすぎて、ショップを始めた人もいるのではないでしょうか。
そして、熱帯魚と自動車には、開発や生産にも類似するところがあります。自動車は数年で新しい車種が発売され、我々消費者はその新しい機能やスタイリングに目が行きます。一方、その裏側でエンジニアやデザイナーは日夜、工夫や努力を重ねています。熱帯魚に開発?と違和感を感じる方もいらっしゃるかも知れませんがこれが本当に熾烈なのです。
グッピーやディスカス、タイで闘魚と呼ばれるベタは古くから品種改良がポピュラーでしたし、現在も品種改良を楽しむアマチュアも多いです。何となくイメージのある方も多いでしょう。大型熱帯魚ではオスカーが改良品種の先駆けですね。続いて強烈なインパクトを与えたのが1990年代のフラワーホーン。2000年を過ぎたあたりから、かつては『純血』が売りであったアジアアロワナ、それに続く形で2010年頃から淡水エイといった大型魚にも品種改良の流れが生まれてきました。
その淡水エイの品種改良の最先端に立つのが台湾の二人の友人である呂さんとIvanさんです。呂さんはすでにいくつかの改良品種をリリースし、アジアを越え世界で評価されつつあります。そしてIvanさんも新しい品種を誕生させ、固定化する方向で努力を重ねていらっしゃいます。彼らの数年後、10年後が楽しみでなりません。
この2人から熱いメッセージを受け、日々のモチベーションは爆上がりです。と言っても彼らはプロであり、ボクはサラリーマンなので熱帯魚に関して、出来ることにもかける時間にも差異はありますが、気持ちは高くあり続けたいものです。

格闘技

に関して似たような記事になってしまいますが、書きます。今回はホテルから徒歩圏内の2つの柔術道場にお邪魔しました。

1つ目はPMA BJJさんです。ホテルを出て、Googlemapを頼りに歩きます。表通りを曲がり少し大人しい路地を50mほど進むと、比較的簡単に辿り着きました。道場もメンバーも、とても若い雰囲気です。ちょうどグラップリングのレッスンが終わり、これから柔術クラスが始まるタイミングのようです。みんな笑顔で歓迎してくれ、自分が日本人旅行者で見学したいと英語で伝えると快く「ここに座ってみてて」と白いベンチに案内してくれます。
メンバーは本当に初心者の方から、青、紫、そしてゴリゴリの茶帯までいらっしゃいます。どういうレッスンをするのかを観察しているととても小柄な茶帯の女性がコーチでした。お聞きすると唯一の黒帯の代表の方は出張か何かで不在で、長期的に彼女が代理を務めているとのことでした。
そんな彼女の台湾語の柔術レッスンは新鮮でした。そして丁寧かつ気合を感じる内容です。指導中は生徒の皆さんは、いわゆる「体育座り」で集中して聞いていらっしゃいます。特に感心させられたのは、前述の初心者らしき白帯の方が何度も何度も質問し、それに対して皆さんが丁寧に応えていたことです。
練習後に15年間、日系商社に勤務しているという紫帯の男性が日本語で話しかけてくれました。久しぶり(大袈裟)の日本語はとても嬉しく会話も弾みます。台湾語・英語・日本語・柔術を操る彼は39歳のマスター2で、ほぼ最年長だそうです。本当に若く楽しそうで、これから盛り上がっていきそうな道場でした。

2つ目は台湾BJJさんです。
こちらは台湾の老舗柔術アカデミーであり、指導される小笠原先生もアジアの柔術の父と言っても過言ではない有名な方です。練習もですが、小笠原先生の半生に興味がありお伺いしました。ホテルから徒歩圏内の道場は地下一階にあります。オシャレなエントランスには、若い男性が受付をされ、物販もありました。
レッスン直前の道場に会釈して入ると熱気が伝わります。オープンマットでもあったので、早速、小笠原先生を独占し、ここに至るまでのお話を伺います。
途中、日本人黒帯の牧野さんを紹介して頂き、牧野さんからも熱い助言を頂きました。ボクが膝の怪我をしていることもあり、兎に角、怪我をしない、ゆっくり動く、後の先で考えるなどなど、参考になるものばかりです。驚いたのは、50歳を越えた黒帯にも関わらず、上記内容を踏まえ、ZEROから柔術を作り直しているとおっしゃる事です。
ボク自身、柔道の経験(特に動き)が柔術習得の邪魔をしている事を痛感していましたし、柔道→MMA→柔術の流れからか、ボクの資質からか、激しく動くスタイルで怪我をしてしまった事もあり「柔術を一からやり直したーい」となっていたので、渡りに船でした。牧野さんから頂いた助言は忘れずに、時々、思い出しながら、積み重ねたいです。

話を小笠原先生に戻しましょう。何度もブラジルへ修行に行ったヤバい話、マスタージャパン代表の弘中先生が激強の話、台湾BJJで指導をするようになった経緯、アジアで審判をする中、LEOSの森戸先生の審判をした話と話題は尽きません。
小笠原先生は多くの努力や苦労を経験しながらも、様々な縁やタイミングを逃さずに、ここに辿り着き、これからも歩んでいかれるのだろうなと感じました。特にポルトガル語・英語・台湾語・日本語と堪能であること、超多忙に関わらず、アジア各地に審判で出張なさる行動力から、アジア柔術界のハブであり、最強のアイデンティティだなとただただ痛感しました。ご本人は謙遜されますが、その歩みはとても険しく困難であったと簡単に想像できます。自分に反映させて生きてみたいと感じる人物でした。

格闘技に関して、年齢と経験を重ねるごとに以前ほど強さを求める事はそれほどしなくなりつつあります。続けている人こそ凄いなと感じるようになりました。日常に運動を取り入れ、英語を取り入れ、上達への工夫を取り入れ、試合や練習を通じたコミュニケーションを取り入れ、毎日に人生に豊かさを加えて行こうと考えるようになりました。
熱帯魚に関しては我が家の規模を少し大きくする工事を予定していますが、格闘技に近い感覚です。高価だったり豪華だったり珍しかったりするお店に売っている魚よりは、誰がどのように繁殖した魚を飼うかという方向へシフトしつつあります。

まとめ

40代最後の年になる今年。
人や時間や空間や感覚を大切に、マインドフルに生きていきたいです。これは老いなのか学びなのか。いつまでも若く生きていたいと願いつつも、競い合い、奪い合うような生き方から降りたい気持ちもあります。欲望に囚われる気持ちやそれを手放そうという気持ちが揺らぎます。人間らしい感覚を味わいながら、老いていくであろう未来を不安から希望に転換する、少しずつゆっくり年齢を重ねる生き方を模索する、そんな2024年になりそうです。

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