考えても全然楽しくない
引き寄せの法則、受け入れの法則、自己肯定感を上げる…その類の本はこの5年間くらい、常に読んできたけど、「何かになる」ということに、取り憑かれ過ぎて、常に頭の中は「自分を責める言葉」で一杯だった。
何かになりたいということは、今の自分の状態が、正解or不正解か、ジャッジできるということだろう。まぁ、何かになりたいと考えてるってことは、常に不正解の自分が居るということで、そんな状態に、心底疲れた。
羨ましいと思うような人は居るし、理想の人生というようなものもあるけれど、それに近づくエネルギーが年々足りなくなっている。ただ、それが決して不幸なことだとは思わない。寧ろ、逆にエネルギーが足りないくらいの自分の方が、ありのままの自分なんだろう。
皆がそうだとは思わないけれど、何かに急き立てられるように、無理矢理若しくは背伸びして生きている人も多いように思える。その人たちは本当に幸せなんだろうか?でも一度、契約書にサインを押してしまったら、2度と元に戻れない事のほうが多いはずだ。どんなに苦しくても、「私は充実している」とか「私は幸せだ」と言わざるを得ないのではないか?そんな自分の状況を想像すると、私には難しい。つまり、私は「何かになる」ことでは、幸せになれないのだと思う。
幸せって、本当にありのままの自分を肯定できることなんだと思う。それは、例えば元気のない自分、友達が少ない自分、太ってきた自分、白髪が目立ち始めた自分、そういうネガティブな面も含め、それを許せるようになる。そのとき、全ての問題が消え去って、幸せになれるのではないか。
幸せになることは、言葉だけでは難しい。
それこそ、「考えるな、感じろ」の世界かも。
言葉だけだと、問題が残ってしまう。
だからこそ、感じなければいけない。
そういうことなのかも。
確かに問題がないとき、考えることってあるのだろうか。私たちはあまりにも、問題ばかりを認識するのが、当たり前になっているのかもしれない。
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