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新たなステージに向けてー「検査入院」の顛末

春は別れと出会いの季節だという。学校に在学中ならば、学年が上がってクラス替えがあるかもしれない。これまでのクラスメイトと別れ、新たなクラスメイトとの出会いが待っている。卒業ならば、進学や就職で新たな人間関係が築かれ、それこそ自らの環境が大きく変化することも多いだろう。社会人も人事異動や転勤転職などで、同様の経験をする季節である。良かれ悪しかれ、みんなが新たなステージに向けて動き出す。
 
では、社会の「現役」から引退した高齢者たちはどうだろうか。現役世代の動きとは異なるかもしれないが、高齢者だって新たなステージに向けて動かざるを得ないこともある。それは教育や職業と直接関係はしないかもしれないが、生死に関わるドラスティックな変化を引き起こす可能性を孕んでいる。その意味では季節は春とは限らず一年中とも言えるだろうが、節目としてはやはり春が多いようにも思える。
 
昨年10月に先天性心疾患(ファロー四徴症)に関して検査入院する可能性について記事を書いた。大学病院での定期検診の後、担当医から検査入院の提案を受けて決めたのだった。手術の可否というよりは、今後の体調の変化を見極めるのが主旨だとの説明を受けていた。今年(2024年)の春の予定だったので、本来ならば、今ごろは検査入院が終わって自宅に戻ってきている頃だ。
 
ところが検査入院を承諾してから1週間後くらいだっただろうか、担当医から検査入院の予定をキャンセルしたいとの連絡があった。外科などとカンファレンスを開いた結果、手術は不可能と判断したのでというのがキャンセルの理由。突然のことで、一瞬何を言ってるのかと思った。
 
手術の可否はあくまで付随事項で、今後心臓や体調がどのように変化し、その変化に関わる対応策について見極めるのが、今回の検査入院の主旨だったのではなかったのか。手術についてだけ言えば、検査入院するまでもなく、自分の年齢を考慮すると99%不可能と判断されると思っていた。万一可能と判断されたとしても、成功率が相当高くない限り(それこそ成功率が90%以上100%近くとか)手術を受ける気持ちにはならなかっただろうと思う。
 
今回の一件で、少なくともこの大学病院の姿勢に「成果主義」の匂いを感じ取ってしまった。同時に、この担当医の株が、自分の中で一気に下落した。結果的に、これ以後の定期検診は、この大学病院で受けないことに決めた。そして先日、新たな定期検診を地元の(大学病院ではない)中核病院で受けてきた。
 
検査結果自体は昨年10月の検査結果と比較して顕著な変化はないとのこと。とはいえ、自覚的には体力も気力もかなり落ちているような気がしてならない。細かな自覚症状の変化をここで書くことは控えるが、検査結果の数値などに表われなくても、病状のステージが徐々に上がっているのかもしれない。昨日できたことが今日できなくなるという経験が、小さいながら積み重なってきている。今日できたことが明日はできなくなるかもしれないという不安も、常に意識せざるを得なくなっている。
 
新たなステージは、青い空に向けて開けた先にあるのではなく、乳白色の霧の中を探って進むしかない小径の先にある。そこには奈落が口を開けて待ち受けているかもしれないが、前方へと進むしかない一方通行の通路。それでも、新たなステージはけっして過去ではなく未来なのだ。そこには別れた過去とは異なる新たな出会いが待っているかもしれない。その出会いが幸を招くか、不幸の種になるかはもちろん知るよしもないが。いまはただただ、さらにステージを上がり歩み続けることができるよう願うだけである。
 
いずれにしても病状が快方に向かって逆戻りする可能性はないので、小さくない不安を抱えながら、新たなステージに向けて体調と相談しながら、こころの整理ともいうべき、気持ちを整える方策を探る日々がはじまっている。ただし、それは自分以外の誰かから勧誘や推奨などされるものではないことを、あえて断っておく。
 
冒頭の画像:夜明け前の乳白色の空(2024/03/16撮影)
 
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