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25年ぶりの検査入院に想う

つい先日、いつもの大学病院で先天性心疾患(ファロー四徴症)の定期検診を受けてきた。これまでどおり新幹線を使っての日帰り受診である。ところが今回の検診結果はいつもどおりではなかった。これまで長い間、前回の結果と特段の変化なしと告げられる状況が続いてきた。
 
ファロー四徴症には「四徴症」の名前のとおり4つの特徴的な症状(病態)がある。ごく簡単にいうと、ファロー四徴症の心臓は「心室中隔欠損」「大動脈騎乗」「肺動脈狭窄」「右室肥大」の4つの異常を併せ持っている。検診のメインである心臓のエコー検査によると、とくに肺動脈狭窄が進行している可能性が高いとのこと。
 
ファロー四徴症といっても個々人の症状にはちがいがあり、その病歴や治療歴にも大きなちがいがある。個人的には若い頃から何十年もの間、肉体労働や重労働、加えて階段や坂道を上ることを除いた日常生活では、いわゆる健常者とそれほど大きなちがいはなく過ごしてきたように思う。そのため、これまで根治手術はおろか、補助的な手術もまったく受けたことがない。
 
しかし、還暦を過ぎた頃から徐々に変化が目立ちはじめた。とくにここ数年、ちょうどコロナ禍がはじまった2020年頃から変化のスピードが増してきて、体力の衰えを強く自覚するようになってきた。心臓に限らず、身体のさまざまな箇所の体調変化も感じている。
 
体調は日によってかなりちがいがあり、あれをしたから悪くなったとか、これをすれば良くなるとか、そういった因果関係では説明がつかない。しいて挙げれば、身体的なストレス以上に精神的なストレスは大きく影響するように思われる。いずれにしても、平均的にいえば、日に日に悪くなっているようには思えないが、一昨年よりは昨年、昨年よりは今年の方が悪くなっている実感はある。
 
今後、さらに体調が急速に悪化するのか、せいぜいいまのようなスピードで悪化していくのか、あるいは意外とこれ以上悪化することなく年月が過ぎていくのか、今回の検査だけでは結論がでない。このような状況を踏まえて、担当医から検査入院の提案を受けた。入院期間は1週間から10日間ほど。あわてる必要はないのでしばらく考えてみては言われた。
 
しかし、家へ帰ってから一人で考えてもよけい決めかねるように思われたので、思い切って来年初春の検査入院を予約してきた。四半世紀25年ぶりの検査入院である。気持ちが変わって検査入院をキャンセルしてもかまわないということなので、その意味では気が楽である。
 
それにしても、もしコロナ禍や今年の酷暑がなかったとしたら、いろいろな意味でストレスも軽減されて、いまほどの体調不良にはならなかったかもしれないと考えてしまう。しかし、現状を鑑みて、そのような「もし」を考えることにどれほどの意味があるのだろうかと思ってしまう自分がいる。
 
昨夜は寒冷前線の通過で一晩中雨音が聞こえていた。豪雨や雷が鳴ることもなく、夢うつつに聞く静かな雨音は心地よく、ふとんの暖かさと相まって、母に抱かれて眠った子どもの頃に戻ってしまう。
 
静かな雨音に耳を傾けていると、いろいろなことが思い出されてくる。楽しかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、どれもこれもいまは甘い思い出としてこころの底に沈んでいる。雨音に呼び出されたかのように、記憶の流れにのった思い出は浮きつ沈みつしながら漂う。この一時、この一瞬はなんと幸せなことかと思う。
 
齢七十にして検査入院することになった事実も、生きていれば、いずれはこころの底に沈んでいくことだろう。いま思うのは、記憶として沈んでいくとき、辛く苦しいことばかりでなければ良いのにという願いである。
 
冒頭の画像:朝焼けの空(2023/09/01撮影)
 
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