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この前、といっても結構前だけど、「いのちの電話」の現場のドキュメンタリー番組を見た。
芸能人の自死があったとき、ニュースの最後に知らされる、あの”最後の砦”のようなもの。

あの電話を受ける方々は、有料の講習を自ら受けて、無料で、ボランティアをしてくださってるんだよね。
使命感とか、人を助けたいっていう強い意志を持ってやっているんだろうな、と思って、真似できないな、すごいなって思った。
と、同時に、「なんでボランティアなん?国がちゃんと給料払えや!」て憤ったよね。。

「人の話を聴く」って誰にもできることじゃないんだよね。
だって、「いのちの電話」にかかってくるような”重い”話じゃない、普段の会話ですら”聞き流す”ことはできても”ちゃんと聞く”ってできてない(妻が話しかけても上の空でゲームをする夫のように、、興味ないんか?!いや、興味なくても聞け)。

話す側も、自分が何に悩んでて、何を聞きたいのか、アドバイスがほしいのか、ただ胸の内を聞いてほしいのか、誰に話すor聴くのが最適か、誰にでも話せるわけじゃないんだよね。
話すスキルも、聴くスキルも必要なんだと思うのよ。

切羽詰まってる状態って、周りが見えてなくて、
暗い部屋に一人で取り残されている状態なんだと思う。
周りの人と自分とじゃ住んでる世界が違うみたいに、
例え同じ家に家族がいたとしても、たった一人のように孤独を感じる。
そんな時、もちろん家族にも友達にも言えない時、
でも辛くて、どうにかしたいけど自分は無力すぎて、誰かになんとかしてほしい、聞いてほしい、助けてほしい。

私は「死にたい」と思ったことはないけど、「生きる意味があるのかな、、」って思ったことはある。
それは、生きるためにしてるのに気力も体力も奪われていって、やる意味あんの?って思った”抗がん剤治療”のときだった(今では、やったことに後悔はないけど)。
そして、誰にもそのことを話せなかった。

人の話を聞くって、誰でもできるじゃんって思いがちだけど、ココナラではちゃんとカテゴリがあって立派にサービスとして成り立ってるんだよね。
ちゃんとしたアドバイスをするとか、答えを出せるように導くって、スキルがいると思うし、得意不得意もあると思う(恋愛専門とか、仕事関係専門とか)。

でも、話す側が「自分の悩みがちゃんとわかってて、誰かに相談する」ことより手前の、整理ができてない状態だったり、まず吐き出すことが必要な時は、「ただただ聴く」だけでもいいと思う。
そして、そういう場所が何個かあればいいんじゃないかな。

悩みを相談するのも、アドバイスをするのもハードルは高いけど、ただ話す、ただ聴くのは、(勇気と信頼があれば)
できると思うから、「いのちの電話」は私にとっては重すぎるけども、その手前の、話せる場所のウチの一つにはなれるかもしれない。           おしまい。
      





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