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身近にある魔窟

・そうめんとか細いうどんって永遠に食べていられる気がする。

・ひとり、冷たい麺類を家で食べながら夏を感じていると、学生時代の夏休みのことを思い出す。同じく冷たい麺類を食べていた。でも、周りに家族がいて、最近あったこととかを話して、昼過ぎの友だちとの約束に間に合うように時間とか気にしちゃって。

・もうここには無い時間の話。たしかにあったんだけれど。たまに、物事を認知する上での、視覚が占める割合を呪いたくなる。思い出だけでは耐えられないこと、ありませんか。

・魔窟、よからぬものが集まる場所、というのは、結構身近にある。「治安が悪い」とされる地域はその傾向にある。あとは「なんか近寄りたくないところ」とか、「この人たちと一緒にいたくない」とか、そういう気配を察知できる場所は全部そうだ。

・職場や学校、そして家庭もまた場合によっては魔窟となる。「ここにいたくない!無理!」となった瞬間から。あっちが悪いとかこっちが悪いとか抜きにして、「キツいな!ここ!」というセンサーが作動した瞬間にそこは魔窟に変わる。安全な場所へ逃げた方がいい。世間体とか気にしなくていい。周りの人たちのイメージ内の自分は生きても、本体たる自分の心が死んでしまう。ライフがゼロになったら復帰出来ず退場になってしまう。僕たちの住む現実では命の残機が無い。5機くらい欲しかった。

・僕にとっての魔窟は、新宿にあったかつてのバイト先だ。「夢を追いかける若者」から、「諦めたかつての若者」まで100人ほど取り揃えた職場だった。正のパワーと負のパワーが押し合って「無」になってる、そんな場所に、身を置いていた時期がある。

・当時の僕は大学生だったために、最初は週に3〜4回、授業後4〜5時間勤務する、ということが多かった。ただ、早々に学業はボイコットしてしまったため、気付けば長めにシフトに入るようになっており、自覚のないまま魔窟の一員となってしまっていた。

・魔窟は、売れたいバンドマンと売れたかったバンドマン、舞台中心に活動する声優志望と声優志望だった人たちが中心の職場だった。「安定して働いて趣味で活動する」みたいな思考の人はひとりもいなかったと思う。そういう人は向いていない空気だった。そんな中に「ほぼフリーター」の皮を被った「大学生」の自分が混じっている、という状況だった。

・「諦めたかつての若者」たる30代以降の先輩方の安定感にはすさまじいものがあった。本当に仕事が出来る。面倒な客の対応で困っているときにはすかさず代わってくれたり、業務上足りてない部分を指摘してくれたり。優しくも、目が死んでいる人が多かった。その中のひとりが言っていた「バンドやめたけど、バイトやめてなくてよかったわ」という言葉がすごく印象的だった。考えたくなかったらしい。色々と。シフトはもはや提出しておらず、「店の都合優先で、可能なら週1休み入れてもらえればいい。無理そうなら休みいらない。」みたいな人が夜勤メンバーの中にはいた。売れたかったバンドマンのおじさん、声優になりたかった実年齢より若く見えるお姉さん。青すぎた自分には到底理解出来ない、深い何かを携えているように思えた。それ故のやさしさは、魔窟の中にいた自分の支えでもあった。

・「売れたいバンドマン」と「声優志望」はイキり散らしていた。なんかギラギラしていた。「ただの大学生」である僕に対して「お前、なんか夢とかないわけ!?」みたいな、謎の上からの圧をかけてきていた。そもそも「夢を追いかけないとダメ」という思考に汚染されているような人種で、夢を語る割には具体的な自分たちの実績というものは無かったようで、他人の悪口ばかり話していた。職場にいた人たち同士で頻繁に情報交換をしたり、バンドマンなら対バンイベントを組んだり、盛んにやってはいたようだった。

・当時の僕は「在学中にバンドやれたらいいけど、メンバーバラバラだしなあ」という何とも宙ぶらりんなやつだった。メンバーがそれぞれ大学進学に伴い違う地方に行ってしまっていたものの、解散する気もなかったので。この職場を離れた3年後、バラバラだったメンバーは東京に集まり活動を始めることになる。そして僕は別のバンドも掛け持ち、非常に充実した日々が始まるのだが、このことを当時の僕はまだ知らない。

・宙ぶらりんな僕というのは、「魔窟のギラギラした人種」にとっては最高のエサだった。自分のバンドの状況説明が面倒なので、「軽音サークルでバンドやってます」くらいに自己紹介を留めていたが、これが仇となった。テストくらいは真面目に受けようと短めのシフトで入れば「出た!大学生シフト〜!働く気あんのかよ。」と馬鹿にされ、長々と夜勤に続けて入れば「…お前、大学生だろ?授業とか出てんの?やることやってるわけ?」等の「俺はやるべきことやってっけど、お前は?」的説教で詰められまくっていた。頼んでもいないのに他人のアレコレに口を出す奴というのにはロクな奴がいないが、みんな不安だったのだと思う。「こうなるかもしれない」という末路たる、諦めた「大人」を、身近に見ていたから。夢を追うも諦めるも関係無しに、立場だけ見れば彼らも僕も「店舗スタッフ」と一括りにされる。この「自分はまだ何者でもない」という焦燥感を、夢を追うギラついた人間が、夢も何も無さそうな大学生に「説教」という形でぶつける行為は、極めて自然なものだった。

・一番厄介なのは、ギラついた人種は「悪気なく」大学生たる僕にこのような言葉を投げかけていたことだった。違いを受け入れられていないのだ。これは、店舗内でのマジョリティーたる「売れたいバンドマン」と「声優志望」の思考が判断基準となってしまっていたのが原因だった。「大学生」は異物でしかなかったのだ。魔窟には少なからず「大学生の先輩」というのもいた。しかしひとり、またひとりと退職し、最終的に、大学生は自分だけになっていた。彼らは魔窟に飲まれる前に気付き、離れていったのだろう。僕は大学生でいながら、彼ら「ギラついた人種」の側面も心のどこかにあったせいか、この魔窟から「抜け出す」という思考に至ることが出来なくなっていた。

・魔窟は「同じ穴の狢」とか「類は友を呼ぶ」とか、この辺のことわざがしっかりハマる状態だった。友達採用とかも積極的にしていたようだし、同じような状態の人間が群れれば「同志」と錯覚することだって出来る。悲しくも、それによって生まれるパワーバランスや安定感というものがあり、「ギラついた人種」たちは魔窟に飲み込まれていたのだ。自分にとっての「大学」みたいな場所が、彼らにとってはあの「魔窟」だったのだ。学園祭の準備をしていたある日、ふと気付いてしまった。

・「xx大学の学生」「xx企業の社員」といった安定感が、彼らには圧倒的に欠けていた。裏返せば、自分の「追いかける夢」たる「バンド」や「声優」というモノには、まだ安定を感じられないからこそ、「バイト先」に安定を求めていた。その安定にすがる心や、自尊心と自尊心が対立し合い、他人を褒め合い貶し合う中で形成されていったものが、「魔窟」だった。当時の僕は「大学生であること」によって、結果として「安定感」を所持していたため、魔窟の住人たちから自然と排斥されることに、何ら不思議はなかったのだ。

・ある日の勤務時間中、シフトリーダーが「あれ?布施くんまだいたの笑」と言った日を境に、僕は正気に戻り、魔窟を抜け出した。今となっては「まだ帰ってなかったの?」とか、入る時間が長かったり短かったりする自分への確認だったような気もする。ただ、当時の自分は「俺はここにいるべきじゃないんだなあ」という気持ちに、その一言がきっかけで確信を持ってしまった。それだけ、僕もまた自分なりに魔窟に飲み込まれており、思考が停止してしまっていた。

・魔窟にいた頃、授業をボイコットして働いていたツケは、「留年」という形で僕にのしかかった。親にこの話をした時に、「申し訳ない」の本当の意味を知った。そもそも上京の目的は音楽をやりたかったからで、理由として「大学進学」を使っていたのだ。大学生の自分は結局親の庇護の下で生きているのだと知った。青森県板橋区に住んでいたのだ、と、この時初めて気が付いた。

・魔窟を抜け出し、留年が確定してからは、親に真意を話し、学業に真面目に取り組んだ。本来の「当たり前」が、僕にとっては新鮮だった。違うバイトを始め(ここも別の意味での魔窟だったけど)、ギリギリながらも大学は5年かけて卒業した。

・魔窟を辞めた数年後、僕は晴れて東京のバンドマンとなる。アルバイトとバンドの日々、当時の「ギラついた人種」と同じ状態となった。そうなって初めて、彼らが抱いていたであろう苦悩に気付くことが出来た。

・バンド活動が板についてきた、ある日のライブの楽屋にて、対バンの友人と思しき人が、挨拶に来た。当時、魔窟にいたギラついた人種のひとりだった。咄嗟に過去がフラッシュバックしそうになったが、彼は金髪になった僕が、当時の「大学生」だということには気付かず、それなりのお世辞と共に自分の音源を渡して、フロアへと消えていった。魔窟では見たことのないくらいの低姿勢だった。結局、数年経って魔窟の残党と再会する辺り、僕もやはり同じ穴の狢だった。笑った。その後の彼の消息は知らない。

・ちなみに、その魔窟は既に無い。知らない間に閉店していた。あの頃の苦悩も思い出も、すべて僕の中にしかない。これは記憶していてもしょうがないことなので、外部記録媒体たるここに置いていく。

・自分自身が「魔窟にいる」と気付いた時が逃げ時です。気付かなければ一生抜け出せません。知らないわけですからね。そこが魔窟だって。魔窟にいる方、どうか気付けますように。世界は広いので、その後は多分どうにかなります。

fusetatsuaki

僕が良質な発信を行い続ける為には生きていないといけないので、サポートしていただけたらその金額分生きられます。主に家賃に使います。