やりたいことと向いてること

やりたいことと向いてることが違うと気づいてしまったらどうしたら良いのだろう。

これは、少し先の私が見返した時に、今どんな感情なのかを思い出せるように記録する文章。誰に話したってうまく伝わる自信がないし、分かってもらえるとも思っていない。だけど残しておこうとは思う。きっとネガティブな言葉ばかりが並ぶし、読んでいて気持ちのいいものではない。それでも読んでくれているのなら、世の中、こんなに多くの人がそれぞれ別の思考を持っていれば、そりゃあ、こんな人もいるよねって思ってください。

やりたいことはこんなにも決まっているのに、それが自分自身を苦しめる1番の要因になるとは思ってもいなかった。生きていく上で、やりたいことが見つかっていることはすごく良いことなのだと思っていた。何があっても、生きる理由を持てている自分はすごいのではないか、なんて自惚れることもあった。でも、気づいてしまった。きっと私はこの仕事が向いていない。
大学3年生の夏休み、周りの友達が、髪を黒く染めてスーツ姿でエントリーシートなんて書いている時期に、私は茶髪に明るいハイライトを入れてTシャツで稽古予定をホワイトボードに書いてた。
こんなんで良いのだろうかという不安感が拭えない一方で、たった1日、数時間のインターンで会社のことを知ろうとしている人たちをどこかで下に見ていたのかもしれない。そんな気持ちも、二ヶ月間ほぼ毎日10時間以上現場にいる自分を認めないとやっていけないという弱さから来ているのはわかっているけれど。

向いていないことに気づくのにそう時間は掛からなかった。昨年の経験が私をずっと苦しめているのは自分でも気づいていた。何をしても、なんでそんなこともわからないの?という目線と言葉の数々。なんでここにいるんだろう、こんな気持ちになってまで何になりたいのだろう。毎日電車で目を瞑ると泣いてしまっていた日々は簡単には忘れられなくて、思ったよりも自分の中で残っていた。
また自分が仕事ができない人だとバレてしまったらどうしよう。最初から、期待されているなんて微塵も思っていないけれど、それでも、いつか期待を裏切ってしまうのがわかっている中で日々を過ごすのはとても怖かった。何か失敗をすると、ああこれで失望された、仕事ができないやつだと思われた、と何度も思ってしまうのが辛かった。
そんなことを繰り返していたら、この仕事はきっと向いていないと簡単に思えてしまった。

でも、向いていないからといって諦められるほど自分は簡単ではなかった。向いていないとわかっても、なぜかやりたいことへの想いは変わらなかった。こんな時だけ信念を持ってしまう自分が嫌で仕方ない。

結局、向いていないとはいえ、自分からやらせてほしいと言ったことをやめるはずもなく、あと10日で終わる。
色々なことがありすぎて、自分の気持ちもよくわからない。それでもわかるのは、自分が仕事ができないことが原因で他の人にに迷惑をかけてしまっていること、そして必要以上の負担をかけてしまっていること。一番近い先輩は、すごく感情が様々で、表情や声色に感情が出る人だから、話しかけるのがすごく怖くもあるし、でもそのようなことになったのは自分が仕事ができないことが悪いのだと思う。なんでそんなこともわからないの?というあの目線と言い方、少し強くなる口調が怖い。でも、もっと力になることができれば、先輩はもっと余裕を持って仕事ができたのかもしれない。私が悪いのはわかっている。それなのに、なんでこんなにも不満を持ってしまうのだろう。人の悪い部分を見つけてしまうのは私の悪い癖だ。

普段、緑色のコーヒーショップでバイトをしている。そこでは、日々たくさんのことを褒めてもらって、新しいことに挑戦させてもらってきた。注意される時は必ず、何がよくなかったか理由を教えてもらって、その上で、できていた部分を褒めてもらえる。きちんと言葉にして伝えてもらえること、自分がこうしようと考えて行動して、それを説明できることが当たり前ではないんだ。どんな行動にも、自分なりの理由を持って行動すればその理由を聞いてもらえると思っていた。でもそんなことばかりではなかった。私の持つ理由なんて関係ないことがあるとわかった。それに、指示された行為の理由がわからない時に、知りたいと思うことは「変わっている」と思われるらしい。どんな立場にいたとしても、理由もわからずに何かを行動することは誰にとっても苦痛なのだと思い込んでいた。少なくとも私は、その理由がわからなければ、何かを変えることや行動することはしたくないと思っていた。
本当に申し訳ないのだけれど、それを聞いた時に、私は将来やっていけないのかもしれないと思ってしまった。
暗黙の了解や、大人として言ってはいけないこと、などが多すぎる世界で生きていくのは向いていないのかもしれない。

私が誰かと話をしていると必ず割って入ってきて、私の説明を少し否定しながら話の主導権を握ってくる。気づくと私は輪の外にいて、話が聞こえない少し離れた場所での仕事を頼まれる。仕事の話だけじゃなくて、世間話をしていても、何かの拍子に会話に入ってきて、気づいたら私より親しげに相手と話していて、もう良いやってなる。私より話もうまいし、きっと私なんかと話すより皆楽しいだろうから良いんだけどさ。
バイト先では、自分が担当したお客様との会話に誰かが入ってくることなんてないし、自分の受けた話は自分が責任を持って対応することが誠実で当たり前だと思っていた。
社会では違うのかもしれない。
だけど、もしこれが社会の当たり前なのだとしたら、私はきっとこの仕事が向いていない。

大前提として、先輩のことはすごく尊敬している。私にはこんな仕事はできないと思うし、あまりにも私と違うタイプの人すぎて、この人が向いていると言われる仕事を私ができるはずがないのだと思う。

自分のことが心底嫌になるし、こんなにも仕事ができなくて、人に迷惑ばかりかけて、きっといない方がいいと思われているんだと思う。でも、そのことを謝って、そんなことないよと言われるのもだるい。だってどこかでこっちが折れないといけないでしょ。何を言われても、心の中では、そんなことない、私がいない方が良いと思ってるくせに、って思いながら、相手を納得させるためだけに、ありがとうなんて言いたくない。
こんなひねくれた考えをしているのがよくないんだろうな。

3週間のホテル生活もまもなく終了。思い返せば、途中で起きないで寝られた日はあっただろうか。いつものことだから何も思わないけど、少し辛い日は沢山あった。

こんな気持ちになっても、やりたいことは消えなかった。
でも、向いていないことは十分すぎるほどわかった。
私はどうしたら良いのだろう。

1時22分だ。寝よう。
もしこの文章を読んでくれている人がいるのであれば。つまらなくてごめんなさい。
それと、こんなにも人の気持ちを考えられない私でも傲慢に生きています。もっともっと私なんかより生きるべき人がたくさんいるのに。
いつか人の気持ちを分かれる人になりたい。誰かの痛みをわかって、大切な人をきちんと大切にできる人になりたい。
今まで私なんかと関わったが故に気持ちを汲み取ってあげることができなかった人が、いつか、もっと優しくて共感力のある人と出会って、少しでも楽に生きれたらいいなと思う。

明日も働きます。



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