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第二のふるさと 埼玉


地元大阪より夢を胸に上京し、いつか東京タワーの見える場所に住むぞ!と息こんでいたのは、もうはるか昔…。


 今は、家のベランダからは見えないが、ちょっと高い場所にいけば、スカイツリーがかすか遠くに見える埼玉に住んで、はや20年。


 まさか、自分が埼玉に住むなんて夢にも思っていなかった…。
たまたま結婚した相手が購入していたマンションが埼玉だっただけ。
自分の意志で埼玉に引っ越ししたいなんて、一度も思ったこともなく、結婚した頃は、友達ももちろん都内に多かったし、慣れ親しんだ馴染みのお店ももちろん都内。いつか、都内に戻りたい、戻るものだと思っていた。


 なのに、


 なのに、


 なのに…。


 あの東京への想いはどこへやら…、すっかり埼玉に馴染んでいる自分がいる。
いや、馴染んでいるどころではない、どっぷり埼玉に入り込んでいる。
しまいにゃ、埼玉県63市町村の蕨市のキーパーソンにまでなっちゃてるし!
どーーーした私!
もしかしたら、このまま埼玉に骨を埋めることになるだろうと心のどこか思ってしまってるし。
東京に出てきた頃の私に伝えたら、「そんなバカなぁ!」と大笑いするだろうなぁ。


 なにが、ここまで私を変えたのか…。


  それは、もう、はっきり分かってる。
埼玉に自分のコミュニティが出来たから。
 たくさんの繋がりができたから。
 
そのきっかけと言ったら、もう『子ども』以外のなにものでもない。
 子どもが出来たことで、私の人生は大きく変化したと思う。


  子どもに友達を作ってあげたいと公民館の子育て学級を受講して、そこで同じ年齢の赤ちゃんを持つママたちと繋がった。子育ての辛い時期を一緒に乗り越えた仲間のような感じで、地域で初めてのママコミュニティとなった。


  そして、子どもが本好きということもあり、図書館へよく通った。その時に目にした「紙芝居ボランテイア募集」のポスターに心惹かれるものがあり、そのボランティアに参加することになった。それが今の私の市民活動の礎となった。

  保育グループを作って活動を始めたのも、自分に子育支援が必要と感じたこと、子どもが好きなので、なにかそれが活かせないかと考えたことから。それが、今やNPO法人になり、地域の子育て支援団体として15年も続いている。それだけ続けられているのは、多くの仲間に恵まれたから。


 
  不思議なもので、人と人の繋がりができてくると、そこの土地が大好きになる。


  たまたま、住んでいる街が小さいというのも良かったのかもしれない。
 なにかと、まちのイベントに関われることも多かったし、声もかかったし、企画を考えるのも楽しい!
 結構、色々と自分の考えが反映されていくのは楽しい!
  そして、そうしたイベントの中で、また出会いがあり、繋がりができていく。どんどん人と関わって、繋がりが増えれば増えるほど、そこの街が自分の街に変わっていく気がする。


  独身時代に住んでいた街でも、色々な人と繋がったから、その街が大好きになった。でも、いまほどの想いがないのは、何事にもかえがたい家族の住む街だからかもしれない。ここは、大好きな子どもたちの故郷になる場所。そして、子どもたちが帰ってくるのを待つ場所。


  だからなのかなぁ…。
  

  いつのまにか、ここ埼玉が第二の故郷になっている。
 子どもがいて、家族がいて、知り合いが増えて、繋がって、それがどんどん広がって、私の居場所になっていることは間違いない。今や私の目線は埼玉目線!映画「翔んで埼玉」も自虐ネタと笑い、たまに渋谷、銀座に出かければお上りさんのようになっている。埼玉のいいところを見つけ上手にもなり、埼玉各地に知り合いも増え、埼玉いいとこ!と胸張って言える。


  埼玉に住んで20年…。

 
 妻になり、母になり、友が出来て、仲間も増え、そして…すっかり埼玉県人になった私には、東京のシンボルの赤い東京タワーや白いスカイツリーよりも、誰の目にも見えない私だけの埼玉タワーを心のなかで着々と積み立てている。

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