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帰省(3)

「わあ、冷たい!」
歓声を上げる私の横で、娘が恐る恐る水に足を浸している。

海に来た。11月だというのに車のメーターは外気温30℃を示している。異常だと騒ぐ父をよそに、せっかく暖かいのだからと海に行くことにした。
自宅から10分程度で海辺に着く。京都の海沿いの町に住んでいると言うと、京都にも海があるのか、と時々驚かれる。南北に細長い京都の最北端。申し訳程度に接している海には、ちゃんと浜辺もあればサーファーもいる。
空気が湿気を帯びているせいか、風景が淡く見える。淡いパステルカラーの海と空は、春を思わせる。陸地が湾曲していて、海の向こう側にも細く伸びた陸地が見える。光を受けてキラキラと反射する波がどこまでも続いている。

浜辺にはわずかな先客の他に、ほとんど人がいない。子どもを連れているお父さん。カセットコンロを挟んで、マグカップを傾けながら語り合う青年たち。適当な場所を見つけて砂浜に荷物を置いた。公園の砂場で使うための、スコップやバケツを手に波打ち際まで行く。今日は濡れる覚悟でやってきた。娘の靴と靴下を脱がせ、自分も裸足になる。スコップを使ってザクザクと砂を掘る。水気を含んだ砂はずっしりと重い。寄せては返す波に誘われて、どんどん波の近くまで進んでいく。初めは目を丸くしていた娘も、平気で水に浸かっている私の姿に安心したのか、次第に進んで水の中に入っていく。透明な海の底に、小さな白い貝殻がいくつも見えた。

自宅から程ない距離にあるだけあって、地元で暮らしていた頃は、海を見たとしても何の特別な感慨もわかなかった。高校は海岸の近くにあり、通学の度にこの海を見ていた。
花火大会とか、淡い恋とか、海にはつきものであろう思い出も私にはない。この海辺で印象的な思い出と言えば、両親と一緒に浅瀬で潜っては、砂の下に埋まっている貝を足先で探したこと。あるいは、高校の校舎から、眼下に見える海原を見ながら、自分の将来に思いを馳せたことくらいか。海はこの小さな田舎町を山と共に取り囲んでいて、遠くに行こうとする者の意志を挫く壁のような存在に思えた。この海辺を思い出すとき、なぜか海は鉛色のような鈍い色になる。

十数年経ち、娘と一緒に来た海辺の景色は、見慣れたはずの場所なのに、初めて来た場所のような感覚さえあった。潮風を肌に受けながら、こんなに美しい場所だったのか、と思う。無数に反射する光の中で、大声をあげてはしゃぐ娘。ここに再びこれて良かった。


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