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どうして男の子みたいに遊んでちゃいけないの?

前回の記事「この言葉に出会うために宮古島に来た〜14歳と42歳の二人旅〜」が、なんとなんとnoteさんの【国内旅行マガジン】に追加されたとのこと!!


右下の記事です!びっくり!


次男との楽しかった宮古島メモリーを思い出しながら、時にニヤニヤ時にじぃーんとしながら書いた記事が、こうして誰かに読んでもらえて、どこかに選んでもらえるなんて夢のように嬉しい。noteさん、どうもありがとうございます!



▼掲載されたのはこちらの記事です



そんなわけで、今日も書きたいことを書いていこうと思う。(結構単純w)


今日は私の子どもの頃の思い出。


私は3人きょうだいで、2歳下の弟と、4歳下の弟がいる。女の子一人の長女。


“しっかり者のお姉ちゃん”だった(そう育てられたのかも)私は、どこか大人びていて飄々としていて、感情を表に出すのが苦手な子どもだった。


実家は家業をしていて、お店にはいつも近所の人やお客さんが来ていて、ランドセルを背負って学校から帰った私は、その人たちに挨拶をする。そんな時、母にこう言われるのだ。


「女の子なんだから、もっと愛想良くしなさい」


私なりに感じよく挨拶しているのに、たいていこう言われる。多分、本当にあんまり目が笑ってなかったんだと思う(爆)。だけど、私にとって、それは不本意なことだった。


弟たちが一緒だと、更にそれはより不本意になる。元気で明るい屈託のない弟、一番下で何をしてもかわいい弟。同じように挨拶をしても、私だけ注意される。子どもながらに、女の子だから?どうして?って疑問だった。


親戚で集まる時も、私の疑問は深まるばかりだった。


年末年始とかお盆とか、親戚で集まる時、男の人たちは昼間からお酒を飲んでどんちゃん騒いでいるのに、女の人は料理を作ったり、お酌したり、お皿を洗ったり、「つまみがないぞー」「こっちにビールもってこい」なんて言われると、つまみや瓶ビールを運んでいく。座る暇もなく、台所や近くのテーブルと椅子に腰掛けるくらいで、せわしく動き回っている。そして、それは私たち子どもも手伝わされる。もちろん、女の子だけ、が。


私は親戚の男の人たちの、空になったお皿や瓶ビールや、散らかされたおつまみの袋を片付けながら、釈然としない気持ちでいっぱいだった。


視界の片隅で、ただただ無邪気に遊んでいる弟たちや従兄弟たち(もちろん男ね)を見ながら、どうして?って思った。


どうして、女だというだけで、私は遊んじゃいけないんだろう?


これが、私が今でいうところのジェンダーについて疑問をもった出来事である。



もちろん、時代背景によるものも多く、母もお店のお客さんも親戚の人たちも悪気なんてなかっただろうし、むしろこれからの私の未来を気遣って「女の子なんだから」と諭したり、接したりしてくれたのだと思う。


あの時、親戚の集まりの中で、私が女の人たちの手伝いをせず、男の子に混じって遊んだとして、それはそれで許されたかもしれない。だけど、「しづかちゃんは女の子なのに」って言われたり思われたり、そのことで母や父が恥ずかしい思いをするのも嫌だったのだ。



あれから30年の月日が経ち、日本も少しずつ変わってきてるとは思うが、現実はジェンダー後進国だ。あの時代だから仕方なかったのだ、ということだけで、同じ思いを息子たちやこれからの女の子たち、私の次の世代の女性たちにさせたくはない。


そのために何をしたらいいのか、まだ手探り状態ではあるけれど、それが、先に生まれた者が果たすべき役割(責任)だと思っている。



Voicyでもジェンダーのこと発信しているので、興味持ってくださった方は聞いてみてください^^


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