第二十五回 与謝野晶子『階級闘争の彼方へ』

https://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/3642_6555.html
こんばんは。
今回は詩人・与謝野晶子による評論を扱いました。

こちらは1919年(大正8年)に発表されたもので、
(『みだれ髪』の表紙はザ・大正ロマンって感じですね)
第一次世界大戦(1914〜1918年)の直後の世情を感じることができます。
しかし、現在の国内・世界情勢に通ずるテーマが見えてきました。

文化的生活とは

今回、長めのテキストではありましたが、
参加者からの「ずっとおんなじことが書いてありますよね」というご意見。同意。
そして、びたび出てくる「文化的生活」というキーワード。
身近な(?)ところでは
日本国憲法にもあるとおり、すべてのワタシたちすべての国民は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有しているとのこと。
(漫画のタイトルにもなってますね)


では与謝野晶子的「文化的生活」とはどのようなものか?
ざっくりいうと、

どんな人も
・利他精神(ひとの役に立ちたい)をもって
・能力をフル活用して社会に貢献し
・充分な報酬を得る

対義的な概念として「(第一次世界)大戦」をあげています。
利己主義(エゴイズム、自己中)の行き着く先は殺し合いよ、と。
有名な『みだれ髪』も反戦を詠っていますし、
世情の反動からこのような思想に至ったのでしょうか。
人間は平等で、他者への愛にあふれている。
弟を日露戦争で失いかけたのに、それでも人間を信じるとは、
与謝野晶子、強いなあ、と感動します。

なぜユートピアは訪れていないのか?

参加者からは「共感できる」という意見がありました。
ちょうど百年前に夢見られたひとつの理想郷、
しかし、今の現実とのギャップはどうしてなのでしょうか?

与謝野晶子のこの評論は、社会主義、かなり共産主義に近い思想に支えられています。
社会主義とはなにか?特徴としては「性善説」に基づいた、
すなわち、人間は互いの役に立ちたい、という利他的(社会的)な生物である、
という考えがベースにあります。
逆に資本主義のベース「神の見えざる手」などは、
極端にいえば人間が「自分の利益のみ追求する」ロボットみたいなエゴイストだ、
という前提で成り立っています。

まあ、よくある話ですが、現実はあまり極端には吹っ切れないもので。
まっさらな聖人も珍しければ、生まれながらの極悪人もいないもので、
生身のわたしたちは思想や概念の中間をうろうろしているのでしょう。

蘇るテーゼ

この全世界的混乱のさなか、スペインがベーシックインカム導入に舵を切りはじめ、
日本でも現金給付の二転三転もあり、
与謝野晶子のこのテキストが再び鼓動を始めたの感があります。

ここから、世界がやべー方向にいかないために何が必要か?
そのヒントをもらえた気持ちです。
それはエゴに走らず、自分と他者、そして社会とのつながりを考える、
ということ。
自分の行動ひとつひとつが(良くも悪くも)社会にインパクトを与えますし、
社会的な責任をあらためて認識する機会なのだろうなあ、と。

文化的生活は「権利」とされてますが、
個々人の「義務や責任」が放棄され、
公共」がぶっ壊れるとそれもままならなくなります。
ここ最近、
その「誇張されたドラマ」が現実に展開されているような錯覚も受けます。
現実は、小説より、哲学書よりも極端やなあ...というのはあまりに他人事みたいな感想。
クールな現状認識を心がけたいものです。


おすすめ本

「理想はなぜ実現されないのか?」
「そもそもこれ、全然理想じゃねーし?」
と思った方におすすめなのが、
ジョージ・オーウェル動物農場』。
すべての動物が平等な、愛あふれるユートピア...。
その崩壊を描いた社会風刺小説(寓話)です。
今回のテキストへのアンチテーゼとして。


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