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第三回 西田幾多郎『読書』

「インテリゲンチャのための読書クラブ」、第三回目を開催しました。
参加人数も増え、今回は差し入れ(おやつ)も多くいただき、多謝です!

西田流「読書のススメ」

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その1.原体験は「ノゾキ見」
幼い幾多郎は、おじいさんの本棚からムツカシイ本をパラパラめくっていたそうです。
もちろん、意味がわかろうはずもない。のですが、それはいわば「ノゾキの快楽」であるそうです。実用は考えず、たまらず見てしまう。
そんな純粋な好奇心が読書のベースにあったそうです。

その2.源流をたどれ!さすれば偉大なる思想家に行き着く
現在、売れてるモノ、新しく見えるものでも、元を辿れば、だいたい「オリジナル」に行き着きます。
まあ、なかなか「無から有」を生み出せるものではありませんね。

その源流をたどっていけば、偉大なる思想家に行き着きます。
その「オリジナル」を掴むこと、それこそが本質を理解することにほかならないのです。

その3.自分を磨け
そういう「オリジナル」は昔々に書かれたもので、理解するのが難しいかもしれません。
「読んだイコール理解した」でもありません。
読者側にも高い「思考力」を求めてきます。
その「思考力」を高める最善の道も、「偉大なる思想」にどこまでもぶつかっていくこと、そのものなのです。

好奇心こそモチベーションの源

以下が読書クラブで議論した内容です。

「必要は発明のマザー」たしかにそうかもしれませんが、
我々のようにストイックすぎない人間は「義務感」だけではサボりがち。
「これ読んどいたいいよ」は反抗して本棚に入れっぱなしにしがちなものです。
子どもの頃はむしろ「読むな」「R15」「18禁」に惹かれるのです。
そういうものを覗き見る。いま、必要ではないものを脳に刻み込む。意味もわからないままに。
好奇心をもってすれば我々の脳は海綿のごとく知識を吸収するのです。
思い出してください。クラスにひとりは居たはず。「保健体育」だけ満点の、「あの彼」が良い例です。

また、好奇心は「憧れ」とも近しいものです。
ロールモデルを発見し、同化願望を味方につける。
とにかく何もかもコピーしてみる、というのもオススメ(?)の方法です。
(※わたしも中学時代、ウッディ・アレンに憧れたなあ)

オリジナルの引力

文学や思想だけでなく、「機械の『初号機』は魅力的だよね」という話に。
自動車にせよ、音響設備にせよ、初号機にこそ、野蛮なまでのロマンと情熱が宿るからです。
映画監督のデビュー作の詰め込み具合とかも好きです。
(逆にいうと初手で持てるものをすべてぶっ込めるかどうかが生き残りの鍵なのかもしれませんが)
もちろん「改善」によって、版を重ねることによって、洗練されていきます。
あるときはマーケットの要求によって。
またあるときは異端と交わり合うことによって。
しかし、無骨とともに、原初の「巨大さ」は失われていくのです。
それは妄想だからこその広大無辺さなのかもしれません。
いささか感覚的ですが、「コピー」と「汎用」の弊害のひとつです。

消費者ではなく、クリエイターで在りたいものです

作者は「偉大な思想を理解するためにはそれなりの知性が必要」と説きますが、現在のトレンドはこれと真逆に進んでいるのではないでしょうか。
とことんまで消費者を甘やかす過保護。取説が必要ないほど人間工学と認知心理学に基づいたUXデザイン。「伝え方」の標榜。つきつめれば、コミュニケーションが成り立たないのは、伝える側の配慮が足りないから云々。
OK、でも「脳のカロリーを使用しない」対価として「従属」を求められることは心に留めておくべきです。まあ消費者側は「思考停止」もウェルカム、ウィンウィンの関係性なのかもしれませんが。
ただ、人間は突き詰めると消費だけでは満ちたりないものではないでしょうか。たしかにロマンと情熱の源泉たるオリジナルを生み出すのは難しい。ただ、「無から有」にせよ、きちんとした「有の改善」にせよ、創意工夫を行うクリエイターであることこそ、人生を有意義にするものではないか。そのためにも「偉大なる思想家」にぶつかっていかないといけない。
源流をたどり、新しい湧水を掘り当てる。それこそが真のクリエイターではないかと思うのです。

以上です。
次回は萩原朔太郎の『都会と田舎』です。
お愉しみに!

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