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ゴボウ前の人生、ゴボウ後の人生

今までの人生で一番の転機は何だったのかと聞かれると、僕の場合は一本のゴボウを食べたことだった。

今は「美味しく作る」ことを目標に野菜の生産販売をしているのだけれど、実は仕事で農業にかかわるようになるまで、この野菜美味しい!って特別に感じた記憶がない。

もしそれがあったら多分今の仕事はしていなかったんじゃないかと思う。

「記憶に残っている野菜の味ってどんなのですか?」
人にこう聞くと、「田舎に帰省したときに食べた採れたての野菜」という答えが返ってくることがある。

どうだろう?そういう経験をしている人って多いのかな?僕自身は大阪の少しだけ郊外の出身で、両親は農家ではない。祖父母も近くに住んでいたが、やはり、農家ではなかった。だから僕は、いわゆる「田舎」に帰省、という経験をしたことがない。当然「田舎に帰省したときに食べた採れたての野菜」なんて食べたことがないし、どんな味なのかも知らなかった。そもそも、野菜の味なんて、真剣に考えたことがなかった。


もちろん、野菜の味が特に記憶に残ることもない。
肉や魚だったら、学生時代にお祝いで少し無理して行ったレストランで食べた料理、たまたま通りかかった寿司屋で食べたお寿司など、覚えているものがある。「あの時の煮込みのお料理はすごかった」「あそこの鯖寿司はまた食べたい」とか。でも野菜は、となると、うーん、付け合わせてあるから食べるもの、バランスのために食べなきゃならないもの、というくらいのイメージだったと思う。


そんな僕だったけど、今の会社を創業する前、とある縁があって、野菜の流通の仕事に携わることになった。そして、流通の仕事で野菜の買い付けに回ったとき、ある野菜に出会った。


その野菜は、それまでに食べたどんな野菜とも違った。
「なんだこのゴボウ」
TEDxでもお話した青木さんの野菜なのだけれど、僕が食べたことのない、明らかに存在感があって、ものすごく美味しかった。

もっとも、そのゴボウは青木さんから実際に畑を見せてもらって、その場で頂戴していた。ひょっとすると、自分にとっての「田舎に帰省したときに食べた採れたての野菜」みたいなものだったのかもしれない。


でもそこは仕事。体験とは切り離して、できるだけ冷静にどんな味か見極めようという気持ちで食べてみたつもりだ。それでもはっきりと違いが分かった、と思う。僕はそれから、そのゴボウの味が忘れられず、しばらくスーパーや八百屋で良さそうなゴボウを見かけては買っていたのだけれど、やはり青木さんのゴボウとは全然違うのだった。


一度そうなると、今度は色々気になりだす。

同じお店でも、日によって売っている野菜が全然違うこと。
野菜は値段が乱高下すること。
それでいてその値段と味には全く関係がないこと。
高級食品店でも、他の品目に比べて普通のお店との価格差が大きくないこと。
スーパーの特売でも、すごく美味しいものが売られていることがあること。

「なんで今までそれに気づいてなかったんだろう?」
「なんでそういう違いが生まれるんだろう?」
僕の好奇心は、もともと、自分でもよくわからないほど旺盛で、色々な方へ向いていた。昔も今も、そういう気持ちを押さえることはできていないし、仕事でも趣味でも、できるだけ自分のそれには好きにさせることにしている。

あそこで、あの1本のゴボウがきっかけで、「野菜」を取り巻くなんやかやに気づくことができた。


農業の世界では当たり前とされている、他の業界では必ずしも当たり前ではない色々に気づくことができた。

その気付きが無かったら、農業に全く縁もゆかりもないところから野菜の栽培を始めるなんてことはかなっただろう。


今作ってる野菜は、あのゴボウにどこまで近づけているかはわからないけれど、「美味しい」って思う。

(トップ写真は今の自社農場産のゴボウです)



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