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2023年、冬、沖縄 エピソード0

先日、念願だった沖縄旅行に行ってきた。その前後で考えたことを何回かに分けて書いてみることにした。
 
「沖縄」というのを初めて認識したのは、今から30年ほど前の小学校5年生の頃だったと思う。同じクラスに「与那」という名前の同級生がいた。両親が沖縄出身で、南国出身者特有の浅黒い肌と彫りの深い顔立ちで、とにかく足の速い女の子で、陸上選手のジョイナーに似ていたから、「ジョイ」というあだ名もつけられていた。
 
社会科の授業で沖縄について触れた時、この与那さんのお母さんがさとうきびを差し入れてくれた。さとうきびから黒糖や砂糖がつくられることは知っていたけれども、差し入れられたのは黒糖や精製された砂糖ではなくて、さとうきびそのものだった。茎の髄の部分を噛むと甘い汁が出てくるのだけれども、その甘い汁を楽しむというものだった。後にも先にも、さとうきびそのものを噛んで甘い汁を飲んだのはその時だけだが、美味しかったこともあって強烈に脳裏に焼き付いている。
 
幼い頃の沖縄に関する思い出と言えば、母が、「長生き料理」と称して、よくラフテーを作ってくれたことである。宮城県出身の母がなぜこの料理をよく作ってくれたかは不明だが、圧力鍋で作ってくれたラフテーはとても美味しかった。だが、この「美味しいラフテー」にたどり着くまでには、それなりに試行錯誤を繰り返していたのもよく覚えている。30年ほど前の埼玉県内で泡盛が普通に手に入るということはなく、母は泡盛ではなく度数の近い蒸留酒で、比較的入手しやすい焼酎を使っていた。だが、焼酎を使うとなぜか肉は柔らかくならなかった。(それでも美味しかったが)。
 
どこで入手したかは不明だが、ある時泡盛を入手したためこれを使って作ってもらった。すると不思議なことに柔らかく仕上がることを「発見」した。この経験もあり、自分でラフテーを作る時は必ず泡盛を使うことにしているし、最近はオリオンビールを入れるとさらに美味しいということにも気付いた。
 
こうして沖縄については「食」から知ることとなったのだが、社会科の授業で知った沖縄戦や沖縄の駐留米軍基地問題や1995年9月の沖縄米兵少女暴行事件を機に、その「政治性」についても少しずつ知るようになる。1990年代後半は、新聞やテレビの報道で沖縄の米軍基地をめぐる問題が大きく取り上げられていたこともあり、自然と沖縄の問題に触れる機会は多かったように思う。
 
ちなみにMr. Childrenの楽曲に「1999年、夏、沖縄」というのがあるのだが、この中で「僕」(おそらく作詞者の桜井和寿だろう)が初めて沖縄に行ったのは1994年とされており、曲の冒頭でいきなり「何となく物悲しく思えたのは、それがまるで日本の縮図であるかのようにアメリカに囲まれていたからです」と歌われている。1995年ではなく1994年というあたりから、桜井はおそらく沖縄米兵少女暴行事件以前から沖縄に強い関心を寄せていたことがうかがえる。
 
少なくとも自分にとっての1990年代のミュージック・シーンには沖縄出身のアーティストがそれなりに登場する。安室奈美恵、MAX、SPEED、DAPUMPなどはその代表で、安室奈美恵の”NEVER END”は2000年の九州・沖縄サミットのイメージソングとして採用されている。
 
政治、文化の両面で沖縄が注目を浴びた1990年代を経て、2000年に大学に進学した私は国際政治、それもアメリカ外交を専門にしながら沖縄を訪れることはなかった。2001年にはNHK連続テレビ小説で沖縄を舞台とした『ちゅらさん』(主演・国仲涼子)が大ヒットをする。このドラマでガレッジセールのゴリが演じる主人公の兄がゴーヤーマンというキャラクターを生み出したことから、ゴーヤーという食材を知ったり、サーターアンダギーというお菓子を知ることになり、沖縄に関する知識が増えていった。

京都で一人暮らしをしていた大学院時代には近くの酒屋で安く売られていたという理由で泡盛をよく飲み、ゴーヤチャンプルーもよく作って食べながらも沖縄に行ったことがなく、40を過ぎても日本国内で未踏の県の一つとなっていた。(他に秋田県、鳥取県、大分県、宮崎県)。折しも沖縄の本土復帰50周年を迎えた2022年上半期のNHK連続テレビ小説では沖縄を舞台とした『ちむどんどん』が放映され、沖縄料理の数々が紹介されていた。
 
こうしたこともあって、何としても沖縄にと思って昨年9月に計画したものの、台風襲来により直前に中止となってしまった。往路は飛行機が飛ぶものの、復路がおそらく欠航になり、帰ってくることができなくなる恐れがあった。また、滞在中に車で移動するにしても強風に見舞われる可能性が高く安全に旅行することが難しいように思えた。ホテルなどのキャンセル料は痛かったが、安全を考えて中止することにした。(結局、予想通り往路搭乗予定の飛行機は飛んだが、その後の便は復路搭乗予定の飛行機も含めて欠航となった)。
 
安全を考えて中止したとはいえ、この直前キャンセルは「行こうと思ってもなかなか行けないのが沖縄」という思いを強くしてしまった。
 

「沖縄は意外と冬がおすすめよ」
 
台風で直前キャンセルとなってしまったことを実家の母に伝えるとそう言われた。たしかにマリンスポーツをするというわけではないから夏~秋にこだわる必要はない。海以外にも観光地があるため連休となればそれなりに人気がありそうだけれども、冬ならば比較的空いているのかもしれないと思い、年明けすぐの連休に予定を組んでみた。
 
沖縄旅行というのは、ホテル、フライト、レンタカーの三位一体を重視する必要がある。ホテルとフライトが確保できても、レンタカーが確保できなければ観光は非常に難しくなる。他の都道府県であればレンタカーが取れなくとも何とかなると思うが、沖縄はそうはいかない。コロナ禍のレンタカー需要の低下で、沖縄県内のレンタカー台数は減少を余儀なくされ、旅行シーズンのレンタカーの確保は非常に難しい。実際、昨年9月に計画する前にも何度かチャンスをうかがったのだが、いずれもレンタカーの確保ができずに諦めている。
 
11月の時点でホテル、フライト、レンタカーの全てを抑えることに成功した。1泊目を那覇市内、2泊目を中部の恩納村にした。恩納村にふるさと納税をしていたことと、本部半島をめぐってみたいということもあって恩納村がちょうどよかったのである。かくして新年早々念願の沖縄入りを果たすこととなった。
 
(つづく)

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