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聖人と美術・聖ルチア

今回は聖ルチアをご紹介します。「サンタ~ルゥ~チ~ア~、サンタ~ルゥ~チ~ア~♪」の歌でおなじみの(・・ってわかるかな?)女性の聖人さんです。
私が住んでいるノルウェーは伝統的にルーテル派プロテスタント教会の国でして、カトリック教会と違い、余り聖人崇敬が行われないのです。でもゲルマン民族の伝統的な行事と混交して特別に注目を浴びる聖人もおられます。聖ルチアもそのお一人。ルチアという名前は「光」を現し、また「聖ルチアの日」が12月にあることから、冬の折り返し地点である冬至をお祝いする「光のお祭り」というゲルマン民族の伝統と結び付けられるようになりました。北欧の冬は長くてきびしいですからね~。ようやく日が長くなり始める冬至はキリスト教到来以前から北欧では重要なお祝いの日だったんです。とはいっても、聖ルチアと関連付けて「聖ルチア祭」として祝い始めたのは1800年代のスウェーデンということで、かなり新しい行事のようです。ノルウェーでも「聖ルチアの日」のお祝いをしますが、一般的になったのは第二次世界大戦後ということもあり、本場、スウェーデンと比べて地味な行事となっています。

ルチア祭J

聖ルチア(283/286~304)

聖ルチアはイタリア、シチリア島のシラクサに生まれたと言われています。304年に殉教したということになっていますが、この304年はローマ帝国のディオクレティアヌス帝によって、キリスト教徒に対する最後の大規模迫害が行われたと言われる年。殉教者として聖人になられた方々はこの年に亡くなったとされる方が複数おられます。その9年後、313年には時の皇帝コンスタンスティヌス帝によってキリスト教信仰が公認され、ローマ帝国領でのキリスト教徒迫害は終焉を迎えます。

さて、まだキリスト教禁止されていた中、キリスト教徒であった聖ルチアは異教徒の婚約者との結婚を拒み、そのせいで婚約者からキリスト教徒であることを告発されます。逮捕の後、最終的に剣で殺害されますが、その前に拷問で目を抉られたと言われているため、「目」がアトリビュートになっています。異説として聖ルチアの美しい目に魅了されていた婚約者の執着を断ち、後難なく信仰に生きるためにルチアが自ら目をつぶしたともいう伝説もあります。どちらにしても「目」のエピソードに彩られた聖人です。

アトリビュートが「目」って・・という感じですが、絵画での聖ルチアはアーモンド形の「目」を皿、盆などに乗せておられます。でも本人にはちゃんと目がついています。グロテスクなことにはなっていないのでご安心を。このつじつまの合わなさは「聖ルチアは「目」を失ったけれども神の恩寵で目が見えた」との神学的な意味があるともいわれていますし、また信徒に対する絵画的な配慮であるとも言われています。目が抉られた姿の女性の絵というのはショッキングすぎて信徒の共感を得にくいということですかね。

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「目」がアトリビュートの聖ルチア、守護の対象は「盲目の方」。「眼病に効く」聖人だとされています。もちろんご本人の地元のシラクサの守護聖人でもあります。あと、ノルウェーのカトリック教会公式サイトによると、農民、罪を悔いた娼婦、ガラス工芸師、鞍作り職人、刃物職人、ドアマン、建物の管理人などの守護もされているとのこと。守護対象の幅が広すぎて不思議。理由もわかりません、私には。
でも、女性がお盆やさらに「目」を載せていたら、「サンタ~ルゥ~チ~ア~、サンタ~ルゥ~チ~ア~♪」の聖ルチアが描かれているものと覚えておいてくださいね。

では、Wikimediaでの美術鑑賞へどうぞ!

「聖ルチア」フランシスコ・デ・スルバラン
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francisco_de_Zurbar%C3%A1n_045.jpg?uselang=ja

「聖ルチア」ドメニコ・ベッカフーミ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saint_Lucy_by_Domenico_di_Pace_Beccafumi.jpg?uselang=ja

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