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荒ぶる神 新型コロナウイルス

2020年の新型コロナ騒動から考えたこと(エッセイ)

 少し落ち着いて社会をみれば、日本は「うつる」ものに敏感なのだと思います。
 「穢れ」意識も無関係ではなく、それは日本人が生き残るために必要なことが伝統化したところもあると考えます。物忌みという籠もる行為は今の自粛にも似て、何らかの感染拡大を減らす効果があったのではないでしょうか。なにか益することがなければ慣習化しないでしょう。そして前回の集団自粛は当たり前のように皆が従いました。有名な人の死亡報道がされ「喪」の意識も強くなりました。「喪」は慣習的な自粛です。籠もること、自粛することに対して日本人は無意識に「そういうものだ」と理解していたからだと思われます。日本人にとっては「しかたのないこと」でした。海外で暴動が起こることに対して理解できない国民性が出来上がっています。

参考 佐藤 直樹氏 「世間のルール」に従え!:コロナ禍が浮き彫りにした日本社会のおきて  2020年7月16日
  https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00589/

 恐るべきモノを前にして、頭を下げる、自分を抑える、時には籠もる、それは日本人の荒ぶる神に対する正しい態度です。荒ぶる神に対して、行動するのですから、日本人は「おかしい」とは考えません。たとえば、「台風』という荒ぶる神がきたら、皆さん、しませんか。じっと災いが過ぎるのを待ちませんか。日本人にとって、「台風」も「疫病」も同じ荒ぶる神なので、その神に対する行動が同じであることは良いのです。慣れていたのです。

 そして、現在、自分の意見を抑えて集団の意見に従うという「同調行動」が暴走し、「マスク警察」や「自粛警察」などの社会現象を起こしていますが、これは疫病に対する日本人の精神志向といえます。マスクをしない人を見て怒る人は正義感なのでしょうが、それは「神」に対して間違った態度をとっているからです。その人がマスクをしないからといって、自分が感染するかどうか。逆に怒るために近づく方が危ない。が、怒るんです。怒らずとも非難の目を向ける。新型コロナ様に対して間違った行動をしているから。しっかり社会的距離をとっていても、もうダメなのです。

 思い出すのが、次のニュースです。

参考
毎日新聞
職場や学校の「白マスク」指定に悲鳴 専門家「管理者の安全感覚鈍い」   https://mainichi.jp/articles/20200418/k00/00m/040/030000c
福井新聞
学校着用マスクは白だけ?色限定に不満の声 新型コロナで品薄状態なのに…
  
 https://www.ielov e.co.jp/column/contents/03268/

 新型コロナが流行りだしたころのニュースです。

 なぜ「白」なのか。「白は汚れが目立ち、衛生的に望ましい」からとありますが、これも「同調圧力」でしょう。さらに「白」。神聖なる色「白」。荒ぶる神に対するのにふさわしい色ですね。マスクに防衛力はなく、もし感染していた場合にウィルスを拡散しないためであるとしても、「白」にこだわる。そのこだわりの強さに「日本的なもの」を感じました。
 横道にそれますが、「クリスマスにショートケーキ」を思い出しました。

参考
いちごショートは日本だけ?!クリスマスケーキの由来と各国の特徴          https://www.ielov e.co.jp/column/contents/03268/  

 疫病は神ですから。神を祭る際にふさわしい色は「白」。白のマスク姿は、「荒ぶる神」に対する正しい「装い」になります。このような災いの中で「色つき」などもってのほか!と考えた人もなぜ「白」が良いのか、はっきりとはわかっていなかったのではないでしょうか。確かに白は「汚れがわかりやすい」でしょうが、ピンクだって、イエローだって分かりやすいと思います。でも「白」しかだめだという。みんなで「白」。日本人らしい考え方だと思いました。

 もちろん、いろいろ批判されたので、今は自由なはずなのですが、やはり学校は「白」が多いです。自主的に「白」のようですね。

 新型コロナウィルスは「荒ぶる神」なのです。

 だから感染した人を非難し差別します。新型コロナ様に対して予防しなかったからうつった、神を畏れて正しい生活をしていればうつらなかったはずだ、と。よくも自分たちの生活区域に「荒ぶる神」を持ち込んでくれたな、と。それは、ときに感染していない人に対しても。

参考 新型コロナ感染症によるもうひとつの苦しみ「差別」 実録・新型コロナウイルス集中治療の現場から(第10回)(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス)  https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61489

 そしてそれが、「夜の世界」の報道によって拍車を掛けました。生活の乱れた人がコロナにかかり、感染した。神に対する正しい生活をしなかったからだと。そして、たとえきちんと生活をしていた人であっても感染したら、「神(コロナ)に対して正しい態度をしなかった人」と見なされる。そして非難し、排除しようとする。
 たしかに、古代はそうやって感染者を隔離して健常者を守ったのかもしれません。でも、現代でそれを行うのは間違っている。「時代遅れ」です。

 確かに「うつる」ことに敏感になる環境が日本にありました。災いを持っているものから、持っていない人へ「うつる」―――

 先日のニュースで、「奈良時代後半になると、小型の食器が多くなったことが分かっており、感染予防のため大皿での盛り付けを避けたと考えられる」とありましたが、ウイルス知識はなくても「うつる」ものだということは良く理解をしていたのでしょうか。日本の「小皿文化」が感染予防から始まるのだとすれば、時に文化を変えていくほどの力を疫病はもっていたわけです。

参考
奈良時代の疫病対策でも登場した給付制度、大皿料理回避 https://www.sankei.com/premium/news/200805/prm2008050001-n1.html @Sankei_news


 さて、その疫病が持つ大きな力を利用したもの、それが古代の天皇(オホキミ)家だったと想像します。
 その想像の根拠は『古事記』『日本書紀』にあります。
『古事記』では、崇神天皇の代に大物主神によって疫病が流行、多くの人民が死に、飢え苦しんだので、大物主神の子孫の大田田根子に祭らせたところ、「国家安平」になったとあります。天皇主導の下、各地の神が祭られるようになった起源説話にもなっています。
 『古事記』で初めて「国家」という語が出てくることに注目します。疫病を鎮めて、初めて「国家安平」となったと語ります。
 また、以下のように、『日本書紀』の崇神天皇が述べています。


  今も既に神祇を礼(ゐやま)ひて、災害皆耗(つ)きぬ。

               (岩波日本古典文学大系本より引用)

 天皇が神々を祭ることで災いが尽きるのです。すなわち、天皇が祭らなければ、災いが抑えられません。よって、天皇という存在が国家に必要不可欠、国家の秩序を守る存在であると位置づけられているのです。
 つまり、天皇が祭祀を行えば、疫病がおさまり、国内安寧となるのです。逆に言えば、天皇が祭祀を行わなければ多くの人民が死ぬのです。
 天皇がまだ大王(オホキミ)と呼ばれていたであろう時代、疫病という荒ぶる神を畏れる民はわらにもすがる気持ちで大王の祭祀を望み、大王の存在を認めたのではないでしょうか。
 現在のコロナ騒動をみても、よくわかります。先頃の「イソジン騒動」からも頷けるのではないでしょうか。集団を動かす心理が「不安」「恐怖」であることを実感しました。

参考 世界中で嘲笑?! メディアに「眉つばモノ」「押し売り」と評された「イソジン吉村」知事の残念すぎる海外デビュー
https://www.j-cast.com/kaisha/2020/08/07391725.html @jcast_kaishaより 

 この事件は笑うに笑えません。人々の「不安』や「恐怖」を煽る記者会見でした。人々はいっせいに「特効薬」を買いに走りました。「恐怖」や不安が人々を同じ行動に走らせます。ドラックストアの空になった棚が不気味に思えました。

 このような集団心性は為政者には有益です。疫病の際の祭祀は、大王の地位を確立するために一役買っていたのではと想像します。

 しかし、現代はそのような時代ではありません。
 新型コロナウイルスは「荒ぶる神」ではありません。病原菌です。
 予防はしっかりしなければなりませんが、それでもうつるときにはうつるのです。悪いのはウイルス、人間は悪くありません。
 そして、今のままでは「不安」「恐怖」の社会心理により、国家としての秩序が失われてしまいます。
 科学のない時代、神話の時代、人々の気持ちを支えていたのは「荒ぶる神を祭り、鎮めることができる天皇」でした。
 今は科学の、医学や心理学が発達した時代です。どうぞ、専門の医療関係の方のことばをたくさん聞くようにしてください。そして、ネットで調べてみてください。その中から自分の信じられることを見つけてください。不確かな情報に飛びつかれませんようお願いいたします。

 一方で、この集団心性が現代でも良い効果をもたらしている場合があります。
 そうです。「アマビエ」様の流行です。
 古典の世界から見た場合、不安を和らげる一助となるのが物語です。
 「アマビエ」様の流行は「皆が疫病に退散を願っている気持ち」の流行です。皆が耐えている、私も耐えねばという気持ちを柔らかく支えてくれています。目に見えない不安を目に見えるようにして集団心性を和らげているのだと思います。

  毎夜、光るモノが出る。
  役人が行って見ると、図の如くの者が現れた。
  「私は海中に住むアマビヱと申すものである。
  当年より六年間の間は諸国は豊作となろう、
  しかし、病が流行したら、
  即刻私を写し、人々に見せてください」
  といって、海の中に入っていった。

 弘化三年四月中旬と記された瓦版の内容です。
 『古事記』によく似た神話があります。 

 大国主神が国を造っている途中で、相棒スクナビコナがいなくなり、困っている場面です。

  大国主神は嘆いて、「私ひとりでどうやってこの国を造ればいいんだ。
  私と一緒にこの国を造ってくれる神はいないか」といった。
  すると、海面を光り輝かせて近づいて来る神がいた。
  その神が、「私をよく祭るならば、私があなたと一緒に
  国を造って完成させよう。そうしないと、難しいだろうよ」といった。

 この神は崇神天皇の代にあらわれた大物主神であるとする説があります。大物主神といえば、疫病を鎮めた神です。アマビエも大物主神も輝いて現れる。そして、人々に姿絵を見せることや大和国の山に祭ることを要求する。
人々はこの伝承に従って祭りを行ったり、姿絵を見せ回ったりする。
 この伝承に類する伝承が各地に残されていることがすでに報道されています。はるか昔から、このような物語を語ることで、感染する不安や死に対する恐怖を和らげていたのだと考えます。このような古典の世界からは、私たちのご先祖が「荒ぶる神」と戦うのではなく、共存してきたことを知ることができます。伝承で「不安」を共有しつつ、生活の中に取り込んでゆく。その下地は今の日本にも残っています。

 withコロナ事態に上手く対応していくような感性を日本の人々はもっていると信じています。この日本の人々とは日本に住む全ての人です。日本列島に住んでいる私たちなら乗り越えていけると思いたい。
 日本は災害の多い国です。これまでも多くの大災害があり、それを乗り越えてきました。

 そして、その災害を乗り越えてたくさんの文化が創り出されてきました。災害文化という研究用語もできています。

 子孫を助けるためにできたかのようなスサノオの神社は話題になりました。神社は多く高い山にあり、人々を集合させる場となる境内があります。また、祭りによって村の人々は年に数回神社に集まることで、場の知識を共有し、いざというときには神社に集まることができる。神社が避難場所の役割を持っていると考えられます。

参考
東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究
高田知紀氏・ 梅津喜美夫氏・桑子敏雄氏
土木学会論文集F6(安全問題) 68(2)  2012年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejsp/68/2/68_I_167/_pdf

 私たちは災害とともに発展してきたのです。

 実際、現代でもネットを利用した新しい生活が始まっています。
 〝転んでもただでは起きない〟
 そんな言葉もある日本です。
 私たちの集団心性を上手く利用して、現代の「荒ぶる神 新型コロナ」と共生できる時代になっていくことを願います。
       
 駄文ですが、自分の考えをまとめることができて有り難く思います。そして、書くきっかけをくださった「宇治の瀧屋」氏に感謝しつつ、筆を措きます。お読みいただき、ありがとうございました。

 
                         (2020年8月)

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