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はした金というお金はない

わたしはある日、とてもとても広くて素敵なお家にお住まいの方とお話しをしていた。

わたしの親くらいの年代の方。
とても博識でおだやかで、日向に置いておいた座布団に寝そべる猫くらいふかふかな雰囲気のそれはそれは優しい方。ここでは仮にふうさんと呼ぶことにする。

ふうさんに、

ねえ最近面白かったことはあった?

と聞かれたので
「メルカリで本を売りました。売れたら嬉しかったですし、それでお茶ができちゃいそうです。メルカリはですねぇ・・・」ちょっと講義を始めてしまった。ふうさんはそこまでは求めてない。すぐ暴走するこぐま。どうどう!

ふうさんは

「ふふふ、たのしそうね。こぐまさんカレーお好きだから売上でカレー食べられるといいわね。そういえば、古本を玄関に出しておいたの。今度の資源ごみの日に孫に出してもらうから、こぐまさん欲しいのあったら好きなだけもっていってね。」

いやいやもったいない。こぐまは思った。それは全部お孫さんにあげて、お孫さんが一冊でも多く高く売る工夫をしたら、いいお小遣いになりそうだ。メルカリでたかだか4冊本を出品しただけのこぐまのくせに、なんか急にえらそうである。

それをふうさんに提案すると
「まあ!本当だわ。捨てたらゴミだけど欲しい人がいるかもしれないものね。工夫して儲けたら、孫のアイスクリーム代くらいにはなりそうよね!」と乗り気である。

その時わたしの失言が炸裂した。
暴発した。

「ふうさんにとってははした金かもしれませんが、100円でも500円でもお金になったらありがたいですよね」こぐまはそう言ったのだ。

その時は気付かなかった。それが失言であることに。でもすぐ自分の浅はかさに気づく。ふうさんの反応で。

「あらこぐまさん、はした金なんていうお金はないのよ。1円までね、ひっくり返してやりくりしてお付き合いしているの。お洋服だって、靴下や下着以外はこの5年でズボンを一着買っただけよ。ほら、こぐまさんが着ていたかわいいやつよ。素敵だから真似して買ったわよね(笑)」


はした金なんていうお金はない。

はした金なんていうお金はない。

わたしは自分を卑下していたんだと思う。その卑下のせいでいろんな価値観が歪んでいた。そしてはした金という言葉を使ってしまった。

またふうさんに大切なことを教わった。心のメモ帳に大きく、太字で書き込んだよ。

お金は大切に扱うこと。
お金だけじゃないよね。人も大切に扱うこと。ふうさんの物腰からいつも感じます。

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