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ADHDが鬱で会社やめて高円寺で無人古着屋オープンした話。

タイトルが憂鬱な感じですが、お気軽に読んで下さい笑

私は新卒で不動産系の営業職に入社しました。仕事は正直しんどかったです。
営業=しんどいが当たり前
みたいな感覚の会社で、私もそれに洗脳されているし、しんどいくらいやらないと成功できないとも思います。

周りの同期も最初はたくさんいましたが、少しづつ辞めていく中、自分の人生このままでいいのかと考えるようになりつつ、仕事でも精神的にキツくなり、身体に異変が出るようになりました。過呼吸や手足の痺れ、体の倦怠感が激しくなってくると、流石にやばいと思い、休職、退職となりました。

病院で診てもらうと、『君は普通の人よりも感受性が高く、ストレスを感じやすい』と言われました。30年近く生きてきましたが、確かになと思いました。というのも、高校生くらいから周りと自分ちょっと違うかもと思うことが多かったからです。鬱状態に近いものから、ADHDの精密検査の結果、それに該当するとのことでした。ADHD⇨鬱のルートは結構あるみたいで、生きづらいと悩む人は病院に行ってお医者さんと相談することをオススメします。ネットで評判みていくのもおすすめです。もし悩んでいる方いたら、こうしたら良いと言うことは私にはできませんが、私の経験を詳しく話したり、相談に乗ることならできるのでdmでも頂ければ、お話させて頂きます。お役に立てるかは分かりませんが笑

そこからは、まあ、本当に苦労しました。
関西にいたのですが、あてもないまま東京にきて、古着屋をやることになるのですが、そのキッカケとなったのがYouTuber否古着屋オーナーのdig太郎さんの動画をたまたま見たことでした。

正直古着はにおい、汚れとかで距離を置いていたタイプだったのですが、
古着ってこんなにも綺麗な魅せ方や、綺麗な着こなしもできるんだ、と驚き、
価値観が180°変わった瞬間でした。

読み切れるはずもない西田幾多郎の善の研究がdig太郎さんの事務所にあったのも好きです。あれ読めたのかな?読めてたら本当にすごい。(私は挫折してます笑)

outにも何度かお邪魔して、古着も何点か購入させて頂きました。雰囲気も良く、お店の大きさも、品揃えも何もかも完璧な印象でした。若くしてこんな凄いお店を作るなんてと驚きと同時に自分のちっぽけさを身に感じました。

彼の影響で古着を始めたのに、無人古着をやっていると知られたら本当に嫌われそうな気がしますが、、、笑

東京はオシャレな古着屋さんが多いです。
もちろん関西にもありますが、街の雰囲気というか、街がブランドっていう雰囲気があって、すごい空間だなあ、と。
大阪はアメ横が有名ですが、賑やかな街の中にある古着屋の印象が強かったのですが、東京はやっぱりオシャレだなあと。

そんな感じで古着に興味が出てきて、東京で無職の間が半年ほど続き、あ、これはやばいな、貯金もそろそろ無くなると思い、お店を出すことを決意しました。
半ばギャンブルです。いや、私はネガティブな性格なので、体感9割ギャンブルの気持ちでした。ただ、幸いにも前職ではほぼ全てのお店の店舗開発の方と関わることのできる仕事をしていたため、出店に関する見極めは普通よりは目利きができたと思います。というよりもそこにしか頼りはありませんでしたし、もう全てを賭けてやってやるという思いでした。失敗したらしたでもういいよ、中途半端なりに中途半端もんが全力で頑張っても中途半端なんだろうという気持ちでした。

そして前職の経験を活かして今度は毎日東京中を歩き回ります。
土地勘は一切ないので、ネットの情報を頼りに出店できる場所を探し始めました。
高円寺‥下北沢‥三軒茶屋‥学芸大学‥都立大学‥武蔵小金井、などなどなど、実は最近できた大岡山の無人古着屋さんの物件はいち早く問い合わせしてました笑もちろん地主さんに直接何度も頭下げに行きましたが、当たり前ですが門前払いがほとんどで、社会人の頃から地主さんを口説いていましたが、私には難しいのかなあと。なんか申し訳なさが出てしまう感じがして、断ってるのに何度もお願いされたら嫌でしょって普通に思うので、あまりグイグイはいけませんでした。

そして、前職の経験のおかげで物件を見つけることができました。当時の上司(本当に凄い人)が仕事はやり切るまで、と言われていたので、やれる限りのことをやり切りました。

物件は階段の中にあるような感じの踊り場のような狭い空間でしたので、踊り場と名付けました。無人古着屋さんて四字熟語の一文字変えてみたりみたいな、粋なことしているとこが多いので、そういうのもありかなと思いましたが、意味持たせたくもないなと思ったので、踊り場にしました。(他のお店を決して否定している訳ではないです。むしろ大好きです。笑)

2023/11/11ついにオープン。偶然か私の意思もあってかその日は父の誕生日でした。
父はそれを喜んでいましたが、離婚しているので母は違う日にしたら?とそんな感じで、複雑な気持ちでした笑もちろん、そうなることは予想していたのですが。

初めて服を買って頂いたときは少し感動しました。
11/10オープン1日前にお店で深夜に準備をしていると、1人お客様がやってきました。
『これ買っていいですか?』
私は心の中でおぉ、、というような安堵と不安が入り混じったような感覚でお客様と少しお話をさせて頂きました。
その方は近くでお仕事をされた帰りに、立ち寄って頂いたそうで、仕事先の居酒屋も教えて頂いたので今度行ってみようと思ったまま、忙しくて未だに行けてません。
今月は行きたいです。
有人のお店ならこういう会話がもっとあって、繋がりを持てるのかと思うと、看板には無人古着と書いてあり、ないものねだり、だなあと諦めました。でも、ゆくゆくは有人のお店でold tiffanyなどを扱えるようなお店をするのが実は夢だったりします笑
そんなお客様との出会いが最初で最後でしたが、最近衣装貸しを始めました。
衣装貸しではお客様とおそらく接する場面が増えてくるので、密かに楽しみにしてたりします。(未だ問い合わせなしです笑)
衣装貸しのお客様の層は、演劇やお笑い芸人さん(特に高円寺は多いのかなあと思ってます)、インフルエンサーの方など、きっと夢に向かって頑張っている人が多いはずです。

私もその最中であり、一緒に頑張っていきましょうという気持ちでやってたりもします。
値札の20%で衣装貸しは設定してますが、そんなにも出せないよと言われたら、もっとお安くしてもいいかなあとも思ってたりしてます。

安定のない中頑張る人を応援したいというなんか上から目線が自分で自分が嫌になるとこもあるのですが、正直に言うと、お笑い芸人さんが大好きだからという想いが強いです。
芸人さんが多い街高円寺で古着屋が営めているのも何かの縁だなあと思い、漫才で使ったりするかなと考え、ジャケットなど仕入れてたりするのですが、全く声がかからず結構落ち込んでたりします笑

今度またnoteに書こうと思いますが、故立川談志の落語にとても感動した経験が今の私の価値観に大きな影響を与えています。だから社会からはみ出てしまったのかもしれませんが笑

最後に、古着をもっとお客様に届けていくために、私自身知識を深めていく勉強を行っていき(古着は知識が無限なので大変です笑)良い古着、無人古着なのに結構いいじゃん、と言って頂けるお店を作っていきます。

また、記事書くので是非読んで下さい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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