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後悔を活かす

「学級委員にはふるぴん君が良いと思うんだけどどうかな?」
(ふるぴん君とは私のことです)

中学校に入学して間もなくのある日。
クラスの委員を決めている際に担任の先生から学級委員をやってみないか?とのご指名を受けた。
クラス全員の前で。。。

「もちろん断ってもらっても良いんだからね。今決められないのであれば3日後までに返事をください」と先生に言われた。

(え~~~。俺かよ~~~面倒くさ~~~。目立つことした
 くないんだよなぁ~)
まだ慣れていない中学校。
知らない顔も多々ある中で。。。
恥ずかしさと面倒臭さしか感じなかった。
でもほんの少し。。。5%くらいだけ
(引き受けてみても良いかもな)という想いも感じていた。

小学生の頃は特に陰キャでもないしクラスのリーダー的存在でもなかった。
勉強はあまり出来ず体育は中の上くらい。
女の子には全然モテなかったけど男子の間では少し人気があった。人を笑わせるのが好きだった私には丁度良い立ち位置だった。

「3日後に返事します」
そう答えた翌日の昼に職員室へ行き私には学級委員の荷が重すぎるのでという理由で引き受けることは出来ないと担任の先生に伝えた。
先生は特に残念そうな表情は見せず「そう。分かった」と優しく微笑んでくれた。
私が罪悪感を感じないよう配慮してくれていたのだと思う。

断ってしまった。
5%あった(やってみても良いかも)という想いを打ち消した。
見て見ぬふりをした。

その翌日に再び学級会議が開かれ学級委員が決まった。
見るからに頭の良さそうな東君が立候補。
満場一致で彼が学級委員に選ばれた。。。というか学級委員なんて誰もが引き受けたくない役割。
誰かが引き受けてくれるなら誰でもいい。。。みんなそんな気持ちだったと思う。

(あぁ~よかった。あんな面倒なこと引き受けたら大変だもんなぁ。)
そう思う反面、東君ではなく自分があの場所に立っていたらどんな気持ちになっていたのだろう?自分の目にはどんな景色が見えていたのかな?
5%の私がそう思ったりもした。

中学時代

学級委員を断った私の中学時代は勉強に興味がなく部活も適当。
友達はいたけど何かをシェアすることもなく好きなアニメの感想を語り合うくらい(それはそれで楽しかったのだが)

(あぁ~中学つまんね。早く終わらないかな)
朝夕晩。常にそんなことを思い何に熱中するでもなく没頭するでもなくただただ時間が過ぎるのを待っている。
そんな毎日を過ごしていた。

いつの頃からか覚えてはいないけど何に対しても覚めた感情しかなく何かに思い切り打ち込むこともなくなっていた。

消えてしまった心に火が灯ることはなくクラスメイトのほとんどが今後の進路を考え始め一生懸命受験勉強に取り組む姿を見ても「そんなことしてて面白いのかな?」なんて思いながら塾にも行かずアニメばかり見ていた。

そして卒業の日を迎えた

もうあの学校に行かなくていいんだ。
というスッキリした気持ちが強くどこか清々とした気持ちで迎えた卒業式の朝。
もう中学校に行かなくて良い。
退屈な毎日からの卒業。
(やった~~~!)
嬉しさいっぱい。
清々した気持ちでいっぱいだった。

でも。。。
(高校へ行ったとしても同じような毎日を繰り返すんじゃな
 いの?)
(1日1日が早く終わればいいのに。。。そんなことばかり
 考える毎日が続くんじゃない?)

そして
(もし学級委員になっていたら)
もっと勉強したのかな?
充実した部活生活が送れたのかな?
友達たくさん作って楽しい思い出たくさん作れたのかな?

清々した気持ちから少しずつ後悔の念が生まれ始めていた。

卒業後の春休み

は少しだけ長かったけど友達と遊びに出かけることもなく夕方から始まるアニメの再放送を見るまでは暇で仕方ない。
やることがないので目的地のないまま少し遠くの町まで自転車を走らせ時間をやり過ごす。そんな毎日を過ごしていた。

味気ない春休み。
やることもなく人と会うこともなく。
ただただ自転車を漕いで時間が過ぎ去るのを待つ。
そんな毎日を繰り返していた。

自転車をこぎながら
(高校生活が終わったときにもまた同じような春休みを過ごすのかよ。それで。。。いいのかよ?)
もう一人の自分がそう問いかけてくるような気がした。
その声は日に日に大きく心の中で響くようになっていた。

(どうすんの?高校生活は?)
(中学と同じく何もせずただ1日が終わるのを待つ毎日を選
 ぶの?)
(本当にそれでいいのかよ?今、後悔してるんだろ?)

家にいるときも自転車をこいでいるときももう一人の自分が聞こえてくる。
問いかけが止まないしその声は日に日に大きくなっていた。

問いかけられれば応えようとする。
答えを探す。
人ってそういうものらしい。
(あのとき学級委員を引き受けていたとしたら)
(過ぎてしまった3年間は取り戻せないけどこれからの3年
 間は創ることができるんじゃないか?)

そして。。。
(せっかく環境変わるんだし高校生活はもう少し前向きに過ごしてみようかな)
(中学時代に断ってしまった学級委員。。。やってみようか
 な)
心の中でそんな気持ちが生まれたのを感じた。
微かな変化だったけど目に見える景色が明るくなったような気がした。

高校時代

高校に入学し初めて学級委員をやってみた。
勉強する時間を持つようになった。
(テストの前だけだけど)
苦手だった。。というか教科書をロクに開くことがなかった英語に力を入れてみた。
部活はやってみたけど面白くなかったのですぐに辞めた。
合わないものは仕方ない。

学級委員はとても楽しかった。

黒板を背に立ちみんなの顔を見て話しをする。
話を聞いてもらう為に大きな声を出す。
みんなを笑わせて注目を集めるようにした。

みんなが話を聞いてくれる(そうでない人もいたけど)
笑ってくれる。
冗談にチャチャを入れるひとがいて場が盛り上がる。
ダイレクトに跳ね返ってくる反応がとても楽しかった。

この経験に味をしめた私はその後学級委員を務めながら
文化祭実行委員
修学旅行実行委員
送別会実行委員
その他幾つかの委員会活動を兼任した。
3年生になったときには実行委員長も幾つか経験した。

ひとつの活動が終わればまた次の活動へ。
学級委員をベースにして各イベント毎の委員会が立ち上がればそちらにも参加をする。

そんな毎日を過ごしている間にあっと言う間に高校3年間が過ぎ去っていった。

中学を卒業した際に感じた空疎で空虚で無機質な感覚は全く湧かなかったし後悔の念とは真逆の充実感に満ち溢れていた。

高校卒業時には後ろを振り返ることはなく胸を張って卒業を迎えることができた。
卒業後に「あの頃に帰りたい」という想いは今に至るまで1度も起きていない。

きっと自分の中で(やり切った)という思いで満ち満ちていたからだと思う。

得られたもの

各種委員会の経験を経て得られたものは
①人前で話すことの楽しさ
②他クラスや生徒会などクラス以外の人たちと顔なじみにな
 れた
③自分はこういうことが好きなのだなという発見
④達成感や充実感
⑤中学卒業時に感じた後悔の念を払拭できたこと

有形のものは何も残っていないけどたくさんの思い出(とは
言えほとんど忘れてる)が記憶に残っている

経験を通して得られたこれらのことが今の仕事や今の自分の行動のベースになっている。

これから

先月(2024年2月)にスタートした瞑想会や来月(2024年4月)にスタートする地域ボランティア活動では高校時代から経験し積み上げてきたものを存分に活かしていきたいと思う。

中学時代に背負ってしまった後悔の念。
それはその後の私の人生を好転させる大きなキッカケ、種のようなものだったのだと受け止めている。

黒歴史でも何でもなく生きる希望をもたらし、楽しさを教えてくれた中学時代の後悔の念に感謝です。

結論


自分に対する問いかけをする。
人は問われたことに対して答えを探し始める。

そして
人は変われる。
変わろうとした瞬間に変わることができる。

周囲のしがらみ(私にはないけど)や環境、人間関係や仕事に囚われ過ぎることなくむしろその強みを活かして新しい仕事や人生にトライすることを決めたこの時期に思い出した10代の頃の思い出と経験は私の背中を暖かい手で支えてくれている。
(行ってこい!やりたいことやってこいよ!)
そんな声が聞こえてくる。

読んでいただきありがとうございます。

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