待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね〜太宰治『待つ』について 第三回
さて、前回までは作品『待つ』における“誰か”の正体について触れてみた。しかし、私としては、それが“誰か”ということよりも、“待つ”という行為そのものに強く興味を覚えるのだ。
私は“待つ”という行為について、或るエピソードとともに、太宰さんの印象的なセリフを思い馳せずにはいられない。
昭和11年の12月のことである。家にいると仕事ができないと言って太宰さんは、井伏氏の知り合いである小料理屋を介して、熱海に執筆の為の宿を借りることにした。
何日かして、太宰さんは「お金がない」と当時の妻である初代さんに連絡をする。大方、酒代に使ってしまったのであろう。そこで初代さんは、小説家仲間の檀一雄氏に「お金ができたので持っていって欲しい」と依頼したのだ。
檀氏は、太宰さんの元へお金を持って行くのだが、結局は一緒になって酒を飲み、その日のうちにお金をすべて使ってしまう。まさにミイラ取りがミイラとなってしまったのである。だが、それでも彼らは驚くことに、その窮地を寧ろ楽しむか如く、放蕩に耽るのであった。
そして、とうとう3日目の朝、太宰さんは「菊地寛の処に行ってくる。君、ここで待っていてくれないか」と言い残し、単身東京へと帰って行く。お金を借りに帰ったのだ。壇氏は、心細い限りであったが、仕方がない。太宰さんを信じて待つ他は無かったのである。
しかし、太宰さんは戻ってこない。何日かして、檀氏は小料理屋の親父と二人で東京へ行ってみることにした。
果たして、太宰さんは、井伏氏の処にいた。呑気に将棋など指しているではないか。
「ああ、檀君」思いがけない到来に、狼狽の声をあげる太宰さん。
その姿を見て、檀氏は激怒。「何だ、君。あんまりじゃないか」と怒鳴り声を上げたのであった。
太宰さんは、その怒号にパラパラと駒を盤上に崩してしまう。指先は細かに震え、顔からは血の気が失せてしまっている。オロオロと声も何も出ないようであった。
その場は、井伏氏が何とか収めた。小料理屋の親父も、数々の勘定書を残し、渋々と引きあげていった。
ようやく、場は落ち着きを取り戻した。しかし、ここで檀氏は、太宰さんから思いもがけない言葉を聞かされるのである。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
この言葉は弱々しかったが、強い反撃の響きを持っていたことを今でもはっきりと覚えている。~檀一雄『小説 太宰治』より
引用・参考文献
檀一雄『小説 太宰治』
井伏鱒二『十年前頃』
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