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『太陽の女神、月の男神』第二章

前作:『太陽の女神、月の男神』第一章


=====


「何故ですか!」
 ラブ・ラモーナの撮影所に響く高らかな抗議の声。三度目の撮影、夏物のドレスを身に付けた私やチェリーたちはその声に驚き、振り向く。見れば入り口の辺りで大人の男女を数人連れた若く綺麗な子がスタッフに食い入っていた。
「何故モデルでもない子を使ってあんな広告を!?」
カラスのまま横に待機していたアミーカが彼女の剣幕を警戒して人型になり私のそばに立つ。撮影用に服を調整していたラモーナさんはアミーカに私を任せてモデルの少女に歩み寄った。
「ご機嫌よう〜」
「……ご機嫌よう」
金髪碧眼、人形のように美しいややつり目の少女はラモーナさんに上流のお辞儀をする。
「抗議ならわたくしが聞きましてよ。でもちょーっと声を抑えていただけるかしら。他の子が驚いてしまうから」
少女はそばに立つ男性に何かを指示する。「こう言う者でして……」と差し出された名刺をラモーナさんはやんわり断った。
「貴女のことは知っていてよ。グレンダ・オニオンズさん」
「それなら何故ですか! あの広告は! モデルでも何でもないあんな子が私たち一流のモデルよりもいいとおっしゃるんですか!?」
「んー、その話ならコンセプトからご説明しないといけないかしら? このドレスたちは街中の花としての少女の物なの。一方貴女は富裕層向けのブランドでご活躍よね? 残念ながらわたくしが求める雰囲気とはちょーっと違うの」
きっちりかっちり、ベルフェス節を出しラモーナさんは彼女をバッサリ。
「トゥルー・フラワーズは!」
ラモーナさんがバサアッと上着ごと腕を広げたのでグレンダは一瞬ひるむ。
「そう! 真実の花! 気になる男の子とちょ〜っと出かけたい時! 大好きなお友達と素敵なディナーに行きたい時! “何でもない普通の子”の特別な瞬間を飾るもの!」
腕を下ろしラモーナさんはグレンダににっこり。
「つまり、貴女の言う“何でもない子”だから起用したのよ」
「っ……」
悔しそうなグレンダはラモーナさんやスタッフの横を通り一人でズンズンと私に向かってくる。えっ怖っ、と思っているとアミーカが私を後ろに隠して仁王立ちになる。アミーカは人型でもカラス型でも体格が良くさらに全身真っ黒で威圧感があり、こう言う瞬間非常に効果的だ。
アミーカがじっと見下ろすとグレンダはそれはそれは悔しそうにアミーカの後ろに隠れた私を睨みつけ、「フン!」と鼻を鳴らして戻って行った。
「……ビックリした」
グレンダは馬車で帰っていった。あんな風に敵意を向けられたのは初めてだったので心臓が早鐘を打っている。アミーカはちらっと私を見ると流れるように椅子に座らせ、自分は片膝をつく。アミーカに抱きついて気を鎮めているとラモーナさんが戻ってくる。
「ごめんなさいねサシャちゃん」
「いえ……」
とは言うものの本当に驚いた。ラモーナさんもふうと溜め息をつく。
「あの子、グレンダ・オニオンズと言うの。幼い頃からモデル一本で頑張っているプロなんだけど普段があんな感じだから、うふふ」
ラモーナさんの意味深な笑みに母親のシンディーさんを感じつつなるほどと頷く。自分が納得いかないとああやって周囲へ八つ当たりをするのでラモーナさんとしては気に入らないようだ。
「ラモーナさん、どれかと言うとふんわりした女の子が好きですもんね」
「あら! よくお分かりですこと! その通りよ〜。わたくし心穏やかでふわっとした子、だ〜い好き♡」
「ですよね……」
私も入学当初に比べると環境が変わってだいぶ角が取れたけど、あの子の態度もわかる。モデルとして必死に努力してずっと頑張ってきたのに同じ年頃の女の子たちが話題にする新ブランドの立ち上げに呼ばれなかったと考えると、そりゃモヤモヤするだろう。
「あれ、それだと私モデル業界からめちゃくちゃ目付けられてない……?」
グレンダ一人ではないのでは? そう考えたらゾッとした。隣にいたアミーカがフンと鼻を鳴らす。
「そんな呪詛、俺が片っ端から食ってやる」
「アミーカ……!」
頼もしさにジーンとしてしまった。お化粧が崩れるから出来ないけど顔中にキスしてあげたい気分。
「へっ」
主人から溢れる感謝の気持ちと全力の頭なでなでをくすぐったそうにしつつアミーカは満更でもなさそう。グレンダのことなどすっかり吹き飛んだ私はスタッフに呼ばれ星空のドレスの撮影に向かった。

 トゥルー・フラワーズの夏物ドレスは有名ファッション雑誌の表紙を飾った。モデルはもちろん私。ページをめくれば“普通の何でもない女の子”の私たち三人がラブ・ラモーナのドレスを着て美しく、可愛く仲良く写っている。
「皆と〜っても可愛かったわ! わたくし本当に嬉しい! ラモーナからのラブ、貴女たちが載った雑誌、そしてお給料をお受け取りくださいまし〜!」
「やったーバイト代!」
「こちらこそありがとうございました!」
「わあ、ラブ・ラモーナの名刺! 額に入れて飾ろう〜」
「あのー、また呼んでもらえますか?」
「続けてくださる!? 是非是非お願い致しますわっ!」
チェリーたちが嬉しそうに最初の給与を頂いている横で私は三回分の給与を貰い、早速何に使うか考え始める。
(思った以上に稼げた……。半分はお母さんに送って家計費に……いや学費に当ててもらおうかな? お菓子は食堂の物で我慢できるし……服はしばらく保つか、ラモーナさんのドレスあるし)
そこまで考えてちらっとアミーカの横顔を見る。本来使い魔には普段与える魔力とは別に役立つごとに報酬、チップのようなものを与えるのが決まりだがアミーカはそう言う要求を今までしたことがない。
「欲しいものある?」
「ない」
ほらこれだ。
「アミーカ食堂のご飯時々もらってるだけじゃない。ねえ〜欲しい物ないの〜?」
休憩にジュースを口にしていたラモーナさんが回転椅子ごとこちらに向かってくる。
「どうしたの?」
「アミーカ今まで欲しい物要求したことないんです。日頃の感謝に何かいいのないかなって思って」
「あら〜?」
ラモーナさんはアミーカの顔を見てニンマリ。
「あの話してないの? アミーカちゃん」
「あれっ!? 私の知らないところで仲良くなってる! ちょっと、隠し事はなしだよ!?」
「へっ」
「なんか恥ずかしがってる! 何!?」
「うふふふ。アミーカちゃん、欲しい物一つだけあるのよね〜?」
「うそ! 何!? ちょっと正直にお言い!」
私がしつこく揺らすとアミーカは観念してボソリと呟く。
「んっ?」
「……スカーフかマフラー……」
精霊なのに服? と思ってあることを思い出し手を打つ。ほとんどの精霊たちは元々動物なので野鳥や野犬と勘違いされることもあり、事故を防ぐためにも主人から服飾品を与えられる。
「すっかり忘れてた……ごめん……」
「首輪は嫌だぞ」
「分かった。そしたら魔法服飾店に行ってどっちか買おう……」
逆にお小遣い足りるかな、と考えているとラモーナさんが私の膝をつつく。
「はい?」
「使い魔用の服飾店ならお勧めがあるの。あと、わたくしもアミーカちゃんには感謝してるから個人的にプレゼントしていい?」
「えっ本当ですか!?」
「うふふ、普段のお礼よ♡」
「ありがとうございます! じゃあ今度都合のつく日に」
「ええ! お買い物に行きましょう!」

「大丈夫か?」
「なにが?」
「姉にすっかり巻き込まれているだろう?」
 仕事を終えて次の月曜、実技のために柔軟をしていると目の前で体をほぐしているオルソワルがそんなことを聞いてきた。ラモーナさんは彼にとって五人いるお姉さんのうち真ん中で、歳は十歳だか十二歳だかそれなりに離れている。
「ラモーナさん明るい人だから一緒に仕事すると楽しいよ?」
「そうか……」
「無理してないよ?」
「本当だな? 姉は一度誰かを巻き込むと延々巻き込み続けるから断るなら今のうちだぞ」
「大丈夫。ラモーナさん人が嫌がることはしないし」
「……まあ、そこは人として当然なのだが」
柔軟を終え立ち上がる。アミーカと一緒に負った傷の具合はすっかりいいので恐らく治っただろう。
「よし、と。それにチェリーたちも喜んでるしさ?」
「それなら良いが……」
オルソワルの顔を覗き込む。私の視線を受けると彼は首を傾げた。
「もしかしてだけどオルソワル、ラモーナさんはあんまり得意じゃない?」
「ぐっ、何故分かった」
「ああ、やっぱりそうなんだ。まあラモーナさん元気の塊だし、オルソワルは大人しい方だから相性の問題だよね」
私にズバリ見抜かれたからかオルソワルは目を逸らす。
「姉は五人いるが……一番話が通らない相手がラモーナ姉さんなんだ……」
「なるほど」
まあわかる。元気で爆走していくタイプだもん彼女。
「はぁ……」
「どしたの」
「いや、姉との様々な事故と出来事を思い返してしまって……」
「ああ、色々あったのね……」

 一週間はあっという間に過ぎ、ラモーナさんの貴重な休日にお邪魔して彼女の馬車で魔法街の一つに向かう。オールドローズ通りと同じく古くから魔法使いたちの生活を支えてきたブルーリボン通りでは、魔法使い本人より彼らの道具の元になる素材や使い魔に関する物を中心に商いが行われてきた。ラモーナさんの馬車は車ごと通りを進み、一軒の店の駐車場に止まる。
「着いたわっ!」
「わー大きいお店。使い魔の服飾専門店なんですよね?」
「ええ!」
ブルーリボン通りの最奥、一番高い丘の上にそのお店はあった。表には「使い魔の服、首輪。おやつ、何でもあります」と書かれた看板が置かれている。
 精霊のドアマンが大きく扉を開く。人型のアミーカと手を繋ぎ中に入ると所狭しと並べられた棚に小さな服から首輪から足輪と様々な服飾が置かれている。
「わぁー」
「ブルーリボン通りではここが一番ですの」
「こんな大きなお店あったんですねぇ」
「警備がしっかりしているから、会員証がないと辿り着けないのよ♡」
「えっ」
それ、ラモーナさんとはぐれたらお店に戻れないのでは?
(は、はぐれないようにしよう……)
「まずオーナーに顔を見せに参りましょうか! こちらよ!」
「はいっ」
店の中をズンズンと進み、ラモーナさんはスタッフオンリーの扉を開け放ち堂々と進む。
「叔父様ーっ! 貴方の可愛いラモーナがお邪魔致しますわーっ!」
「おおっラモーナ!」
「えっ叔父さん?」
髪はすっかりなくなってしまったたくましい白髭の、一見堅苦しそうな片眼鏡おじさんはラモーナさんとハグをする。ラモーナさんは近寄った私の肩を後ろから掴んでずずいと初老の男性に近付ける。
「叔父様、こちらサシャ・バレットさん。オルちゃんのクラスメイトなの♡」
「おお、なんと。お初にお目にかかります。彼とは仲が良いのかね?」
「はい、オルソワルくんにはお世話になっております。初めまして」
膝を落としてお辞儀をするとベルフェス姉弟の叔父さんは丁寧にお辞儀を返してくれる。
「初めまして。いい子だね」
「そうでしょう〜!? こちらロータス卿、セドリック・ブライトマンですわ。正確には父の妹君の夫、なので直接血は繋がっておりませんけれど、古くからベルフェスの親戚ですわ」
「そうなんですね」
やはり貴族らしいと言うか近親婚をしているようだ。まあそうでもしないと太陽の系譜絶えちゃうもんな……。
「叔父様っ、サシャさんに会員証を!」
「おお、そうだな。どうぞご贔屓に」
ロータス卿はその場で会員証を作ってくれた。個人名が記載されている会員証なんて初めてだ。
「あの、年会費とか……」
「はっはっは、そういったものはございませんよ。ただ紹介のない方は入って来られないと言うだけです」
「な、なるほど」
「本日は何をお求めに?」
「あっ、えっと、私の使い魔にスカーフかマフラーをあげたいんです。カラスの精霊なんですけど……」
「ふむふむ」
ロータス卿は「失礼」とアミーカの右手を掴んで持ち上げるとニオイを嗅いでいる。アミーカはちょっと嫌そうにしたがロータス卿は彼の手を掴んだまま左のポケットから小さな布地が束になった色見本を取り出し指で弾いていく。何枚か見繕うと束から取り外してアミーカの手の甲に置いていく。
「……おい」
「ん?」
「こいつに選ばせるのか?」
「え? ダメ?」
アミーカは溜め息。ロータス卿はハッハと笑う。
「わたくしはおおよそのお勧めをするだけでございます。初めての服飾品であれば主人が選んだ物が一番喜ばれますから」
「……分かってんならいい」
数枚の布地を左手に握るとロータス卿は「こちらです」と店内に戻る。
後をついて行くと棚が魔法で勝手に動きロータス卿が選んだ布地がどんどん集まってくる。
「わーっすっごい!」
店内最奥にはクラシカルな椅子とテーブルが揃っておりそこへ腰を下ろす頃には周りにスカーフとマフラーに使う布地がきちんと揃っていた。
「ひょえー」
「お好きな物をお選びください」
ロータス卿が選んでくれた布地はオレンジ、水色、白、黄色みの強い赤、金や銀だったのでまず金色が並ぶ棚を指差す。
「それなら金色を」
「げぇ」
「えっヤダ!?」
「派手」
「ええっ! 黒地に金色ってすごくカッコいいよ!?」
「あら〜サシャちゃんよくお分かりね。黒地に金を差し色にすると確かにゴージャスなのよ」
「ですよね? ね、合わせるだけ」
「ヤダ」
「うーん……。それなら銀を」
「嫌だっつってんだろ! ギラギラ喧しいんだよ金も銀も!」
「どうして!? 似合うのに!」
「他にしろ他に!」
「アミーカちゃ〜ん? 好みがあるなら先に好きな色を言うのよ〜♡」
アミーカは一瞬不満そうに黙るとオレンジの布の棚を指差す。
「え? オレンジ?」
「あら〜アミーカちゃんもやっぱりそう思うのね」
「何がですか?」
「サシャちゃんに似合う色、大概オレンジか白なのよね〜。つまり、サシャちゃんカラーなのよ♡」
アミーカを見ると彼は恥ずかしそうに顔を逸らす。
「えっそう言う理由……?」
「ああもう良いから選べっつの!」
思った以上に懐かれてるんだなと思いつつオレンジの棚を見るため腰を上げ、ようとしたら椅子の方が勝手に動いてくれた。なるほど、浮いてくれるなら便利だ。
「オレンジかぁ……」
私に合う色なら私の肌で確認してよさそうだなと腕に当ててみる。二、三個良さそうな布地を見繕いアミーカの肩にかけてみる。
「どれがいい?」
アミーカは黙って真ん中の無地を指差す。
「だいぶシンプルになっちゃうよ?」
「いい」
「あら、そう?」
オレンジより金が似合うのにな……と思い私は布地を見渡す。
「別の物もご覧になります?」
「はい、アミーカに似合う色と私に似合う色ちょっと違うので……」
「そうよね〜難しいところよね〜。ちなみに、支払いはわたくしがするからね♡」
「え?」
「は?」
自分で払う気満々だった私と、ご主人様に買ってもらう気満々だったアミーカは同時にラモーナさんに振り向く。
「サシャちゃんが選び、わたくしが支払いをし、アミーカちゃんはご主人様からプレゼントを頂く! 最高じゃない!?」
「えっでもお店も紹介して頂いたのに悪いような……」
「そんなことないわっ! わたくし、アミーカちゃんには大変大変感謝しておりますの! 是非! 支払わせてくださいまし!」
「……だってさ? どうする?」
「……お前の好きにしろ」
「じゃあ、ご好意に甘えます」
「うんうん! そうして頂戴っ!」
アミーカが選んだ布地もキープしておいて私は白が揃う棚を物色し始める。
「おっ」
白地に金の細い糸が織り込まれた物を見つけてアミーカの肩に当ててみる。
「……これ一番いいんじゃない?」
「また金……」
「だって似合うし。それにほら、大部分は白でしょ?」
「遠目には真っ白、近付くとキラリと光る差し色の金。良いのではなくて? とっても素敵よ」
「……お好きに」
「そして二つとも買うと良いわっ! サシャちゃんが選んだ色とアミーカちゃんお気に入りの色と!」
「え、二つも? でも……」
「片方洗ってる時にもう片方身に付けられるわよっ!」
「なるほど」
頭がいい。そして商売も上手い。でもラモーナさん買う側なのに……。
「ではこの二種類で……。両方ともスカーフにする?」
「……片方マフラーがいい」
「どっちをどっちにする?」
「……オレンジがマフラー」
「分かった。ではこちらがスカーフでこちらをマフラーに」
「畏まりました。少々お待ちください」
ラモーナさんは自分の名前が入った専用の小切手を取り出しサラサラっと書いてロータス卿に手渡し、彼はそれをお盆に受け取るとたくさんの布地と共に店内の別の場所に向かっていった。
「さて、スカーフとマフラーが出来上がる間どうしましょうね〜? 甘いものでも食べる?」
「え? 出来上がる間?」
「叔父様のお店、基本その日のうちに仕上げてくださるの。受け取って帰りましょう。その方がアミーカちゃんも嬉しいでしょう?」
「まあ……」
「うんうん! それなら……あら、時間的にランチの方が良さそう。食事もお勧めのお店を紹介してよろしい?」
「はい、お願いします」
「それと今日の行動費については一切気にしなくて良いからね♡ わたくしのポケットマネーですから♡」
「え、そこまでお世話になる訳には……」
「いいのよ〜! 大人になるとね、若い子にお金を投資したくなるも・の・な・の♡ 甘えてちょうだ〜い♡」
「んーと、それならお言葉に甘えて……」
こう言う時、断らない方が相手も気持ちがいいのだと知ったので大人しく甘えることにする。
(また別の形でお返しすればいいし……。それこそずっとモデルを続けるとか)
モデルを続けると考えた瞬間アミーカが喜んだのが伝わった。そんなに着飾った私が好きなのか、と思っているとロータス卿が戻ってくる。
「領収書でございます」
「ありがとうございます叔父様っ!」
領収書を受け取ってちゃっちゃと支度するとラモーナさんは立ち上がる。
「どれほどで仕上がります?」
「二枚なので三時間もあれば」
「ではランチに行って参りますわっ! 行きましょうサシャちゃん!」
「はい。行こ、アミーカ」
「ん」

 ラモーナさんの馬車で再び通りへ。彼女お勧めの店へ進む馬車はブルーリボン通りを離れ街の端へ向かう。お店がある風景ではなくなってきたのだがどこへ向かうのだろう?
しばらく走ると住宅街の近くに庭の広い青い屋根の可愛いお家が見えてくる。馬車は庭に止まるとスッと姿勢を低くした。
「ここですか?」
「そうよ」
 個人宅にしか見えなかったが室内に足を踏み入れると小振りながらもきちんとレストランになっていて驚く。
「ここ看板ありませんでしたよね?」
「そう、ないの! いいでしょう? 隠れ家的で♡」
「確かに、静かに食べたい人には丁度いいですね」
「味が気に入ったら是非お友達を呼んでちょうだいね」
「はい」
席に着く時にアミーカが影に入ろうとしたらラモーナさんはがっつり引き止める。
「このお店使い魔もお食事可能ですの! アミーカちゃんも召し上がって!」
「お、良かったねアミーカ。好きなもの頼みなよ」
アミーカはラモーナさんの腕を若干迷惑そうに外すと静かに椅子に座った。
「わたくしの使い魔ちゃんも呼んでいいかしら?」
「是非!」
「ベルベットちゅわ〜ん、おいで〜」
ベルベットと呼ばれた深い紅色の毛並みを持つ金の瞳のライオンは、現れてすぐストレートヘアーの美女の姿を取る。なかなか見ないタイプなので私は思わず口を開けたままベルベットさんを見つめてしまった。
「ご機嫌よう尊き花嫁」
「はっ。ご、ご機嫌よう」
「可愛いでしょう〜? わたくしの使い魔ちゃん」
「綺麗ですね」
「そうなのよー! うふふふいい子いい子」
ラモーナさんはベルベットさんの顔中にキスしている。クールなベルベットさんだが目を瞑って気持ちよさそうにしているので懐き具合は相当だ。
(感情表に出さないところアミーカとちょっと似てる)
それでアミーカに理解が深いんだなと考えていると店主の男性が水を持ってくる。店主も彼女の使い魔と近いクールな雰囲気で愛想を振りまく感じではない壮年の男性。焦茶の髪は巻き毛で耳にかけるタイプの眼鏡をしている。
(ラモーナさんもしかしてこう言うクール系の人好きなのかな……)
「さて、どちらを召し上がる?」
「あ、ええと」
メニューは紙に印刷された物ではなく小さな黒板にチョークで書かれている。個人経営店だからメニューは頻繁に変わるようだ。店主がテーブルの上で支えている黒板を眺めながら食欲と相談。
「私は白身魚のムニエルで……。アミーカは?」
「いい」
「えっ食べなよ?」
「……肉なら何でも」
「じゃあソーセージ頼もうか?」
「ん」
「わたくしは牛肉のシチューを。パスタがいいわ。ほうれん草入りのフェットゥチーネにしてね。ベルベットちゃんは?」
「主と同じ物を」
「ですって。宜しく」
店の主人は頷くと厨房に向かう。
「……クールな人ですね」
「そうなの。むかし叔父様のお店に寄った後、ヒールが折れてしまって困っていたら親切にして頂いてね? 聞けばレストランを開く場所に困っていらしてお礼に物件を紹介して差し上げたの」
「へえ〜、素敵な出会いですね」
そしてご令嬢じゃないと出来ないお礼だ。
「そうでしょうー? だからわたくしこのお店の初めての客なの♡ ほらあそこ、ご覧になって」
壁を見ると店名とラブ・ラモーナのサインが入ったTシャツが額入りで飾られている。
「あらー素敵」
「でしょう? うふふ」
そう待たずに前菜が用意され、私たちは先にサラダをつまみ出す。
「食べる?」
「いい」
「そう」
まあ野菜は今のところ進んで食べないので好みではないのだろう。ベルベットさんはラモーナさんと同じ前菜を口にしている。
(精霊なら人と同じ物も食べられるのになー)
腸詰肉も早めに届いたがアミーカは手を付ける様子がない。腕を組んで目を瞑ってしまっている。
(あれ? 寝てる?)
(うるせえ)
(起きてるのね)
「冷めちゃうと美味しくないよ?」
「食いたいなら食え」
「いやそうじゃなくて……」
食べ出さないので腸詰肉に横からナイフを入れる。先に一口味見。
「あっ美味しい」
腸詰肉はハーブが香り肉の旨みが引き立っている。再びナイフを入れ二口目をアミーカの口元に近付ける。
「冷めるよ〜」
アミーカはこちらをじろっと見て私の手ごとフォークを掴むと腸詰肉を口に運ぶ。周囲にパリパリッといい音が響く。
「美味しいでしょ?」
「フン」
「もー素直じゃないんだから」
「アミーカちゃん照れ屋さんなのよね〜」
ラモーナさんは前菜を終えてニコニコとアミーカを見ている。何か本当に私の知らないところで仲がいいらしい。ちょっとモヤっとする!
「あの、アミーカと普段どういう話を?」
こういう時はすぐ聞くに限る。ラモーナさんはにっこりしてまたアミーカを見た。
「もちろん、貴女の話よ」
「……私の?」
「そう。アミーカちゃんはサシャちゃん本人が気付かないような疲れとか不調をね、こーっそり教えてくれるの。午前中からだを冷やしていたから部屋を温かくーとか、今日は少しだけ寝不足だから早めに上がらせてーとかね」
私がアミーカを見るとあからさまにそっぽを向かれる。
「だからアミーカちゃんにはとっても感謝しているの。わたくしも貴女には負担をかけたくないものですから」
「そうだったんですか」
素直じゃない照れ屋な使い魔の肩を小突くと沈黙を返された。
 メインディッシュが来たので私たちは食事に集中する。白身魚は火の通りが最高の具合でホクホクとしていて美味しい。自分も食べつつ腸詰肉を切ってアミーカに差し出す。彼は顔を背けたままなのでこちらも黙って腸詰肉を差し出していると観念して私の手から食べ始めた。
「うっうっ小型の……持ち運べる小型のカメラがここにあればこの可愛い光景を写真に収められたのにッッッ」
「あはは……」
 メインを終えお茶をゆっくり頂いているとラモーナさんがズイと顔を寄せる。
「サシャちゃんお腹に余裕ある?」
「あります」
「特別なデザート頼んでもよろしい?」
「構いませんが、何ですか?」
「物としてはパンケーキなのだけれど……うふ。店長ッあのパンケーキをお願い致しますっ!」
ラモーナさんがそう声をかけると店長は洗い物の手を一瞬止める。
「……大丈夫ですか?」
(大丈夫って何が!?)
「ええ! どかーんとお願い致しますっ!」
「どかーん!?」
(一体何が来るの!?)
 店長さんはワイン樽のフタくらいはあるフライパンを出すとパンケーキのタネを仕込んでいく。
「え、いや……え?」
フライパンからして四人前のパンケーキの量ではないのだが。店長は卵も牛乳もずんずんボウルに入れていきフライパンに注いで焼きながら次のタネをズンズンズンズン作っている。
「その大きさなのに何枚焼くんですか?」
「おい重ねるにしても何段作る気だ? 三? 四?」
さすがにアミーカも心配になったのか店長の様子を気にし始める。店長は大きなフライパンで見事に焼き上げたキツネ色のパンケーキと大量の生クリーム、そして大量のベリー類を大きなお皿の上で重ね始めた。
「いやいやいやいや」
「そろそろヤベエってそれヤベエから!」
ただでさえ一枚で普通の四段重ねのパンケーキくらいありそうなのに、そこに生クリームとベリーをどさどさ載せていってさらに一段二段と重ねているので量がヤバい。
「おいこの調子で全部重ねないよな!? さすがに違うだろ!?」
ラモーナさんは何も言わず、何故か誇らしそうに見守っている。
店長が最後の五段目を飾り終えた時、私たちは思わず拍手喝采。
「ブラボーッ! 生クリームの不安定さを見事抑え切りましたわっ!!」
「すごい……もはや建築ですよこれは……」
やり遂げた店長も誇らしげだ。そしてパンケーキは私たちのテーブルに運ばれた。置く時にテーブルが揺れる程には重い。
「……これ食べ切れます?」
「食べますわ」
「断言しましたね……。アミーカ、手伝ってね」
「ヤベエでけえ……」
巨大パンケーキ専用らしい細長い包丁で食べやすい大きさに切ってもらい、平たいお皿に盛り付ける。これだけでも山のような量なのだが果たして。
「……あ」
一口食べてみて思ったよりさっぱりしていたので何度か頷く。甘みと酸味のバランスがちょうど良くて生クリーム自体も軽い。
「美味しい」
「そうでしょう? こちらの店長、開店の際パンケーキ専門店かレストランか悩んだくらいにはパンケーキが上手なんですの。わたくし本当に気に入って通常のサイズでは満足できず、もっともっと苦しむくらい食べたいと申しましたの。そしたらこちらを作って頂けて♡」
(マゾ……?)
「ぶふっ」
羽のように軽いパンケーキでも大振りで五段ともなると相当な量で、アミーカは早々に飽きラモーナさんは三皿目くらいで苦しみ始める。
「くぅ〜これこれこれですわっ! パンケーキの生地に溺れて天国へ行く夢を見るくらいのこの量ッ!」
(やはりマゾなのでは?)
「ぶっ」
私はベルベットさんと共にコツコツお皿を軽くしていく。もはや何かの競技でもしている気分だが紅茶が無限にお代わり可能となったので金額を気にせず間に挟む。
「……食えるか?」
「いける。一口が軽いから」
「たっ頼もしい……! さすが十六歳の胃袋……強いですわっ!」
「主は無理をなさらぬように。それから数年後には二段は減らして頂きましょうね。恐らく無茶ですから」
「ううっ!」
 結局ラモーナさんが食べ切れなかった分をベルベットさんが負担し、アミーカが飽きた分を私が食べ切った。
「ふぃ〜、しばらくパンケーキはいいかな……」
「そう、その感想を抱きたい為に毎回頼んでいますの……」
食べ切った私を見て店長は静かに親指を立て、私も親指を立てて応える。
「店長、わたし友だち絶対連れて来ます! この大地のようなパンケーキを食べに!」
「お待ちしております」
「チェリーたちなら多分三人で食べ切りますね!」
「強いわね……!」

 店で十分に食休みをし、なおかつ馬車にゆっくり走ってもらってロータス卿の店に戻るとマフラーもスカーフも仕上がっていた。せっかくなのでアミーカが気に入っているオレンジのマフラーを先に着けてあげようとしたら白いスカーフでいいと首を振られたのが意外だった。アミーカにスカーフを巻くと黒がより引き締まって見え、ラモーナさんと一緒になって頷く。
「似合う〜」
「金色も程よく輝いているし。アミーカちゃん素敵よ」
「フン」
「今のは“嬉しいけど恥ずかしいのでやめてください”のフン、です」
「解説すんな!」
 人型とカラス型を交互に繰り返してもスカーフは程よい大きさを保てていたので身につけたまま持ち帰りを選ぶ。
「この瞬間がこの仕事で何よりの楽しみでして」
ロータス卿はにこにこと私たちを見ている。
「主が選んだ服飾を初めて身につけてお帰りになる使い魔たちの輝くような表情が何よりも美しいのです」
「分かりますわ叔父様ッ! 服飾に携わる者として本ッッッ当に最高の瞬間ですわよね!」
「ええ」

 ロータス卿に見送られながらお店を一歩出た時、アミーカと手を繋いでいなければ反応は遅れたと思う。
眼前に手の平が迫っている。男の人の手。指の隙間から星のない夜のような暗い瞳が見えて鳥肌が立つ。希望のない瞳、光のない心。
「太陽は一つ、二つ目はなし」
お店の周りにも魔法使いたちはいる。しかし反応出来たのはほんの数人。
「ッ……!」
ラモーナさんが私の近くで初めて杖を抜く。
それを感じながら私自身も反射的に使い魔を引き寄せる。
アミーカは私を庇いながらラモーナさんの杖の軌道から逸れ、私と一体となり煙となる。
ラモーナさんとロータス卿が男に魔法で反撃しようと構える頃、私たち二人は上空へ飛んでいた。
血が覚えていたのか、それとも先に想像があったからこそ手が動いたのか。
カラスに担がれ空高く舞う小さな魔法使い。その右手が掲げられる。

「此の右腕は黄金なりし、此の左腕は黄金なりし」

習ったこともない詠唱が澱みなく出てくる。
この私は誰だろう?
頭上に黒い雲が集まる。
風魔法なんて一度も習ったことがないのに、風は少女の言うことを聞く。
雷光を掲げた少女の赤茶色の髪がオレンジ色に透ける。

「雷とは即ち、神が為に在り。 ──神は即ち、天である」

衝撃と閃光が漆黒の男目掛けて落ちる。
だが攻撃はすんでのところで避けられ、辺りは遅れて悲鳴が上がる。
私はすかさず二発目を構えていたが男はそのまま姿を消していた。アミーカが地上に降りる時の揺れで私は我に返る。
「……今のなに?」
「サシャちゃん大丈夫!?」
「大丈夫です……多分」
己の右手がじんじんとしている。ピリピリ痺れる右手を左手で押さえながら、騒然とする周りを呆然と見つめた。


 モデルの仕事は一旦お預けとなった。熟練の魔法使いが多数いる状況で狙われたため、相手は余程の自信家か狂人と推測され専門の警察が出張ることになり、私自身も免許なしで安易に魔法を使ったことから罰として外出禁止となった。まあ状況が状況だし未成年なので、罰と言いつつ学園の警備に囲まれた状態でしばらく息を潜めろとそう言う話だった。
学園のみんな、いつものメンバーはもちろん近しい友だちから、友だちの友だちまで噂は広がりそれぞれ相当に心配してくれた。

「サシャ、参りましょう」
「うん」
 学園内でもなるべく複数で行動しろと指示を受け私はいつも以上にティアラ姉妹、マシュー、オルソワルと一緒にいる。半ば先生からの命令とは言えマシューたちは嫌がらず、むしろ進んでそばにいてくれている。
いつもの朝、寝室を抜け出し教科書片手に廊下を進む。
「本当に、怖かったでしょう」
「それが怖さよりあのオジサンの気持ち悪さの方が上に立つと言うか……」
「失礼を承知でお聞きしたいのですが、どのような方でしたの?」
「もうね、お先真っ暗みたいな顔してるの。目にクマあったし」
「まあ」
「でもそれ以上に反射的に雷使った自分が怖い……。誰も怪我しなかったからいいけどあれ外してたら絶対ダメじゃんね……」
「ですがご自分の身の安全が一番ですのよ?」
「いや、牢に入ってからじゃ遅いので……」
「まあ、襲われた身なのに……。とても冷静なのですね」
「……それが雷使った時も酷く冷静だったの」
雷は天の槍である。神話だか聖書だかで習う話を生まれた時から知っていたかのように私は槍を振るった。
「私なのに私じゃなかった。アミーカも感じてたと思うけど……」
「まあ……」
「頭に血が上ったとはまた別というか、緊張状態ではあったんだけど……」

「そりゃーそうだよ、根っから戦士だし」
「へっ」
唐突な赤井くん。何と言うか段々慣れてきたなぁと思いつつこれは半分夢だなと感じ取る。だってティアラ姉妹が突然私の横から消えるわけがない。
「戦場で頭が冴えるのは当然じゃない? この日差しならおはようだっけ? 元気?」
私は膝を落とし丁寧に挨拶をする。
「ご機嫌よう、お爺さま」
「お爺さまはやめない!?」
「でも私を太陽の子と認めると赤井くんはお爺さまなので……」
「モジャモジャの髭生やす?」
「髭はやめといた方がいいと思います」
「だよねー。ところで使い魔は?」
「こちらに」
アミーカを呼び出して隣に待機させる。彼は影から出て来てすぐ膝をついて恒星の王に頭を下げる。
「おお、カラスか。カラスは昔から太陽と関連付けられて来たから馴染み深いよね〜。しもべにするには大正解」
「そうなんですね」
「そうなんですよー。そんでどうすんの? あいつ」
「あの変な人ですか?」
「そうそう。焼く? 引き裂く? 串刺し?」
「……恒星の王自ら罰をお与えに?」
雷を放ったせいなのか、私はまた少女である意識が頭の隅に追いやられる。私が喋っているけれど、この私は雷を自由に放つあちらの方だ。赤井くんも爽やかな笑みではなく挑発的な笑みになっている。
「だって“娘”に手を出されると、ねえ?」
「お怒りとは思いますが、王自ら動くと色々と面倒では?」
「地上の騒ぎなんてどうでもいいよぉ」
「その理屈で言うなら“わたくし”への襲撃もどうでもよいのではなくて?」
「うん、実はどうでもいい。お前は早々死なないし、地上にいる時なんて所詮暇つぶしだし」
「そう仰ると思いました。さすが酷薄」
「まあねー」
「褒めてはおりません」
「て言うか雷使ってから調子が良さそうじゃない“ソル”。その調子なら俺が手伝わなくても目醒めるかな?」
「お父様のお手を煩わせるほどではないかと」
「うーん、そっか。暇潰せると思ったんだけど。じゃあ五億年後〜」
「せめて千年後になさって。ご機嫌よう」

はぁ、と溜め息をつくと現実に戻ってくる。
「サシャ!」
「んお? ……あ、立ったまま寝てた?」
「一分ほど。どうなさったの?」
「あー、うーん。“精霊に呼ばれて”た……」
「お告げですか?」
「お告げじゃあないんだけど……世間話」
「……精霊が世間話を?」
「そう言う方なの……」
「そ、そうですか」
「お加減は?」
「平気……。ごめんね、歩こうか」
「本当に大丈夫ですの?」
「大丈夫! あ、先にアミーカ確認していい?」
「構いませんわ」
「さっき繋がったままだったから。アミーカ、起きてる? 夢に閉じ込められてない?」
アミーカは影からスイと出てくる。跪いたままだが起きてはいるし私をしっかり見つめているので大丈夫そう。
「ごめんね付き合ってもらって」
「使い魔として当然だろ」
「お、いつもの調子だね。よかった」
頭をくしゃくしゃーと撫でると彼はくすぐったそうにして影に戻っていく。
「さーて授業だ。頑張るぞー」

「作れ! ……構え! ……放て! 次!」
 炎の槍の風変わりな作り方やオルソワルの個人的報告、そして先日の出来事を鑑みて火属性との合同授業では三年生へ、風属性との合同授業では二年生に組み込まれることになった。
今日はまだお試しのつもりで火属性三年生担当の先生たちに槍を放つまでの一つ一つの動作を計測してもらっているが、我ながら正確無比に投げるので頭の隅では驚いている。
(しかもあんまり疲れてないし)
(あの雷撃ってから魔力の生成量上がってるしな)
(ああーやっぱり?)
「構え! 放て! ……そこまで!」
「ふぃ〜」
「ふむ……」
「三年生と比較しても悪くないですね」
二、三人の先生が記録を見ながら話し合っている後ろでは野次馬と化した三年生が私を見ている。
「今年の一年やべーな」
「誰あれ? 火の一年なんだろ?」
「違うよ太陽クラスだよ。珍しい女子」
「へえ!」
「こらお前たち! 自分の鍛錬をしろー!」
「……このままだと本当に有名人になっちゃうね」
「もうなってんだろ」
「げえ」
「バレットさん、こっちへ!」
「はい!」
先生に呼ばれて早足で寄ると自分の記録と三年生の平均的な記録と比較される。
「……つまり三年生に混ざっても問題なく動けそうという判断になったから、槍以外にも色々覚えてもらうわ」
「分かりました!」
「意気込みはあるだろうけど二年分の学習を詰め込まれるからキツいわよ? 無理なら無理って言うのね」
(あんまり歓迎されてないな。まあ当然か)
「キツいくらいでいいです」
「言ったわね? ビシバシ行くわよ」

 槍、弓、剣、火球の上位魔法・業火などかなりの種類を教えられるが私の体はこの程度朝飯前と言わんばかりに学習していく。

 数日後、ある程度技を覚えたところで今度は三年生の隣で力の続く限り槍を放つ訓練に移る。三人横並びになって準備をしていると先生に見えないよう左隣の男子生徒が中指を立てていたので冷たい視線をお返しする。
(喧嘩買うか?)
(品がないからやめとく)
(了解)
「作れ!」
先生の号令で槍を前もって数本作る。持久力の測定なので作る段階から計測は始まっている。投げるタイミングは自由。一番左の列の生徒はすでに投げ始めているが真ん中の列の生徒は私をチラチラ見ていて視線がうるさい。
「一、二、三、四、五……あといくつ作っていいかな」
「七本までだな」
「オーケイ」
槍を作り終えたので一本ずつ投げ始める。三年生用の的は土台が丈夫なので早々に倒れたり吹き飛んだりはしない。
「ふー、次。一、二、三……」
七本作っては投げる、七本作っては投げると繰り返していると三年生たちはちらほら交代し始める。
「よし、次」
「……まだ投げるの?」
「ダメですか?」
「ダメではないわ」
「なら続けます。一、二……」
何本投げたか自分で数えるのをやめた頃やっと疲れが出てくる。
「ぐー、お腹空く」
「あと二本はいけんぞ」
「じゃああと二本ね。いち、にーい!」
ラスト二本を投げ切り肩で息をする。
「流石に疲れた……」
「すげえ……」
後ろからパラパラっと拍手が起こる。渋い顔をしていた先生も私の持久力には感心したのか頷いている。
「うちのトップと比較してこれならまあ」
「やったぁ」
「いいから水飲め」
「うぃ……」
あらかじめ用意しておいた水筒を傾ける。汗だくだから頭から浴びたい気分だけどそれをやると下着が透けるのでやめておこう。
「お腹空いた……」
「さっき食ったろ」
「夕飯の前におやつ食べていいかな……。ああ、あの洗面器のようなパンケーキが食べたい」
「外出んなよ」
「出ません。聞き分けのいい子だもん……」
「はい」
横からチョコバーが差し出され顔を上げると三年生の二、三人が自分たちの間食を片手にそばに立っていた。
「私のもどうぞ」
「あれだけ撃ってりゃ腹減るよ」
「あ、ありがとうございます……」
(知らない人から食べる物もらうのちょっと怖いけど……)
「おい」
「ん?」
アミーカが影から出てきて肩に止まる。
「一口寄越せ」
(ありがとうアミーカ)
アミーカは一口大にしたチョコバーとシリアルバーを嘴で器用に砕いて飲み込む。
「美味しい?」
「ん」
アミーカが大丈夫と言うのでバーをかじる。ザクザクした食感が頭蓋を揺らすが満足度は高い。
「美味しい……」
「食堂に言えば作ってもらえるから今度自分の好みで作りな。シリアルもあるし、チョコもある」
「ヨーグルトもあるわよ。色々試してみて。それじゃ」
「ありがとうございました」
頭を下げてお礼を言うと三年生たちはいいよ、構わないよと言って自分たちの鍛錬に戻った。美味しいチョコバーを一本食べ終えわたしも気合を入れる。
「よし」

 次は風魔法の授業……と思ったら風と光の合同授業、つまり最初から雷の授業になったので若干唖然として二十人もいない二年生の後ろに並んでいる。
(風魔法の基本やらなくていいのかな?)
「えー新しく一人加わったので改めて説明しますが、雷の魔法は立ち位置が特殊で風使いからも光使いからも例年数人しか使い手が出て来ません。これは操作性の難しさと呪文の古さが他の魔法の比ではないことが一因となっています。諸君らは他の者には出来ないことが出来るという自負をしっかり持つように。でも驕らないこと」
「はい!」
「では訓練に移ります!」

 雷は天の枝葉である、雷は天の槍である。その言葉に倣うように雷の授業は槍から始まった。
(素であの詠唱言える気がしない……)
(あれ軽いトランス状態だもんな)
(そうなの……)
「では雷とはまず何かという講義から始めましょう」
と、先生により教科書が配られる。
(うわ! 立ったまま教科書やるやつだ!)
(寝るなよ)
(寝そう!)

 雷は放つ対象と自分の間で空間に差を作らないと放てないと言う話を何とか聞き終え、そのまま実践に移る。
「最初のうちは大気中で雷を生成することは難しいので体の中の電気を使い放出を行います」
(そんなことしたら腕の筋肉焼けない?)
(威力めちゃくちゃ低いんだろ)
(威力低く出来るかなぁ……)
二年生たちは二メートル先にある的に雷を撃つため肘掛けに肘を固定し杖を突き出す。
「基本的に雷を放つには腕を銃身とする必要がある! 腕は真っ直ぐ! しっかり固定するように!」
(……雷使うのに自分の体挟む必要ないでしょ)
(お前ならな)
(ああ……)
(形だけ真似たらどうだ?)
(そうする)
自分の番が来て肘掛けに腕を固定する。
(杖の先と的の間で雷作ればいいよね)
(ん)
「よし……」
「構え! ……放て!」
パァーンといい音がする。こんな威力が出ると思わなかったのか先生は目を丸くして肩を窄めた。
「……素晴らしい!」
火属性との合同授業とは違い先生は手放しで褒めてくれる。
「バレットさんは引き続きその調子で! では次!」

 腕を銃身としたミニ雷の練習を何度かし、槍の訓練に移る。
「風属性の生徒は槍の訓練がないので先に槍の作り方から行いましょう。まず……」
私は光属性の生徒と混ぜられ風属性から離れた位置に移動する。光クラスの生徒の中にダンスを教えてくれている上級生、ジェルメーヌがいて私たちは無言で膝を落とし合った。先生と上級生に投げ放つ槍の基本を教えてもらいながら雷を呼ぶ練習をする。
「我、光の子。古き神々よ聞き給え、古き精霊よ聞き給え。雷とは天であり、天とは神である。我が腕を依代とし──」
(私のと呪文が違うんだよな……)
(学校のやり方に揃えればいい)
(そうね)
「では次!」
「はい! いきます。ふー……。我、太陽の子」
雷を呼び始めるとサシャの意識はやや後ろへ下がる。
(げ、ダメだこれ強制的にあっちになる)
「古き者よ聞き給え。此の右腕は黄金なりし」
(ああしかも呪文前と違うし)
(止めた方がいいか?)
(うんお願い!)
アミーカが影から現れ素早く私の視界を遮る。他の子と違う詠唱を始めたことで先生も変だなと思っていたのか、使い魔が主人を引き倒すのを見て手伝ってくれる。
「……平気か?」
「うん、ありがとう……」
「大丈夫? バレットさん」
「はい、何とか……」
「そのまま向こうで休んでて。次!」

 水筒片手に丸太の上でぼんやりしているとジェルメーヌが様子を見に来る。
「何かありました?」
「ああ、ええと……トランス状態になっちゃったので中止したんです」
「それで使い魔が出て来たのね」
「はい。止めてもらったんです」
ジェルメーヌは顎に手を添え何か考える。
「使い魔に指示を出せる状態ではあるのね?」
「ええと、そうですね。でも自分じゃない自分になるので……」
「雷を使うことで魂が神霊側に引き寄せられているのだと思いますよ」
「先生」
ジェルメーヌの後ろから先生がやって来る。他の生徒も全員休憩に入ったようだ。
「バレットさん、見ててあげるからまた雷放ってみて」
「え、でも……」
「使い魔には横で待機してもらって、意識がどこまで引きずられているのか見るから。大丈夫、貴女のような状態になる生徒は毎年必ず一人はいるの。雷魔法は特殊だから」
「……わかりました。危なかったらアミーカに止めてもらいます」
「では向こうへ」

 先生監視のもと再び槍のため右手を掲げる。
「我、太陽の子。古き者よ聞き給え。此の右腕は黄金なりし、此の左腕は黄金なりし」
(前より詠唱長いんだよなー……。アホみたいな威力出さなきゃいいけど)
サシャとしての私はやや後ろから現実を見ている。先生はじっと見ているがすぐ動けるようペンやボードは持っていない。
「美しき者よ聞き給え。此の右腕は雷を放つ為に在り、雷とは即ち、神が為に在り。神は即ち、天である」
周囲の大気が不安定になり、私は的を指差す。雷の槍は腕の真上に現れ轟音と共に撃ち出される。的は倒れはしなかったものの見事に真ん中に穴が空いてしまい交換を余儀なくされた。技が終わると私はふっと元に戻る。
「バレットさん、調子どう?」
「悪くはないです……」
「あら、戻ったのかしら?」
「はい。大丈夫みたいです」
「魔法を使う時だけトランス状態になるなら理想的なのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。でも呪文が……」
先生は教科書ではなくもっと古い魔導書を取り出し私が唱えた呪文を探している。
「……うーん、載っていないのよねその呪文」
「そうですか……」
(赤井くんが呼んでいた“ソル”しか知らない呪文なのかもしれないな)
「詠唱後暴走はしてないし、様子は見ながらだけどこのまま続けましょう。それからバレットさん」
「はい」
「貴女、触媒をワンドから別の形にした方がいいわ」
「えっ?」
触媒とは魔法を使う際、魔力を魔法に変換する手助けをしてくれる物の総称で形は色々ある。手の平よりやや長い杖、ワンド。地に立てた時腰のあたりまで長さがあるステッキ。身の丈より大きい杖もあるし他の形も存在する。代表的なのはワンドとステッキの二つでほとんどの魔法使いはどちらかを使用する。
「学生が赴くことは少ないのだけれど、専門店があるから外出許可を取って早めに作成に行きましょう。もちろん、先生たちがついて行きますからね」
「は、はい」
触媒を作りに行くだけなのに、状況が状況で何だか大事になってしまった。


 別の日、校長先生を含めた六人の手練れが私を円状に取り囲み、オールドローズ通りを進む。先生たちの歩行速度に合わせるのが何気に大変なので早歩きで彼らの背を負う。
(どこ行くんだろう)
先生たちは道をジグザグに歩き路地裏の一見なんでもない井戸にたどり着く。校長先生がステッキを取り出し井戸をリズム良く叩く。すると井戸がせり上がり地下への階段が現れた。
(おお……)
校長先生に手招きされ彼の手を取り狭い階段を降りる。足元が不安な中進むと天井が低いやたら広大な石造りの空間に出る。
 また円陣を組む先生たちの中央で歩き続けると地下なのに街が現れた。看板を見ると旧オールドローズ通りの文字。
(旧? じゃあ地上のオールドローズ通りは新しく作ったのか)

 先生たちは無言で進み続け、一軒のお店に一人ずつ入っていく。真ん中に挟まれていた私も倣って店に足を踏み入れると急に天井が高くなり視界が開ける。
「わー……」
ワンドもステッキももっと長い杖もうんと短い杖も、お洒落な手袋にしか見えない触媒もたくさん棚に並んでいる。店内は非常に静かで、杖が箱に入れられて空中を移動している音くらいしか聞こえない。
校長先生はカウンターにあった呼び鈴を鳴らす。するとスタッフオンリーの扉の向こうからサンデル先生に雰囲気が似ている気難しそうな片眼鏡の、黒髪で巻毛の中年の男性が出てくる。
「バレットくん」
校長先生に手招きされてカウンターに寄るとお店の店主だろう男性は片眼鏡越しに私をじっと見下ろす。挨拶をした方がいいのか悩んでいると店主は校長先生の顔を見た。
「太陽の御子でな」
「使い魔は?」
「カラスだの」
「ではこちらへ」
先生たちは一緒に来ないらしい。私だけが別室に連れて行かれる。

 お店の奥にあった狭い部屋は工房と呼ぶべきだろう。部屋の中央と壁際には小さな机が置かれ、道具が整然と並んでいる。そばには助手らしき、何故かコスプレ感が強いナース服の化粧の濃いお姉さんが待機している。
そこへ掛けろと無言で指示され中央の机の前にある回転椅子に腰掛ける。店主が細い針や様々な道具を壁際から持って来て目の前に並べていく。そしてナース服の女性は「失礼しますねー♡」と私の制服の袖をまくり始め、机の上に肘を固定する。
(手術でもされるのかしら)
「あらーあなた度胸あるわねー。大体の子は腕刺されるんじゃないかって焦るんだけど♡」
「先生が連れて来てくださるお店なのでその辺は大丈夫かなと」
「冷静ね〜♡ 先生、貴女みたいな静かな子の方が好きなのよ♡」
ナース風お姉さんと喋っている間も準備は着々と進んでいく。店主さんは私の両手の爪から垢を取り始める。
(使うのかな?)
オーダーメイドで触媒を作る場合、魔法使い本人の体組織が必要になることもあるらしいので使用するものだと思ってじっと待っていると爪を磨かれ、透明なコーティングもされ……。
(……これただ手入れされているだけでは?)
月の子たち、特にティアラ姉妹が暇を見ては私の爪をいじるので光景としては慣れているからいいのだけど、オジサンにされると妙な気分だなと状況を冷静に見る。
「先生、これから触媒作る人の手が綺麗じゃないと気になっちゃうの♡」
「なるほど」
綺麗好きと言うか潔癖症と言うか、そちらに近いようだ。ナース風お姉さん曰く先生である店主は仕上げのコーティングにオレンジ色を使い、爪にグラデーションを作っている。
(またオレンジ)
そこまでやって満足したのか、店主はようやく布を取り出す。状況からして両手分の手袋を作ってくれるようだ。
「あの」
「なあに?♡」
「時間かかりますか?」
「あら、お急ぎ?」
「いえ、固定されているのでお尻痛くならないかなと」
「大丈夫♡ それほどかからないから♡」
「そうですか」
店主は灰色の布地に私の手の大きさを書き写していく。
「右利きだな?」
「え。ああ、はい。そうです」
「使い魔を出して」
「アミーカ出といで」
助手さんが私の横に止まり木を用意しておいてくれたのでアミーカはそこへ足をかけて待つ。店主は綺麗な白いレースを取り出すと私の腕にくるりと巻き付け、おおよその大きさに切り出す。そしておもむろにアミーカの尾羽をピッと抜いてしまった。
「ギャッ!」
まさか羽を抜かれると思っていなかったアミーカはびっくりして煙になり、私の影に隠れてしまった。店主は抜いたアミーカの羽を何かの溶液が入ったバットに浸け助手に手渡す。お姉さんはバットを持って壁際の机の横にある水道へ向かい、アミーカは私の影から出て来て猛抗議。
「こいつ俺の羽抜きやがった!」
「痛かった?」
「俺の羽!」
「そうね、びっくりしたわね」
精霊なので羽はすぐ生えるから大したことではないのだけど。手が塞がっているのでアミーカを肩に呼び何度もキスをして宥める。
「いい子」
「仲良しねえ♡」
助手さんはサラサラの黒い液体と化したアミーカの羽を持ってきて店主の側に置いた。
「あああ俺の羽……」
「跡形もない……」
店主は坂のような土台を新しく置いて右手から手袋を作り始める。
(レースの手袋なんて上品)
仮縫いから始めある程度形になったら左手、左手の作業が終わったら右手と作業は地道に進んでいく。
その内固定していた肘置きを外し白いロンググローブが完成すると、店主は壁際の机の引き出しから何やらごつい針だらけの機械を取り出す。円筒形の何かを縫うのであろう機械をドスンと置くとレースの手袋を付けた私の左腕をその中に突っ込む。
「……腕ごと縫いませんよね?」
「大丈夫よ、刺さらないから♡」
さすがに落ち着いてる私でも心配になるレベルのいかつい機械なので、他の子だったら失神したかもしれない。店主は先ほど助手が溶かしたアミーカの尾羽を機械に取り付けられたジョウロにザバーッと注ぐ。宝石の見た目をした魔力電池が機械に取り付けられると針が一斉に動き出した。
「おおっ……!」
刺されないとは分かっていても針がドカドカ動きながら動くのはなかなか怖い。目を逸らして作業が終わるのを待つ。機械は手首のあたりで折り返し、また指先に向かう。
機械がもう一往復すると助手が私の腕から手袋を外し、機械からも外して壁際の机へ持っていってしまう。ハリネズミのような機械は私の右腕へ設置されまたドカドカと動き出す。待つあいだ助手の方を見ていると手袋に針を通していて、仕上げに近いことをしているのがわかる。
右手も機械の作業が終わり手袋が外される。次は店主自ら手袋を抜くと機械ごと壁際へ持って行く。
機械の後片付けを助手に任せ店主は手袋に針を通す。待つあいだ腕を上げて伸びをし、尾羽を抜かれたアミーカのお尻が痛んでないかチェックする。
「平気?」
「ん」
不満はありそうだが尾羽は新しく生えたので大丈夫そうだ。店主が黙々と作業するのを待ち、やっと私の元へ戻って来るとロンググローブをまた嵌めてその上から仕上げにかかる。
アミーカの尾羽の黒はどこへいったのか、グローブは白いままで手首から指先には全体的に百合の花が刺繍されている。
(百合、あの写真の人も持ってたな……)
何故写真のことなど知らない人がこうもピンポイントで同じモチーフを使うのか不思議だ。
店主はさっきの機械とはまた別のいかつい機械を取り出すと私の右手の親指、人差し指、中指を固定する。指とレースの隙間に針が入り、なにか柔らかい液体が注がれる。ねっとりとした液体は熱くも冷たくもなく指先をそれぞれ包み込む。その間、店主は機械に何やら情報を打ち込んでおり機械は音を立てて揺れている。
店主は己の杖を抜き、リズミカルに機械を叩き始める。機械は液体の金を私の指に垂らしながら外側から固めると言う動きをしており、驚きを通り越して冷静に眺めてしまった。
 指三本分の成形が終わるとようやく機械から解放された。長手袋型の触媒は伸縮性のある糸で私の腕の形そのものに出来ていて動きに支障がなく、右の指先に小さな金属が付いていても重さなどはほとんど感じられなかった。
「試しに使ってみなさい」
「えっと……」
「太陽属性なら火魔法とかがいいと思うわ♡」
手袋焼けちゃわないかな? と心配しつつ手の平に火球を出してみる。
「おお……」
魔力が滑らかに変換されたので非常に気持ちがいい。火球をやめ指先一つ一つから火を出していくと触媒は想像以上に私の思考について来た。
「おおー……」
「どうだ?」
「すごく滑らかです。へー、触媒って体に合ってるとこんなに気持ちいいんですね」
「調子が良さそうなら終わりだ」
「ありがとうございました」
「最低三時間は身につけててね♡ 貴女の魔力を馴染ませてやっと完成だから♡」
「わかりました」
「遅くとも半年後にはメンテナンスに来なさい。可能なら三ヶ月後がいい」
「はい」

 綺麗な長手袋を先生たちに見せると微笑んだり音を立てぬよう拍手されたりと色々な反応が返ってきた。
「美しい物になりましたね」
「着け心地もすごくいいんです」
「よかったわねぇ」
お代は校長先生が払ってくれるようで店主とやり取りをしている。
「あの」
「なに?」
「私の手袋、学費に加算されます?」
「いいえ、学園の判断で変えましたから最初の杖の代金のままよ。追加で払う必要はないの」
「そうですか」
と言うことは差額は学校が負担してくれるらしい。お金回収しなくて大丈夫なんだろうか?

 店を出てまた先生たちの円陣に守られ移動を始める。旧オールドローズ通りから離れ井戸の中にある螺旋階段が見えてきた時だった。
ふっと夜が目の前に現れた。そう形容したいほどにあの漆黒の男は自然に目の前に立っていた。先生たちはすぐに杖を構える。対して男は言葉も発さない。
「何者ですか!」
エリザベス副校長先生が声を張り上げるも男は光のない目で私たちを見るばかり。
「……太陽は一つ、二つ目はなし」
男は最初出会った時と同じセリフを吐く。彼の瞳は私に向けられているが私を見てはいない。これから殺すからいいと思っているのか、もはや人として見ていないのか。
漆黒の男は一度煙になり、次の瞬間には私の頭を掴もうと手を伸ばしていた。先生たちが急いで男に対応しようとそれぞれ動いているのを遅く感じる。
私は、男の手を払った。
バシッと音がするぐらい勢いよく右手を払われ男はひるむ。私は、サシャではない彼女は強い視線で男を見つめ返した。
「それが淑女に対する態度ですか」
男は乙女の気迫に押されてよろける。先生たちはすかさず杖を向けるが漆黒の男はまた煙となって消えてしまい、再び熟練の魔法使いたちから逃れた。


「もう聞くたび怖い!」
 夕食の時間チェリーたちと同席したのでまた奇襲された話をすると私の代わりに彼女たちは身震いをした。
「ねえ絶対変質者だよ! ヤバいよ!」
「きもちわるーい!」
「まあ、まともじゃないよね」
触媒を着けたままフォークを動かす。私の横で食事を口にしているマシューも重い表情をしている。
「サシャさん、怖かったら無理しないでね」
「え? ああ、うん。ありがとう。でも怖いキモいより段々あいつにムカついてきたんだよね。私のこと見てないんだもん」
「何それ?」
「視線はこっち向いてるけど私を認識してないって言うかな。見てるけど見てないの。目に入ってないって言うの?」
「ああーなんかよりヤバそう……」
「次きたら顔張り飛ばしてやろうと思って」
「度胸あるぅ」

 デザートもしっかり頂いて私たちは寮を目指す。女子寮に入る前、マシューは私の手を掴み引き留めてきた。
「サシャさん」
「なに?」
「度胸があるのはいいことだけど、周りにちゃんと頼ってね」
マシューは真剣で、心配そうに見つめて来る。私をきちんと見てくれる人。私を心に映してくれる人。普段と違い、私からマシューに抱きつく。マシューは緊張したのか身を固くして動きを止めてしまい、チェリーたちは振り返って私たちが抱き合っているのをはしゃいで見た。マシューから体を離し、私は微笑む。
「大丈夫。マシューもいるし、アガサもアリスも、オルソワルもみんな居てくれるから。ちっとも怖くないの」
「……助けが必要なら、ううん、なくても呼んでね」
「もちろん、真っ先に呼ぶよ。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」

「赤井くんがあっちの私のことソルって呼んでたじゃない?」
「おう」
 ルームメイトが早めに寝たあと私はアミーカと窓からこっそり抜け出し校舎の壁を背に話をする。
「ソルって聞くとソル・フレールを思い出すんだよね。あんまり聞く名前じゃないから」
「ソル・フレールがあの写真の女なんじゃないのか?」
「いやいや、それなら見た時私たち真っ先に気付くから。それにソル・フレールは存命だし」
「まあそうか」
そう、私の憧れのソル・フレール女史はだいぶご老体とは言えまだ生きている。今年も新しく研究を発表するため論文だって現役でバリバリ書いている元気なお婆ちゃんだ。
「ソル・フレール本人に何か聞けたらなーとは思うけど、その前にもう一人の私と対話した方がいい気がして」
「……あいつの人格を引っこ抜いて目の前で喋ろうとは思わん方がいいぞ」
「どして?」
「俺の感覚だが、あいつはお前のずーっと深いところにいる。意識の下、いや、魂の根にいる」
「イドじゃん! くそ〜対話は無理か……」
「夢の中で自分同士で話した方がいい。もちろん協力しろってんならする」
「んー……夢の中での対話か。そうなると二年になってからの座学を待つか……」
「でもすぐ情報は欲しいんだろ?」
「本当はね」
アミーカはじっと見てくる。私もじっと見返す。感覚的に繋がっているので考えてることはすぐわかる。
「さすがにそれはダメだと思う」
「でも考えてるだろ」
「命を狙われてるのに学園抜け出してソル・フレールのお家にお邪魔するのはどうかと思う!」
「運良く抜け出せても魔法使いは庭に防犯用の魔法しこたま仕込んでるし、新人魔法使いに“こっそりお邪魔します”は無理だな」
「わかってるなら止めてよ!」
「お前を行かせると思ってんのか?」
はた、とアミーカを見る。
「……ダメ!」
「俺一人なら」
「ダメ! ダメったらダメ! 私がいない時に何かあったらどうするの!?」
「行く先々で同類に道聞きゃ魔法使いの一人二人情報持ってなくても見つかる。それに身軽だし」
「ダメ! やだ! 何かあって怪我してほしくない!」
「……その気持ちがあるなら俺の気持ちもわかってよ」
アミーカと一緒に声がした方を振り向く。マシューが人型のオウルさんと一緒にそばに来ていた。
「マシュー!」
「しっ、寮長に見つかったら怒られるよ」
「あっ」
マシューは私に歩み寄ると手を引いて校舎から離れて歩き出す。主人たちが移動を始めると使い魔たちは後ろから黙ってついてくる。
「サシャさんすぐ無茶するんだから」
「ごめん……」
「アミーカを心配する気持ちと同じものを俺が持ってるの本当はちゃんとわかってないでしょう?」
「わ、わかっ……てたつもり」
「わかってなかったのね」
マシューはふぅと溜め息をつき、立ち止まって振り返る。
「あのね、俺は心の底から君が心配なの」
「はい……」
「それに一人で考えたら無理だけど二人、三人で考えたら解決策が見つかる場合は多い。どうせ無茶するなら周りを巻き込むこと」
「でも迷惑……」
「そう思うならまず無茶を考えない」
「う、はい……」
私を嗜めて、マシューははぁと息をつく。
「抜け出さなくてもソル・フレール女史なら授業の特別講師としてお呼び立てすればいいよ」
「えっ? どうやって?」
マシューは腕を組むとニンマリ笑う。
「ティアラ家ほどじゃないけど、うちの家名だってそれなりだよ」
「そう言う話なら私も乗ろう」
今度はマシューと一緒にびっくりして振り返るとオルソワルが立っていた。
「オルソワルいつから!?」
「夜更けにそれなりの声量で話していれば部屋にいても聞こえるさ。フレール女史ならフレール家のご出身だし、ベルフェス家が呼ぶ方がよほど早く伝わる。君たちに無理をさせる必要もない」
「でもオルソワルくんそれじゃ……」
マシューが心配そうな顔をするので二人を見比べる。
「ん?」
「……君はもう我が家とプライベートを共にしているし話そう。光属性を多く輩出しているフレール家はベルフェス家と古くに仲違いして生まれた一族でね」
「えっ」
「対立してるんだ、昔から……」
「ええっ」
「詳しい話はまた明日にしよう。早く寝ないと寮長に見つかるぞ。ほら」
「あ、うん」
女子寮の手前まで送られ、別れ際私は二人の手をしっかり握る。
「二人ともありがとう」
「うん」
「今後は我々を積極的に巻き込むことだな」
「そうします……」
「それと、朝になったらレディたちにも説明をしてあげてね。君が部屋を抜け出したのきっと気付いているだろうから」
「げっ」
「それじゃあ今度こそおやすみ」
「おやすみなさい。また明日っ」
「おやすみ」


 朝起きてすぐティアラ姉妹に部屋を抜け出してごめんと言うとくすりと笑われただけで終わった。
 寮から食堂に移動する際、すでに待ち構えていたマシューとオルソワルが合流しいつものメンバーで同じテーブルへ座る。みんなしれっとして朝ごはんを食べようとしたので、話は私から切り出した。
「あの、食事の前に聞いて欲しいんだけど」
 私はこれまでのことでみんなに共有していなかった恒星の王と月の女王との接触、そして私の中にいる“ソル”と言う女性の話をする。
「君の中に別の人格がいる、と?」
「ううん、アミーカの感覚では彼女は私と同一のものらしいの。魂の根にいるって」
「サシャの無意識、つまりイドが時々表に出てくる、とアミーカは仰るのですね?」
「そう」
「ふむ……」
マシューは不満そうに私をじっと見る。
「な、なに?」
「恒星の王も月の女王も、接触が本当なら魔法協会の議会が全員ひっくり返る事態なんだけど」
「えっそんな大事なの?」
アガサとアリスは困ったように笑う。
「いくら神々の花嫁でも星海の神々との接触ともなると……」
「それも一番格の高い御方ですし、お二人ともとなると……ねえ?」
「まじ?」
ティアラ姉妹が言葉を濁す程にはすごい状況らしい。私は己の額に手を当てる。
「赤井くんやっぱりそんなホイホイ出て来ていい人じゃないじゃん……」
「アカイクン?」
「恒星の王のこと。人間と接触するときは赤井真紅って言うの。東洋の名前なんだけど……え? 真紅? 私フルネーム一回も聞いてないのに何で知ってるの?」
「サシャさんのイドが彼を知ってるからじゃない?」
「私の無意識なんでも知りすぎでは……。やはり一度話が聞きたい」
「自分なのに、不思議な話だね」
「本当に……」
「お話の途中でごめんなさい、そろそろ朝食に致しません?」
「あ! そうだね、ごめんっ」
「いえ、本当ならこのままお聞きしたいのですが遅刻はいけませんから」
「うん、そうだね!」
話の続きは昼休みにしようと約束をして、私たちは一度別れた。

「愛と美の伝道師ラブ・ラモーナこと、ラモーナ・ベルフェスでございまーすっ! 皆さまご機嫌よう!」
 サンデル先生の授業中、突如開かれた教室の扉。彼女のブランドのファンである女子の少ないこのクラスではポカンとする生徒しかおらず、私とオルソワルは思わず立ち上がる。
「姉上!」
「ラモーナさん!?」
「オルちゃんサシャちゃんご機嫌よう! サンデル先生、お久しぶりでございます! ちょーっとお二人を借りてよろしいかしら!?」
「貴君はもっと遠慮して入ってくることを覚えたまえ!」
「はぁ〜い! ささ、二人ともいらっしゃ〜い!」
サンデル先生の話が耳に入っているのかどうかわからないラモーナさんは私たち二人を教室連れ出し、人のいない食堂へ移動した。

「この学園、とても広いのに飲み物が食堂でしか頂けないの、昔から不便なのよねえ〜」
「で? 跡継ぎとその友人から授業を奪うほどのご用件とは何なのですか? 姉上」
「そうそう!」
オルソワルの皮肉も気に留めずラモーナさんは意気揚々と話し始める。
「ほら、サシャちゃんのモデルのお仕事。いま中断しているでしょう?」
「はい」
「サシャちゃんの安全が第一優先なのはもちろんなのですけれど、わたくし今後サシャちゃんを撮影出来ないかもと本当に落ち込んでおりましたの。そんな折、前回撮ったアミーカちゃんとのポスターにとても感激してくださったお得意様がわたくしの事務所へいらっしゃって、あの美しい子はどこの子はなんだい? とお聞きになったの」
「姉上?」
「大丈夫! サシャちゃんのことは名前すら明かしてないわ! ただそう、ストーカー被害に遭っていると言うことだけはやんわりお伝えしまして、ええ」
「漏らしてるじゃないですか!」
「まあまあオルソワル。それで?」
「ええ。そうしたらお得意様、サシャちゃんに護衛をつけてくださると仰るの! 学園の判断にもよるけれど、サシャちゃんがお仕事を再開したいならお得意様にお話しするから気軽に声かけてちょうだいね♡ それでこの話をサシャちゃんにお伝えしたかったのとー、あとー」
ラモーナさんは来た時から下げていた手提げ袋の中身をガサガサと探り、柔らかい紙に包まれた何かを私に差し出す。
「どうぞ♡」
「開けていいですか?」
「ええ!」
紙を開くと装飾のない白地にオレンジのグラデーションがかかっているシンプルなワンピースが。
「そちらはわたくしから個人的な贈り物。サシャちゃんのおかげでインスピレーションが沸いているのは本当なんですの。トゥルー・フラワーズを立ち上げる前はひどく悩んでいて新しいドレスを作りたいのにいざ針を持っても手に付かない、そんな状態でした。サシャちゃんはそんな窮地からわたくしを助けてくださったの。そのお礼に」
「ラモーナさん……」
「サシャちゃん、いつもたくさんありがとう。そしてあの時守れなくてごめんなさい。もしドレスが、ううん。他のどんな服でも欲しいものがあったら相談してくださいな。わたくし、服の話だけは誰にも負けませんから」
「ありがとうございます」
ラモーナさんの真心が嬉しくてワンピースを眺める。ラモーナさんは続けて紙袋をガサガサと探る。
「サシャちゃんへの用事は終わり。で、こちらはオルちゃんへの用事〜、はいっ」
ラモーナさんは赤い蝋でとめられている白い封筒を差し出す。
「貴方の月から。直接渡して欲しいと頼まれて」
「ジョゼット様から?」
オルソワルにとっての月、つまり太陽と月の契りを交わしたお相手からの手紙と聞いて私は興奮する。
(オルソワルの相手なら絶対美人だよね!)
(わかんねえぞ。体型が月かも)
(こら!)
オルソワルが封筒を開き、逆さにするとカサリと音がしてアヤメの花が出てくる。
「あら!」
ラモーナさんは思わずにっこりといった感じ。私は意味がわからないのできょとん。オルソワルは笑顔で私に花を見せてくる。
「バレットはアヤメの花言葉を?」
「わ、私そう言うの全然わかんない……」
「アヤメの花言葉は伝言、希望、信頼。友情とそして知恵だ」
「へえ〜」
「つまり、いい知らせってこと。よかったわねオルちゃん」
「はい」
オルソワルは見たことのない柔らかい微笑みを湛える。いつも無表情に近いオルソワルにこんな表情をさせるのがつまりジョゼットさんなので、さすが契約相手なだけあるなと感激する。
「お手紙読んだら? オルちゃん」
「あっ私のぞかないようにする!」
「二人ともそのままで構わない。失礼して目を通すよ」
手紙に目を通すオルソワルの表情は柔らかく、優しい。
(ああ、恋してるんだぁ……)
(どっちかっつーと慈しみの表情だろ)
(恋愛だ〜!)
(お前そう言うの苦手じゃなかったか?)
(仲良くもない人に根掘り葉掘り聞かれるのが嫌なだけです)
(あっそ)
読み終えて顔を上げるとオルソワルは明るい表情をする。
「ジョゼット様、来週に退院なさるそうです」
「よかったじゃない!」
「退院?」
「ジョゼット様は生まれつき体が弱くて、幼い頃から入退院を繰り返していたんだ」
「あらまあ」
「今回は状態が良ければ通院の必要もないらしい。事実上完全な退院だよ。学校にも来られるとそう仰っている」
「……今まで学校に通えなかったの?」
「通うための体力がなかったんだ。でも良かった。やっと彼女と同じ学校に通える!」
「……ここに来るの!?」
「そう!」
オルソワルはうんと嬉しそうに笑う。ラモーナさんは一度立ち上がると弟を抱きしめる。
「よかったわねオルちゃ〜ん!」
「はい!」
二人とも本当に嬉しそうなので私も自然と笑顔になる。
「よかったね」
「うん!」
「さて、わたくし校長先生にもお話をして来ないといけないから……」
「あっその前に!」
荷物をまとめかけたラモーナさんを私は引き止める。
「なあに?」
「オルソワルほら、今朝の話しよう!」
「……ああ、そうだ。姉上からもお伝えしてほしいのですが……」
私たちはソル・フレール女史に聞きたいことがあり接触の機会がないかと相談をする。
「一番いいのは講師としてお呼び立てすることなのではとバレットやマシューたちと話しておりまして」
「そうね、卒業生として授業に来ていただくのが自然だと思うわ。わかりました。わたくしからもお父様と、これから校長先生に話してみます」
「ありがとうございます姉上」
「お安い御用よ! じゃ、二人ともまたね」
「はい」
「ワンピースありがとうございました!」
「こちらこそ〜♡」

 それぞれの荷物を持ち教室へ戻る途中、ふとオルソワルが足を止める。
「どうかした?」
「……バレットに聞いて欲しいことがある」
「うん、なに?」
「我が月、ジョゼット様のことなのだが」
歩く速度を落とし私たちは並ぶ。
「君、六人部屋にいるだろう?」
「うん」
寮は男女とも大体四人部屋で、学年ごとに二つ三つ六人部屋が与えられる。四人部屋は最低限の大きさしかなく、ベッドは二段ずつ。机も小さい。しかし六人部屋は寝室兼私室が個室になっており中央に小さいながらもリビングと簡単なキッチンも用意されている。ちょっといい部屋なのだ。
「恐らく、我が月は君と同室になる」
「え!?」
「レディたちに聞いたんだ。一人分空いているのと、不思議とそこに誰かを入れる様子もないらしい。前もって学園が配慮してくれたのかもしれない。我が月は退院出来たらこの学園に来ると決まっていたからな」
「そうなんだ?」
「ああ。それで、もし我が月が来たらその……私の代わりに色々と手伝ってあげて欲しいんだ。些細なことでいい。起き上がるのを手伝うとか棚の上の物を取るとか……」
「なんだ、話ってそう言う。別にあんたに言われなくても? ルームメイトの手助けはするわよ」
わざと入学当初の態度を取って腕を組んで見せるとオルソワルはくすりと笑った。
「うん、君なら頼むまでもなかったな」
「大丈夫、任せて。オルソワルの大事な人なら喜んで協力するし、それに他にも月のお嬢様たちはいるからさ。みんなで手伝うよ」
「ありがとう。それと……」
「他にも何か?」
「少し、込み入った話なんだが……」
私は教室へ直帰する廊下ではなく一本先へ行こうと指差す。オルソワルは無言で頷いて承知してくれた。
「ジョゼット様の体の弱さは、月の力に起因するものでね」
「うん?」
「太陽属性はその力の強さと魔力の生成量、つまり血の気の多さが特徴的だ。火と光、古くは風も使えたと言うのはもう知ってるな?」
「うん。古竜たち、イゥスさんも言ってたよね」
「そう。つまり我々は心臓が強く血の気も多い。対して月の御子はそのほとんどが体は弱く、あまり激しい運動は出来ない」
「どうして?」
「月の力は闇と土。土だけならともかく、土に闇の力が加わると生き物は死に近づく。故に、月の御子は心臓の弱い者が多くてね。我が母は比較的丈夫なんだがそれでもアレルギー持ちだったり他にも問題は色々と抱えている」
「あら大変……」
「ジョゼット様は強い月の力をお持ちで、それ故に生まれた時から苦労なさっている。月の力が彼女の心臓を蝕むんだ」
「そっか……」
「あとこれも……本人たちは嫌がるだろうから話してこなかったが、レディ・アガサ。いや、アガサとアリス、それからマシューもあまり体は強くない。マシューは男子だからまだ鍛えようがあったんだが昔は細くてね」
「ああ、マシューのことなら知ってる。前に山登った時すぐ息あがっちゃったの」
「そうか、やっぱり。まあ、気を使いすぎると本人たちも嫌がるだろうが何かの折に気付いたら気を配ってあげてくれ」
「わかった」
「あとは……他にもあるんだが」
「せっかくだし色々聞いておきたいな。オルソワルと二人だけってあんまり機会ないから」
「そうか。では家系に関してなんだが」
「ん?」
「ジョゼット様は母の妹君のお子、フローラ家のお方で、つまり私から見れば従姉妹に当たる」
「……いとこ同士で婚約!?」
「そうだ」
「めちゃくちゃ血縁近くない!?」
「太陽と月にはよくある話なんだ。しかし従兄弟という血縁の近さで契りを結ぶのはかなり久しぶりで、他の氏族から反対の声も出た」
「あれま」
「だが太陽と月の契りは運命が決めるもの。私と彼女は切っても切れない縁で繋がっている。無理に引き離すのはよそう、と最終的には決まったんだが未だに大人同士は水面下で揉めている」
「それをオルソワルは把握してるのね」
「そうだ。ジョゼット様も全てではないがそう言ういざこざがあるのは知っている。心労もあるだろうから……その辺りも心配で」
「大変だ……。わたし出来る限り協力するよ。ジョゼットさんにもオルソワルにもさ」
「そう言ってくれると助かるよ」

 さていい加減教室に戻ろうと気を緩めた時、またふっと夜が現れる。希望も光もない瞳が緩い巻き毛の下にある。オルソワルは素早く私を後ろに回し杖を構える。相手は大人、こっちは二人いるとはいえ子供しかいない。どうしよう……!
膝が震えそうになるものの私は自分の足でしっかり立つ。そして、
「全く、懲りない男」
オルソワルの一歩前に出た。
(いつも良いタイミングで出て来るんだよなぁ私!)
もう一人の私に感謝しつつ、この状況をどうにかしようと少ない知識で考え始める。
(いま先生が都合よく来てくれたらなぁ!)
(おい)
(うぅーアミーカも考えて!)
(あいつ何だか様子が変だぞ)
(え?)
星のない夜は胸の辺りを両手で握りしめている。息も荒く、額から脂汗も流している。
(なに……?)
私の異変に気付いたオルソワルは後ろから困惑した様子で見ている。
「オル、走って」
「今きみを一人には……」
「走って! 誰か呼んで!」
ソルの指示を飲むかオルソワルは迷いを見せる。
「早くなさい!」
「っ……死ぬなよ!」
オルソワルは全力で引き返し始めた。“私”はもう一度男に対峙する。
「いらっしゃいアミーカ」
ソルの指示にアミーカは素直に従い、影からするりと出て来る。
「二度目だな、ご主人様」
「軽口を叩く暇はなくてよ」
「へいへい」
男は息を整えると胸元から両手を離す。
「……太陽は一つ」
「聞き飽きたわ」
“私”は手袋を通してアミーカに膨大な魔力を注ぐ。使い魔は主人から与えられる魔力の量で調子に差が出る。少なければ最低限しか動かないし、多ければもちろん……。
「やっと俺を使う気になったか……!」
アミーカは獰猛な笑みを見せる。獣としての衝動的な喜び、闘争の悦び。初めて見る表情にサシャの私はひるむ。
「お行き」
「ああ!」
仕掛けたのはアミーカの方。
男は煙になって逃げようとするがアミーカは魔力で小さなナイフを作ると素早く左側に投げる。
ナイフは男の背中に当たり、彼は姿を現す。
「っ……!」
炎の槍を二本持って襲いかかるアミーカをすんでのところで男は躱す。
避けられるのが分かっていたようにアミーカは立て続けに槍を振り回す。
男はまた煙になってその場から立ち去ろうとするものの、アミーカは再び男の移動先を見つけ攻撃を仕掛ける。
「お前……俺が見えてるのか……!」
「へえ! 他の言葉も喋れるじゃねえか!」
アミーカの強烈な蹴りを食らい男は柱に打ち付けられる。
丁度よくそこへ先生を数人連れたオルソワルが戻ってくるが、ソルは唇の前で人差し指を立て男に気付かれないよう回り込めと指示を出す。
先生たちとオルソワルは頷いて静かに移動し始める。
「うっ……」
「おうおうどうした。あの殺気は最初っきりかぁ?」
「……太陽は一つ、」
男が言葉を続ける前にアミーカは槍を突き刺したつもりだった。だが男は煙になり、次の瞬間にはソルの目の前にいる。
「くそっ……!」
男は手を伸ばす。少女の頭を掴もうとして。
「二つ目はなし……!」
「馬鹿ね」
至近距離に来た男の額をソルは指差す。腕に当たったらちょっと痺れる程度の雷。しかしそれを頭に撃ち込まれ、男は体を痙攣させながら倒れた。
「暗澹たる蛇よ! その者の手足を捉えたまえ!」
先生たちが魔法を使い男の身動きを封じる。
ソルは駆け寄ったアミーカにクスッと笑いかけた。
「お疲れ様。後でご褒美をあげる」

「ふぁ〜」
「君、反省しているのかね!?」
「アミーカ、この無礼なお小言いつになったら終わるの?」
「知るかよ」
 捕らえられた男は校舎の地下にある狭い倉庫に連れて行かれ数人の先生が見張りについた。魔法協会と特殊警察に知らせもし、あとは到着を残すのみだが、その前に“私”は先生たちに囲まれ説教を食らっていた。
「わたくし、授業? のためにも一度寝室に帰りたいのですけれど」
「バレットさん? いくら魔法に自信が付いてきたからと言って一人であんな危ない真似を……」
「先生」
「ベルフェスくんは横から口を出さないで」
「いえ、先生。皆さん聞いてください。今の彼女はサシャ・バレットとは別人格なんです」
 オルソワルが先生たちに今朝の話をしてくれているそばで“私”は真横で膝をつくアミーカの頬を指で撫でている。
「……つまり、バレットくんの制御が効かない人格が潜んでいると」
「ミス・バレット、いえ、サシャさんが言うにはそうらしいのです。彼女は別の者にソルと呼ばれていて……」
「オルソワル」
ソルと呼ばれると彼女は冷たい視線でオルソワルを見た。
「貴方、敬称も付けずに太陽たるわたくしを呼ぶなどいくら友人でも無礼ですよ」
「……申し訳ない、レディ」
オルソワルは胸に手を添えて恭しくお辞儀をするも、ソルはぷいっとそっぽを向いてしまう。
「まあ、“レディ”ですって。これでも一国の王でしたのに」
「何だって?」
「何ですって?」
(私の代わりに先生たちが色々聞いてくれると助かるなぁ)
(おい)
(おっ? なに? アミーカ)
(お前の方は平気か?)
(何ともないよ。いつも通り)
(あっそ。ならいい)
「一国の王? いつの時代の話ですか?」
「アミーカ、この不躾な下々をどこかへやって。もしくはわたくしを今すぐ部屋へさらって頂戴」
「そうしたいところだが、寝床にこもっても小言は飛んでくるぞ。多分」
「まあ!」
ソルは頬をぷっくりと膨らませる。周囲の様子を横から伺っていたラモーナさんは困ったように笑う。
「どうかしました? ミス・ベルフェス」
「いえ、お母様が怒るとこんな感じなので懐かしくて……」
ソルはツンと目を瞑ったままそっぽを向いている。もう一人の主人の機嫌が良くないのでアミーカは静かに彼女の前に回り込むと恭しく手を取り指先に口付ける。
「相変わらずわたくしの機嫌の取り方はわかっているようね」
「……相変わらず?」
アミーカが問いかけるとソルは彼の頬を撫でながら意味深に笑う。
「“星の息が潰えるその時まで”、でしょ?」
「……おい、待った。俺とあんたが契約したのは今回が初めてで」
「まさか。今世も、ですよアミーカ。名は都度違うけれど」
「いや俺ずっとあんたのしもべか!?」
「もう、毎世その失礼な口の利き方をどうにかなさい!」
「いででで!」
ソルは思いっきりアミーカのほっぺたを両側に引っ張る。
「悪い子ですこと!」
「いてぇ! 悪かった! すんまへん!」
「宜しい」
「ビビった……」
アミーカが胸を撫で下ろす後ろで先生たちは何やら話し合っている。月属性のミューア先生が一歩前に出て、先生たちは揃ってソルに膝をついた。オルソワルやラモーナさんは驚いて顔を見合わせ、先生たちに倣って膝をつく。
「ようやく態度が直りましたこと」
「申し訳ございません。この時までの多々あるご無礼をお許しください」
「許します。わたくし、寛大で有名なの」
「ご慈悲に感謝致します。陛下、失礼ながらわたくしたちは陛下のことを存じ上げません。幾つかお尋ねしたいのですが」
「知らないでしょうねこの時代の者なら。わたくしが座していた頃の時代は最早神話とされていますし」
「では陛下は神代の国王……」
「ええ。書庫……ここでは図書室と言うの? 少し目を通しましたけれど、幾つかは神話として記録が残っています。だいぶ誇張や省略がされていますけれど」
「お治めになられていたのはこの辺りの地域ですか?」
「もちろん、この国ですよ」
「左様でございますか。お教え頂き、ありがとうございます」
「良くてよ。それと、わたくしを狙ったあの者ですが、処遇はどうするの?」
「牢に入れ、然るべき罰を受けさせます」
「ふむ。その前に医師に診せた方が良いのでは?」
「医師に?」
「魔力を通した時に気付いたのだけれど、あの者、腑に何か病を抱えています。放っておくと罰を受ける前に死んでしまうかも」
「畏まりました。では先に病院に……」
「失礼します!」
慌てて駆け込んできたのは別の学年の先生。
「男に逃げられました!」
「やっぱり」
「何をしていたのですか!」
「我々の一瞬の隙をついて逃亡を! 申し訳ございません!」
「きっとまた狙って来るでしょう。その時はアミーカに任せます」
「俺か?」
「わたくしの槍なのだからきちんと仕事なさい。“サシャ”に代わりますよ。後は宜しく」
アミーカは気を失った私を椅子の背もたれから庇う。二、三度瞬きをして私はようやく自分の体の制御を取り戻した。
「平気か?」
「もう一人の私がこんなに高慢だとは……」
「バレット、戻ったのか?」
「うう〜先生みんなごめんなさいあんなこと言って〜!」
「元に戻ったのね……」

「はい、あーん」
「んあ」
 記憶が途切れている訳ではないものの、主導権を奪われると介入出来ないことをその場にいる人たちに説明することは出来た。おかげでお叱りを受けることは免れ、何とか午後の授業を終えた私はオルソワルやマシューたちと普段通り夕食を囲む。そして私は食堂の美味しいデミグラスソースのハンバーグをアミーカにご褒美として与えていた。
「美味しい?」
「そこそこ」
「あら、素直ね」
隣に座るアミーカは人の姿でもごもごと口を動かす。
「サシャさんまた無茶して……」
「ごめんなさい!」
「あれに関しては無理だろ。“こいつ”じゃねえんだから。おい、もう一つ寄越せ」
「今日はよく食べるねえ」
「働いたからな」
「そうだね、ありがと。今後はもっと護衛として働いてもらうね」
「最初からそうしろっつの」
「ごめんごめん。はい、あーん」
「ん」
ハンバーグを三つぺろりと平らげるとアミーカは満足してカラスとなり、私の背もたれにちょんと乗った。
「でもさ、先生たちのおかげで色々と知れたしよかったよ」
「彼女はこの土地の古い時代の女王だと言っていた。この国も何度か他国から侵略されて都度王朝は変わっているし、その前のものとなると記録も改竄されていることが多いだろう」
「ソルは神話にもちょっとしか記録が残ってないって言ってた。あと省略と誇張だらけだとか」
「国王であれば大袈裟に褒め称えることもあっただろうから事実とは異なるんだろうな」
「うーん、歴史の授業きちんとやった方がいいかも。今後は特に」
「サンデル先生はこの国を含めた周辺国の近代史の研究家だから、この国の古代史を研究している方に教えを乞う方がいい」
「あれ? そうなの?」
「歴史も国によって色々違うからね。広い地域を一人で研究するのはまず無理だよ」
「なるほど、そう言う感じなんだ。そうすると……どうしたらいいだろう?」
「まあ、それはいずれ習うとして。先にあの男のことを調べた方がいい」
「そうだね。何故狙って来るのかだけでも調べないと」
「あいつ、毎回決め台詞みたいなの言うんだよねー。あれ気になる」
「決め台詞?」
「“太陽は一つ、二つ目はなし”」
「太陽が一つなのは……当たり前と言えば当たり前だよね?」
「そう」
「ふむ。決まった文句があると言うのは取っ掛かりになりそうだな」
「その言い回しであれば聞き覚えがございます」
「ミューア先生!」
オーレリア・ミューア先生は今宵も白銀の月として美しく輝いている。彼女は左胸に手を添え私に騎士としてお辞儀をする。
「ご機嫌よう、ミス・バレット。この後お時間を頂きたいのですが、よろしいですか?」
「もちろん!」
「ではわたくしの教務室でお待ちしております」
「食べ終わったら行きます!」
先生の背中を見送りみんなの顔を見渡す。
「何か知ってるのかも!」
「一人で行くのか?」
「ダメかな?」
「出来たら一緒に聞きたいけど……ね?」
「そうですね、サシャが心配ですし」
「先生から聞いたらみんなにも話すよ」
「そうか、わかった。では我々は待とう」
「早めに寝室に戻ってきてくださいまし」
「わかってまーす」

 先生たちはそれぞれ自分の教務室、研究室や工房にあたるものを学園内に設けている。平日は生徒の授業と事務、休日は自分の研究とかなり忙しい。休日に遊んでいる先生は稀だ。
ミューア先生の教務室は想像通りと言うか清楚で、質素で、静謐と言う言葉が似合う窓の小さな部屋だった。
「こちらへ」
「お邪魔します」
先生が置いてくれた小ぶりな椅子に座り向かい合うように座る。本棚などを見渡しているとふわりといい香りがしてお茶が差し出される。
「手製のハーブティーです。効能は美肌、血行促進、安眠です」
「ありがとうございます」
つつつ、と傾けるとハーブの香りが鼻と喉全てに広がる。
「うおっ強烈」
「香りの強いものが多いので、一瞬目が冴えてしまうかも知れません」
「美味しいです」
「お口に合い何よりです」
先生も同じお茶に口を付ける。月の御子たちは落ち着きと品があり、美しいのでお茶を飲むだけでも絵になる。
「あの、それで?」
「……どこからお話しするべきかと思いまして」
ミューア先生は物憂げな表情をする。ああ、月の女王に似ているなと見ると金の瞳と目が合う。
「まず、太陽と月の御子たちがどのように歴史に関わってきたのか、いえ……御子たちがどれほど名もなき者に殺されてきたのかお話しするべきですね」
「やっぱり、たくさん亡くなったんですか?」
「相当に」
「そうなんですね……」
ティーカップの水面を見ながら私たちは話を続ける。
「この国には古くから太陽と月の信仰がございました。太陽は目覚めをもたらし、月は眠りに誘う。生き物の目覚めと眠り……つまり生と死を司る神。太陽の王、そして月の王です。わたくしのミューア家は代々、月の御子に仕えてきた護衛の家系。女神ティアラ、女神フローラ、女神ジュノン、女神ミナーヴァ。皆さまは月の王の娘御たち。そして彼女たちは太陽の王の娘でもありました」
「太陽の王と月の王は夫婦だったんですか?」
「我が家に残る伝承では、そうなっております」
「太陽と月の契り……」
「ええ。そして御二方の末裔が現代における太陽と月の御子とされています」
「本当に古い血筋なんですね」
「もちろんそれが事実であればと言う話ですが、本日のサシャさん、いえ、ソル様の話を耳にし信憑性が増しました。それでこの事を魔法協会に報告すべきか否か、教員たちで話し合いになりました。結論は出ませんでしたが。もし貴女の内に眠っているあの御方が太陽の王、神話においてわたくしたちの祖先とされる御方であればこの国の歴史を見直すきっかけにもなりますし、地上に神がおわしたのならば何故お隠れになったのかなど、協会は聞きたいことがたくさんあるはずです」
「それは……ちょっと困りますね。私じゃない私は今のところいざと言う時にしか出て来てくれないので……」
「はい。貴女にとって制御出来るものではないのはもちろんですし、報告が通れば平穏に暮らすのは難しくなります」
「え?」
「神の生まれ変わりがこの世に存在するならば、神を解体しようとする者も、崇めるために暴動を起こす者も出て来るからです」
「……そんな大事に?」
「はい。そして恐らく、貴女を狙った男は既にその一部として動いている。どこで貴女を知ったのかは……街中のポスター以外でですよ? それ以上を知らない限り貴女にこだわる可能性は低いので」
「彼は私を女神の生まれ変わりだと思っていると?」
「はい、それについては大戦後の話になります。先の大戦、太陽の御子たちはその力の強さから国力として求められ出征なさいました。怪我をして各地に散り散りになった方もおられますが、戦地で無事だった御子たちと戻ってきた御子たちの数は大きく違うのです。そして……これは伏せられてきた事実ですが、命からがら戻られた御子の一人がこう仰いました。“月のない夜のような男が我が兄を目の前で殺した”、と」
「それって……!」
ミューア先生は静かに頷く。
「あれが人ならざる者なら貴女を狙った者と同一人物の可能性は高いです。この他に、太陽の御子のうち戻られた方々は“戦場から戻る際妙な集団に命を狙われた”、“その者は太陽は一つ、二つ目はなしと叫び襲いかかって来た”と口になさっていて、太陽の御子たちを守る騎士たちも多く命を落としております。今はどれだけ残っているのか……その辺りはベルフェス家の方が把握なさっているでしょうから、わたくしからは申し上げられません」
オルソワル、ラモーナさん、シンディーさんの顔を思い浮かべながらすっかり冷めてしまったお茶に口を付けようとするとミューア先生がカップの上に手をかざす。
「淹れ直して参ります」
「あ、はい。ありがとうございます……」
先生がカップを持って小さなキッチンへ向かうのを見送りながら私は続けて話をする。
「あの、先生」
「はい」
「太陽の御子を守る騎士の家系もあったんですか?」
「もちろん。ベルフェス家には現在も騎士の方々がお仕えしております。ただ、他の家に関しては把握しておりません」
「そうですか……。あの、そう言えばこれまだオルソワルとティアラ姉妹たちにしか話してないんですけど……」
私は自分の家とベルフェス家、ティアラ家、レイン家に私そっくりの女性の写真が残っていることを話す。名前はなく顔しかわからない、しかし太陽の御子と分かる女性のことを。
先生は二杯目のお茶を持って戻ってきて再び腰掛ける。
「なるほど、ではバレットさんは元の家に戻らず平民として息を潜めた御子の末裔の可能性が高いと」
「多分そうかな、と。母は火属性だし母の母、私の祖母は魔法を日常使わなかったらしいので属性は分からないんですが……写真だけは持って嫁に行けって言ってて……」
「ふむ。それならば騎士が近くで守っていそうなのですが……幼少から側にずっといる馴染みの方は?」
「いえ、幼馴染のリル以外に特に思い浮かぶ人は」
「そうですか」
「あの、でも」
「はい」
「最近思い出したことがあって。私、子供の時ミミックを開けようとした近所のバカ男子を助けたことがあるらしいんですけど、助かった瞬間のことを覚えてないんです。初等教育前の子供なので魔法なんてほとんど使えなかったし、近所の大人たちはバカどもが家に駆け込んで助けを呼ぶまでは気付いてすらいなかったので……」
先生は考え込むように顎に手を添える。
「もしかして騎士が守ってくれたんじゃないかなって、今ちょっと思ったんですが」
「可能性としてはありそうですね。しかし現在は貴女が狙われても姿を現さない。もしくは出て来られない状況にある。あるいは……いえ、これは申し上げられません。ともかく、バレットさんの生まれや血筋の経緯については詳しく調べる必要がございますね」
「そうですね。こうなっちゃうと私も色々知りたいし……」
「調査をするにしても協会へ真っ先に報告するか、協会への報告は伏せて我々だけで調べるかその辺りは変わらず悩みどころですね。最終的には学園長の判断になりますが」
「学園長って言うと……」
「校長ではなくこのプロメテウス学園の経営をなさっているお方です。入学式には来賓の形で祝辞だけなさっていました」
「あの一番長かった手紙の人ですか?」
「はい」
「あの人かぁ」
入学式、話がやたら長かったオジサンがいたのだが彼が学園長だったらしい。話はほとんど聞いてなかった。寝てたし。先生はふと顔を上げて時計を確認する。
「長々と申し訳ございません。消灯の時間ですから寮へ」
「あ、ほんとだ。どうもありがとうございました。また色々お聞きしたいです」
「寮までお送り致します。あの男は学園の警備をすり抜けて来ているので、貴女に何かあっては困りますし」
「それならお言葉に甘えて」
アミーカがいるから大丈夫ではあるが、ソルのように上手く指示できる気がしないので腕の立つ先生を信頼する。
 何事もなく寮のベッドへ戻ると私は布団をかぶる。窓辺から星と月が覗いている。あの人は何故太陽だけにこだわるのか、何故私なのか。考えることはたくさんあるがひとまずは眠りの国に旅立つことにした。


「ふがっ」
 また自分のいびきで目が覚めぼんやり上半身を起こす。枕元の椅子にまた誰かが腰掛けていて寝ぼけ眼でそちらを見ると、月の女王が座っている。繊細なレースのヴェール、美しいオーロラのドレス。物憂げな表情でまた私を見ている。
「おはようございます……」
起きるには少し早かったようで、太陽は地平から顔を出したばかり。上着を羽織ってベッドのふちに腰掛けると女王はいつも通り冷たい指先を頬に伸ばしてきた。彼女が満足するまで触らせているとアミーカが影からするりと出てくる。
「お? おはよう」
「おはよう」
月の女王はまたも私のおでこにおまじないをする。そして今日はアミーカにも手を伸ばし、おまじないをかけてくれる。人型のアミーカは何をされているのか分からず訝しんでいるのでこっそり何をしているのか伝える。
(よく母親が子供にするおまじない。怪我しないように、とか大病になりませんようにって)
(それ、神々の母にされると笑えねえぞ?)
(そうかな?)
月の女王は満足して手を引っ込めると立ち上がり、輝く砂となって去ってしまう。私は自分のおでこをさすり、アミーカは女王が消えた方角を見る。
「……さっさと帰ったな」
「月の女王さまはいつもあんな感じ」
「知ってるけどよ」
「ああ、記憶読んだのね」
「お前はあまり記憶にフタしねえからな」
「何それ?」
「使い魔にどの程度伝えるかってのは主人がいくらでも制限出来るんだとよ。あいつが言ってた」
「誰?」
「お前が気に入ってる月の使い魔」
「……マシューの?」
「そ」
「オウルさんね」
「そ、そいつ」
時計を見る。六時を過ぎたあたりなので朝食には早い。
「目、覚めちゃった」
「勉強でもしてろ」
「うーん……勉強はイヤだから本読もうかな」
「着替えて寒くねえようにしてろ。俺は散歩してくる」
「散歩?」
「こっちに来てからしてんだよ」
「そう。いってらっしゃい」
「部屋から出るなよ」
「はーい」
窓を開けてあげるとアミーカはカラスになって飛んでいった。

 珍しく一番早起きなので本を読み、リビングでお茶を淹れて待っていると月の子たちが起き出す。お互いに髪を整えたりお茶を飲んでゆっくりしていると朝食の時間になっていたので全員で食堂へ向かった。

「おはよー」
「おはよう」
「おはようございまーす」
「こらーっ! 廊下を走らない!」
 普段通りの朝が始まり、私も普段通りティアラ姉妹とオルソワル、マシューとテーブルを囲む。散歩からアミーカが戻って来ているのに気付いて影から呼び出す。
「アミーカ、膝においで」
「やだ」
「じゃ肩」
アミーカはカラスの体で私の肩にとまる。朝食セットのソーセージを食べやすい大きさにして差し出すとアミーカは遠慮なく口にした。
「今日はハーブ入りだってさ」
「ニオイなんかほとんどわかんねえっつの」
「そうなの?」
「カラスは大体そうだよ」
「ふーん?」
アミーカが背もたれに移動したところで自分の口にもソーセージを入れる。ハーブと言えば昨日のミューア先生のお茶も美味しかったなと考えながら咀嚼していると食堂の一部が何やら騒がしくなる。
「なんだろ?」
マシューもみんな、不思議そうにそちらを伺っていると別のテーブルにいたコルネリオ・ロマーニ、オルソワルの親戚のネオが駆け寄って来る。
「オル、お父上が急に来るそうだよ!」
「え!?」
オルソワルは珍しく声を張り上げる。驚きに加え嫌そうな顔をしたのを見て思わず吹き出しそうになる。
「ねえ、オルソワルはお父さんとあんまり仲良くない?」
と、小声でティアラ姉妹に聞いてみる。
「いいえそんなことは」
「ただ、そうですね。とても元気なお方なので……」
「あー、ラモーナさんと同じノリか」
オルソワルが苦手とするタイプがだんだん分かってきた。
「ああもうすぐ連絡もなしに来るんだから……」
「大変だね……」

 オルソワルのお父さん、タラクサクム伯爵は朝一に学園に足を踏み入れる。校長先生とオルソワルをはじめとするベルフェス家の生徒、何故か私まで駆り出され伯爵を出迎える。多数の護衛に囲まれオレンジと金色でギラギラに輝く馬車から降りてきたのは、オルソワルのような赤毛、青い瞳の背の高い紳士だった。まさしく貴族らしい凛とした表情だった彼は息子の顔を見ると一気に破顔し両腕を広げる。
「おお! 麗しき我が息子よ! 麗しき我が月の恩寵を受けし息子よ!!」
「父上、教員と友人の前ですからお静かに」
オルソワルの冷たい視線など気にせず伯爵は息子を抱きしめる。
(ラモーナさんより赤井くんのノリかも)
伯爵、奥さんと息子大好きなんだなと思って見ていると彼はまた表情を引き締め、私の前に来ると手を取り片膝をついた。
(え!?)
「お初にお目にかかります、レディ」
「えっ……えっ!?」
伯爵は私の手を両手で包み込み己の胸に引き寄せる。
(これ相当に丁寧なお辞儀じゃない!?)
「いやっあのっ」
伯爵はびっくりする私をよそにニコニコとして立ち上がる。彼は校長先生に向き直ると彼とは軽い挨拶とハグをする。
「少々お話が」
「ええ。校長室にどうぞ」
「レディ、また後ほど」
「えっ、あっはい」
「麗しき息子よ〜!! また後でな!!」
「わかりましたから!!」
 プンプンするオルソワルをよそに大人たちはぞろぞろと校長室へ向かってしまった。生徒たちもでは教室へと動き出す。一緒に戻ろうとした私をオルソワルは引き留める。振り返ると伯爵が連れて来た護衛の中でも、華美な紳士服に身を包んだ淑女が私に片膝をつく。彼女は金髪碧眼おまけに美人と三拍子揃っている、凛とした人だった。長い後ろ髪を三つ編みにし、リボンでまとめた彼女は左胸に手を添える。
「お初にお目にかかります、我が君」
「わ、我が君!?」
「此度、タラクサクム伯爵から命を受け今後貴女の身の回りのお世話を致します、アレクサンドラ・ベッセルと申します」
「身の回りの世話!?」
驚く私の肩をオルソワルがポンポンと叩くので驚いたままの顔で振り向くとオルソワルは頷く。
「ベッセル家はベルフェスに仕えてきた騎士の一族だ。恐らく姉上が昨日の事を早々に父上に報告したのだろう。父上はこう言う時の行動力は素早く、一目置かれているからな」
「え!? 待って! オルソワルやラモーナさんを護衛しているようなお家からわざわざ私に人を当てたの!?」
「左様でございます」
「待った! 私ふつーの家の子なんで! そう言う感じじゃないです!」
「恐れながら我が君、プロメテウス学園は警備に関して他の魔法学校とは一線を画しております。にも関わらず貴女の身に危険が及んだ。非常事態なのです。タラクサクム伯爵の判断は最適でございます」
「いやっ、私にはアミーカがいますし、平気です! ほんと、他のお家にご迷惑かけるほどでは」
「バレット」
「オルソワルも反対して!」
「バレット、今回に関しては私も父上の判断が正しいと思う。みんな君を心配してのことだよ」
「やだ!」
「や、やだ?」
「私お嬢様じゃないもん!」
「バレット!」
私はアレクサンドラもオルソワルも授業も放り出して、その場から走り去った。

「我が君」
 アミーカと森の木の上に身を隠していたら騎士アレクサンドラは早々に私を見つけた。
「私あなたのご主人様じゃない、あっち行って!」
「そうは参りません。貴女の世話を頼まれたのですから、ここにおります」
「知らない! ほっといて!」
私はアミーカの胸でわあっと泣く。アミーカは私を抱えたまま枝に器用に座っておりアレクサンドラを冷たい目で見下ろす。
「俺以外を護衛にする気はないとよ」
「こちらも仕事ですので」
「だから、それが嫌なんだよ俺のご主人様は。お前はあの騒がしい伯爵から金もらってここに来たんだろ。絆で結ばれてる俺とは違う。仕事だから自分の意思なんて関係なく動いてる、そうだろ?」
「もちろん。そのために訓練していますから」
「ハッ、なら即刻視界から消えろ。こいつは神の花嫁だ。自分の護り手は自分で選ぶ。これと決めた者にしか肌も触らせねえし心も開かねえ。押し付けられた従者を素直に受け取る成金の馬鹿じゃねえんだよ。消えろ。さもないと俺の槍が降るぞ」
顔を背けた私の代わりにアミーカは騎士アレクサンドラに憤りを見せる。彼女は黙り、何を考えているか分からないまま私の足元から立ち去った。
「ほら、もう行ったぞ。あんまり泣くな目ェ腫れっから」
アミーカは己の首に腕を回してただポロポロと涙を落とすだけの主人の背を優しく叩く。
「勝手に周りが環境変えてくるのがヤなんだろ。分かってるよ」
アミーカは何も言わない私の心を理解して言葉に変えてくれる。
 そのままの体勢でアミーカに宥められていると次はタラクサクム伯爵が来た。だが彼は息子への態度とは違い私たちの足元に来ても静かに見上げている。
「んだァこら。見てんじゃねえぞ」
「レディ、お話がございますから……降りてきては頂けないかな?」
「嫌に決まってんだろ。神の花嫁に不躾に従者をあてがったのを先に謝りな。謝っても今のこいつは許す気ねえがな」
「それに関してもお話しをしたいのです。どうか」
「何だかんだその辺貴族だな。おい、こいつにこの場で土下座させるか? 多少スッキリするだろ」
黙って首を振った私を見てアミーカは溜め息をつき、主人を抱え直して腰を上げる。
「良かったな、顔も見たくねえとよ」
「レディ!」
タラクサクム伯爵を放ってアミーカは森の遠くへ私を連れ去った。

「しつけえんだよ! 放っとけ!」
 アミーカはその後も追ってくる伯爵とその連れに声を張り上げる。
「レディどうか! 聞くだけでも!」
「うるせえ! 本当に槍ぶち込まれてえか!」
アミーカは炎、ではなく雷の槍を一つ作る。私が周りを拒絶したままなのにしつこく追い回されるので彼も頭に来たようだ。
「十六だぞ! 口も利けない赤ん坊だとでも思ったのか! 大人が勝手に身の回り変えやがって! 嫌がるに決まってんだろうが!」
「申し訳ない! その辺り配慮が足らず本当に申し訳ない! この通り!」
伯爵はとうとう地面に頭を擦り付けるほどの土下座をしたが私はもうただ放って置いて欲しいので顔すら向けない。
「やっと謝ったぞこいつ。おい、どうする? 本気で槍ぶち込んでもいいぞ俺は」
殺生は嫌なので、と首を振る。さすがに友達のお父さんに槍を降らせる訳にもいかないし、そこまでして欲しくはない。ただ泣き疲れて部屋に篭りたい気分だ。いつものお喋りがすっかりなくなってしまった私を見てアミーカは大人たちに憤慨している。
「部屋帰るぞ。今日はもう勉強なんかすんな。飯も運んでやる」
アミーカは私を寮へ運ぼうと羽を広げた。そこへ、
「バレット!」
「サシャさん!」
「サシャ、降りていらして!」
オルソワルやティアラ姉妹、マシューが来た。いつものメンバーの声がして私はやっと顔を向ける。彼らは私の顔が見られて安堵した表情を見せる。
「サシャさん降りてきて。俺たちも君と一緒に聞くから」
「どうかおじ様のお気持ちも聞いて差し上げて!」
「貴女が見つかっておじ様本当に喜んでおりましたの。その辺りもお話しされたいそうです」
「……ほっといて」
「バレット」
「ほっといて!」
「君はそうやって子供みたいな態度を続ける気か!」
「子供だもん!」
下で待つ人々を涙目で睨みつける。
「まだ十六だもん! 神だの女王だのみんな好き勝手にして! もう一人の私も好き勝手にして! 知らない! わたし普通の家の子なのに! みんな勝手なこと言って! 勝手に命狙って勝手に崇めて! 馬鹿! 知らない! こんなとこ来なきゃよかった! 試験落ちてればよかった! うわぁーんっ!」
この学園に来て色々あった。マシューに逢えたしアミーカにも出会ったし、ティアラ姉妹だって本当に良くしてくれたし。第一印象が最悪だったオルソワルとやっと仲良くなれたと思ったのに私は全て否定してしまって、そんな自分も嫌で泣き出した。私の心を一番近くで感じたアミーカは槍を引っ込めようやく地に降りる。ティアラ姉妹の腕に私を届けるとアミーカはそばで佇んだ。
姉妹は私を慰め、マシューも肩に手を添えてくれた。オルソワルは私が泣き止むのをただ待つ。
「……ごめん」
「いいんですよサシャ」
「とりあえず戻って水分摂ろう。たくさん泣いたでしょ」
「気になさらないで」
私は首を横に振る。
「アガサもアリスもマシューも大好きだし、オルソワルとやっと仲良くなれたと思ったのに、わたし最悪なこと言っちゃった。本当にごめんなさい」
「いいのよ」
「いいの、分かっていますから」
「サシャさんおいで」
姉妹やマシューに順に抱きしめられ、オルソワルの前に立つ。
「オルソワルごめん。貴方に一番迷惑かけてる。家族ぐるみで面倒見てくれようとしてるのに、私ワガママばっかりで」
「バレット、いや、サシャ」
オルソワルは私の手を掴む。
「君はもう、我が家の一員なんだ。だから我が儘くらい言ってくれて構わない。だからこそ、父の話を聞いてやってくれないか?」
顔を上げると真剣な表情の少年がいる。私は申し訳なさでいっぱいで、彼の顔を見れず俯く。伯爵はやっと私に近付くことが出来て、また私に膝をつく。
「サシャ・バレットさん」
「……ごめんなさい、伯爵さまに土下座なんてさせて」
「いえ、非礼を詫びます。真っ先に貴女に話をしなければならないのに子供だからと軽んじてしまった。申し訳ない」
タラクサクム伯爵は私の手を取る。真剣な表情もオルソワルとそっくりだ。
「話を聞いて頂けますか?」
昼前、やっと私は彼の言葉に頷いた。


 昼食の時間なのでと伯爵は食堂の一部に仕切りを立て、大量の護衛には後ろを向かせた。アミーカは人型ですぐそばに待機、騎士アレクサンドラは伯爵のそばで佇んでいる。
「いやー久しぶりにこの学園の食事を口にするよ!」
恭しい喋り方はやめてくれと言うとタラクサクム伯爵は親しげな口調にしてくれた。やはり素はこちららしい。
「オルソワルんち、みんなプロメテウス学園出身?」
「もちろん」
「そう。すごいね」
今更だがプロメテウス学園は国立で魔法学校の中でも一流。私が入学出来たのは太陽属性という稀有さによる優待制度その他もろもろを駆使したからで、おいそれと入れるところではない。私と一緒にちゃらっと入学しているリルも実はかなりすごい。
「あの、伯爵さまのお名前とか……」
「おお、名乗り忘れていた! オルソワル・ベルフェスだ。よろしく」
「えっ」
オルソワルの顔を見ると彼は食べ物を飲みこんでから頷く。
「オルソワルと言うのは跡取りに付けられるもので、父も祖父も曽祖父もみんなオルソワルだ」
「えっ混乱しない? 普段どう呼んでるの?」
「オルソワル、の後に続いているのが実質個人名で……私はオルフェオ。父はアンリだ」
「それでネオとかがオルって呼ぶんだ?」
「ああ、昔はオルフェオの方で呼ばれていたからその名残りだ」
なるほど、オルソワルではなくオルフェオのオルだったらしい。
「……私も呼び方変えた方がいいかな?」
「好きにしてくれて構わない」
「そう……」
悩むな、呼び方。変えても気まずい気がするし当主名と知ってそのまま呼び続けるのもどうだろう。
 食事を終え、伯爵は何から話すかと腕を組んで天井を仰いだ。
「写真の話からしよう」
「ああ、あの方」
「うむ。あの女性の写真の出どころは我がベルフェス家でも謎で、昔から調べてはいたんだ。分かっているのはあの写真は大戦の前には存在していたこと。ベルフェス家、ティアラ家、レイン家、そして君のバレット家にのみ存在し他の氏族の元には今のところないこと。もちろん今後出てくる可能性はあるが」
私のそっくりさん。いや、私がそっくりさんなんだけど。彼女の素性は未だに分からない。気になるところではある。
「失礼して君のことも急いで調べたが、やはり大戦後各地に散った太陽の御子の子孫である可能性が高い。君の祖母の代から既に親戚を転々としているようだ。これは私の憶測だが太陽の氏族であることを伏せて生活していたのではと思う。命を狙われていたとかでね」
「やっぱりそう言う感じなんですかね……」
実はいいところのお嬢さんだった説が有力になり溜め息が出る。
「他にも……この場で言うのは憚られるが昨日のことも考え、君には特別な護衛を付けたい」
護衛と聞いてアミーカはじろりと伯爵を睨む。
「全員一流の教育を受けてきた騎士たちだ。ベッセル家のほかにも勧めたい者がいてね。ひとまずデイム・アレクサンドラ・ベッセルを試して頂く形で本日からすぐにでも護衛を付けたいのだが、どうだろう? 試してみるだけでも」
アミーカの鋭い視線を受けパパ・オルソワルことアンリさんはお試しと言う部分を強調する。
「あの、そのことで……。伯爵、いえアンリさんには申し訳ないんですけど身の回りの世話はとっくにアミーカがしてくれていますし、見知らぬ方に彼の仕事を奪われるのは、ちょっと……」
アンリさんはこれは困ったと己の顔を撫でる。まあそうだ、私がワガママ言ってる訳だし。アミーカは伯爵を鋭く睨み続ける。
「こいつは俺に肌を触らせるなら抵抗はねえが、会って間もない奴に体を触らせんのは酷く嫌なんだよ。オスメス関係ねえぞ」
「むう……そうですか……」
その様子を見ていたオルソワル・オルフェオは私の肩に手を添える。
「サシャ。それなら、ひとまず近くで生活を見てもらうのはどうだろう? 無理に世話をしてもらうのではなくて」
「……どう言うこと?」
「寝るとき寝室の入り口を見張っていてもらう、食事の時は視界に入らない場所にいてもらう、など。騎士たちを意識しなくていいところに配置すれば君も気が重くならないのではないか?」
「見張りだけしてもらうってこと?」
「そうだ。警備のみにしてもらう。どうだろう? 父も安心するし騎士たちも仕事は出来る」
オルソワル・アンリさんをチラッと見ると賛成と言わんばかりに笑顔を見せる。
「うん、じゃあ……警備だけで」
「良かった! いやぁさすが我が麗しい!」
「父上」
「……さすが我が息子」
「サシャの友人として当然です」
ベルフェスの跡取りではなく私を知る友として。オルフェオはそう言ってくれた。
「ありがと」

 私のせいで滞在時間を大幅に超えた伯爵はやっと帰路につき、騎士アレクサンドラは午後からクラスメイトに合流した私の護衛につく。視界に入らないようにと言ったら彼女は徹底してくれて、授業を終える頃には本気でどこにいるのか分からなくなっていた。

「アミーカ、今日は本当にありがとう」
「あ?」
 本を胸に寝室で人型のアミーカを膝枕に寛ぐ。周りに迷惑をかけたのは分かっているが、今日は本当に疲れた。
「当然だろ」
「ううん、アミーカが感覚を言葉にしてくれて助かった。ありがとう」
「へっ」
アミーカはまた照れて肩を竦める。読みかけの本に栞を挟んで机に伸ばすとアミーカが代わりに置いてくれる。腕を伸ばしたまま脱力していると彼は私の髪を指で梳いた。
「私、結構警戒心強かったんだね」
「ん?」
「アミーカが言葉にしてくれて分かったけど、やっぱり月の子たちは姉妹みたいな感覚で接してたからお互い遠慮がなかったし、仲良しでも何でもない人に肌触らせるの嫌だったからさ」
「そんなん普通だろ」
「そうかな……」
「普通だっつの。そもそも、貴族どもも信用出来る人間にしか身の回りの世話させねえっつの。あいつら鈍すぎなんだよ」
「うーん、そう?」
「貴族の女どもの世話役は知り合いの子女だろって!」
「……確かに」
「お前にとっちゃ月の連中がそれなんだよ。あいつらはいいところのお嬢だし女の扱いは心得てる。お前もあいつらの動作覚えながらお互い補い合ってる。上下のねえ世話役だよ」
「……なるほど。そっか、なるほど」
騎士アレクサンドラがいるであろう扉の向こうを顎で示して彼は続ける。
「女騎士も女の扱いは心得てるだろうさ。でもお前にとっちゃ外界から来た知らねえ大人だ。同年代のお嬢様とは訳が違う」
「ああ、そっか……」
アミーカが感覚を次々に言葉にしてくれるので助かる。
「なるほど、私そういう風に思ってたんだ……」
「大体な、己の世話させるなら感覚と感情と記憶を共有してる使い魔が一番に決まってんだよ。俺以外必要ねえだろ」
「正直なところ本当にそう」
「人間より二匹目の使い魔増やせ。俺が上司としていびってやる」
先輩として優しく手取り足取り指導してくれるらしい。
「アミーカのお弟子さんか……いいかも」
使い魔が二匹三匹で周りをウロウロしているのは楽しいかもしれない。百匹は多いけど。
「俺が一番だぞ」
「勿論。どうせ増やすなら猫とか犬がいいなー」
「四つ足は馬鹿だからやめろ」
「差別!」
「オウムもダメだ。あいつら物真似ばっかりしやがって他がパァだぞ」
「鳥もダメじゃん! 何がいいの!?」
「そりゃー……」
言いかけてアミーカはとても悩んでいる。
「鷹……あいつら目は良いが馬鹿だな。鷲……肩に乗せるには重そうな。脳筋だし。同類も馬鹿は馬鹿だしな……。いっそ海の獣か? いや絶対馬鹿だな」
「差別……」
「やっぱり俺だろ」
「それはそうです。……使い魔はフィーリング最優先とは聞いたけど本当だよね」
「そりゃな」
「むぅ……」
護衛の断り方を考えておいた方がいいかもと思い始め、同時に眠気も覚える。
「難しいことは考えなくていいから寝ろ。明日も授業だぞ」
「うん……。アミーカ添い寝してって言ったらしてくれる?」
「へっ、やだね」
「してくれるんだ……」
照れ隠しで真反対のことを言われたのでふふっと笑う。
「子守唄歌って」
「歌えるか! カラスだぞ!」
「あはは」
アミーカに寝かしつけてもらい私は夜へ意識を放る。すやすやと寝息が聞こえて来る頃、騎士アレクサンドラは静かに涙を飲んでいたのだけれど、私は知る由もなかった。


「おはよう」
「おはようございます。ふぁう……失礼」
 また早くに目覚めてしまった私は月の子たちの髪を整え紅茶を淹れる。
「サシャ、大丈夫ですか? 昨日も早かったでしょう?」
「やー、ぐっすり寝てるからめちゃくちゃ元気」
「それなら良いのですけれど……」
「心配してくれてありがと」
「それはもう、サシャのことですから」
「へへへ」

 ルームメイト同士で髪を整え食堂を目指す。オルソワル・オルフェオやマシューと合流したところで騎士アレクサンドラが姿を現す。
「失礼致します、我が君」
「うわぁっ」
幽霊でもないのに出た! と思ってしまった。
「我が君、本日はタラクサクム伯爵への報告に戻りたく思います」
「ああっわかった。ゆっくりして来て」
何なら戻ってこないでと願うのは残酷だろうか。いや、護衛は本気でアミーカ以外要らないんだけど。
「昨日の今日で報告に? 早すぎはしないか?」
オルフェオは騎士アレクサンドラにそんなことを言う。彼女は左胸に手を添え頷く。
「いいえロード・ベルフェス。私がこのままでいる限り我が君は騎士として私を迎えることはないでしょう。故にタラクサクム伯爵へ詳細を報告し、指示を仰ぎたく思います」
「ほう」
オルフェオは腕を組み憮然とした顔でアレクサンドラを見る。
「ならば行きたまえよ。そのまま戻って来なくていい」
「うぇっ!?」
「行くぞサシャ」
オルフェオがそれを言うの!? と驚いている間に私は腕を引かれ騎士アレクサンドラからズンズンと引き離される。
「あらまあ」
「まあまあ」
ティアラ姉妹やマシューが追いついてもオルフェオは珍しく怒ったままツンとしている。
「な、何でオルがそんなこと言うの? 私じゃなく……」
「彼女は君を我が君と呼びながら指示を受ける先は我が父だと言った。雇用主の指示は聞くが守る対象の言うことは聞かないと言ったんだ。傭兵ならそれでいい。だが騎士ではない」
「えっ……」
思わず姉妹やマシューの顔を見るが彼らは肩を竦める。
「オルソワルくんに一票」
「わたくしも」
「わたくしもです」
「満場一致じゃないですか……」
「俺の一票もやるぞ」
「アミーカっ」

 さすがと言うか食卓に座るとオルフェオは機嫌を戻した。私がぼんやり伯爵にどう失礼がないように断るかと考えながら食事をしていたからか、オルフェオは私の顔を覗き込んだ。
「んっ? ごめん、なに?」
「まだ何も言っていない」
「あ、そう?」
「騎士をどう断るか考えていたのか?」
「げっ何で分かったの」
「そうだろうと思った。私は父が護衛を君にあてがうのはもちろん正しい判断だと思っているが、何も鵜呑みにしろとは言っていない」
「……そうだっけ?」
「うむ」
「何だ、そうだったの」
「ただ話も聞かず断るのはダメだと君に言いたかっただけだ。騎士たちは紳士淑女どちらも護れるよう教育はしっかり受けている。プロとして信頼はしていい。だが話を聞いた上で、彼らを近くに置いてみた上で断るなら君の自由だ。父はその辺り根に持ったりしないから気楽に考えてくれ」
「……わかった、どうしてもダメなら断る」
「それでいい」
断ってもいいと知って私は多少気が楽になり、胸を撫で下ろした。

 騎士アレクサンドラが実際にタラクサクム伯爵に報告へ行ったかはわからない。なんせ視界に一切入って来ないから、いるのかいないのか、いてもいなくても同じになってしまったからだ。
「騎士は?」
「さぁ……」
「ふむ。まあ、君にその後報告に来ないのだから気にしなくていい」
「うん……」

 二、三日経っても彼女は現れず、元の生活リズムを取り戻した私はお母さんに電話を入れる。お小遣いのことも含めて最近の出来事を話しておこうと思ったのだが……。
「仕送りィ!? バカねあんた……あんた送られる側よ!?」
「えっでもさ」
「でももへったくれもない! お母さんあんたにろくなお小遣いあげられなかったんだから全額自分に使いなさい!」
「全部!? で、でも結構あるよ?」
「いくら?」
「ボーナス付いてるけど三回で十五万くらい……」
「いいバイトじゃない! 続けな続けな! きちんとお金出してくれる雇用主は大事にしときなさい。別のところに移ってもいい場所勧めてくれるから」
「う、うん分かった」
「お小遣い足りてる!?」
「た、足りてる。大丈夫」
「ほんとね!?」
「うん!!」
「ならよし。あっ、ごめんちょっと。……はーい! 少々お待ちください! ……ごめんお母さん店番中なの、また今度ね」
「うん、いってらっしゃい」
と、母との通話はそれきり。命を狙われてるの何のは言い出せないまま終わってしまった。

 やっとの休日。護衛が付いたから外出許可が出て私はルームメイトに髪を整えてもらい、ラモーナさんのプレゼントを着て誰も連れずオールドローズ通りに出かけた。荷物もほとんどなし。鞄は小さなショルダーバッグだけ。
「ここ数日疲れたので自分の機嫌を取ります!!」
「いいんじゃねえか」
カラスのアミーカを肩に乗せ街をただプラプラと歩くだけだが、やっと息が出来る気がする。
「お小遣い何に使おうかな〜」
「あさ食って来なかっただろ、なんか食え」
「うーん、いい感じの喫茶店ないかな〜。使い魔同伴オーケーがいい」
「俺は食わねえぞ」
「そう言わずに」
「飯に付き合えってんなら食ってやってもいい」
「うん、アミーカとご飯食べたい」
「へいへい」
あちこちのお店を覗きながら使い魔同席不可の文字にがっかりし、朝食の場を決められないままでいるとアミーカが唐突に人型に姿を変える。
「あいついるぞ」
「どいつ? 騎士?」
「いや、黒い方」
「……えっ?」
「馬鹿、振り向くな」
窓の反射で見てみろと伝えられその通りにすると、確かに若干離れた位置に漆黒の男が佇んでいる。しかし奇襲をかけて来るでもなく何だかぼんやりとしている。
「何あれ?」
「知るか。移動するから抱えるぞ」
「任せる」
お姫様抱っこをしてもらった私はアミーカに魔力を注ぐ。私たちは煙となって……オールドローズ通りからやや離れた住宅地のそばに出た。
「お、こんなところにお店ある」
通りに面した部分が全てガラス張りの、小ぶりで明るく綺麗な食堂。使い魔食事可能の文字もあり私の表情は明るくなる。おまけに焼いたリンゴのいい香り!
「アップルパイだ!」

 人の姿がないので入るか悩んでいると、店主らしき人はカウンターの向こうで屈んでいたらしくアップルパイを焼いたプレートと共にひょっこりと現れる。東洋人の婦人は私を見るとちょっと驚いた顔をして、にっこり微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
「あの、開店してます?」
「してます」
「あ、よかった」
「どうぞお好きな席に」
滑らかに話すところを見るに通訳は要らなさそうだ。ほっとして壁際の小さな席を選んで座る。アミーカは私の正面に座る。店主は水と小さなメニューを持って来たが食べたい物は決まっていた。
「アップルパイください!」
「かしこまりました。お茶は? 赤? 緑?」
「紅茶で」
「はい」
ご店主は小さいお皿に一つずつ小ぶりなアップルパイを取り分け持ってきてくれる。
「どうぞ」
「おい俺は茶だけで……」
「きっと美味しいよ!」
「……わかったよ」
店主は厨房に戻ると紅茶を淹れ始める。私はお茶を待てずにアップルパイに齧り付いた。ザクリザクリといい音がしてリンゴの香りが鼻と口いっぱいに広がる。そしてあまりの美味しさにアミーカの腕を何度も叩いた。
(早く食べて早く!)
「は? そんな騒ぐほどじゃ……」
と、一口齧ったアミーカは想像以上の美味しさに一瞬身動きが止まる。
「……美味いわ」
「でしょ!?」
真ん丸のアップルパイは食欲旺盛の私には小さくて、もう一個! と追加を頼む。アミーカは小さい一つをじっくり味わって、何故か窓の外を見ているので視線を追うと漆黒の男がぽつりと立って私たちをじっと見ていた。
「いる……」
婦人はティーカップを私たちのテーブルにおいて紅茶を注ぎ始める。
「お知り合い?」
「いえ、全然。顔は知ってるんですが……」
「あら、そうなの」
夜と見つめ合いながら二個目のアップルパイを食べ終え、紅茶で口をさっぱりさせる。
「あー、美味しかった」
「なんかぼーっとしてんなあいつ」
「それ。ちょっと変じゃない? いつもの変とは別で」
アップルパイ勧めたら食べるだろうか? なんて。
それ以上考えずただ小花が散る可愛らしい白壁を見つめているとアミーカが緊張したのでまた視線を追う。漆黒の男は店に入って来ると至近距離まで来て私を見下ろした。初めて落ち着いて間近で彼を見て、服はヨレヨレ、髪も構わずバサバサなことに気付く。そして何より、彼は私を見ているのだ。視界に入れながら私を見ていないあの状態ではなく、私を見ていた。
「……なんかやっぱり様子が違うよね」
「そうだな」
「ねえ、座りなよ」
袖を引っ張ると彼は大人しく椅子に座った。
「面白いくらい大人しい……」
「なんだこいつ……」
「すみません、彼にもアップルパイと紅茶ください」
「かしこまりました」
婦人が「どうぞ」と紅茶とパイを置くと男は本能的に食べ物に齧り付いた。ザク、ザクと音を立てながらあっという間にアップルパイを食べ終えると紅茶を啜っている。
「食べた……」
「何だこいつ」
様子が変わった原因は何だろう、と腕を組む。
「記憶喪失?」
「お前の雷でか?」
「可能性として」
「なくはないだろうが……」
「うーん……」
二人で彼の顔をじっと覗き込むと男は私たちの顔を順に見つめ返す。
「でもよ、だったら何ですぐ逃げた?」
「拘束されてたから?」
「拘束されてても記憶飛んだら逃げるどころじゃねえだろ」
「そっか。……とりあえず病院連れて行かないと」
「お前未成年だろ」
「あっ、そうだった」
病院に連れて行ったところで診療代を払えるか分からないし、未成年なので保護者にはなりえない。
「えー、どうしよう」
「素直に学校連れてけ」
「大丈夫かなぁ連れて帰って……」
「いざと言う時は俺が動く」
「うーん、わかった……」
ひとまず支払いを終えようと触媒を付けバッグ片手に立ち上がる。
「すみません、お会計を」
「はい」
婦人が提示した額は何故か想定より安く、近くのメニューを確認すると紅茶の代金が入っていないことに気付く。
「あの、紅茶の分抜けてますけど」
「実はね、貴女たちが最初のお客様なの」
「え?」
「開店して一ヶ月目、初めて。だから紅茶は無料。これからもよ。だからまた来て」
「でも……」
「アップルパイ、よければお包みしましょうか?」
婦人は嬉しそうに微笑んでいる。美味しくて幸せになったのは私たちの方なのに、何故彼女がこんなにも幸せそうなのだろう。何だかくすぐったい。
「それなら、四つください。あっ、払いますから」
「かしこまりました。ちょっと待ってね」
彼女は残りのアップルパイを一つずつ紙に包んでくれる。
「……今度友だちと来ます」
「お待ちしております」

 アップルパイと漆黒の男をお土産として学園に戻るともちろん先生たちは大慌て。何があったのかざっと説明した私は先生の目を盗んでアップルパイ片手に抜け出した。

「みんなーっ!」
 クラスメイトに聞くとオルフェオはマシューと一緒に演習場だと言われ、向かえば丁度良くアガサとアリスもいた。休憩中らしき彼らの元に駆け寄ると運良くお茶も用意してあり、そのままお土産を差し出す。
「これ!」
「なに?」
袋をカサカサと開けたマシューはリンゴのいい香りを嗅いでうっとりする。
「アップルパイだ」
「一つずつあるの。みんな食べて。あっ、切り分けたりしないで。ガブッとそのまま!」
食前のお祈りも何もなし。四人ともお上品さは一旦置いといてパイにザクリと齧り付く。
「んん」
「……美味しい」
「本当に」
「どこの店の物なんだ?」
「えっとね」
 マシューたちがアップルパイを食べる間わたしはお店の話から今朝の出来事を説明し、彼らはあの男が大人しく捕まったことに大層驚いた。
「なんだか様子が変でさ」
「記憶と言うのはそんなに簡単に飛ばないと思うが……。しかし医師ではないし我々に判断は出来んな」
「うん。まあ先生たちがこのあと病院連れて行ってくれると思うんだけど」
「先生たちには説明したの?」
「してきたよ。ざっと」
アミーカはするりと影から出てきて口を挟む。
「こいつ、アップルパイが冷めちゃう! って説教そっちのけで早々に抜け出したからよ」
「まあ」
「サシャったら、いけない子」
「だってあったかいまま食べて欲しかったんだもん?」
「これは冷めても美味しかっただろうが、君の気持ちは汲もう」
オルフェオの言葉に満足してにんまりする。オルはそうだ、と口を拭く。
「ベッセルの騎士だが、父上には報告に行かなかったようだ」
「そうなの?」
「うん。私に小言を言われたからかどうかは分からんが、君の護衛を続けているらしい」
「何だ、そうなの」
(アミーカがいるから騎士要らないんだけどな……)
「それで、どうする? 断るか?」
「騎士? うーん、そうだね……。私がアミーカをきちんと指示出来るようになればいいし、人間の騎士はいいかな……」
「断りにくいなら私も加勢する」
「ん? うん、ありがと。でも自分で言うよ」
「そうか、わかった」
いつの間か私の紅茶も用意してくれたアリスがティーカップを手渡して来たので受け取り、口を湿らす。
「はぁ……」
「お疲れ様ですサシャ」
「うん、ありがと。午後もう一回息抜きに行こうかな……」
「ああ、そうだ。サシャ、午後は学校にいて欲しい」
「ん?」
「ラモーナ姉さんが来るそうだ。朝早くに君が出てしまったから伝え損ねてね。鳩でも飛ばそうと思っていたんだ」
「そっか、わかった」
「ついでにその姿を見せるといい。姉上も喜ぶ」
「似合いますよサシャ」
「ええ、素敵です」
「うん、今日も綺麗だよ」
「そ、そーお? へへ……」

「愛と美と少女たちのキラキラの伝道師、ラブ・ラモーナでございまぁーすっ!」
 昼過ぎ、元気いっぱいのラモーナさんがやって来ると私はプレゼントされたワンピースで出迎えその場でくるりと回る。
「まあ! 可愛い〜! サシャちゃん早速着てくださったのね! わたくし嬉しい!」
「似合いますか?」
「とーっても!」
「えへへ」
 場所を変えテラス席を取るとラモーナさんはいくつも持ってきた紙袋からドレスを取り出す。
「まずはこちらね! プレゼントよ」
「えっこの前も貰ったのに!」
「いいのいいの! あのね、こちらはポスターの時に着た夏の花のドレスをオレンジ色に変えたものなの。合わせてみて」
「ひえ〜短期間で二着も作ってたんですか? さすが……」
立ち上がってドレスを体に合わせてみる。サイズはもちろんのことぱっと見でもよく似合っている。
「アミーカ見て見て」
影からするりと出て来た彼は私を正面から見ると頷く。
「いいんじゃねえか」
「アミーカも嬉しいって」
「馬鹿、言うな」
「もう、照れ屋さん♡」
「ああもうっ」
アミーカは恥ずかしがって影に隠れてしまった。ラモーナさんは服を当てた私を満足そうに眺める。
「サシャちゃん肌が白いからどんな色でも素敵だけど、やっぱり似合うのはその朝焼けや夕焼けのオレンジなのよねえ……」
「……ああ」
オレンジは空の色なのか。ふと私は思い至ってドレスを持ったまま駆け出す。
「まあ! サシャちゃん!?」
「ラモーナさん今日カメラありますか!?」
「あるわ!」
「着て来ます! 撮って!」
「本当!?」
 寝室に戻って速攻ワンピースから夕焼けのドレスに着替え戻ってくると、ラモーナさんはカメラを設置し終えるところだった。
「早いですね!」
「サシャちゃんもね! そこ立って!」
「はい!」
学園の樹々を背景に写真を撮っていると生徒が通りかかる。
「あっあれラブ・ラモーナ!?」
「撮影してる〜。いいなー」
「私あれ買ったよ! オレンジもいいな〜」
生徒たちの取り巻きが出来てくるとさすがにちょっと恥ずかしい。
(まあでも……)
ラモーナさんはいい笑顔で私を撮ってくれている。
(喜んでもらえるからいっか)
「ラモーナさん、オレンジも販売したらどうですか?」
「ピンクと黄色は発表したけど、オレンジはサシャちゃん専用ですの♡」
「わー、贅沢」
「体だけ左に向けてくださるー? そう、可愛いわよー」
 ラモーナさんは満足したのか早々にカメラを片付け始め、腕時計を確認している。
「お急ぎですか?」
「チェリーちゃんたちにもプレゼントがあるの!」
「あら、そうだったんですね。引き止めてごめんなさい」
「ううん! 思わぬサプライズでわたくしも嬉しい! ありがとうねサシャちゃん♡」
「いえいえ、こちらこそ」
「それでね、真面目なお話なんですけれど……」
「なんでしょう?」
「モデルのお仕事、どうします? 続けてくださる?」
「あっそうだ、そのことなんですが」
今朝の出来事をラモーナさんにも説明すると彼女は大層喜ぶ。
「捕まったのねあの人!」
「はい。だからひとまずは安心して外に出られるかなと。先生の判断にもよりますが」
「よかった! でも警備は付けてもらいましょう! サシャちゃんに何かあったらわたくしもオルちゃんも嫌ですし」
「そうですね……」
警備と聞いて騎士を思い出す。多分その辺にいるだろうけど。思わず溜め息が出てしまい、ラモーナさんは私の顔を覗き込む。
「どうなさったの?」
「実は、その……」
お父さんのアンリさんが来たことから騎士の話をするとラモーナさんは普段と違い真剣な顔になる。
「それはわたくしの父が悪いわ。ごめんなさいサシャさん。改めてお詫びします」
「え、いやそんな」
「オルちゃんには話しまして?」
「近くにいたので全部見てます」
「そう。彼はなんて? 賛成していらした?」
「いえ、話を聞くだけは聞いて、そのあと好きに判断して欲しいと」
「なるほど。お父様の肩も持ちつつと言う感じかしら」
ラモーナさんは腕を組んで悩みの表情を見せている。
「わたくし、確かに護衛をつけた方がいいとは申しましたの。サシャさんが危ないのはその通りでしたし。けれど騎士を付けろとは言っておりませんから、それは父の独断ですわ」
「ああ、そうなんですね」
「ええ。それに騎士とはわたくしたちのような特定の血筋を護るため幼い頃から世話をしてくださる者たち。決して一朝一夕で出来上がる関係ではございません。父はそんな基本的なことも忘れたのかしら。それともサシャさんを見くびっているのかしら。父が戻り次第わたくし直々に叱ってきます」
「ええっそんな。私ただでさえごねたのに」
「いいえ、嫌がって当然です! 全く、ベルフェス家当主のくせに聞いて呆れるわ」
「そ、そこまで言わなくても」
「いいえ、言います!」
「ひょえ……」
ラモーナさんが怒ったところ初めて見た……。
「それに騎士の方も騎士ですわ。視界に入ってくるなと命令されたのなら徹底して続けていればいいの、半年でも一年でも。我が君と呼んだのならその者を第一とし、どんな命令でも聞き可能なことは全て叶える。雇用主の言うことだけ聞きたいなら傭兵でも何でもおやりなさい。ですがその態度で騎士と名乗ったら許さないわ」
「オルも怒ってましたけどそう言う……?」
「当然です。わたくしにも騎士がおります。弟にももちろん。騎士はおのれの主人と独自の関係を作ります。わたくしなんて撮影スタッフに混ぜているのよ?」
「えっ!? あの中に騎士が!?」
思わず誰だろうと記憶を探る。
「ええ。平時は撮影、スケジュール管理、モデルのお世話、何でもさせています。今日も連れ歩いていますわ。離れたところに待機させておりますけれど。弟のオルソワルだってそう。学園内には入れませんけれど、毎日のように連絡は取っているでしょうし学園の外へ出るなら連れ歩いています。ですが先ほど申した通り、わたくしもオルも十年二十年連れ歩いた騎士です。もしサシャさんにあてがうなら同年代の、出来るだけ学校内でも一緒に行動出来る女性の騎士見習いにするべきですわ」
「なるほど……?」
「“とりあえず与えるだけ”などと言うのは騎士にも主人にも失礼です。ああもう、腹が立ってきましたわ! この後のスケジュールを変更してすぐ父に抗議します! お待ちになっていてサシャさん!」
「あっあのっ、ほどほどに!」
「いいえ、ビシッといきましてよ! ではご機嫌よう!」
「ああっ……」
プンプンしつつラモーナさんは荷物を持って行ってしまった。
「だ、大丈夫だろうか……」
「代わりに断ってくれそうだぞ、よかったな」
「良かったのかわかんない……」

 夜、本を読んでいると部屋を訪れる人がいてすぐ来てくれと言う。行き先は校長室。
(何か悪いことしたっけ)
(まあ優等生じゃあねえな)
(ひどい、全部巻き込まれてるのに)
 アミーカを肩に乗せ訪れると校長先生、副校長先生、ミューア先生デルカ先生その他諸々。お叱りだろうか、と私は一瞬気が遠のく。
「座って、バレットさん」
「はい……」
しかし校長先生の口から出て来たのは夜のような男のことで、報告内容は驚くべきものだった。
「せ、洗脳?」
「彼は長いあいだ呪術にかかっていたようで、つい先日解けたようでな。一種の虚脱状態だそうだ。ぼんやりしていたのはそのせいだそうだよ」
「医師の話ではバレットさんが彼の頭に雷を通したのが呪いを解いた直接の原因だろうと」
「なんと……」
「ああ、だから捕まってすぐは逃げられたんだな」
「どゆこと?」
「呪いってのは一気に解けねえんだよ。掛けられる時もだんだん変わるが、解けるのにも時間がかかる。逃げたはいいが術が解けて、ぼんやりしてたところにお前がいて顔知ってるから追って来たんだろう。自分が何してるか分かってなかったんだなあいつ」
「あら……」
「彼はいま病院でさらに詳しい検査中ですが、自分が誰かも分かっていないし身元を示すものも何も持っていないの。何者か調べるには時間がかかるわ」
「そうですか……」
「と、まあ話はこのくらいでな。あとは大人同士で会議じゃ」
「え、でも」
「調査には専門の人間が当たりますから、これ以上の深入りはダメですよ。いいですね?」
「は、はい……」


 と、何だか慌ただしく迎えてしまった日曜日。いよいよオルソワル・オルフェオの契約相手、ジョゼット・フローラさんが転入してくる日となり寮の周りは騒がしくなる。私も早起きして朝焼けの花のドレスに袖を通し男女寮の広いロビーへ向かうとマシューとオルフェオが既にジョゼットさんを迎えに出て来ていた。
「あああどうしよう。マシュー、ネクタイは曲がっていないだろうか? うっかり髭を剃り残していないだろうか?」
「大丈夫だよ、オルソワルくん」
「ぶっ」
敬愛する女性とあってか藍色のスーツ姿のオルソワル・オルフェオは、普段のキリッとした表情からただの恋する男の子になっており微笑ましくて笑ってしまう。
「オ、ル」
「はっサシャ! わ、私の格好は大丈夫だろうか!?」
「いつもの凛とした王子様はどこ行ったのよ。ほら、背筋伸ばして」
「はっ」
ギュ……と口を閉じてるのが可愛らしく後から来たティアラ姉妹とニンマリする。
「大丈夫よ。ねえ?」
「いつもの清楚な身なりよ」
「よ、よかった」
「ふふ、オルったらジョゼットさん大好きなのね」
「だいっ……!? い、いや! 我が月を敬愛するのはもちろん!!」
「あらサシャったら」
「ダメよ、隠さずに言っちゃ」
「あらごめんなさい?」

 白む空に浮かぶ月とでも言おうか。その人は髪もまつ毛も真っ白で、肌も透き通るように白く、瞳を見れば白銀の月と見紛うほどの美貌で……オルフェオが幼き日に一目惚れをしたとしてもおかしくない深窓の令嬢だった。
(月の女王に一番似てるなぁ)
「わっ我が月っ」
緊張して声が上ずるオルフェオ。そしてその両側にはまた別の美少女たち。片側は月の系列だなとわかりやすい亜麻色の長髪に水色の瞳の少女。そしてもう一人、首元がスッキリ見える短髪と高い背が美しい金髪碧眼のどことなく見た顔。
(ん?)
「ああ、我が太陽」
嬉しそうなジョゼットさんは真っ直ぐオルフェオの腕の中に。オルフェオは緊張してガチガチだが愛しい月に触れると顔が綻ぶ。
「お会いしとうございました、我が太陽。オルフェオ様」
「わ、我が月。あ、えっと、お久しゅうございます」
「いやーこっちがニヤニヤしちゃうわね」
「サシャったらダメよ。そう言う時は口元を隠すの」
「なるほど。おほほ」
「まあ、うふふ」
「オルフェオ様、そちらの御方は?」
「はっ。ご、ご紹介致します。彼女はミス・バレット。太陽の御子です」
オルフェオの紹介を受け私はドレスの裾を持ち膝を落とす。月の御子ジョゼットさんは初めて太陽属性の女性を見たのか目を丸くする。
「初めましてレディ。サシャ・バレットです」
「まあ、太陽の御方?」
「はい、よろしくお願いします」
「まあ、そうなのですね。よろしくお願い致します」
ジョゼットさんはふわふわっと笑う。
「可愛い……。私が恋しちゃいそう」
「まあ、そんな」
ジョゼットさんは顔を赤らめてしまった。ヤバいわこの美少女。パッとしない男子が一回で落ちるわ。
「オル、ちゃんと捕まえておかないと他の男子が恋しちゃうわよ」
「なっ!?」
「ふふ。サシャさん、あんまりからかっちゃダメだよ」
「本当よ。女の子だって恋をしそうだわ」
「そんなことは……」
「困った、無限にニヤニヤしちゃう」
「サシャ? 口元を押さえましょ」
「おほほ。あ、そうだ。ごめんなさい後ろの方は?」
「ええ、彼女は……わたくしの騎士です」
亜麻色の髪の乙女は飾り気のない藍色のドレスの裾を持ち膝を落とす。
「デルフィーヌ・ミューアと申します。お見知り置きを」
「あらっ!」
ミューア家と言うことはオーレリア先生の家族か親戚と言うことになる。
(やっぱり一族総出で騎士なんだなぁ)
「よろしくお願いします」
「宜しくお願い致します」
「と、彼女は……」
ジョゼットさんは金髪碧眼の乙女に目配せをすると私の前に行くよう手の平で示す。私より少し背の高い、紳士服に身を包んだ少女は目の前に来ると左胸に手を添えお辞儀をする。
「ダリア・ベッセルと申します。我が君」
見覚えのある顔と思ったらやはりベッセル家で、彼女はにっこりと笑う。彼女とは反対に私はこめかみを押さえた。
「ラモーナさん……」
「はい! ミス・ベルフェスの紹介により貴女の元へ参りました。見習いであった私ですが本日から貴女の騎士として」
「わかった、わかりました。詳しくは後で。まずレディをお部屋へご案内しないと」
「はい! 我が君!」
「なぁ〜にが、我が君だ」
私の影から人型のアミーカがズルゥッと怨念のように出てくる。彼は騎士ダリアの至近距離に立つと思いっきりガンをつける。
「てめえ、誰に許可得て喋ってんだアァン?」
「アミーカよしなさい! 他の人も見てるのよ!」
「アミーカ様の事はお聞きしております! 助手として是非に」
「誰が助手だコラァ! てめえなんぞ認めねえ!」
「アミーカ!」
羽根を広げて喧嘩を売るアミーカ、ひるむどころか嬉々として話すダリア、それに加えて。
「まあ、カラスの精霊様。タラクサクム伯爵とおんなじ。ねえ、オルフェオ様?」
この状況でもふわふわのジョゼットさんと、現場は混沌としてしまった。
「もうっ! いいからお部屋に行きましょう! ほらアミーカ影に戻って!」
「フン! やだね!」
「ああんもうっ!」

 何とかして部屋に戻ると、私のいる六人部屋に全員入っていくので困惑する。
「んっ!? あれっ!?」
ルームメイトの二人はおらずお部屋も空。何がどうなっているのか一人で焦っていると向かいの部屋から元・ルームメイトが顔を出す。
「ご機嫌ようバレットさん」
「ご機嫌よう。お部屋のことなのですけれど」
「二人とも動いちゃったの!?」
「ええ。だってバレットさんレディ・アガサとレディ・アリスと大変に仲がよろしいし、ねえ?」
「ええ、わたくしたちは自分のことは自分で出来ますから。騎士たちも同じお部屋の方がお守りしやすいと思いまして、自ら移動の届けを」
「そんなぁ! せめて相談してよ!」
「ごめんなさい。でもほら、お向かいですから。いつでも顔を出せますよ」
「今度お茶会に呼んでくださいな」
「ふ、二人ともぉ……!」
なんていい子たちなのか。涙をじょびじょび流している後ろで騎士ダリアやジョゼットさんとその騎士デルフィーヌさんはいそいそと荷物を解いている。
「ジョゼット様、荷物はお解き致しますのでお座りに」
「いいえ、いいえ。自分でします。だって初めての学校だもの。オルフェオ様にも再びお会いしたいし。うふふ、服を決めなくては」
「ではお召し物を先に」
騎士ダリアは荷物を手早く片付けお向かいから戻ってきた私の前でピシッと立つ。
「我が君、まずお話を」
「……ええ、そうね。私の寝室にどうぞ」

 外へ出すのを躊躇するほどアミーカが苛立ったままだが覚悟して呼び出す。出て来たアミーカは人型を取ったが羽は広げ表情も固く完全に警戒状態であちゃあ、と思わず溜め息。
「アミーカ」
「よろしくお願い致します!」
「ダリアさん、ちょっと静かに」
「はい!」
「あのねアミーカ、言葉にしなくても私の一番はアミーカだってわかるでしょう?」
アミーカは黙ったままだ。ふうと息をついて続ける。
「ダリアさんは私の騎士として派遣されて来たけど、まだお受けするかわからないんだから。それに」
(恒星の王と月の女王との接触はこの子は知らないわけだし、今のところ共有する気ないし。他にも細々した情報はアミーカしか持ってないんだから)
と伝えるとアミーカは広げた羽根をゆるめ私の顔を見る。
「焦る必要ないでしょう? 自分でも言ってたじゃない。私の感覚と感情を真っ先に理解してくれるのはアミーカなんだから、どうしたって彼女は理解力では使い魔の貴方に劣るの。わかる?」
アミーカは拗ねてはいるものの羽根はほぼ閉じた。よしよし。
「で、ダリアさんね。言っとくけど私、人の騎士を身近に置くには抵抗があるの。正直お受けするか分かりません。でも同じ部屋ならルームメイトとして接します。よろしい?」
「はい!」
「私のことは名前、かつ“さん付け”でよろしく。様、とか我が君はなし。いい?」
「はい、我が君! ではなくサシャさん!」
「そう。ルームメイトとして、これからよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願い致します!」
騎士ダリアはそれはもうニッコニコ。アミーカは拗ねてはいるが私の影に戻った。後は騎士アレクサンドラだなと思っていると校内放送がかかる。
「ミス・バレット。ミス・ベルフェスからお電話です。姿見の部屋までお願い致します」
「ラモーナさんから?」

 姿見の部屋。つまり相手の姿を見ながら通話ができる魔法専用の部屋なのだけど、普通はただの電話で足りるので余程のことがないと使えない、生徒たちには憧れの部屋だ。
通話を受け取るとラモーナさんはドレスとお化粧をばっちり決めていて由緒正しいご令嬢の姿だった。ただし涙で化粧が落ちている。
「サシャちゃん! ごめんなさいわたくし、本当にごめんなさい!」
「ラモーナさん落ち着いてー」
「うっうっわたくし、わたくしスケジュール管理をうっかりしておりまして、とある御方が主催するチャリティーパーティーのことをすっっっかり! 忘れておりまして! 本来なら騎士を自らお連れしてご紹介しなければならなかったのに〜!」
「わかってます。大丈夫だからパーティーに集中なさって。騎士に関してはこちらで様子を見ながら考えますから」
「本当にごめんなさい! これでは父を叱った己が恥ずかしいですわ!」
「主、そろそろ」
「ふぅう〜! ごめんなさい! また夜お話ししましょうサシャちゃん!」
「気にしないでください。また後で」
「ありがとう、ありがとう! 大好きよサシャちゃん!」
「私も」
通話を終え溜め息と共に部屋から出ると騎士ダリアがピッと姿勢を正して待っている。
「ラモーナさん、今日都合付かなかったんだね」
「はい。出発なさる直前まで私といらっしゃいましたがミス・ベルフェスの騎士がやって参りまして予定が重なっている、と」
「そう」
私が歩き出すと騎士ダリアは半歩後ろからついてくる。
「横に来て。お話ししたいから」
「はい!」
「元気ね」
「それだけが取り柄ですので!」
「そう。ねえ、ベッセル家なら騎士アレクサンドラとは血縁?」
「はい、アレクサンドラは姉でございます」
「姉妹だったの。他に兄弟はいるの?」
「直接血の繋がっている者は七人おります!」
「七人兄弟!? 多いね!?」
「はい! みな騎士として育ち、また見習いとして修行中の身です。尊き方にお仕えする私たちは何人いても足りませんし、お仕えする方の好みもございますから幼い頃から日々修行を」
「そう、大変ね」
「いいえ、尊き方にお仕えする喜びの方が勝ります」
「そっか。……私ね、自分の力で獲得した関係とは別に生活に人が入ってくるの嫌で、アレクサンドラさんにはかなり強い拒否をしてしまったの。謝りたいから姿を見せるよう伝えておいてくれる?」
「畏まりました」
「ありがとう。それから貴女も私を主人と思わなくていいから。タラクサクム伯爵やラモーナさんには悪いけど、お断りする可能性も捨て切れないの」
「はい、よくよく理解しております。ミス・ベルフェスから己の存在を押し付けぬよう気を付けるようにと言いつけられましたから」
「さすがラモーナさん……」

 新しいルームメイトたちが転入手続きに忙しかったりプライベートを楽しんでいる傍ら、私はゆるい部屋着に着替えて拗ねたアミーカの機嫌を取るついでに、彼の膝で寝っ転がりながらお菓子をぽりぽり。ノックの音がしたのでどうぞと伝えると騎士アレクサンドラが顔を見せる。
「お呼びでしょうか、我が君」
「呼びました。そこに座って」
ベッドの縁を示すと彼女は一礼してベッドに腰掛ける。アミーカは第一印象の悪さから彼女を睨みつけており騎士ダリアとは別の意味で警戒している。体を起こした私は騎士アレクサンドラの隣に移動する。
「まずは、ごめんなさい。貴女もお仕事で来ているのに強く拒否してしまって」
「いいえ、騎士に謝る必要などございません。私こそ大変に申し訳御座いませんでした。何の説明もなしに見知らぬ者が訪れたら驚かれるのは当然のことでございます。それを拒否されたからと焦って対策を練ろうとし、あのような愚行をおかしかけました。重ねてお詫び申し上げます」
首を横に振り、アレクサンドラの右手に自分の手を重ねる。
「本当に、ごめんなさい」
「ああ、我が主は本当にお優しい。この身に余る幸せ」
「でも、だけど」
「は」
「私、騎士に仕えていただけるほどの身分ではないので。お断りする可能性はまだ高いです。これについてはダリアさんにも申し上げました」
「畏まりました。では引き続き見えぬ位置からお守り致します」
「フン、何がお守り致しますだ。お前あの真っ黒野郎がチョロチョロしてても出て来なかったじゃねえか。何してた? 立ったまま寝てたのか?」
「アミーカ!」
「申し訳ございません。敵意がなかったものですから対応に悩みまして」
「へえー」
「アミーカ、いじめないの」
「いじめてねえ。これは至極真っ当にお前の護り手としての怒りだ」
「もー、分かってます。でも結果的に私が無事なんだからいいでしょう?」
「おめーが怪我してからじゃ遅いんだよ」
「それはそうですけど〜。もう……」
溜め息が出る。分かってはいる、みんな心配してくれてそれぞれ行動している。だけど、
(みんな上手くいかないもんだな……)
落ち込んでいると騎士アレクサンドラが肩に手を添えてくる。
「我が君、ダリアからお聞きしたのですがその……呼称に関しても変えた方がよろしいですか? 彼女には我が君や名のあとに様と付けぬようにと言い付けなさったとか」
「え? ああ、そうだね。貴女からはまだ様、くらいならいいんだけど、我が君は困るかな」
「畏まりました。ではバレット様とお呼びいたします」
「うん、そうして」
「では……警備に戻ろうと思いますが、なにか申し付けはございますか?」
「次は視界から消えろとは、言わないから。でも近すぎない場所にいて。声をかけるのはルームメイトのダリアさんが先になると思うから」
「畏まりました」
「それじゃ、行っていいよ」
「はい。失礼致します」
騎士アレクサンドラはまた寝室の前で一礼して去った。
私は力を抜いてアミーカの膝にパタッと倒れる。
(疲れた……)
「今日もう、なんもしたくない」
「しなくていい」
「……また外行こうかなー……」
「どこがいい? パンケーキ食いに行くか?」
「うーん、そう言う感じじゃない。公園とか、散歩とか」
どこがいいかな、とアミーカは考えているみたい。私はもう何も考えたくなくて目を瞑る。
(どこにも行きたくないけど、ここも嫌だな)
「いいところがある」
「お任せする……」
アミーカは食べかけのお菓子と私のコップを掴むと、毛布でぐるぐる巻きにした私を担いで窓から飛び立った。

「何故私はぐるぐる巻きにされているんでしょうか……」
「寒くねえだろ」
「うん、まあ」
 建物が一切見えないような学園の森の深く。景色のいい丘の上で私は芋虫のような姿でただぼんやりとアミーカの膝に抱っこされていた。
「ん」
「ほぁ」
アミーカは自ら話しかけては来ず、お菓子を私の口にぽいっと入れる。周りは鳥の声や虫の声がするけど、話しているのは私たちくらい。ぽりぽりとお菓子を一つ食べ終えると私の使い魔は黙って次を差し出してくる。ぽりぽり、ぽりぽり……。
「お前さ」
「んー?」
「嫌なことがあるとよくこう言う場所に逃げてたろ。入学してから一度もしてねーぞ」
「はっ」
言われてみれば。
「お前、自分が思ったより疲れてんだからな。本気で自分の機嫌取れ。他人に神経使いすぎだ」
「……でも」
「あー! うるせえ! 余計なこと考えんな! ほれ!」
「ん」
ここ最近の目まぐるしい出来事を整理しようとすると問答無用でお菓子を突っ込まれる。ぽりぽり……と軽い音が響き私の心は再び静かになる。
「私の使い魔、有能……」
「へっ!!」
盛大な照れ隠しを受け取りニンマリした時、頭上に影が落ちる。
「ん?」
「あ」
大きな羽根の音と共に現れたのはマシューの使い魔、オウルさん。白銀の甲冑から白い羽根が覗く彼は本当に、昼でも夜でも美しい。
「やはりここか」
「フン」
「皆さまが探しておられましたよ、花嫁」
「んー……そろそろ戻るか」
「戻らんでいい! 今日一日こうしてて良いくらいだぞお前!」
「なんかね、アミーカが言うには私は自分で思ってるより疲れてるんだって。ぼーっとしてろって」
「……左様でございますか。では私も失敬して」
「てめえなに横に座ってやがる。向こう行け真面目が感染る」
「私とて貴様の横に腰掛けるのはどうかと思うが、先程から花嫁の膝下がふらふらと不安定なのが気になってな。花嫁が足を冷やしたらどうする」
口喧嘩をしながらオウルさんは私の膝から下を自分のあぐらの上に乗せるし、アミーカは姿勢を調整して私がより座りやすいよう体勢を取っている。連携は取れてるのに口では喧嘩……。
「さては君たち、仲がいいな?」
「「どこが!!」ですか!」
「息ぴったりじゃん」
「こんな奴と仲良しにされてたまるか! こいつ俺が使い魔になった途端速っっ攻嫌味言ってきやがったんだぞ!」
「花嫁よ、何故こんな粗暴な男を使い魔としたのですか! 教育に宜しくありませんよ!」
「ぶふふっ」
捲し立てる勢いもよく揃っていて面白い。私がふつふつと笑っていると二人は口喧嘩をやめ、お菓子を私の口に入れてくる。ぽりぽり、と音がしてまた静寂が訪れる。
「私、子供の時さー」
「なんだ」
「リル以外にもね、泣いたり落ち込んだりして家の近くの丘に逃げると必ず迎えに来てくれる人がいて」
幼い頃の少ない記憶が掘り起こされる。そっけない青いシャツの男の人。父でもなくご近所さんでもない人。
「泣いてると絶対来てくれたの。でも何で泣いてるの? とか聞かない人で、泣き止むの待ってくれていつも小さな飴かクッキーくれたの」
顔を覚えていない誰か。首から上がはっきりしない人。
「いつもお世話になってるからお礼がしたいって思って、その人のお家を自分で探そうとしたんだけど見つからなくて……。ふふ、それでまたぴーすか泣いてたら来てくれたんだよね」
子供ながらに真剣だったがいま思うと間抜けだ。
「お礼に用意した花だか手紙だかクチャクチャにしちゃってさ、馬鹿でしょ? 手渡す時にはぼろぼろなの。でも貰ってくれたんだその人。その人……」
「人間じゃなかったんだろ」
「多分……。中等部に上がる頃にはもういなかったの。精霊だったかもしれなくて……いま思い出した」
「貴女は神々の花嫁ですから、精霊たちは必ず見守っていたでしょう」
「やっぱりそうなのかな……」
そっか、と呟いてまた鳥たちの声を耳にする。アミーカが黙って差し出すお菓子をぽりぽり食べて……。
「色んな人が、世話焼いてくれるじゃん?」
「まあな」
「分かってるのに、親切だって。分かってるのに自分が望まないことされて煩わしく思っちゃうの」
「そんなもんだろ」
「我が主はその辺り敏感に感じ取っておりまして、今日も本来であれば放って置こうと」
「マシューもしかして念力使える……?」
「いえ、坊っちゃまはそう言う技はまだ」
「だから真面目か!!」
「ぶはは」
息をつき、ぐるぐるの毛布から抜け出すため身をよじる。
「芋虫からの〜羽化!」
両腕を突き上げるとオウルさんが拍手をくれる。
「いや何だよ」
「花嫁が一つ成長なされたので」
「てめえのすっとぼけは天然か? わざとか?」
ぐるぐる毛布を自分で取ろうとするとアミーカたちが手伝ってくれる。靴を履いて来なかったから靴下を脱いで素足で丘の上に立つ。体をぐっと伸ばすと大きく息が吸えた。
「あー……」
アミーカたちは座ったまま私の背中を見ている。
「……えーい、皆のバーカ!!」
「お、いいぞ。その調子だ」
「バーカ! バーカ! おたんこなす! 痩せたにんじん! 好き勝手言いやがってバーカ!」
「そうそう、それでいいんだよ。あいつらお前のためとか言って己の調子で振り回してるんだからよ」
「ああ、オルフェオ坊っちゃまなどはその辺り不得手ですからな」
「やっぱりそうか。親父もだろ?」
「はい」
「カーッ、そこまで似なくていいだろうに」
「うおー! バカー! あほー! 大好きー!」
適当に叫んでその場でバタバタしてやっとすっきりする。
「私さぁ!!」
「おう」
「よく考えたらお洒落な服と靴で喫茶店でオホホとか言うタイプじゃなくない!?」
「野山駆け回ってるタイプだな」
「そう!! 向いてない!」
「かもな」
「走って帰る!」
「さすがにやめろ、遠いぞ」
「うが〜!!」
「わかった! わかったよ! 好きなだけ走れ!」
「やったー!」
靴下も食べかけのお菓子も何もかも任せて、私は乱れる髪もそのままに森を走る。小さい頃は足の裏が痛くても気にしなかった。ムカつく男の子は殴り返してた。長い棒は振り回したし女の子らしい人形遊びなんてしなかった。丘と森が友だちだった。
久しぶりに森の空気を吸って、私の心は晴れ渡った。

「ふぃ〜」
「本当に走って帰りやがって」
「スッキリした……」
「早く足の裏洗え! ズタズタだぞ!」
「いや、多分もう治っちゃってる」
「余計にさっさと洗え!!」
 汗だくの部屋着のままシャワー室に飛び込み、バスタオルだけで出て来ると騎士ダリアが着替えを持って待っていてびっくりする。
「何で!?」
「はい! アミーカ様がお召し物を持って行けと!」
「さすがアミーカ……」
髪を乾かしたり整えたりは騎士ダリアがやってくれて、私はのんびりミネラルウォーターを飲む。
「ぶぁー、うまい」
「ジョギングをなされたのですね」
「うん、なんかモヤモヤ溜まりすぎて。今度から週一回は走ろうかな」
「健康的で素晴らしいと思います!」
「そーお?」
「はい!」
「……ダリアも一緒に走る?」
「よろしいのですか!?」
「うん。来週から……どう?」
「是非お供させてください! 己の体も鍛えられますしサシャさんの健康にもよいです!」
「そ。じゃあ来週土曜か日曜ね」
「はい!」
「そうだ、オルフェオも誘おう。男だしついて来れるでしょ」
「良いんじゃねえのか」
「お、アミーカくん。着替えありがとう」
更衣室にいるのでさすがに影に引っ込んだままだがアミーカはそばで待ってくれていた。
「フン」
「まーた照れ屋。ね、あとでハンバーグ食べよう」
「貰ってやらんでもない」
「ほんと素直じゃないんだから。……そうだ」
「ん?」
「いいこと思いついた!」
明るい表情の私と裏腹に、アミーカは溜め息をついた。

「オルフェオはいるかーっ!!」
「な、なんだ?」
「おいあれ」
「ああ、太陽クラスの……」
 オルフェオの居所を聞いたら一度男子寮に戻ったらしい。私は馬鹿みたいに外から大声を出す。しばらく待つとバタバタ走る音がして王子フェイスが顔を出す。
「どうした!?」
「このサシャ・バレット、貴公に勝負を挑む!」
ビシッと彼を指差すと周りがざわめく。
「勝負?」
「おいなんか面白そうだぞ」
「何故急に!」
「競争相手が必要なの! 大演習場借りてくるから運動着に着替えてきて!」
「……わかった!」
「おっしゃあ!」
私とオルフェオはそれぞれに駆け出した。

 予告の仕方が悪かったのか。いつものメンバーにジョゼットさんを足す程度で考えていたのに大演習場にはネオやチェリー、騎士、他の学年の観客も増えてしまって想定外の状態になっていた。
「何でこんなにいるのぉ……」
「だって面白そうだし、ねえ?」
「ねえ?」
「一体何で勝負するんだ?」
「ん、ああ」
私は借りてきた競技用のゴール旗を見せる。
「簡単に言えば旗取り競走。本来は三点先制で勝ちだけど、あんたと私なら体力あるし十点先制にしよう」
「なるほど、わかった」
「誰かに審判頼みたいの」
「俺がやるよ」
「ありがとうマシュー!」
「では点数の記入はわたくしたちが」
「お願いね!」
 マシューとティアラ姉妹に記録と審判を頼み、私はゴールラインを引いて掘った穴に旗を立てる。オルフェオと入念に柔軟をしてから位置に着く。
「よーい……」
ピッ! マシューの笛と共に一気に駆け抜け一本目の勝利を掴む。
「おっしぇえい!!」
「速い!」
「おお、バレットさんいいぞー」
「君、そんなに足が速かったのか」
「イェーイ、一点目ー。さあ次ー」
 次の準備をして位置に着くと思わぬ人が声を上げる。
「オルフェオ様、頑張ってくださいませ!」
振り向いたオルフェオに向けられる真っ白美少女ジョゼットさんの笑顔。周りはニンマリ、本人は赤面。
「頑張れってよー」
「うるさいっ」
「位置について、よーい……」
ピッ!
加速をつけたオルフェオにちょっと焦ったものの二本目も私がゲット。
「っしゃああーい!!」
「くっ……」
「おいオルソワル負けてんじゃねーぞ!」
「そうだそうだ! 相手は女だぞ!」
「べーっだ」
野次に向かって舌を出し、次の準備をする。
「位置についてー、」
笛の音と共に走り出すも、要領を掴んだオルフェオが一気に駆け抜ける。
「っしゃああ!」
「うおお!」
「一本取った! 一本取ったぞ!」
「まだ一本でしょー!」
「サシャ、頑張ってくださいましー!」
「頑張ってください! 我が君!」
「もー! 我が君は禁止!」
「すみません! つい!」
 その後も旗を取って取られて、五本ずつ取った辺りから私たちは息が上がり始める。
「はぁ、はぁ……」
「ふふふ、結構、運動量あるでしょ……」
「君、よく足がもつれないな……」
「はぁ。近所のバカと伊達に、森走ってないからね……」
「なるほど、その、体力と持久力はそうやって……鍛えたのか……」
二人とも水を飲み再び位置につく。
「オルフェオ様ーっ、頑張ってー!」
「両方頑張れー!」
「よーい!」
 その後も一点ずつ取って取られてを繰り返し、私が先に九点を取った。
「おいベルフェスやべーぞ!」
「負けんな! 賭け金がパァになる!」
「誰よ賭け事したのは!」
水分休憩を挟み位置につく。これで取れば勝てる!
「よーい!」
笛の音と共に走り出す。しかし、
「あっ!?」
「ああっ!」
オルフェオが途中で転び、私は慌てて彼の元へ駆け寄る。
「大丈夫!? 足捻ってない!?」
「……平気だ」
立ち上がるのを手助けするとオルフェオは意外そうに私を見る。
「今ので君は勝てたのに」
私は肩を竦める。
「そんな勝ち方つまんない」
「ふっ、君らしい。後悔するなよ?」
「取れるもんなら取ってみー」
仕切り直してスタートするとオルフェオが旗を取った。
 お互い同点。次で勝負が決まる。野次も声援もなくなり全員息を飲んで待つ。
「よーい……」
笛の音が鳴る。息は上がってとっくにへろへろの私たちはほぼ同時に旗に手を伸ばす。しかし一瞬、オルフェオの方が早かった。
「うおおおおー!!」
「さすがオルソワル!!」
「ヒュー!!」
「オルフェオ様、素晴らしいです!」
「ひー、負けた負けた……」
「いや、サシャ」
オルフェオは旗を私に差し出した。驚いて見上げると彼は爽やかな笑顔を見せている。
「さっき君は勝てたのに私のために戻ってきた。だからこれは君のだ」
「……そう言うことさらっと言えちゃうのがあんたよね!」
私はオルフェオと一緒に掴んだ旗を持ち上げる。
「サシャに友情票を一点!」
「オルも十点取ってるから引き分けー!」
「ええー!!」
「引き分けじゃ賭けが!!」
「そもそも賭けるなっつってんの!!」
「同点引き分け、いいじゃない!」
「二人ともお疲れ様ー! お水飲んで!」
「そういやクタクタだわ……」

 観客はさっさと散ってしまい、残ったのはいつも遊ぶ人たちとその騎士たち。
「次はさー、オルの得意な競技で勝負しない? 来週」
「……ビリヤードはどうだろう?」
「ビリヤード出来んのあんた!? くぅ〜容姿端麗頭脳明晰にビリヤードと来た! 揃いすぎでしょ!」
「不満なら他にするが」
「そもそも学校の中にある?」
「室内遊戯もいくつかあったはずだ。なあネオ?」
「うん。確かビリヤードもあったよ」
「へー! じゃあ次はビリヤードね。勝てる気しないけど」
「わからんぞ、ビギナーズラックと言うものもある」
「来週も楽しみにしてるよ」
「観客は集めないでねネオ」
「あはは! わかった。我々だけにしよう」
「ジョゼットさんも来てくれるでしょう?」
「宜しいのですか!? 是非!」
ぐぅーと誰かのお腹が盛大に鳴り、みんな吹き出す。
「お腹空いた!」
「戻ってご飯だね」
「ご飯食べたら私は補習……」
「日曜日なのに!? 大変だねネオ」
「うん、ちょっとね」

 みんなでお昼を食べて午後はどうしようかと考えていたが、ジョゼットさんが微熱を出したことで無理に集まるのはやめた。
「もう、大袈裟よっ」
「いいえ我が主、万が一があってはいけません。お休みください」
騎士デルフィーヌに寝かしつけられるのをジョゼットさんは拒んでいる。
「人間誰しも熱くらいありますっ」
「まあまあ、明日から授業なんだしゆっくりしなよ。それに私たちも入学式当日は授業らしい授業しなかったもん。みんなゆっくりしてたよ」
騎士に加勢して宥めるとジョゼットさんはしゅんとしてしまう。
「明日から頑張ることにして、今日はゆっくりして。ね?」
「でも……せっかくの学校なのに」
「気持ちはわかるけど、自分を大事にしよう」
「……はい」
 その後、ジョゼットさんが寝息を立てるのを見届けると騎士デルフィーヌはリビングで寛ぐ私の前に来る。
「お手数をおかけ致しました」
「え? ああいやいや、こっちこそ振り回しちゃった気がするしごめんね」
「いいえ。あれほどはしゃぐ主は初めて見ました。深く、感謝いたします」
「いやいやそんなそんな」
伝えたいことだけ言うと彼女は自分の寝室に戻った。やっと最後の荷物を解くようだ。
(ご主人様最優先かぁ……)
一応私に仕えることとなっている騎士たちの顔を思い浮かべる。無理をしていないだろうか。いや、騎士アレクサンドラは既に迷惑をかけているし。
(そう言うの嫌だし、自分のことも大事にして欲しいな)
「……私が嫌がってるのそこじゃない?」
ガバッと起き上がり騎士ダリアの部屋をノックする。
「はい! 何でしょう!」
「ダリア! アレクサンドラとみんなで話したいことあるから外行こ!」
「はい!」

 私は外行きの格好に着替え騎士ダリアと騎士アレクサンドラを連れ、東洋のご婦人のお店『喫茶・もみじ』にやって来た。昨日の今日で顔を出した私を見てご店主はにっこりと笑顔になる。
「いらっしゃい」
「こんにちは! さ、座って」
「失礼致します」
席に着きメニューを見る。紅茶とアップルパイのつもりだったけど、他も気になる。
「あの、お勧めありますか?」
「そうねえ……お出ししている側からすると全部お勧めになっちゃうんだけど、今日は緑茶がお勧めね。お菓子もついてるのよ」
「それなら緑茶で! 二人は?」
「主と同じもので構いません」
「私はえっと……」
「好きなもの頼んで」
「では、このマンジュウと言うスイーツを!」
「かしこまりました」
ご婦人が厨房へ向かったところでさて、と話を切り出す。
「私ね、なんで騎士が嫌かわかったの」
「お聞きいたします」
「騎士って、ご主人様最優先でしょ?」
「もちろんです。騎士たるもの、主は全て。この身を尽くしてお守りし、仕える。それが騎士の喜びでございます」
「うん、つまり私はそれが嫌なの」
「……ええと」
「私のために周りの人が自分をすり減らすのが嫌なの。わかる!? いや、わかって!」
言葉を続ける私の顔を二人はやや驚きの表情で見つめる。
「ご主人様最優先やだ! プライベートは大事にして! 嫌なことは言って! ちゃんと寝て食べて、お家帰って休む! それをした上で私のそばにいてくれるなら嬉しい」
「……つまり、バレット様は私たちが自己管理を徹底することを前提としてなら、騎士の存在を許す。と?」
「そう。私の求める護衛の理想像」
二人は顔を見合わせ、表情だけで会話をしたらしい。同時に振り向くと静かに頷いた。
「畏まりました。ではバレット様の理想に沿えるよう努めます」
「私も、サシャさんの騎士として、そしてよき隣人となれるよう努めます!」
「うん、そうして。友だちと騎士の中間みたいなのが、一番楽だから」
キリのいいところで緑茶が来て私たちは顔を綻ばせる。
「おや、前見た緑のお茶と器が違う……」
「あら、そうなの?」
「取っ手がないのは一緒なんですけど前のはこう、大きくて深かったので」
「ああ、抹茶を飲んだのね。これはね、煎茶って言うの」
「センチャ? ほー」
「熱いからよく吹いてね」
「ありがとうございます。ふー……」
ちょろちょろ、とお茶を飲むと苦さがぐっと喉に来る。
「うっひゃ、苦い」
ついて来た丸い小さなお菓子を口に入れる。強烈な甘みが苦味に勝ち、口がまろやかになる。
「おお……」
「美味しゅうございます」
「マンジュウも美味しいです!」
「ほんと。私も次はマンジュウにしよっかなー。アミーカも食べる?」
「要らねえ」
「わかった、食べなくてもいいから出て来て」
空いた椅子をぽんぽんと叩くとアミーカが影からサラリと出て来る。彼はまた腕を組んで目を閉じてしまうので膝を揺する。動物にとって視線を外すのは敵対していない合図でも、食の場でそれをされると困る。
「ねえー」
「うるせえ」
「アミーカ何気に少食?」
「んな訳あるか」
「でもあんまりご飯食べないよ?」
「……食い飽きたんだよ」
「ふーん?」
彼は私に言いたくないことがあるらしい。それなら深くは聞かない。嫌なことを聞くつもりはないし。
と、アミーカの前に紅茶が置かれる。お皿には小さなクッキーもあって、私の使い魔はご店主を軽く睨む。
「貴方も最初のお客様だから、紅茶は無料よ」
ニコニコするご婦人にアミーカは溜め息をつく。
「物好きめ……」
「よかったねアミーカ。ありがとうございます」
「ごゆっくり」
一応ご主人様の私と護り手が全て揃ったので、打ち上げのようなことをしたいが、この三人そう言うタイプじゃないわ……。
(どうしよ)
“天使が通り”、ちょろちょろと煎茶を飲む音だけが聞こえる。
「あのさ」
「はい」
「はい!」
「三人とも仲良くとは言わないけど、連携はちゃんと取ってね」
心配なのはアミーカだ。彼は気持ちを伝えるのは得意じゃないし、照れ隠しに真反対のこと言うし。気を配らないと孤立してしまう。
「アミーカ、照れ隠ししないで二人には気持ちそのまま話してね」
と、口に出すと嫌そうな視線を返される。
「わかった?」
こちらを睨んだままうんと言ってくれない。困った。
「……アミーカくん」
「最低限はしてやる」
「それでいいよ」
いい子、と頭を撫でると不機嫌は治った。よかった。

 サシャ軍団指針会議かつ親睦会もどきを終えオールドローズ通りへ戻る。特に何か買うでもなくウインドウショッピングをして帰ろうと思ったのだけど。
(無口……!!)
私から話しかける分にはみんなそれぞれ話してくれるが、三人がお互いそれぞれ話すことはなく後ろでは沈黙が流れている。
(も、もっと仲良くして欲しい……!)
先程の発言を真っ向から否定し焦る私。
(やっぱり仲良くしてって言うべきだったか……)
「っ!」
「おい!」
「バレット様!」
お供たちの緊迫した声で視線を上げるとまた手の平が目の前に迫っている。でもそれは皺だらけの女性の手。指の隙間から見えるのはずぶ濡れの夜の髪、希望のない瞳。私を見ていない瞳。
「太陽は一つ、二つ目は──」
(死ぬかも)
暢気にそんなことを思いながらも私の腕はすぐに動いている。指先が老女の額を指すと彼女の瞳の向こう側で誰かがニタリと笑った。馬鹿め、同じ手は効かないぞ。そう言いたげな目元で。
「来たれ我が槍、天の槍。」

本能的に知っている、魔法の殺し方を。鳥の背に乗る方法を。空を歩く方法を。認めたくなかった、自分が異質だと。子供の振りをした何かだと。
別の人格とでも思い込まなきゃ耐えられなかった。古い術を知っている。頭のどこかに女王たる意識がある。姫君に囲まれ王子を友とし、騎士を従えるのは私がそう望んだからだ。
知ってたんだ、生まれたその時から。人の子でいられるのはほんの数年だって。

「穿て、太陽の名の下に」
カラスは霧となり、次には黄色い稲妻と青い稲妻に変わっている。我が槍、我が得物。雷は天の槍、私のもの。
轟音と閃光が老女の額と鳩尾を貫く。只人なら死ぬだろうが、老女はもはや人ならざる人。私の雷に貫かれたところで簡単には死なない。老女は体の自由を奪われながらも手を伸ばす。そうね、貴女にはもう命を惜しむ心もないもの。
「無礼者。お下がり」
手を横に払う。地面から二色の雷が突き出し老女の体を、精霊の成れの果てを貫く。古き技を二度食らい彼女は地に伏す。
衝撃で割れた街のガラスに人々は驚き、叫ぶ。
(あーあ、やっちゃった)
アミーカが稲妻から戻り飛び散る破片から私を庇う。やっと追いついた騎士二人が杖を構えるものの老女は既に動かない。逃げ惑う人々。もう戻れない私。羽根を広げたカラスを見上げ腕を伸ばす。
「いい子ね」
頬を撫でると、私の槍は哀しそうに目を伏せた。


 正当防衛とは言え街中のガラスを盛大に割ってしまったし、人々に恐怖を与えてしまったので一度は拘留された。
反射的にやった。何をしたのか自分でも分かっていない。
その二つだけ伝えると私は触媒と使い魔を自ら警官に預け薄汚れた壁に囲まれた部屋で頬杖をついた。別に誰かに迎えに来て貰おうとは思っていない。既に命を狙われている訳だし、警察の中でも情報の擦り合わせくらいあるはずだ。
 ぼんやりしていると日が暮れて、私を閉じ込めていた扉が開かれる。部屋を出て一番に見た顔は意外なことにマシューだった。
「や、サシャさん」

「先生たちが説明と説得をしてくれて君のお母上にも連絡をしたそうだよ」
「そう」
 触媒と使い魔を返却された私はマシューの隣でベンチに腰掛けている。
「サシャさん」
「なに?」
「俺には本当のことを話して」
気怠げに見上げると心配する青年と目が合う。膝の上に置いた触媒に視線を戻し、首を横に振る。きっとマシューは私の月。でも恐らく彼はまだ。
「貴方がどこまで目醒めているのか知らない」
「サシャ」
彼は私の肩を掴んで自分と向き合わせる。再び見上げれば真剣な表情。
「貴女は俺の太陽(ソル)だよね」
願望ではなく確認としての問い掛け。マシューの胸に手を当て頬を寄せる。
「そうよ、私の月(マニ)」
「嗚呼、この日を夢にまで見たのに」
今世で初めて顔を合わせたあの日、二人ともとっくにお互いがそうだと気付いていたのに、知らない振りをしていて。私たちは子供のままで、無知なままでいたかった。
二人静かに寄り添っていると校長先生が現れる。
「大丈夫じゃ、帰ろう」
「……はい」
「バレットくんの母上にはある程度説明をしておいた。それから色々と報告もある」
「わかりました。お手数をおかけします」
「……いいんだよ、君は何も悪くない」
「おいで、アミーカ」
大きなカラスは主の肩に留まる。警官たちに頭を下げ、私たちはオールドローズ通りを後にした。

「皆さまにお手数をお掛けした上でこの話をするのは大変心苦しいのですが」
 学園に戻り、私は女神としての正装に近い白とオレンジのドレスに着替え、同じく正装に近い夜色のシャツを着たマシューと隣り合わせに座る。目の前には今まで関わった先生たち。
「私は太陽の王の生まれ変わりです。そして彼は、月の王の生まれ変わり」
「やはり、そうなのかね?」
「はい。サシャさんは太陽神ソル、俺は月神マニ。人がこの土地に来るよりも前からここに住んでいました」
私がマシューの言葉に頷くと先生たちは細々と驚きと困惑の声を出す。
「地上には神が御座したのですね」
「昔は神も人も、天も地ももっと近しいものでしたから」
「と言うと……?」
「頭のすぐ上は天だったし、足のすぐ下は地、つまり冥府だったんです。俺は冥府の主、彼女は天空の主でした」
「朝と夜が混ざる時だけ会える夫婦でしたけれど、それで良かったんです。人の子が来て私たちを崇めるまでは」
マシューは私を慰めるため肩に手を添える。
「私たちの子供、女神も男神も人々に崇められ、愛され、最後には蹂躙されました。私は死んだ子供たちを冥府の夫に預け、暗い月の裏に隠れた。日が隠れ人は光と熱がいかに大切だったか気付き、罪を贖うと私に申し出た」
「妻は隠れたまま戻らないつもりでした。しかしその時には娘や息子たちと人の間には次の命が芽吹いていて、戻らざるを得なかったんです」
「私は小さな子供たちが愛おしくて、私の子を奪った人が憎かった。だから己の体を粉々に砕いて小さな子には朝の光を、人には身を焼く熱を与えた」
「妻を失った俺も同じようにしました。小さな子には夜の帳を、人の身にはいずれ土になる呪いを」
「では我々がいくら足掻いても定命なのは……!」
「この国においては私たちの呪いです」
「そんな……」
先生たちはザワザワと顔を突き合わせる。
「その後世界に還った私たちは自らの子、太陽と月の名残りを持つ者たちの血の中に現れ幾度も人に関わってきました。今回もそうなのですが……」
私とマシューは見つめ合う。
「今回は覚醒が早すぎました。いつもならもっと遅いのに」
「私たちはその時々定められている成人の年齢で目醒め、誰にも内緒で人の世から離れていました。己の武器や道具だけ持って」
「武器、ですか?」
「世界に散らばった私たちの力の一部、術。そう言うものです。今時は自ら意思を持つ使い魔という便利な形に変わりましたが。ね、アミーカ?」
「知るか。俺に聞くな」
「全く、こう言う時くらい素直に頷けば宜しくてよ」
「フン」
「では今後あなた方は人の世から離れると、そう仰る」
「そのつもりでいましたが、今回は何かが妙なので数年は人の中に潜もうと思います」
「やっぱりそのつもり?」
「もちろん。だって本来ならあと四年は人の子のままだったのよ?」
「そうなんだよね……」
うーん、と首を捻っているとサンデル先生が遠慮がちに手を挙げる。
「何かしら」
「今のあなた方に定命の呪いは解いて頂けないのか?」
「そ、そうです! 神の生まれ変わりなのでしょう!?」
「限りなく難しいですね」
「その理由は?」
「この国は幾度となく他国の侵略を受けています。太陽と月の血筋が国王の後継者から外され市民と化しているのがその証拠。私たちの支配力が土地から奪われている。それから私たちは元の力を振るえない」
「体を砕いて人を呪った時点で解くのはほとんど無理なんです。二人とも神としては死んだ訳ですから」
「そして他国から只人、つまり非魔法族や異文化もやって来て混ざってしまった。異文化は他の土地の信仰ですし、他国の者とは子供たちと血も混ざってしまいましたし」
「我々があなた方に呪われた時の状況が戻らない限りは無理だと?」
「そうなりますね。出来なくはないですよ? 時代をひっくり返せばいいだけですから」
「時代を?」
「時間遡行ですか!?」
「可能なのですね!?」
「もちろん。万全な状態のわたくしたちがいれば、ですよ」
「ああ……」
「堂々巡りですね……」
「それもありますし万が一、遡行が成功してもあなた方人の子はついて来られません。結局ここに取り残されます」
「過去を変えれば時代の流れが変わり、流れに乗れない者はそのまま取り残される。当然と言えば当然ですね」
先生たちはまた話し合い。私は溜め息をつく。
「それで、校長先生? 報告とは?」
「む、ああ。それですがな? 前回捕まえた男の調べが進んだのでそのことについてお耳に入れようかと」
「お願いします」
「はい、では。まず彼の状態ですが人間と精霊の合成獣(キメラ)でした。高度な呪術により無理やり二つの存在を紡ぎ合わせている。禁術の一つです」
「やっぱりね」
「知ってたの? 教えてくれたっていいのに」
「話そうとは思ったわ」
「それならいいけど……」
「ふむ、それで?」
「本日二体目が出て来たことからあれらを操っている者がいるだろうと言う推測は立ちました。根本を叩いていないので今後も狙われるでしょう」
「なるほど。まあ、生まれ変わりの度に狙われているし珍しくはないのだけれど。問題は私だけと言うところね」
「月の御子たちは狙われてないのが引っ掛かるよね」
「そうなのよ。何故かしら? 首謀者が反太陽派?」
「太陽反対派はあり得るね。彼ら面倒くさいんだよね毎度毎度」
「そうねえ。ともかく情報の収集はしましょう」
「そうだね。それでソル、どうするんだい今後? およそ目醒めはしたけど俺たち不完全だよ?」
「そうね、それもお話ししなくちゃ。先生?」
「何ですかな」
「私たち、散らばった力の回収が出来ておりませんし、ひとまずは学生生活を続けたいの。私たちのことは秘匿して頂ける?」
「魔法協会への連絡はなし、と言うことですかな?」
「そうなります。もうお話ししてしまった人には仕方がないけれど、これ以上の口外は不可と言うことで。宜しい?」
「承知しました。皆さん、お願い致しますよ」
「わかりました」
「了解しました」
「ご協力、感謝致します」


「ソルちゃんマニちゃん復活大感謝祭〜とか、したいよね」
「暢気め」
「だぁってぇ」
 無事、寮に帰って来られた私たちは使い魔と四人だけで内緒話。騎士には人払いを頼み、周囲は妖精の輪に囲まれている。これなら声は漏れない。
「本来ならば国を上げての祝い事でございますが、秘密裏に動くならば開催は無理でしょうな」
「てめえの天然ボケは本当によ」
「ん?」
「ふふ、いいのよオウルはそれで。さてじゃあ……マシューは剣、私は槍が戻って来てるから残りはそれぞれの剣と槍、あと弓と馬かしら?」
「馬車と王笏を忘れているよ」
「馬車はともかく王笏いる?」
「君はすぐそうやって王笏を雑に扱う!」
「だぁって、もう王様じゃないもの」
「あのねえ未だに現存する古代金属なんだから大事にしてあげなさいよ! 彼らも泣いちゃうよ!?」
「そうかしら? 私の手から離れて悠々自適かもしれないわ? 仕事中より涼しいでしょうし」
「……あのよ」
「なに?」
アミーカはじとっと私を見る。
「お前、俺が力の一部なら何で最初にそう言わなかった?」
「覚醒前の人の子に無茶言わないでちょうだい。私たちだって段々思い出しているのよ?」
「カーッ、どうだか」
「あーそう言う態度取るとご褒美あげなーい」
「もー、子供みたいな喧嘩しないの」
「まだ子供ですー」
ぷくっと頬を膨らませると私の月は人差し指で溜まった空気を押し出した。視線が絡み合い私が彼の首に腕を回すと使い魔たちは慌てて視線を逸らす。
「待った」
「何よぉう」
「夜にファーストキスすると俺側に引きずられるから止そう」
「ケチ」
「ケチでいいです、君の寿命削るより良い。契りも明け方にしよう」
「じゃあ朝早くロビーに来て」
「君こそお寝坊しないでね」
「ふーんだ、私が起きてからが朝なのよ」
消灯時間もあるからとマシューたちと別れ騎士アレクサンドラの元へ戻る。
「声、漏れてなかった?」
「はい」
「そ、ならいいけど」
午前と雰囲気の違う主を見て複雑な顔をする彼女に、私はニンマリと笑ってみせた。


 日が出てそう間もなく、私はベッドを静かに抜け出す。月の子たちを起こさないようにそうっと。足音を立てないように。
ロビーに向かえば私の月が正面から階段を降りてくる。私たちは己の胸に手を当て相手へ差し出す。私の心は貴方のもの、貴方の心は私のもの。そうして二人は寄り添って、生まれてすぐの口付けを一つ。
「ひゃっ」
誰かが声を出して私たちは気が逸れる。太陽と月の契りはあっさりに見えても儀式の一つ。儀式を邪魔した者にはそれ相応の罰がいるが、ひとまず犯人はアミーカがこっそり捕まえてくれたので私は儀式に気持ちを戻す。
太陽と月は小さい頃から持っている持ち物の一つを相手と交換し、生涯大切にする。物なので壊れることもあるが、壊れても持ち続けることが大事。
私は幼い頃から使っていたヘアピンを。マシューは手製の羽ペンを差し出す。ヘアピンは私自ら髪につけてあげた。ペンを受け取り、儀式は終わり。
「終わったからいいわよアミーカ」
私のカラスは女子生徒を一人担いでくる。少女はまだ幼い顔立ち、真っ赤な髪を目が隠れる長さで雑に切り揃え紫の瞳をしている。初めて見る顔だ。
「あら、火属性にそんな子いた?」
「ひえええお邪魔してごめんなさい誰にも言いませぇん!」
「残念ながら大切な儀式を見られたし、何もしない訳にはいかないんだよね」
「ひえー! せめてカツアゲにしてください! 購買でパンでも何でも買います! 靴も磨きますー!」
「あら、太陽と月の契りに割り込むとどうなるか知らない?」
「たたた太陽とお月さんの王子さんお姫さんですか!? 絶対タダじゃ済まない! ぴぎぃ!!」
「面白いわねこの子」
「あはは、誰もいじめやしないよ。こっちにおいで」
アミーカにより私たちの前に運ばれた少女は目に涙を浮かべ、不安そうにこちらの顔を見比べる。
「太陽と月の契りはご存知?」
「ち、ちょっとだけですけど。あの、結婚式みたいなものだってお婆ちゃんが……」
「そう、結婚や婚約みたいなもの。本来の意味合いはもっと重いけれどね。それで、その儀式を見てしまった子はね」
「ううっ……」
「その二人の“子ども”になるんだ」
「ひぇ?」
意外だったのか少女は目を丸くする。
「……子ども?」
「そう。つまり貴女は今この瞬間から私たちのむ・す・め」
「子どもへのお仕置きは親役の二人が決めるんだけど、どうしようか」
「毎朝ほっぺたにチューは?」
「あはは、可愛らしくていいね。そうしよう」
「ひぃ!?」
「さあお母さんのところにいらっしゃい可愛い子。そのまんまるのほっぺた吸い込んで差し上げてよ」
「ひぃー!?」
赤面しながら震える少女を捕まえ、両側から抱き込んで頬にそれぞれキスをする。少女は“お仕置き”が終わった瞬間に顔を手で隠した。
「ぴぃい! 美人と美人にきききキスされるなんて!」
「これから毎日だからね」
「いつまでですかぁ!?」
「まぁ少なくとも一週間は」
「ひぃいいい!」
「ところで貴女、初めて見る顔だけど火属性よね?」
「わわ私はぁあのぅ……」
「お母さんとお父さんに自己紹介してくれないかな?」
「ひぅ……」
二人の腕から解放された少女はモジモジしながら私たちの前に大人しく立つ。
「は、初めまして。マリルー・スロースと言います。一年生……昨日転入してきて……。属性は火と土、いわゆる溶岩……混合属性です……」
火と土と聞いて私たちは一瞬唖然とし、吹き出す。
「ややややっぱおかしいですよねあはははは……ごめんなさい超マイナー属性で……」
「違う違う、太陽と月の子にはぴったりだと思って」
「マリルーね、覚えたわ。転入生なのは知らなかった。その髪の色ならクラスは火かしら?」
「そ、それがぁ……書類の間違いじゃなかったら太陽クラスなんです……」
「あら、クラスメイトじゃない。それなら朝食を一緒に食べましょう?」
「えっ貴女太陽なんですか!? 女の子なのに!?」
「あら、娘に自己紹介してなかったわ。サシャ・バレットよ。その通り珍しい太陽属性の女子。よろしく。こちらは私の月」
軽く膝を落として挨拶をし、マシューを手の平で示すと我が月は左胸に手を添え軽く頭を下げる。
「マシュー・レイン。男だけど月属性です。よろしくマリルー」
「ひぃいよよよろしくお願いしますお手柔らかに!」
「ところでこんな早朝にマリルーはどうしたの? 朝食には随分早いよ?」
「ああ、えっと……書類の間違いじゃなければ太陽クラスなのでその……男の子ばっかりじゃないですか? 緊張してほとんど眠れなくて。ついでに道を間違えないように太陽と火の教室の位置を両方確認しておこうかな、と……」
「なるほど。運良かったわねえ私たちの儀式に遭遇して」
「我が太陽と同じクラスなら何も心配ないよ。お母さんに任せておいで」
「ええ、クラスメイトが貴女に粗相をしたら代わりに張り飛ばして差し上げてよ」
「そそそんな暴力は! いけないと思います!」
「私も出来るだけそんな事態にはしたくないのですけれど。まいいや、一度お部屋に帰りましょう。それとも散歩でもする?」
「俺は散歩してもいいけど、サシャは羽ペンを仕舞った方がいいよ」
「そうでした。じゃあまた後でねマシュー、マリルー」
「うん、また後で。マリルーは朝食に行く前にこのロビーで待っておいで。俺たちが迎えに行くよ」
「は、はい! お手柔らかに!」
「こちらこそ。それじゃあ」

 寝床でゆっくり本を読んでからルームメイト全員でロビーを目指す。昨日まで持っていなかった羽ペンに鎖を通し首から下げる私と、数日前まで私が持っていたヘアピンをマシューが付けていたことで周りは契りに気付く。
「おめでとう」
「おめでとうサシャ、マシュー」
「おめでとう。やっとね」
「本人より周りの方が気付いてたパターンじゃん」
「だってマシューは、ねえ?」
「うふふ。入学式のとき貴女を見かけてそうだ、と思ったみたいよ?」
「あっ」
マシューの顔を見ると微笑まれ照れ隠しに頬を掻かれる。恐らくその時にはほんのり自覚があっただろうから、つまり彼は私より先に目醒めていたようだ。
「それならそうと言って欲しかったんですけど?」
「君だって教室に来た時にもしかしてと思っていたでしょう? お互い様だよ」
「もう、気付いてたんならもっとからかって」
「うふふ」
「二人の祝いは後ほどするとして……彼女は?」
オルフェオがその場で居た堪れない様子のマリルーを示すと視線が集中して彼女は慌てる。
「ひぃいいお邪魔してごめんなさい!」
「この子はマリルー・スロース。私たちの“娘”」
「あら」
「まあ」
「なるほど」
太陽と月に関連する者しかいないため全員納得して頷き、あっさりした反応にマリルーは返って困惑する。
「いい今ので通じたんですか!?」
「だってみんな太陽や月ですもの。詳しい自己紹介は食卓で。ご飯行きましょっか」

「王子様にお姫様に騎士! すすすすごい世界……!」
「我々は当然と思っているから“すごい”と言われるのは心外なんだが……そう言うものか」
 自己紹介を終えマリルーはクラスメイトと判明したオルフェオと話している。無事に熱が下がったジョゼットさんもオルフェオが他の人と話していて嬉しいらしく微笑みながら見守る。
「サシャ、マリルーに“子ども”の条件はお伝えしましたの?」
「親役の気の済むまで“お仕置き”があるところだけ」
「まあ、全て伝えていないのね?」
「えっ!?」
会話の端っこが聞こえたのかマリルーは慌てて私とマシューの顔を見る。
「太陽と月の“子ども”って言うのは親役の契りが終わるまで。そして契りは一生涯」
「ええ!?」
「つまり、ずっとよ。お仕置きはちょこっとだけどねー」
「わわ私ずっと子ども役!? そんなぁ! パシられますか!? いやパシるだけにしてください! チューはダメです! ぴぃい!」
「それから親役は子どもの面倒をずっと見るの。何か困ったことがあったら言ってね」
「ぴぇ……?」
「実は親役より子どもの方に利が多いと言われるくらいでね。憧れている人の契りにわざと介入して自ら子どもになる子もいるくらい」
「そんな罰当たりな! いやっ当てられますよね!?」
「もちろん、わざと介入したのがバレれば嫌われる可能性だってあるわ?」
「そのくらい賭けてもいい人しかしないよってことさ。基本的には偶然、サプライズだからね」
「ひょええ……」
「それから親役は子どものことを周囲に告知していいの。もちろん、しなくてもいいのよ?」
「俺とサシャはするつもり」
「私たちが面倒見るから手出しするなよ〜って言う牽制にもなるから、丁度いいでしょう」
「よかったわねマリルー」
「ええ、サシャとマシューなら間違いなく守ってくださってよ?」
「おおお世話になります不束者ですが!!」
「まあ、うふふ」
「ふふふ」

 マリルーは食後、デルカ先生に連れて行かれたので太陽クラスで間違いなさそうだ。オルフェオやジョゼットさんたちが微笑ましい光景を繰り広げる後ろで私とマシューはこっそり話し合う。
「本人曰く火と土なのに太陽に入れられるってことはオールラウンダー?」
「そうだろうね。多少光も出来るんじゃない?」
「三属性出来る子珍しいわね」
「俺たちもだけど」
「おっと」
 先に太陽クラスに着き、オルフェオとジョゼットさんは控えめに頬同士のキスをして相手を見送る。私たちはもちろん口同士。
「また後で」
「ええ、後でね」
マシューに手を振って体の向きを変えるとオルフェオも太陽クラスの男子もじっとこちらを見ていた。
「何よ」
「まるで夫婦だな」
「夫婦ですもの」
「なに?」
「え!?」
「おい聞いた!?」
ざわつく男子をほっといて席に座ると普段通り横に座ったオルフェオが声を落として話しかける。
「レイン家に挨拶を?」
「するわ。出来れば今週末」
「そうか。ではマシューの母上によろしく伝えてくれ」
「ええ、もちろん」

 そしてマリルーがデルカ先生とサンデル先生に連れられやって来る。彼女は私とオルフェオの顔を見かけて多少緊張は解れたようだ。
「彼女はマリルー・スロース。主たる属性は火と土だが諸事情あり太陽クラスへの転入となった」
「よよよろしくお願いします!」
「溶岩だ」
「へえ珍しい」
「席は好きなところを取りなさい」
「はいっ!」
手招くとマリルーは私の隣に隠れるようにして座った。
「あら、ふふふ」
「では、サンデル先生」
「ご足労ありがとうございました、デルカ先生。さて、授業を始める」

 魔法歴史を終えダンスの時間。私とマシューはまるで初めて出逢ったように踊れた。周りのことなんて頭に入らないくらい夢中になって手を取って、お互いの顔を見て。朝焼けで染めた花を贈ったことを覚えている? とか、冥府の川に牛乳をこぼしてしまって夜空に溢れて大変だったね、とか。皆に聞こえないようひっそり話して。周りの子たちが羨ましがるくらい微笑み合って。授業の時間がちっとも足りないくらい。
 その後昼食を迎えた私たち二人は契りのこともあってなんだか噂になってしまい、黄色い声の話題の中心になっていた。
「あちこちから視線が来る」
食事中に周りから声がかかるのが嫌で食堂の端っこを取ったのに、これでは大して変わりない。
「先程の二人、とっても素敵でしたもの」
「ええ。それに今朝のこともありますし、みんな憧れているのではなくて?」
「まあ、昨日の今日で目立ちすぎた感じはあるかな」
「そうだ、昨日のこと。大丈夫だったのかサシャ? 怪我は?」
「ないない。ピンピンしてるっしょ?」
「それはそうだが、君はこう……気合いでどうにかする所があるから心配で」
「言われてんぞ」
「すみません……でも昨日は無傷だからアミーカのおかげで。あっ、ご褒美あげてない! 何がいい?」
「クッキー」
「あら素直! どう言うクッキー? プレーン? 購買ならナッツ入りとかチョコとかあるけど」
「作れ」
「あら珍しい! わかった、でもそうなると……いっそたっぷり作って今週末お茶会でもする?」
「素敵」
「呼んでくださる?」
「もちろーん。オルとジョゼットさんもいかが?」
「はい、是非!」
「無論行く」
オルフェオは彼女は? とマリルーを手で示す。私は隣の彼女ににっこりと微笑みかける。
「マリルーもいかが? お茶会」
「お、お茶会……?」
彼女はまるで異文化に触れたように目を丸くしている。
「ちょっと綺麗な服を着てお昼ご飯の代わりにゆっくりサンドイッチやお茶を楽しむの。でもそうだ、私土曜日は予定があるから日曜になっちゃうわね。皆さんご用事は? 大丈夫?」
「今週末は特になにも。ジョゼット様は?」
「本を読もうと思っていただけですので、空いております」
「わたくしたちも大丈夫です」
「ええ」
「土曜日どこか行くの? サシャ」
「貴方の家にご挨拶にどうかしらと思って」
「ああ、そうだった。真っ先にしないとね。母に連絡をしておくよ」
「ありがと。じゃ今週末ね」
「うん」
「はええ……すごい世界……」
目の前の光景を別世界のように見るマリルーを見てふと、私もそうだったなと感じ取る。
(わかるわかる、つい線引きしちゃうよね)
(やっとしなくなったけどな)
(友達に関してはね)

 久しぶりに一年生のみんなと合同授業に出ることになり、私は嬉しい反面窮屈さも感じていた。聞いたところ私が太陽神の力をうっかり他の学年に披露しないようデルカ先生が一貫して授業を見る方針になったそうだ。そして始まった授業だったのだが。
「ひょわー!」
「ぎえー!?」
「いにゃー!」
大半の生徒の視線はマリルー・スロースに向いていた。マリルーは運動神経が良くなく、魔力は多すぎるうえコントロールがあまりに下手なので魔法は何度も暴発。他の生徒から離れて訓練しているのに彼女の槍や剣はあらぬ方向に飛びまくり、生徒たちは肝を冷やした。
「はぁ……」
休憩時間となりオルフェオとマリルーの元へ向かうと彼女は落胆という言葉があまりに似合う落ち込み方をしていた。
「マリルー」
「ううっうっうっ……やっぱり私なんて……」
「ミス・スロース、しばらくは先生につきっきりで指導してもらった方がいい。君はあまりにその……」
「大丈夫です気を遣ってくれなくて……魔力操作が下手なのは昔からなのでわかってます……」
「どうしてそんなにポコポコ飛んじゃうのかしらねえ?」
どんよりしているマリルーを見て何か出来ないだろうかと考えるが、もちろんすぐには浮かばない。
「何かいい案ないかしら? オル」
「ううん……」
「うっ……前の学校でもこんな調子で……あんまりにも下手だから学校を転々としてきたんです……」
「あら、そうだったの」
どうも筋金入りの暴発頻度らしい。オルフェオと共に思考を巡らせているとアミーカが影から出てきて口を挟む。
「んなもん、使い魔が育ってねえからだろ」
「アミーカ」
「どんな使い魔を付けてもいいつったって限度があるだろうが。古竜のガキ拾ったからって律儀によ」
「こら、それ以上言わないの」
「はぅう……」
マリルー・スロースの使い魔は人で言う乳飲み児、親元から離すには早すぎた赤ん坊でまだ自分のことすらわかっていない。今だってマリルーの袖の中で彼女の腕の上を大冒険している。
「仕方がないでしょ、偶然タマゴ拾っちゃったんだから」
「だからってよ、んなぽやっぽやのガキじゃ魔力食って出力を補助するどころじゃねえだろ。ガキんちょすぎて食い気が育ってねえんだっつの」
「まあ、一因ではありそうだが……イゥスはどう思う?」
オルフェオの使い魔、古竜のイゥスさんは主人の首元にするりと現れる。
「もうしばらく経つと知恵がついて来る年頃でございますが、まだまだ若いと申し上げましょうか……」
「へっ、珍しく似たこと言うじゃねえかジジイ」
「アミーカ、口が悪くってよ」
つまり二匹とも意見はほぼ一緒。“とにかく使い魔が幼い”だそうだ。
「もしかしたら使い魔を増やした方がいいのかもねえ……」
「本人に余裕があれば増やしてもいいと思うが……問題はミス・スロースが既に古竜と契約している点だな」
「そうなのよ」
昔からドラゴン、その中でも原生種の古竜は使い魔には不向きだ。何故かと言うとそもそもの性質として魔力を幾らでも吸い込めてしまう。魔法使いの魔力を際限なく食べてしまえるために危険と見做され、基本的に契約では忌避される。それでもなお契約に至る場合はオルフェオの相棒のように存在の維持に魔力を然程必要としなくなった老年、それか運命が絡んで契約を絶対に必要とする部類なのだが……マリルーの場合は恐らく後者だ。
「自分で呪文も言えないような赤ちゃんと契約が成立しちゃってるからねえ……」
「うん……」
「うう……やっぱり私が下手だから……」
励ますどころかさらに落ち込ませてしまい私たちも困ってしまう。
「……使い魔のことなら使い魔のプロに聞いた方がいいんじゃない?」
「そうだな」
「ふぇ?」
「授業が終わったら街に出ましょ。消灯時間までに戻れれば寮長も許してくれるでしょうし」

「それで当方をお選びになったと」
「ええ。ヴァーノンさんならモーガン先生のお師匠ですし見識は広いんじゃないかと」
 私とマシューにマリルー、そしてオルフェオは放課後オールドローズ通りを訪れる。
「モーガン先生にも相談したらこちらへ訪れる方がいいと仰られたので」
「全くゥ、師匠に甘えすぎだよ彼女は……。しかし口も利けぬ赤ん坊と成立しているとは稀有な例だ。見せてもらうよ。腕を出して」
「は、はいっ」
調教師ヴァーノンさんはマリルーの肘から先、特に手首のあたりを片眼鏡で入念に観察する。人差し指で肌の上から血管を何度か撫で、彼は顔を上げた。
「フゥム……専門の機関で詳しく調べた方が良さそうだね」
「あら」
「ええっ!? お、お金かかるのはちょっと!」
「なァに、国立の研究所なら診断に金はかからんよ。知り合いもいる。私から紹介状を書いておこう」
「よかったわね、マリルー」
「は、はい……」

「何にもわかんなかった……」
「プロだからこそ迂闊なことは言えなかったのよ、きっと」
 ヴァーノンさんのお店を出てオールドローズを歩き出ししばらく経った時、懲りない漆黒の合成獣が現れる。獣は老人らしからぬ足の速さでこちらに駆けてきて腕を伸ばす。またかと思った時、声を上げたのは私ではなく。
「うわぁ! また出たぁ!」
「え?」
私ならともかくマリルーが言うの?
「おいよそ見すんな!」
アミーカの緊迫した声で振り返ると迫る老人の前にマシューが躍り出た。
「一体誰の許可を得て闇に潜んでいるのかな?」
(そう言えばマシューがいる時にこいつらに遭遇するの初めてだ)
「来たれ我が剣、冥府の吐息」
マシューが呪文を唱え始めた瞬間振り向き急いでマリルーとオルフェオの手を掴む。
「二人とも動かないで」
「でもマシューさんが!」
「彼は大丈夫」
使い魔オウルは光の砂となって辺りに舞い始める。夕焼けの街並みから光が奪われ獣よりも深い闇が私たちを覆う。
「隠せ、月の名の下に」
詠唱が終わると私は深い闇の中にぽつりと立っている。自分の心音が聞こえるくらいの静寂。触れ合っていなければ誰もいないと勘違いしてしまうほどの暗闇。じっと闇が明けるのを待つ。マリルーは不安そうに何度も私の手を確認して、オルフェオは珍しく震えていて。二人の手を私の胸に引き寄せ鼓動を伝える。
(大丈夫、私がいるから)
悲鳴が闇を引き裂き夜は終わりを告げた。徐々に明るくなるなか振り返るとマシューの前で年老いた男が燃えている。
「ああ、ああ、あ……」
肉体という“土”を奪われた老人は身の内から燃え上がり、周囲が元の夕暮れに戻る頃には灰も残さず消え失せた。
(マシュー……)
銀色の月は儚い者から命を奪っても、普段通りふわりと微笑んだ。

 再び襲われたがマシューの機転で闇に隠れことなきを得た。先生たちにはそう説明して私たちはお叱りも受けず寮に戻った。幸いオルフェオとマリルーはマシューがしたことを見ておらず、老人がなぜ消えたかは私が黙っていればいいだけだ。


 翌朝。男女の寮を繋ぐロビーにいつも通りやって来るとマシューは私を見つけ次第口付けをしてきて、周囲からは黄色い声が上がる。
「なぁに?」
珍しく自ら目立つことをした彼をじっと見つめると月は困った様に微笑んだ。
「昨日のことでちょっと」
「後でお話ししましょ」
「うん」
二人にとっては何ともないことなので食堂へ向かおうとするとマリルーや騎士ダリア、ジョゼットさんは顔を真っ赤にしていた。
「あらあらまあまあ……」
「ぴぃいいい大勢の前でキスとか度胸ありすぎませんか!?」
「あら、ごめんなさい?」
「なななな仲がよろしくて大変素晴らしいことだと思いましゅ!」
顔の火照りが取れないままのジョゼットさんは片手で顔を覆ったままオルフェオの袖を引く。
「我が太陽、オルフェオ様。あの、こういったことは貴殿もその……あまりお得意ではなかったと記憶していますが……」
「ああ、そうですね。私の場合はレディ・アガサ、レディ・アリスと共に入学から二人を見守っていたので……何と申しますか」
「ええ、そうね。やっとお二人の間に躊躇いがなくなった、と感じております」
「ああ、ではわたくしが慣れれば……でもほっぺたでなく、く、口……あうぅ……」
「……みんなが照れちゃうなら今後は遠慮しとこうか」
「いえサシャさん! 私たちにえええ遠慮などご無用!」
「そう? ま、とりあえず食堂行こっか」

「あ、あの〜食事の前にちょっと……」
「なぁに?」
 マリルーはおずおずと手を挙げ昨日のことについて語り始めた。どうやら漆黒の合成獣はマリルーのことも昔から狙っているらしく、つい最近になって狙われ始めた私の比ではないらしい。
「今までは運良く助けてくれる人がいたり私のおっちょこちょいがいい方向に働いたんですけど、昨日のはいつもより怖かったと言うか殺気立っていたと言うか……。とうとうこの学校にも迷惑がかかるのかと思うといっそ退学を考えるべきかと思って……」
「退学なんてしなくていいわ。私だって狙われてるのよ?」
「ええっ!? サシャさんも!?」
これまでの経緯の整理も兼ねて五、六度襲われたこと、都度退けてきたことを伝えるとマリルーは青い顔をした。
「ひぃいい……やっぱり太陽の子孫を狙ってるんだ……。じゃ、じゃあベルフェスくんとかもやっぱり……?」
「いや、我が家は警備を徹底しているのと、護衛がどこかしらにいるので直接対峙したことはない。もしくは私などは狙う必要がないのだろう」
「狙う子とそうじゃない子がいるってこと!? うう、それならなんで私が……やっぱり弱そうだから……?」
「と言うかマリルー、さらっと太陽の子孫って言ったね。そうなの?」
「え!? 自分で言ってた!? うびぃ!」
「マリルーやっぱり太陽の子孫なの?」
「ううううちはあの」
「ミス・スロース、落ち着いて話してくれ」
「うう、ええと……。うちはなんてことない火属性の家なんですけど私がたまたま火と光と土で……火属性から太陽っぽい子が出ることはままあるって言われたんですが、念の為家系図を調べたんです。そしたらあの……遠いご先祖様に太陽の人がいて……」
「その人の名前は?」
「名前? えっと……アル……アルリウス……じゃなくて」
「アルトリウス?」
「そ、そう! それ!」
「アルトリウス・スロース? 変わった名前ね」
「いや、アルトリウスは氏族名の一つだ。だから個人名が前につく。例えばユリウス・アルトリウス、とかね。しかしそうか、アルトリウス家の子孫が現代に残っていたのか……」
「記録上うちの初代当主ってことになってたんですがアルトリウスとしか書かれてなくって……ベルフェスくん何か知ってるの?」
「ああ。アルトリウス姓は太陽の氏族のうち今は絶えてしまった家系の一つで、現代に残っていればベルフェス家よりも栄えていただろうと言われている。中世に絶えた家系の一つで私は家庭教師にこの名を聞いた」
「お抱えの家庭教師?」
「うむ。主にベルフェス家の歴史などを教えてくれる者だ」
「なるほどねえ」
「お、お抱えの教師……! すごい世界……!」
「家系で思い出したがサシャ。君も家系を調べた方がいいのではないか?」
「ん? ああ、私は……なんかいいや」
「何故? 写真の女性を気にしていたのでは?」
「あれはー……」
(おそらく前世なのよね……)
(ある程度話しておいた方がいいと思うぞ)
(話がこじれそうだし友だちをこれ以上巻き込むのも……)
私の影で静かにしていたアミーカは何を思ったのかカラスの姿で出てくると会話に割り込む。
「あれはこいつの前世なんだろうってよ」
「ちょっと!」
「何だって?」
「話した方が面倒くさくならねえぞ」
「いやほら順番とかあるから!」
「サシャ、どう言うことか説明してくれ」
「ううー絶対話ややこしくなる……」
どう説明したものかと悩んでいるとマシューは私の肩に手を添え微笑む。
「“ソル”の方が言ってたんだ、前世だろうって」
「あ、そ、そう!」
(ナイスマシュー!)
「ふむ、だがあの写真は大戦前後のもの。サシャの前世と考えれば君は百年から百二十年程度の間隔で生まれ変わったことになるぞ?」
「……確かに。随分短くない?」
マシューの顔を見ると彼も頷く。
「生まれ変わりにしては短すぎるよ。“私”も太陽王もそもそも頻繁に世に出てこないはずだし」
「あ、あの……何のお話?」
「ふむ。この面々には話していいと思うが、どうする? サシャ」
「あんまり巻き込みたくないんだけどマリルーと共通の敵もいるし……仕方ない」
騎士ダリアやジョゼットさん、マリルーなどにこれまでの経緯をざっと説明する。太陽の子孫として狙われていること、太陽神ソルと同じ名であるソルという女性の意識。それからマシューにも月神マニらしき意識が芽生えていること。二人はたまに出て来てはサシャとマシューのことを守ってくれること。先生たちに話した神の呪いの話だけは避けおおよそを話すとオルフェオやティアラ姉妹も大きく頷いた。
「やはりお二人は特別だったのですね」
「お二人に親しみを抱くのは血に刻まれた古き母と父を感じたから……そう思えば納得いたします」
「か、神様の生まれ変わりってすごくない……?」
「暫定ね、暫定」
「生まれ変わりに暫定もクソもあるかよ」
オルフェオは私とマシューの話を聞いて顎に手を添え何か深く考える。
 その考えを聞こうと頭を傾けた時、近くで悲鳴が上がる。同じテーブルの面々が全員そちらに注意を向けると薄汚れた夜色の髪が見え、男性が床にうずくまっているのがわかる。
「げえ! また出た!」
マリルーの悲鳴を耳にしながら私は男性に駆け寄る。合成獣だが、違う。彼は。
「サシャさん! 待って危ない!」
駆け寄った私の腕を、病院にいるはずの男が掴む。
「逃げ、て」
学園の結界を無理やり越え、憔悴した彼はか細い声でそう口にする。意識を失った彼を腕に抱いた途端、食堂の端で空間が大きく歪みそこだけ光が失われたようにごっそりと暗くなる。まるで獣が食べてしまったような穴から夜色に染まった精霊と人のツギハギたちがぞろぞろと現れ、虚な瞳を私に向ける。
「太陽」
「は一つ、」
「二つ」
「目はなし」
「太陽はひと」
「つ、二つ目」
「はなし」
うわごとのように同じ言葉を繰り返しながら彼らは私に向かってくる。生徒たちの大きな悲鳴を聞きながらアミーカを呼び、反撃に出ようと構えた。
 しかし私の視界を夜空色のマントが遮る。見上げれば上着も手袋も星空で染め上げたような紺色に、金糸で装飾を施した男性が魔法を放つため右手を掲げていた。
「我、夜の子。星なくば昼はなく、光なくば夜はなし」
大きな術式の詠唱の大部分を省略し、男性は合成獣たちに手の平を向ける。彼と私の頭上に夜空が現れ光のつぶて、星のかけらが落ちてくる。星のかけらは合成獣の体を撃ち抜き、引き裂き、嵐のように放たれる。
光に焼かれたが如く獣たちはその身を焦がし次々に伏していく。悲鳴を上げる生徒たちを先生たちが誘導しているのを背中で感じながら、気絶した元夜色の獣を使い魔に任せ私は立ち上がった。
星海に包まれる懐かしい感覚。意識を宙(そら)に放り全身で深く呼吸をする。太陽たる私は寝ていても、起きていても、心臓が動く限り魔力を作り続ける。目の前の男性を直接手伝うことは出来なくても後ろで膨大な魔力を生成すれば魔法は長く続くだろう。
他の先生たちも駆けつけ友人たちを保護する頃、夜空のマントの男性は獣を全て倒し、振り返って私に跪く。騎士を見下ろす少女が右手を差し出すと、夜空に浮かぶ三日月のような紳士はそれを恭しく取った。
「名乗り遅れて申し訳ございません、我が主」
「赦します。わたくし、寛大で有名なの」
太陽たる娘は、妖艶に微笑んだ。

 漆黒の合成獣による襲撃で全学年授業どころではなくなり、事態が落ち着くまで学園の関係者はあちこちに奔走した。私だけでなくマリルーも狙われていたことを伝えると私と彼女はひとまず先生たちが集まる校長室に連れ込まれた。
 会議とは名ばかり、先生たちはほぼ怒声に近い言い合いをしておりマリルーは圧倒され今にも気を失いそうに顔を青くしている。そんな彼女を隣に私は騎士ダリアと騎士アレクサンドラ、そして闇属性の先生であるユベール・ソレルに紅茶とお菓子を給仕されていた。
「マリルー、水分くらい摂りなさい? 朝食もろくに口にしていないでしょう、貴女」
「サシャさんはなんでこの状況で食べられるんですかぁ!?」
「だってお腹空いたんだもの。はい、あーん」
プレーンクッキーを口に突っ込まれたマリルーは涙目で咀嚼する。私は先生たちの怒声が早く落ち着かないかしら、と思いながらおおあくび。
「ふぁー、ふ。失礼」
こうなっては仕方ないと女性騎士たちには女神の私についてのおおよそは話した。校長先生が他の先生たちを宥めるも全体は落ち着かず、仕方なく私は両手を打ち鳴らす。一瞬自分の声を奪われた先生たちは驚いてあたりを見回し、私の顔を見た。
「賑やかですこと。そろそろ耳が痛くてよ」
もう一度手を鳴らし彼らに声を返すと怒声をあげていた者たちは己の喉を確かめた。
「……今のは?」
「校長先生の話をお聞きなさい貴方たち。はしたない」
紅茶をつつつ、と喉に通すと校長先生の声がやっとこちらまで届く。
「諸先生方意見は色々ございましょうが、今は警備を厚くするほかありません」
「ですが! この学園の警備は他の魔法学校の比ではないんですよ!? それを突破されたとなると最上級の結界を設置しなくては……ならば議会に申請を!」
「魔法協会にも相談をした方がいいと思います。いえ、議会よりそちらが先かと」
「もちろん両方検討いたします。しかしそれよりも先にバレットさん、いえ、太陽たるお方に意見を乞うべきかと」
校長先生は恭しく左胸に手を添え私に視線を送る。私は彼と周囲から視線を送られるもツンとして紅茶に集中する。全員が私の言葉を待つので仕方なくティーカップをテーブルに置いた。
「今回は小娘のわたくしよりユベールの方が詳しいのではなくて?」
ねえ? と彼を見上げると騎士ユベールは左胸に手を添え軽く頭を下げる。
「はい、まずは私からいくつか情報の提示をさせて頂きたく存じます」
「聞きましょう」
「ありがとうございます。では私の身分から説明を」
見知ったはずの同僚が改まった態度で手袋を外すのを先生たちは黙って見つめる。騎士ユベールは手の甲に刻まれた、車輪のような花のような、古き太陽の焼印を全員に示す。
「名はユベール・シモン・ソレル。太陽騎士団の一員であり、天の花嫁に代々仕える騎士の一人です」
「太陽騎士団!?」
「実在したのか……」
「た、太陽騎士団ってなんですか……?」
おずおずと聞いたマリルーに、騎士ユベールは左胸に手を添え会釈をする。
「太陽騎士団とは古代ソル教、太陽王ソル陛下が遺した経典を支持する者たちの中でも、陛下の身の回りをお世話する者の集まり。現代においては国が公認している訳ではございませんので厳密には騎士ではございませんが、古より陛下のしもべでございます」
「す、すごい……」
「古代ソル教は天の花嫁を崇める者ならばどんな者でも加入できますが、騎士団には真に信仰が篤く、また理性のある者しか選ばれません。そして街の中に潜み、陛下に存在を知られずともただお護りすることを第一としております。しかし此度は学園の外と内、両方に騎士がいたにもかかわらず護りをかいくぐられており、非常時だと判断いたしまして公に名乗りを」
「そうでしたか。では……太陽騎士団はどんな判断を?」
「私たちが何かを決めると言うことはまずございません。今後も天なるお方をお護りするのみ」
「そ、それは何も対策をしないのと変わらないのでは……?」
「いいえ、我々はどのような場所、どのような集団にも紛れています。しかし数回の襲撃を受けても相手の情報は微々たるものしかなく、しばらくは情報収集に勤しむ他ございません。申し訳ございません、我が主。貴女様のことは必ずお護り致しますが今しばらくは現状を維持して頂きたく存じます」
「構わなくてよ」
「ありがたきご慈悲」
「騎士がこう申すのだからわたくしは学生生活を続けます。でも他の子に危害が及ぶのもね……。マリルーもいるしオルフェオたちも」
「わわ私のことは別に」
「マリルー、あなた卑下もいい加減にして。少しはわたくしの“契りの子”としての自覚を持ちなさい。血の繋がりはなくても親子、もしくは姉妹のようなものなのですよ?」
「え!? そんな大事なんですかこれ!?」
「当然です。太陽と月の契りは運命と共にある。そこに居合わせたのだからわたくしたちに連れ添う覚悟はなさい」
「ひぇ……すごい人に巻き込まれちゃった……」
「それでユベール」
「は」
「貴方、情報が少ないとは申しても多少の心当たりはあるのでしょう? 先生方にはお教えしたら?」
「はい、我が主。古来より太陽たるお方を狙う者は千差万別に存在します。しかし太陽の騎士たる我々の護りを掻い潜るとなると、一番に疑わしいのは騎士団の中から裏切り者が出た場合です」
「なるほど。裏切った騎士なら学園の内外での襲撃が可能に……」
「ですが、騎士であれば陛下がお休みになられる夜間にお部屋を襲撃すればよい話。それをしない、出来ないとなると騎士である可能性は低くなります」
「そうねえ。今のところ私室へは来られないようだし……狙われたのは夕方か朝方。真昼間には襲われていないのよね」
「陛下を狙うのであれば日が沈んでからが絶好の機会です。天の花嫁は天球で一番高く御座す時に最大のお力を発揮いたします故に」
「そうね。それにこれから夏至だし……ん?」
そう言えば夏至に近づく今の時期、私の力は大きくなる一方だ。太陽の子孫に関しても同じことでどうせ狙うなら冬を待つ方がいいはずなのに。
「そうよ、もうじき夏至なのよ。冬ならともかくいま太陽とその子孫を狙うのは変じゃない?」
「はい、その点も不可解です。真にお命を狙うのであれば冬至の直前が一番の機会。しかし相手は立て続けに陛下を狙っております。これではまるで夏至までに目的を達成しようと考えている……そのように受け取れます」
「うーん、なるほど……」
「加えて、此度は術が解けた一人が先んじて陛下の元へ辿り着いています。あの者の回復を待って話を聞くのが最も得られる情報が多いのではと」
「そうね、あの子のことは私も気がかりなの。いま保健室にいるのよね? 起きていたら話を聞きに行こうかしら」
「主の望むようになさってください」
「ほんと? じゃあ早速向かおうかな。マリルーはどうする?」
「えっ! わ、私は〜あの〜怖いから先生たちと一緒にいます……」
「そう、わかった。いらっしゃいユベール。ダリアとアレクサンドラも」
「は」
「はい! お供いたします!」
「……と、そうだ。忘れ物」
席を立った私はマリルーの顔に手を添えるとほっぺたにぷちゅっと口付けをする。
「ぴゃああ!?」
「今朝の“お仕置き”忘れるところだったわ。また後でねマリルー」
「うびゃあああん!」

「さーてと」
 校長室から退散し自分のお供しかいない状態でのびのびと腕を高く持ち上げる。廊下を進み中庭近くまで来るとアミーカに無言で人型になるよう指示し、全員を前に立つ。
「丁度いいからアレクサンドラにもダリアにもお話ししておきます。私、いえわたくし、目覚め方としては不完全なの。だからサシャらしい時もソルらしい時もあるわ。ちょっと面倒くさいと思うけど慣れてね」
「はい! 我が君!」
「もー、我が君はナシ」
「はい!」
「それからアミーカのことも。彼は精霊として世界に散っていましたが私の槍です。雷の化身よ。言うなれば私の手足だから、私と同じくらい大切にしてね」
「はい!」
「承知いたしました」
「あの獣の子の見舞いにも行くけど先にユベール、貴方の部屋に行きましょう。正式にわたくしの騎士として認めます。アレクサンドラとダリアもね」
「本当でございますか!? 嬉しいです!」
「畏まりました。私の教務室はこちらです」

 ユベール・ソレル先生の教務室は想像通り、夜と空、星に関連するもので埋まっていた。私は狭い部屋の大部分を占める太陽系の模型に近付くと太陽を示す球体の表面を指でなぞる。
「ソレル氏は星魔法の研究をなさっているのですか?」
「はい、星魔法を得意としております故に。校内では闇魔法の教員を勤めております」
「はい、先生! 星魔法とはなんでしょうか!?」
「星魔法とは古くは星読みと呼ばれた者たちが扱った奇跡でございます。現代では闇魔法と光魔法の上位混合魔法となっており、使い手はそう多くありません」
「なるほど! わかりました!」
様々な星と天球の模型を一つ一つ指でなぞり満足すると、太陽の化身は日が差す窓辺に立った。
「お座りなさい、子供たち」
三人の騎士は静かになると私の前で並んで跪き、使い魔たるカラスは主人の斜め後ろに跪いた。
「騎士なのだからそれぞれ祭礼用の剣は持っているのでしょう? お出し」
騎士たちは魔法で小さくしたり別の場所に仕舞っていた己の剣を私に差し出す。まず騎士ユベールの剣を受け取り、鞘から抜き出して彼の左肩に添える。
「汝、星の子。其の血は太陽からの贈り物であることを努々忘れることなかれ。汝、太陽の護り手。美しき者の為に強くあれ。そして須く眼前の敵を屠り給え。汝、弱き者の守護者。悪逆を憎み慈悲深くあれ。これを戒めとするならば、ユベール・シモン・ソレル、そなたを太陽の騎士と認めます」
「我、ユベール・シモン・ソレル。三つの戒めを心に刻み、全てを護ると誓います」
「よろしい。ならばそなたは太陽の騎士ユベール・シモン・ソレルである。この時より太陽たる娘の守護者。太陽の恩寵を受ける者よ」
剣を鞘に戻しユベールに手渡す。一人分の儀式はこれで終わり。続いて騎士アレクサンドラ、次に騎士ダリアと名前を変え儀式は続いた。
「全員立ってよろしい」
全て終わりアミーカと三人の騎士が立ち上がる。騎士ユベールは涼やかな表情をより引き締めて。騎士アレクサンドラは涙ぐみながら。騎士ダリアは晴れやかな顔で。騎士たちの顔を見終わると私は肩をすくめた。
「久しぶりにした気がするわ、騎士を認める儀式」
「大変光栄に思います!」
「そうね、こればかりは光栄に思ってもらわないと。さて、じゃあ獣の子の見舞いに行きましょうか」

 保健室を訪れると瓶底メガネのおじいちゃんが薬缶の中で煮立たせたコーヒーを啜っているところだった。
「アチッ」
「おはようございます」
「ム!?」
「あのー、運ばれてきた夜色の人、今どうしてます? 気になって」
コーヒーをズゾゾゾっと啜ると保健医のおじいちゃんは私たちを手招いた。
「失礼します」
おじいちゃん先生は窓から一番遠いベッドに近付くとカーテンをちらりとめくった。覗いてみろと指で差されその通りにすると、彼はこちらに背を向け静かに呼吸をしていた。
「容体はどうなのでしょう?」
「悪かなイね。いや、悪イ」
「どちらですか?」
「結界を越えた分は悪かなイよ。消耗はしていたが。だが持病持ちだったんダロウよ。血痰を吐いてるから腫瘍かネェ……」
「ミスター・ウルフ。腫瘍はいつのものか判りますか?」
(このおじいちゃんウルフさんって言うんだ……)
「相当前だロウて。ここじゃ詳しい検査は出来ん。病院に戻した方がイイ」
「そうですか……」
ウルフ先生はくしゃみを白衣で押さえながら再びコーヒーを啜りに行く。
「ウルフ先生」
「ム!?」
「いま彼に話を聞いても大丈夫でしょうか」
「ム? ううーん……起きていたら構わんがネ」
つまり起こすな、と。
「……仕方ないから一度戻る?」
「いえ、その必要はなさそうです」
騎士ユベールが示す方を見ると夜色の瞳は体の向きを変えぼんやりとこちらを見ていた。
「あら、おはよう。具合どう?」
ベッドの脇に腰掛けると夜色の獣は私の顔に腕を伸ばしてくる。騎士たちは一瞬緊張したが私は構わずその手を握る。
「怪我ならしてないわ。知らせてくれてありがとうね」
握った手を親指の腹で撫でると彼は数度瞬きをする。ウルフ先生の言う通り体調はいいのだろう。今のところ苦しそうには見えない。
「あなた名前は?」
「なまえ」
彼は私の言葉を鸚鵡返しするだけで深く考えてはいないようだ。
「貴方のお名前。ほら、お母さんやお父さんに付けてもらったでしょ?」
私の目を見たまま彼は何か思考を巡らせるも首を横に振る。
「それなら、住んでいたところで大人の人に呼んでもらったでしょう? 名前」
彼はまた首を横に振った。
「えっ……じ、じゃあなんて呼ばれてたの? ほら、他の人に声をかけてもらう時……」
「……おい。あと、五十三番」
名前のない子供がこの時代にいるだろうか? いや、いたんだ。私の知らない世界には。ショックで言葉を出すことを忘れていると彼は起き上がろうとする。
「あ、まだ起きない方が……」
騎士たちは彼が起き上がるのを手伝い、男は私に体の正面を向けて座る。
「サシャ、様」
「サシャでいいよ」
「サシャ……」
男は私の手を引き寄せ頬擦りすると目を瞑る。なんだかすっかり懐かれてしまったらしい。
「やめろ」
私の思考を先読みしたアミーカが口を挟む。
「だってなんか懐かれちゃったし……」
「可哀想だから引き取ろうなんてのは安全圏で育った奴の傲慢だ。最後まで面倒見れんのか? ペットじゃねえんだぞ」
「そうだけど……」
でも放って置くのも忍びない。
「俺の時とは状況が違う」
「でも放って置けない……」
「“可哀想な奴”が好きなら道端に転がってる人間全員引き取って来いよ」
「うう……」
「アミーカ様、さすがに言葉が厳しいのでは……」
辛く当たるアミーカを嗜めた騎士アレクサンドラを彼は目を見開いて睨む。
「煩え、育ちで言うなら俺も“可哀想な奴”なんだよ。だがこいつは俺を憐れんだことはない。それでいいんだ。可哀想なんてのは金と力と時間のある奴が地べたに転がってる奴を見下す時に向ける感情なんだよ。んなもん向けられたって誰しも羽一枚分だって嬉しくないね」
アミーカは私の手を握っていた男の手首をキツく握り、彼はそれに驚いて身を硬らせた。
「てめえもてめえだ。一度優しくされたからって懐くな。いいか、お前の知らない世界にはこんなのほほんとした小娘いくらでもいる。十人や二十人じゃねえぞ。もっとだ」
男の手を離すとアミーカは厳しい目で私を見る。
「真剣にこいつを思うなら自立させる方が先だ」
「……うん、そうだね。ごめん」
アミーカに叱られ肩を落とす私をみて男はおろおろと周りを見回す。
「さ、サシャは悪くない」
「いいや、今のはこいつが悪かった。お前を馬鹿にした」
「馬鹿とは、言われてない。彼女は悪くない……悪いのは俺だから、ごめんなさい」
「違うの、貴方は何も悪くないのよ。私がいけないの。ごめんなさい」
「……サシャは悪くない……」
彼は納得できなかったのか私以上に肩を落としてしまう。本当は色々と聞き出したかったけど、今日のところはやめておいた方がいいかも。
 何とも言えない空気になってしまったところで校長先生が保健室に顔を出す。そして手には何故かお酒のような小瓶が握られていた。
「病院から抜け出した悪い子のベッドはここかな?」
「アグトリア先生!」
「……俺、悪い子? ご、ごめんなさい……」
「おい何だそれ。まさか酒瓶じゃねえだろうな?」
「ジュースじゃよ、ジュース」
と言いつつ校長先生はラベルを見せてくる。古い字体で書かれた蜂蜜酒の文字。古そうな緑のガラスのボトル。中には輝きを放つ金の液体。
「いや、思いっきりアルコール度数書かれてますけど」
「ほう、ロード・アグトリアはそんな物もお持ちで」
「ただのお酒じゃないの?」
「魔法酒の一つなのですが、大変貴重な物です。製造元の蔵が焼けてしまい現在までの五百年新しく製造されていませんから飲んでしまえばそれっきりの品です」
「……つまり五百年もののお酒なのね」
「ほっほ。ささ、“バレットくん”は寮に戻りなさい。ソレル先生、彼女を見送っていただけるかな?」
「勿論です。参りましょう、主」
「ええ、でも……」
「ここは先生に任せましょう。さあ」
「……うん、わかった。じゃあ、またね。この方は悪い人じゃないから大丈夫よ。落ち着いて話を聞いてね」
「うん……サシャはどこに?」
「私は自分の部屋に行くの。また後で会いましょう」
「後で……わかった」
後ろ髪を引かれながら保健室を後にする。校長先生はウルフ先生も呼んで、小さなグラスに三人分のお酒を注いでいた。

 廊下を進み人気がない場所で騎士ユベールに振り返る。
「あれなんてお酒?」
「ラベルにはただ蜂蜜酒と書かれておりますが、製造には全て魔法使いが携わっており原料の蜂蜜も特殊な物です。蜂蜜酒はワインやビールなどが普及する前から存在し、おそらく我が主も口になさっていると思います」
「んー、まあ王様時代にはあっただろうけど……」
あったとしても嗜みとして飲んでいたような。
「蜂蜜酒とはただ人が飲料としただけではなく神への捧げ物としてありました。あの緑色の瓶の蜂蜜酒は古い時代の蜂蜜酒の作り方を現代までに伝えているのです」
「……ええとつまり、私が神様時代に飲んでいた蜂蜜酒も特別だったってこと?」
「左様でございます」
「なるほど……」
「なるほどって言いつつわかってねえだろお前」
「うん、わかってない。だって蜂蜜酒なんてその辺の売店にもあるし……普通の飲み物のような……」
「ではこう言い換えましょう。黄金の林檎と同じ効能を持つ蜂蜜酒です」
「ああ!」
黄金の林檎は常若(とこわか)の林檎とも呼ばれる、かつて神々が口にした食物。神の体は濃い魔力によって維持されており黄金の林檎はその供給源の一つ。神は不死なるもの。その伝承通り神々は黄金の林檎を口にしていれば常に若々しくあれた。そして神は病や怪我を負った時、黄金の林檎を真っ先に口にした。あれには傷を癒す力があるのだ。
「なるほど、黄金の蜂蜜酒ってことね。五百年前まではあったのか……飲みたかったな……」
「未成年」
「もう、わかってますー! お酒は二十歳になってから!」
「主がお望みであれば入手して参りますが」
「ううん、いい。でも薬酒なら確かに彼の体にもいいわね。名案」
黄金の林檎で思い出したがイズーナは元気だろうか。恐らくまだ“あちら”にいるはずだけれど。
「あーあ、部屋戻るの面倒くさい。抜け出しちゃおうかな」
「主」
「わかってますー、大人しくしてますー」
「もし外にお出かけになる際は必ず護衛をお連れください」
「もう、わかってるわよ。一人で出かけたりしないわ。……お酒は冗談として、黄金の林檎を思い出したら食べたくなっちゃった」
「……現存するのですか?」
「管理者のイズーナが無事ならまだあるはずだけど」
「古く美しき御方の名ですね。主と同じく」
「私より彼女の方が美人よ」
 女子寮の手前で騎士ユベールに振り向き、ここでいいと伝える。
「見送りありがと、“ソレル先生”」
「御用命があれば私や、他の太陽騎士にもお声がけを」
「あ、やっぱり他にもいるんだ?」
「無論でございます。そして皆それとなく主に会っておいでです」
「え? マジ? 誰だろ……」
「ではこれにて」
「うん。今日はありがとう」
「恐れ多くも、私こそ騎士と認めていただき大変光栄でございます。では後ほど」
「またね」
騎士ユベールも見送り、さてと私はアレクサンドラを見上げる。
「ご命令があれば何なりと」
「そうねえ……正式に従者にしたし、とりあえず部屋の前を見張っててくれる? それから一緒にご飯にしましょ」
「畏まりました、我が主」
「お堅いのはナシナシ、今まで通りね。じゃ、戻りましょ」

 六人部屋に戻るとリビングではティアラ姉妹、ジョゼットさんとその騎士デルフィーヌ、そしてマリルーが揃っており私の顔を見るとみんな不安そうに振り返った。
「あっお帰りなさい! お邪魔してます」
「どうしたのみんな揃って?」
「それが本日は授業が全て中止になりまして、マリルーさんの予定としては先生方と足りない教科書を買い揃えに行く予定だったそうなのです」
「あら」
「どうしても今日じゃないとダメな教科書が二冊あって、先生には相談したんですけど一週間後にしようって話になって……。でも私、勉強出来る子じゃないからどーしても今週に欲しいんです! どうしたらいいでしょう!?」
「と言う、相談をサシャさんにしたくてここへいらしたそうです」
「なるほど? うーん……」
教科書は確かに大事だけども……。
「それ、命かけてまですること?」
「へ!?」
「真剣な話よ? 命かけてまで今日揃えないといけない本? 来週には先生と買いに行けるのよね?」
「い、命は〜……うう〜でも〜……」
「来週まで私の教科書を一緒に使うのじゃダメ?」
「え!? いいの!?」
「それが一番いいと思うわ」
「わ、わああ〜助かる! ありがとうサシャさん!」
「どういたしまして」
「あ、じゃあ用が済んだし私帰ります……お邪魔しまし」
「待った」
「ひゃい!?」
「マリルーも今後危ないだろうから出来るだけ私と行動しましょ。私はなるべく護衛と一緒にいるつもりだから」
「ええ!?」
「名案ですね」
「本当に。お二人に何かあってはわたくしたちとても平常心ではいられません」
「お嬢様たちに心労をかけちゃいけないから、そう言うことで」
月の子たちとにーっこり微笑むとマリルーは全員を見回す。
「えええでもぉ……」
「“契りの子”に何かあったらわたくしも平常心じゃいられないでしょうし」
「う、うう……。わ、わかりました……」
「いい子ね。さて、じゃあ今日は出かけられないし授業もないのか……暇っちゃ暇だけどどうしようね」
「自主的に勉強か、自主練がよいと思ったのですが」
「そうだね、賛成。マリルーも一緒にどう?」
「い、いいんですか!?」
「もちろん」
「それじゃあええと体操着? いや、教科書?」
「オルフェオたちも誘ってから決めようか」
「わわわかりました!」

 マシューたちを誘った結果マリルーの魔法の暴発を何とか制御できるようにきっかけだけでも作ろうと、第三演習場に集合となった。騎士も含めほぼ全員体操着。月の子たちが途中で疲れないようにと軽食を食堂で作ってもらった。マリルーの自主練ということでデルカ先生も来てくれて、傍目には課外授業の形となった。
「さてじゃあ……どうしたらいいですかね先生?」
「私はあくまで諸君を見守ることに専念するよ」
「先生がそう仰るならミス・スロースが決めた方がいい。練習するのは君だし」
「ええっ!? 私が決めるんですか!? いやもう暴発しなければそれでいいというか!!」
「つまり漠然とした目標のみ。どうするかは探るしかないわね」
「提案」
「あら。アミーカ何かいい考えある?」
「無闇に練習するより魔力の質を調べた方がいい。優位な属性から覚えた方が事故も少ないだろ」
「いい考えね。それじゃあええと……魔力の味見が手っ取り早い?」
「味見って何ですか!?」
「使い魔曰く魔法使いの魔力にはそれぞれの味があるそうなの」
「そうなんですか!?」
「精霊たちはよく噂してるよ。主に太陽系統の火、風、光の三属性は甘い。月系統の三属性の水、土、闇は苦いそうだよ。星そのものの魔力から味は感じないそうだからヒト特有らしいけど、不思議だね」
「へええ!」
「と言うことでアミーカくんよろしく」
私の影から出てきたアミーカはマリルーの前へ行くと「失礼」と一言断って彼女の手の甲を吸う。
「ひぎゃー!?」
「オウルも協力しておあげ」
「はい主。失礼致します、ミス・スロース」
「うびゃー!?」
両手の甲を容姿端麗な精霊に吸われマリルーは首まで真っ赤になっている。そして彼女の魔力を“味見”した使い魔たちは何とも微妙な表情をしていた。
「どう?」
「……味が多い」
「様々な要素がございますね。しかし主体は苦み、でしょうか?」
「えっ? 火属性が顕性なら甘いんじゃない?」
「いや苦い。……けど甘いんだよな。なんだこれ。あと口に残る。重い」
「重い?」
「……比べるためにお前の主人の魔力吸っていいか?」
「だそうです、坊ちゃま。いかがなさいますか?」
「俺は構わないよ。でもサシャの方から試さない? まだ午前だし」
「いいわよ」
「では失礼致します、サシャ様」
「どうぞ」
私の手を取りオウルが指の甲に口付ける。いつも穏やかな表情をするオウルは珍しくはっきりと表情を変えた。
「おお、これは……!」
「どう?」
「……言葉にするのが難しゅうございます」
オウルは驚きながらも口を押さえてどこでもないところを見ており、ややぼんやりしている。
「強い幸福感に襲われているね」
「そんなに甘い?」
「……あくまで褒め言葉ですが、暴力的な甘さと体の中心を吹き抜ける爽快感がございます」
「ふうん?」
「お前、それで“溺れる”などと言ったのか」
「意味わかっただろ」
「ん?」
「彼はサシャ様と契約後、怪我の名残がある内は平気だったそうなのですが貴女様の魔力の多さとその味から“甘い嵐の中で溺れている気分だ”と私にこぼしておりまして」
「あれ、そうだったの」
「おい馬鹿! 言うな!」
「全ては言っておらんぞ?」
「八割言ったら全部言ったようなもんだろうが!!」
アミーカをじっと見つめると彼は居心地悪そうに視線を逸らす。
「……アミーカがご飯ねだらないのってそう言う理由?」
「……全部が全部じゃねえけど部分的には、まあ」
「そう」
私の魔力で満ち足りてるから食事という行為に手を伸ばさない。いいことではあるのだろう。
「さてアミーカ、試すかい?」
「おう」
「ほんの少しにした方がいいよ。オウルの反応があれなら、逆も想像できるだろう?」
アミーカはマシューの手の甲に軽く口付ける。と、彼はすぐさま飛び退いた。
「にッッッッッが!!!!!」
「そうだろうね」
「ぐへっ! なんだこれ!? ペッペッ!!」
「ちょっとアミーカ、わたくしの月に失礼じゃない?」
「苦ぇ!!」
「わかったから。テイスティングなんだからちゃんと解析なさい」
「うう〜ぐうう〜……」
アミーカは苦さに耐えられなかったのか人目も気にせず私の手の平を吸いにくる。
「そんなすぐ口直しするほど?」
「あぶねービビった……。死ぬほど苦いし重いし……ああでも嫌な感じじゃなかった気が……強烈だけどひたすら苦いっつーか……。ううでも口の中が痛え、きっつい塩水飲んだ気分。あと初めて飲んだ薬の味とその他諸々の苦い味」
「ごめんねマシュー」
「いいんだよ、受け取り方はそれぞれだから」
アミーカは何度も私の手の平に吸い付くので余程だったのだなと彼の頭を撫でる。
「もう一回マリルーの魔力味見してみたら?」
「そうする」
「坊っちゃま、私も口直しを先に……」
「甘さが強かったかな?」
「はい……これは慣れていなければ酔ってしまいます」
「あらそんなに?」
アミーカとオウルはまたマリルーの手の甲に口付ける。マリルーはまた顔を赤くして「ぴぃい」と小さく震えていたし、二人も再び何とも言えない表情をする。
「難しいんだよ……何だこれ」
「ううむ……どちらかと言えば我が主に近い気がします」
「月っぽいってこと?」
「はい」
「太陽属性に転入してきたのに変な話よね?」
アミーカは舌を頬の内側で転がしてからデルカ先生を見る。
「おい、こいつ本当に太陽でいいのか? 火と光だろ?」
「うむ、実はスロースくんの適性に関してはおおよそしか割り出せていなくてね。適する属性が多くてどのクラスにするかかなり悩んだんだ。ただ火と土が顕著に現れるので、どちらかと言えば強い火を優先しうちのクラスになった訳なんだが……」
「もしかしてマリルー、闇も混ざってない?」
「ええ!? わたし四属性ってことですか!? そんな話ある!?」
「可能性としてはあり得る話だ。紫の瞳は闇属性に多い」
「この味だと闇入ってるって言われても納得するしかねーな。重いし」
「魔力にも口当たりの軽さ重さがあるのねえ」
「……口直しする」
「アミーカあなた苦さに弱すぎじゃない?」
「誰のせいだよ」
「まあ」
私の使い魔はまた人目も気にせず手の平をちゅうちゅうと吸いに来る。
「ふーむ、結局結論が出ないみたいだし困ったわね」
「逆もやればいいだろ」
「どゆこと?」
「そのチビにお前の魔力舐めさせるんだよ」
「ああ、使い魔はご主人様と感覚的に繋がってるから言葉に出来なくても近い属性の判断は出来そうね。いい? マリルー」
「う、うちの子にサシャさんの魔力を?」
「そう、マシューもね。ご主人様と似た味ならどちらかには反応すると思うから。さてじゃあおチビちゃ〜ん、私の指ぺろっとしてくれる?」
人差し指を突き出すとマリルーの使い魔、黒い鱗の古竜の赤ん坊は遠慮もなく指をぱくっ! そのまま主人の手の上で私の魔力をべろべろと舐め始める。
「あら食い付きのいい。どう? マリルー」
「ひ、ひたすら美味しいとしか……」
「まあ竜だから太陽の力は主体だし、普通はそうなんじゃない?」
「おい舐めすぎだ。そろそろ遠慮しろ」
「アミーカがヤキモチ妬くからこの辺でね? 交代しましょマシュー」
「うん。さて、甘い後に苦いだろうけどどうかな?」
古竜は私の時と同じようにマシューの人差し指をぱくっ!
「ほんと食い付きがいいわね。腹ぺこなのかしら」
「ガキだしな」
「そうね、成長中よね」
「どうかなマリルー?」
「ええ……? こっちも美味しいとしか……」
「やっぱり混沌使いの使い魔だから両方好きなのかな? 違いはなさそう? 感覚をよく探るといいよ」
「ええと……」
マリルーは顎に手を添え目を瞑る。主人が使い魔の感覚に集中して眉間に皺を寄せる中、古竜はマシューの指をずっと舐めている。
「月の魔力に強いみたいだね」
「あの苦さに耐えてんのすげえな……」
「アミーカ的にはちょっと信じられない、と」
「これだけ耐えているのなら鱗の黒さも鑑みて、やっぱり闇系の古竜なんじゃない?」
「でも瞳は金色よ?」
「金の瞳は古竜には珍しくないと思うけど」
「うーん……。やっぱりその辺は獣学のプロじゃないと判別つかないかな……」
古竜の子はマシューの指を美味しそうに舐め続けるので私も再び指を突き出してみる。すると竜の子は贅沢にも二人分の魔力を交代で舐め始めた。
「腹ぺこなのね」
「よく吸うね。子供のうちは魔力大して吸い込めないはずなのに」
「……おいそろそろやめた方が」
「またヤキモチ」
「違ぇよ。古竜が魔力大量に吸ったら胃袋無尽蔵に……」
アミーカとオウルは何かを察して古竜から私たちを引き剥がし、古竜は突然主人の手の平から勢いよく飛び跳ね高く空中に舞う。
「ぴぎゃあ!?」
全員が目を奪われる光景が続いた。
トカゲほどの大きさしかなかった黒い鱗の竜の子は空中でぐんぐんと大きくなり、たくましくも絞られた美しい四肢と大きな羽を広げる。彼は一度そのまま空の彼方に飛び去り、上空を二、三周すると地面に降りてきた。
「竜が成長したところ初めて見た……」
「まあ、素晴らしい」
「本当に。なんて美しい竜」
降り立った竜は健康的に膨らんだ筋肉とまだ幼さの残る瞳を併せ持つ、人でいう青年の年頃となっていた。
「美味しかったー。ご馳走様! パパ、ママ!」
「うちの子が喋ったぁ!?」
黒い鱗の若い竜はご主人であるマリルーの顔を大きな舌でべろーっと舐める。
「ひぎゃあ!?」
「マリルーおはよう」
「おおおはよう!?」
「ああ、竜に限らない精霊たちの挨拶だな。古竜の成長は精霊への目覚めに等しいから、初めに最も親しい者へおはようと言うらしい」
「そっそうなの!? さすがベルフェスくん詳しい……」
「イゥスの受け売りだよ」
全員が見上げると若き竜は誇らしげに胸を大きく膨らませる。
「俺の名は“宵闇”。嵐と闇の爪先であり星の光で遊ぶ者」
「闇ィ!?」
「ほう、闇属性か」
「闇属性の竜と契約してるならマリルーも闇が主体じゃない?」
「そうだよママ!」
「俺の主人をママ呼ばわりするな、はっ倒すぞ」
「よろしくお兄ちゃん!」
「誰がお兄ちゃんだ!!」
これにはデルカ先生もぽかんとして見上げるしかないようだ。私たちは驚きや感動で若い竜を見つめた。
「なーに?」
「星の光で遊ぶ者……ってことは宵闇が得意とするのは星魔法?」
「そうだよー」
「あらまあ珍しい」
「わたし闇なんて使ったことないよ!?」
「そりゃあだって食べたし」
「ああ、片っ端から闇の力を食べ尽くされてたわけね……」
「どういうこと!? わたし闇属性で火属性で土属性で光属性なの!? 頭こんがらがる!!」
「火より闇の方が強いから月に近かったのね」
「うん、完全に月と太陽の混沌だね。相当珍しいと思うよ」
「ひええー! ただでさえ目立ちたくないのにぃー!!」
「何でだマリルー? 力が強いならパパとママの子として誇れるだろ?」
「宵闇の感覚ではそうかもしれないけど私は平穏に暮らしたいの!!」
「目立たないと平穏は違うぞマリルー」
「ひぃいいうちの子わたしより賢い!!」
「ふふん、嵐の子だからな」
宵闇は得意げに胸を張るとまたトカゲのような大きさに戻りマリルーの肩へ飛び乗った。
「やっぱりこっちが落ち着く」
「まだガキだもんな」
「可愛がってねお兄ちゃん!」
「誰がお兄ちゃんだコラァ!」
「嵐の子ならわたくしの力の末裔だし、アミーカは雷、嵐の化身だから直接のご先祖さまよね。本来なら“お父さん”じゃない?」
「誰がお父さんだ!!」
「お父さんそのままならお父さんだったんだけどねー、生まれ変わってるから」
「なるほど?」
「デルカ先生」
「……ん!? おお! なんだね!?」
「宵闇の言う通りなら彼女、月クラスに動かした方がよいと思うのですが……」
「ううむ悩ましいな。ひとまず報告に行ってくるから君たち、私が戻ってくるまで魔法は使うんじゃないぞ!」
「わかりました」
デルカ先生は走って演習場から去っていく。その背を見送りながら私はにんまりと笑った。
「でも使うなって言われると使いたくなっちゃうのよねえ」
「ガキみたいな悪戯心出すな」
「だってまだ十六歳ですもの」
「それとこれ関係ねえ」
私は長袖のジャージを脱ぎ半袖になる。そして触媒も着けて、と。
「いらっしゃい宵闇! 遊んで差し上げてよ!」
「わーい!」
太陽たる娘は高い空に風を起こし小さな嵐を作り出す。宵闇は再び大きな姿になると嵐目掛けて猛スピードで飛び立ち、それはそれは楽しそうに声を上げる。
「うっひょーう!」
「やっぱり竜には空が似合うわねえ」
「サシャきみ、穏やかに笑ってるけど嵐なんて作ったら他の竜も飛んでくるよ」
「その時はみんなで遊ぶわ」
「もう、そうじゃないでしょ」
「ママー! もっと大きい嵐にしてー!」
「ダメよ貴方さっきまで赤ちゃんだったんだから! そのくらいにしておきなさい!」
「もっとー!」
「もー、元気ねえ」
速い風を追加してあげると宵闇はきゃあきゃあと喜ぶ。
「わーい!」
その様子を見ていたオルソワル・オルフェオは肩で大人しくしているイゥスをじっと見やる。
「イゥスも参加しては?」
「いいえオルソワル様。我が羽はもう己の体を支えられませぬ。それに、若人が飛ぶのを見るのも楽しゅうございますよ」
「……そうか」
オルフェオは残念そうに俯いた。私はそんな二人を視界の端でちらりと見て、何かいい方法はないだろうかと思案する。
「ねえ、それなら大きい体になって体をほぐしたら? ストレッチにはなるでしょ?」
私の言葉に二人とも顔を上げ、オルフェオはすぐに頷く。
「うむ、運動はした方がいい。今なら誰を邪魔することもないし」
「しかし……」
私たち二人だけではなくマリルーや他の子もイゥスを見つめると、年老いた竜は折れた。
「そう見つめられては致し方ありませんね」
イゥスは主人の肩から降り、私たちから離れるとその白くゴツゴツした体を大きくしていく。古き竜は人の背を悠々と越え宵闇よりもさらに大きくなり、立ち上がれば高い杉の木と並ぶほどの巨体になる。
「すっごーい!」
「イゥスの本来の姿、久方ぶりに見ましたわ」
「相変わらず美しい鱗ね」
「恐れながら、最早この鱗は白く濁るのみ。美しいなどとはとても」
「竜の鱗も年取ると白くなっちゃうの? 人の髪みたいに」
「どうしてもなるそうだよ。イゥスは元々白銀の竜なんだ。オルソワルくんのおうちに写真があったよね」
「ああ、数代前のベルフェス当主と写っている写真がある。あれはええと……」
「坊っちゃまの高祖父様との物です」
「ああ、そうだ。うん」
「こうそふ?」
「ひいおじいさんが曽祖父、そのお父さんが高祖父だね」
「えっと……おじいさんのおじいさんってこと? です?」
「そうなるね」
「じゃあイゥスは戦争前からベルフェス家にいたのね」
「はい。些細なことで怪我を負った私を高祖父様がお引き取りになり……今この時ように御子息や御息女がたに囲まれておりました。束の間とはいえ、穏やかで良いひとときでした……」
「……娘? 月の御子たちか?」
「いいえ、高祖父様の御息女です」
「それは妙だイゥス。高祖父様の元に娘様はいなかったはずだぞ」
「はて、左様でございますか? 申し訳ございませぬ、私も記憶が曖昧ですな」
「イゥスが記憶違いをしているなんて珍しいね」
「……違うわ、いたのよ女性が」
え? と振り向いたみんなに私は自分を指差す。
「いるじゃない、丁度その時代に名前のわからない娘さんが」
「ああ!」
「ではサシャの前世はベルフェス家に?」
「あり得る話じゃない?」
「天なる花嫁、ならば何故私には覚えがないのでしょう? あの御方のご息女様であれば忘れるはずものうございますのに」
「きっと人の世界を離れる時に自分と関わった人や精霊たちから記憶を消したのね。女神の生まれ変わりがいた痕跡を残さないように」
「君(ソル)ならやりかねないね」
「きっとマシューに関しても一緒だったと思うわ。でも写真に私、ああいや彼女しかいないのは何ででしょうね? 普通一緒に写ってそうなんだけど」
「その辺りは前世を思い出さないことにはわからないね」
「うーん……そうね」

「それで?」
 夜、就寝時間前にマシューと待ち合わせ敷地内のベンチに並んで座る。今朝の様子から何か悩んでいそうだったが内容について推測は立っていない。
「……君の前で命を奪ったでしょう?」
「そうね」
「それにしては随分あっさりした反応だなと思って」
隣の青年の顔を覗き込むと困ったような笑みを向けられる。
「君に非難されても仕方ないなと覚悟してたのに」
「何だ、そういうこと」
「うん」
何と返すべきか深く考え、ややあって私は立ち上がった。そしてツンとした態度でマシューの前に立つ。
「当然、命を奪ったのだからこの時代この国では然るべき罰を受けるべきね」
「うん、そう思うよ」
「けれど、貴方はまだ未成年。そしてわたくしを護るために下した判断でしょう。ならわたくしにも責任があります。牢に籠るなら一緒よ」
「……君らしいよ」
わかっていたと言わんばかりに溜め息をつき、彼も立ち上がる。
「大事な君を再び牢に入れる気はないよ」
「なら言わなくても分かるわね。この話はおしまい」
「……わかった」


 そののち、マリルーの属性を詳しく調べるため専門の機関に出張ったところやはり彼女は闇属性が一番の適性で、続いて火、土、光となっていた。彼女のクラスは太陽のまま変わらず、しかし課外授業として月属性とも一緒に学ぶことになってしまい、慣れるまでは大変だろう。
 それから私を狙って食堂に奇襲がかけられたことから上級生の一部、私を目の敵にしていた火属性の数人が躍起になって私を学園から追い出そうと計画を練っていたそうだが、それらは学園内に潜む太陽の騎士たちによって穏便に潰されていた。
 保留となっていたソル・フレール女史についても講師としてお呼び出来る日が決まり、それは夏休みの前となった。同じフレール家であるフィリス先生に改めて話を聞こうとしたものの、何だかんだ都合が合わず彼女とは話せずじまい。

 見えぬところで様々な人が動いた中、私は何とか週末を迎え外行きのドレスをバッチリ着こなしマシューの地元へ向かうため汽車へ乗り込んだ。今日に限っては騎士の介入はなし。全員にお休みを命令してマシューと二人、いや使い魔もいるけど、とにかく水入らず。
今はその汽車の中。私は流れる丘陵を眺め正面のマシューとは顔を合わせていない。
「緊張する……」
「五分ごとに聞いてる気がするよ、それ。そろそろ落ち着いたら?」
「ぐぅう〜だって婚約者ですって言いにいくようなものじゃない緊張するわよ〜!」
「当たり前でしょう、結婚前提だもの」
「ぐぬぅ〜!」
緊張で胃がひっくり返りそうになっているため水をちまちま飲んで気持ちを落ち着かせる。
「そう言えばどうするの? 結婚したらうちに住む?」
「ん? うん」
「……即答だけどうち一応貴族だよ? 平気?」
「だってベルフェス家やティアラ家ほど厳しくないでしょ? もうちょっとゆるいじゃない貴方の感じからして」
「まあその通りだけど。どっちの家でもいいし、どっちでもなく完全な独立って手段もあるんだから、色々考えておいてね」
「う〜ん……。うん、わかった……」
「次はー、トネリコの森〜、トネリコの森です」
「ああっ着いちゃう!」
「景色としても丁度見えるよ。あの白い屋敷がそう」
「え!?」
座席から立ち上がりマシューが指差した先を見る。トネリコが山肌を覆う丘の上、市街地から離れたところにぽつりと建つ小さな……小さい?
「いやおっきいじゃん!」
隣に立つトネリコの木と見比べると白い屋敷はオールドローズ通りやブルーリボン通りで見かけた大きな店より二回りは大きいことに気付く。
「ティアラ家とベルフェス家ほどじゃないよ」
「オルフェオの家はもはや城でしょ!?」
「家柄としてはうちも古い方なんだけど時代の節目ごとに改築してるしさ。ほら、降りるよ」
 鞄を持って駅から出ると、お祭りでもあるかのような人だかり。そしてその人々は皆、横断幕に「マシューお坊ちゃんお帰りなさい!」と書いて横並びで持って待っていたのだ。
「ああもう、母さんったらまた皆に知らせて」
しかし街の人たちはマシューの横に私という、朝焼け色のオレンジドレスを着た少女を見つけ口を大きく開けたまま声を出すことを忘れている。
「愛されてるのねえ」
「本当は俺より母さんが慕われてるんだけどね。古くから領主なのもあるし。駅の名前も昔はレインの森だったんだよ」
「古い家柄なら納得」
誰かが誰かの肩を叩いてやっと人々は動き出す。
「おおお坊ちゃんお帰りなさいませ!」
「これうちのニンジン!」
「いつもありがとう」
「ごめんねうちは今年トマトの出来が悪くって、代わりに赤カブのお裾分け!」
「ありがとう。でも無理しなくていいんだよ」
「お、お隣のお嬢様は……?」
「やだなーお嬢様じゃないですよー」
「彼女はミス・バレット。俺の契りの人」
月の御子が治める土地だからだろう。街の人は契りをよく理解しているようでマシューの一言で色めき立ち、私を取り囲んだ。
「まーっ! 太陽にもお嬢さんがいるのねえ!」
「あらあら可愛いお嬢さんが来てくれたのね!」
「いらっしゃい! 実家のように思ってくれていいからね!」
「ああ、はい。ありがとうございま」
「後でうちに寄って! ニンジンいくらでも積むから!」
「あ、ありがとうございます」
「うちのキャベツも山盛り持って行っていいからな!」
「ど、どうも」
「もうみんな、そのくらいに! サシャが気圧されてるでしょうに!」

 地元の人々からたっぷりお土産を持たされたマシューと馬車に乗り込み遠くに見えるお屋敷を目指す。途中途中見える農場に向かってマシューが手を振ると農家さんはみんな手を振りかえす。人によっては馬車を引き留め野菜や果物を持ってきて、お土産はさらに増えていった。

「愛されてるのねえ」
「地元に帰ってくると毎回これで……」
「いいことよ。うちとは大違い」
「そう言えばサシャの地元はどんな感じ?」
「ザ・田舎。丘と森と精霊は最高でも人間の方は質が悪いわ」
「えっ」
「近所のクソガキがそのまま不良に育ったの。まあ家も家だし無理もないんだけどさ。だから貴方を家に呼ぶのは気が引けるの。無理して来なくていいからほんと」
「だ、ダメ出しが強いね」
「だってダメな方の田舎だもの」
 小さく見えた白い壁、灰色の屋根の屋敷はやはり大きく一部には古城の面影を残していた。一体何が“それなりの家”なのか今世の私にはちっともわからない。
「お城じゃん……」
「昔はね」
 屋敷の前には既に使用人たちがおり馬車が着くと早々に荷物を下ろすのをテキパキとこなす。私はフットマンのお陰で自分の鞄すら持たず婚約者の後に続いて屋敷に踏み入った。
「お帰りになられました」
執事らしき小太りのおじさんはこの屋敷の女主人、マシューの母親に頭を下げすぐ振り返って私たちにも頭を下げ、脇へ移動する。
古い月の末裔たる女性は灰色の髪、ブルーグレーの瞳を持つ儚げな人で、私の顔を見ると黒いヴェールの下ではっと表情を変えた。
「ただいま戻りました母上」
「……ええ、お帰りなさい」
「ご紹介します。私の契りの相手、サシャ・バレットさんです。サシャ、彼女は私の母。アッシュ領主、そしてレイン家当主イザベル・レインです」
「お初にお目にかかります。急にお邪魔してすみません」
「いいえ、ようこそいらっしゃいました。さ、どうぞ奥へ」

 客間にはお茶の準備が整っており腰を下ろすものの、緊張している私は喋り出せずイザベルさんも静かなままなので沈黙が続く。
「……二人ともいい加減喋ったら?」
「いいいやだって何話していいか」
「うーん……ああ、じゃあ。母さん、彼女だけど写真の方にそっくりでしょう?」
「……ええ、そうね」
「うちとも親戚みたいなんです。彼女の家にも同じものがあって」
「まあ。……本当ですか?」
「ああええと、はい。多分親戚なんじゃないかなー? ってオルフェオ君、ああいやベルフェス家のご子息とティアラ家のご息女とも話していて」
「まあ、あの子たちと既にお知り合いなのね」
「レディたちのルームメイトなんです。オルソワルくんとはクラスメイトで必然的に話すんですが、やっと馴染んだよね。彼女最初のうちはかなり俺たちに遠慮してて……」
「まあ」
「あーっそれは言わなくていいから!」
「だって本当のことでしょう」
「仕方ないじゃない生活レベルが違いすぎるもの! わたし夕方まで森の中泥だらけで走り回ってたタイプよ!? ティーカップ持ったことすらなかったんだから!」
「えっ? お茶を飲む時はどうするの?」
「マグに決まってるでしょ」
「……マグはコーヒー用じゃない?」
「普通の家の子は飲み物でカップを分けないの、一人一つなの!」
「ふうん?」
やっぱりその辺はお坊っちゃまだなと思って紅茶に口をつける。
「……ん? じゃあ一人一つ専用の食器があるの?」
「え? うん。そりゃね」
「へえ、すごい」
「どこがよ」
「うちは家庭用とお客様用は分けてるけど、一人ずつの食器はないよ」
「え!? そういうもん!?」
「うん。全部一緒だからね」
と、マシューはティーカップを掲げて見せる。手元のカップを掲げて視界の中で並べてみると、確かに違いはない。みんな同じ白い花柄の可愛いティーカップだ。
「これ、うち用だから今後お茶を飲むなら大体これだよ」
「へえ〜! あれ、家用にしてくれたの?」
「あんまり華美だときみ遠慮しちゃうでしょ」
「よくご存知で」
口を湿らせるため話を保留にしてティーカップを傾けるとマシューはイザベルさんに顔を向ける。
「うちも一人ずつの食器、真似してみる?」
「そうねえ……」
「いやいやっ、真似しなくていいから!」
「でも自分だけの食器、ちょっと憧れがあるよ。色と形を変えればわかりやすいよね?」
「うんまあ……貴族じゃないお家は食器なんてほとんどバラバラだし」
「自分たちで洗うんでしょ? 大変じゃない?」
「そうでも……」
「ふうん」
話が続くようで続かず、また沈黙が通り過ぎる。
(大丈夫だろうか私。この家でやっていけるのか……)
結婚のけの字も出ないうちから不安になっていると私の影からアミーカがちょろっと顔を出す。
「おい」
「お? あ、私の使い魔でアミーカです。カラスの精霊です」
「あら、まあ。タラクサクム伯爵と同じね。綺麗な羽ですこと」
「よかったじゃん、美形だって」
「見目なんかどうでもいい。お前クッキーのこと忘れてねえだろうな」
「忘れてまーせーんー。この後材料買いに行くし」
私たちの会話に不思議そうな顔をした母親に対し、マシューは補足を挟む。
「使い魔へのご褒美にクッキーを作るんだって。明日そのクッキーでお茶会の予定」
「そうでしたの。……それなら我が家の厨房を使います? 材料も揃ってるから」
「え!? いやっさすがにそれは悪い気が!」
「そんなことないわ。私も久しぶりに厨房に立ちたいし……ご一緒にいかが?」
「ええっ。い、いいのかなぁ……?」
マシューの顔を見ると彼はふんわり笑って頷く。
「うちの母、クッキー作りの名人だから教わるといいよ」
「マジ!? それなら是非!」

 完全な喪服だったイザベルさんはヴェールとレースの手袋を取り去り黒い質素なドレスにエプロンを着ける。私もドレスが汚れないようにとエプロンを借りて二人で朝食用の小さなキッチンに立った。まあ、小さいと言っても我が家のキッチンよりよっぽど広いし、何より……。
「朝食用ってことは夕食用のキッチンもあるんですよね!?」
「ええ、昼食と夕食は大きな厨房。朝食用はここよ。お屋敷によっては昼食と夕食でも違う厨房という場合もあるから……」
「す、すごい世界……」
「街の方はおうちに厨房が一つなのよね?」
「そうです……。いやぁもう何から何まで違うな……さすがお金持ち……」
使用人さんが揃えてくれた道具と材料を前にイザベルさんは慣れた手つきで準備を進めている。
「お料理なさるんですね」
「いいえ、お菓子を少し作るくらいなの。それに相当久しぶりで」
「そうなんですか? 慣れてる手つきですけど」
「そう見えるなら嬉しいわ。さ、材料を計るところからね」
 イザベルさんは卵黄と卵白を分けたり小麦粉が何グラム必要かという細かいところから教えてくれる。クッキーなんて小麦粉を練って焼くだけだと思っていた私は工程の細かさに驚きながら指示に従ってクッキー作りを進めていく。
「あの、一つだけ形を変えたいんですけど……」
「ええ、型をもらってきましょうか?」
「いやっ自分で頼んできます!」
「屋敷のことなら使用人の方が詳しいの。それにクッキーの型も色々あるのよ。……ねえ、ライトはいる?」
広い厨房はとなりにあり、女主人が顔を出すと目的のシェフはさっと出てくる。
「はい、イザベル様」
「ミス・バレットが別のクッキーの型を使いたいそうなの。いくつか見繕ってくれる?」
「畏まりました。すぐ探して参ります」
「ああーいやお忙しいなら別に……」
ライトと呼ばれた茶髪のおじさんはささーっと奥へ引っ込んでしまい引き留める間もなかった。
「は、早い……」
「彼、ずっとうちで働いてくれているの。この厨房の主人よ」
「ずっとじゃなく短期で働くこともあるんですか?」
「ええもちろん。うちは一年ごとに契約なの。でもライトは母の代からずっとうちで働いていてくれて、私は彼の料理で育ったのよ」
「おお」
私たちがお喋りをしている間にシェフ・ライトはお菓子用の型を銀のお盆に載せて持ってきてくれた。私の心でも読んだのだろうかと思うほど、選び出された型は私の望みに沿っていた。
「鳥の型がある! これにします!」
「共食いになるからヤダ」
「あっダメよアミーカ、プレゼントなんだから外で待ってなさい!」
「焦がさないように横で見ててやるよ。つまみ食いもさせろ」
「ダメったらダメ、向こうで待ってて!」
「あっおいちょっ」
影から出てきたアミーカを廊下へ追い出し扉を閉めると、背後でふっと笑った気配がして振り返る。イザベルさんは口元を押さえてマシューと同じ微笑みを湛えていた。
「ごめんなさい、可愛らしくてつい」
「あはは、私たちいつもこんななので……」
 鳥型は嫌だということでアミーカ用には丸く大きな型を選び、代わりにチョコの生地を使って中心にカラスの頭を作ろうという話になった。
「すごい、お店のクッキーみたい……」
教えられながらとは言え一枚の中にチョコの生地とプレーンの生地を二つ使うなんてすごいことをしている。
「表面にチョコレートで宛て名を書くといいわ」
「なるほど! いや〜お洒落〜」
イザベルさんはまたふふっと笑う。顔を見ると彼女は柔らかい微笑みをこちらに向けた。
「ごめんなさいね、何だか娘が帰ってきたみたいで嬉しくて」
(帰ってきた? それって……)
マシューは確か一人っ子だったような。
「あの子、本当は妹がいるはずだったの。でも生まれて来られなくて」
「えっあっ」
「そのあと間も無く夫も病になってしまって。お恥ずかしいことに喪服から抜け出せていないの」
「ま、まあ……」
レイン家の大きな悲しみを知ってしまい私はどう反応するべきか悩む。いや、下手に反応を返さない方がいい気がする。同じ一人っ子でも我が家は父も母も健在だし子供は一人と決めてたみたいだし。おばあちゃんだって長生きしたし……。
「でも、息子が太陽の方をお迎えするならいつまでも喪服じゃいられないわね。水色のドレスに替えようかしら。そうだ、袖を通せそうなら私のドレスを持っていって」
「え!? いや悪いですよそんな!」
「そんなことないわ。ああでも、古いドレスだと今の時代には合わないかしら……」
「そんなことないと思いますっ」
「そう? そうだ、クッキーが焼き上がるまでドレスを見に行きましょう。ね?」
「ああ、ええと。わかりました」

 オーブンを見守る係はシェフの一人に任せ、私とイザベルさんは三階へ上がる。女主人が着替えるのでもちろん上級使用人を伴って。
「うっひゃ……」
クローゼットという名の大きな部屋にはドレスやスカートがずらり。棚もいっぱい。ラモーナさんの衣装部屋もすごかったがレイン家も負けていない。
「着なくなってしまったものもあるの。好きなものを選んで頂戴」
「い、いや〜着るのが私で大丈夫かなぁ……」
「大丈夫よ? サイズも合うし」
(いや、そういう意味では……)
さすがに着替えは別々の部屋で。私はいくつか手渡されたドレスを体に当ててみるものの“本物”の“お嬢様”のそれも“大きいお家を継ぐような女主人”の“お下がり”に袖を通すわけで、緊張が半端ない。
「いやぁやっぱりちょっと……」
「おやめになりますか?」
そばにいる上級使用人、壮年のメイドさんは静かに私をサポートするだけで似合うだの似合わないだのそういう口は利いてくれない。いっそ悪口を言ってくれた方が気が楽なのに。
「何でもない家の子が着るのもどうかと思って……」
「……お気持ちが伴わないのでしたらイザベル様にそれとなくお断りをなさってください」
「いやっあの、違うんです私に覚悟がなくって……」
「覚悟、でございますか? ドレスに対して?」
「だって……たかがドレスじゃないんです。私にとっては私の月の……お母様のドレスで。その、それに袖を通すってことは、このお屋敷の娘になっても大丈夫ですよって意味になって」
(お茶のマナーだって舞踏会のダンスだって全部今年になってから詰め込んだ知識で、付け焼き刃で。とても完璧とは程遠くて。そもそもお嬢様じゃないし、地元の状態見られたらきっと溜め息をつかれるに決まってる)
ああいやだ、頭がぐちゃぐちゃになってきた。泣きたい。
「自信ない……」
「……これはたかだかメイドの独り言でございますが」
顔を上げると涙が落ちて、メイドさんは白いハンカチを差し出していた。受け取ったハンカチで目元を拭っていると彼女は言葉を続ける。
「イザベル様はこの十五年、ご息女を亡くされてから一度たりとも笑みを浮かべることはございませんでした」
「え……」
「本日、久方ぶりに笑顔になられたのです。それも誰かが無理に笑わせようとしたのではなく、心から自然と」
十五歳。本当ならマシューと一つしか違わなかったであろう女の子。
「この屋敷はずっと厳しい冬に支配されていて、それを春の日差しがお解きになったのでございます。今朝方、朝焼けとともに」
(それ、私のこと……?)
「比喩ではなく、本当に屋敷の中が明るくなったのでございます。無論メイド一人の感想でございますし、どなたに申することでもございませんが……。ここに並べられたドレスはそんな、真冬の寒さの中にいた女性からの礼ではないかと」
子供を失うなんて私には想像できない悲しみだ。お腹に赤ちゃんが入っているだけでも大変なのに、死んでしまうなんて。頼れる伴侶だっていなくて、でも傍らには体の弱い小さな息子がいて。彼女はどうしていいかわからなかっただろう。
「……ハンカチ、ありがとうございます」
「いいえ、仕事の一つですので」
(そっか、仕事か……)
メイドさんって私が考えるよりずっと大変かも。
「……あの、どれが似合うと思いますか? 私に」
「わたくしが選んで宜しいのですか?」
「はい、お任せします。だってイザベルさんのことをずっと見てたのは貴女だし、彼女が喜ぶものをわかっているだろうから」
「……ではこちらをお勧めいたします」
メイドさんが手に取ったのは若草色の春に着るドレス。丈は長すぎず、少女が着る外行きの服だ。

「まあまあ、まあ!」
 私は若草色のドレスを着て、イザベルさんは普段着としての水色のドレスで互いを迎える。
「とってもお似合いよ! そちらはピアノのお稽古に着ていった服なの。懐かしい」
「えっそうなんですか?」
(ぴ、ピアノも習わなきゃダメかしら)
イザベルさんは十五年間喪に服していたとは思えないほど明るく微笑む。
「やっぱり、女の子がいると話が弾んでいいわね。ドレスも渡せるしほかのお話だって出来るわ」
「ああ、いたいた。二人ともシェフが……ってああ!」
私たちを探していたマシューは母親と婚約者の姿を見てぱっと表情を明るくする。
「母さんそれ、着たの!? いやそれより買ってくれたんだ!?」
「あらマシュー、このドレスのこと覚えていたの?」
「もちろん! それさ、俺が五歳くらいの時に街頭で見かけて母さんに似合うからーってねだった服なんだ」
「えっそうなの」
「そうそう。わがまま言って泣き喚いて熱出したらしくて、後は覚えてないんだけど。なんだ、とっくに持ってたの」
「それはもう、息子が初めてねだった物が私のドレスなんですもの。買わない訳にはいかなかったわ」
「そうだっけ?」
「そうよ。懐かしいわね……あれもこのくらいの夏の時期だったかしら」
「……ああ、そう。クッキー焼き上がったから戻ってきて仕上げしようってさ。それでその、サシャもそれ」
「あっええっと、お下がり! お下がりもらったの! ああいやまだもらってない! 着ただけ!」
「差し上げるつもりよ。ねえ、よく似合っているでしょう?」
「うん、可愛いよ。母さんがくれるって言うなら遠慮なくそうして。クローゼットの中で眠ってるだけだとドレスたちも仕事がないしさ」
「いいのかなぁ……ピアノのお稽古に来てた服みたいだし……」
「そのデザインならパーティに着ていっても差し支えないよ。ささ、二人ともその格好でいいから降りてきなよ」

「おおーっ綺麗に焼けた」
 焼き目が程よくついた大振りな丸いクッキー。中央にはカラスの横顔。
「チョコレートの搾り出しもお教えしましょうか?」
「是非! ほんとこう言うのやったことないので!」
イザベルさんと、暇ではないだろうにパティシエの一人も私をそばで見守ってくれる。オーブンシートの上に何度か文字を書く練習をし、いざ!
「うぐぐ、なかなか緊張する……」
「肩の力を抜いた方が滑らかに書けるわ」
「ほんとですか!? 今からで大丈夫かな……」
練習の方がよっぽど上手だった、と言うのは誰にでもあると思う。ホワイトチョコで書かれた文字はへなちょこになってしまい、加えてAの文字が大きすぎて最後のaはギリギリ。元々字が上手い方ではないがそれにしたって今日のはひどすぎる。
「ああ……」
「大丈夫よサシャちゃん、味のある字よ!」
「うう、慰められると余計に辛いです……」
「……んなもん食っちまえば一緒だっつーの」
顔を上げると厨房の小さな窓から三角帽のアミーカがひょっこりと顔を出していた。
「あ、こら! 完成まで内緒!」
「終わったんなら食わせろ」
「待った! まだリボン巻いてないから! テラスで待ってて!」
「えー」
「いいから! 見た目も大事なの見た目も!」
「ちぇ」

 クッキーを作っている間にお昼になってしまったのでアフターヌーンティーの形式にしようとイザベルさんが提案してくれた。焼き具合の確認も兼ねているのでマシューやオウルも呼び、私たちは母と子、もしかしたら娘になるかもしれない少女とで同じテーブルを囲んだ。
「どうぞ冷めないうちに」
イザベルさんの一言でお茶会が始まる。本当は味の薄いサンドイッチから食べるのだがマシューは一番乗りでクッキーを口にする。
「まあ」
躾の行き届いた息子がそんなことをすると思わなかったのだろう。イザベルさんは意外そうにマシューの顔を見つめた。
「美味しいよ」
「ほんと!? お世辞じゃないよね!?」
「本当さ。自分でも食べなよ」
「う、うん」
生焼けじゃないかなとか塩と砂糖間違えなかったかなとか、些細な心配事はクッキーを口に入れた瞬間一緒にとろけてしまった。
「美味しい……初めて作ったのに」
「まあ、初めてだったの! 上手よ、本当に!」
「料理は手伝うんですけどお菓子はやったことなくて……」
口の中の物を紅茶で流し込み出来の良さに満足する。
「味見オッケー! 大きい方も多分大丈夫!」
と、目の前で足を組んで大きな態度で座るアミーカに申告すると彼は自分のクッキーにすら興味を持っていない。
「ちょっと! せっかく作ったのに!」
「食う前に満足した」
「なにそれぇ!?」
「……何となく分かったかも」
「何が!?」
「アミーカのおねだり、サシャが手間をかける方がメインなんじゃない? 物自体は求めてないよね?」
「えっ?」
何だそれと思って使い魔を見ると彼は椅子を傾けて組んだ足をぶらぶらさせている。
「だから、食い飽きたんだよ飯は」
「……そう言えばその話詳しく聞いてない。ご褒美もほとんどねだらないよね。どうして?」
「……俺はよ、大戦後に生まれたんだ。だいたい七十年前だな」
アミーカはようやく自分から昔の話を始めた。
「ガキん時から同じ森の兄弟と育ったんだが、まあとにかく飢えと競争の世界さ。一番早く飯にありつけなきゃ死ぬ。戦争は……その頃には落ち着いてたが街は焼けたままだし、人も精霊もそこら中に駆り出されてた。ただの獣から脱して人に化ける術をさっさと覚えた俺たちは人に混ざって街で暮らしててよ」
「ああ」
きっと槍を覚えたのはその頃なのだろう。
「何だっけな、自警団……じゃねえな傭兵か。まあ、戦えねえ奴の代わりに爪と武器を振り回してたんだよ。全員で荒稼ぎしてよ。街の飯は地べた這いずってる奴と同じものから戦争でボロ儲けした脂ギトギトのおっさんと同じものまでぜーんぶ食ったのさ。上から下まで、この世界の飯全部食うつもりでよ」
話しながらアミーカは目の前のお皿に乗った人の手の平ほどもある、ピンクのリボンが巻かれたクッキーを眺めている。
「常に飢えてた。飢えという言葉も知らずに。だがどんな豪快な飯もどんな高級な酒も俺を満たしてはくれなかった。そのうち兄弟が体調崩したり、些細な怪我で死んでよ。一人になっちまったから古竜のいる人気のねえ森に引っ込んだのさ」
私たちと出会ったあの森にアミーカがいた理由。幼き日を共にした仲間を失い、傷心もあったのだろう。
「そしたらまあ神の花嫁が単身攫われてきてよ。おまけにろくに魔法も覚えてねえときた」
「うっ、その話は胸が痛い」
「ところがそのガキ、あろうことか俺が目の前で死ぬくらいなら命を半分くれてやるとか言いやがる。馬鹿かと思ったね。いや、馬鹿だなと今でも思ってる。それで契約して、案の定ぶっ倒れて、馬鹿だなと」
「うわーん、バカって三回も言ったー!」
「フン」
アミーカはようやくクッキーを手に取った。しかし齧り付こうとはせずリボンを解かずに取り外し始める。
「魔力だけは妙に上質なそのガキんちょ、目が覚めて最初に何を言うかと思ったら“傷治った?”だもんよ。……あー、馬鹿。やっぱ馬鹿だわお前。文句のひとつくらい飛んできたって構いやしなかったのに」
「バカって五回言った!」
「……何が言いてえかっつうとよ。俺が欲しかったのはこっちなんだよ」
アミーカは指先に下げたリボンを私の前に出す。
「お前が無事ならそれでいい、そう思ったろ。あの瞬間全部なくなったんだよ、飢えが。飢えてたことも知らなかったのに。お前が教えてくれたんだよ。だからこっちの、飯だの菓子だのは俺にとっちゃおまけで、後はどうでもいいんだ」
そう言いつつクッキーは彼の口に収まる。ボリボリといい音を立ててダークチョコが主体の甘くて苦いクッキーは噛み砕かれる。
「……まあまあ」
「頑張ったのに!」
「頑張った方は認めてやる」
「うわーん! 美味しいくらい言ってよー!」
「うめえうめえ」
「棒読み!」
「うるせーなー黙って食え」
「誰のせいよ!」
「うっ」
誰かの涙声にアミーカと振り向くとイザベルさんが涙をこぼしていた。マシューもオウルも驚いてみんなで彼女を見つめてしまう。
「あっえっ」
「あーっ!! 泣かした!!」
「俺か!?」
「他に誰がいるのよ誰が!!」
「か、母さんハンカチ……はい」
「大丈夫ですか? ロード」
「うっうっ……なんて切なくて暖かいお話……」
「ああーもう! ごめんなさい! まさかこんな重い話と思ってなくて! マシューのお母さんの前で気軽に聞くんじゃなかった! いや、聞いたことは後悔してないんですけど! せめて二人きりの時にすれば……」
イザベルさんがしおしおと泣くのでアミーカも段々焦り始める。
「な、な、泣かなくていいだろ……」
「母さん、程々にしないとお茶がしょっぱくなるよ」
「うっうっ……」
「ああ〜。おい、残りの半分やるから! な! リボンもやる! だから泣くな!」
「ううっ」
「そ、んな泣くほどの話じゃねえだろうがよ……」
イザベルさんが子供のように泣きじゃくるのでアミーカは肩を落とす。
「別にそんな辛い話じゃ……ねえし」
おろおろと、主人に助けを請おうと思ったのか精霊は私の顔を見て、しかし私もアミーカが認識した過去の辛さに釣られて瞳いっぱいに涙を溜めているのでぎょっとした。
「何でお前まで泣いてんだよ! 慰める側だろうが!」
「泣いてないもんっ!」
「あーあーもうお茶どころじゃないよ」
 イザベルさんも私もびしょびしょに泣いてしまって、紅茶もサンドイッチもスコーンも食べる頃にはすっかり冷めてしまった。
「ごめんなさい、人前で……」
「ほんとだよ」
「アミーカのせいでしょ!!」
「あーあーはいはいすんませんって!」
口を拭くためだった白いナプキンを私の顔に押し当てアミーカは溜め息をつく。
「こうなりそうだったから言わなかったんだっつーの。もう今度から言わねえ……」
「む、それは違うだろうお前」
静かに夫人を宥めていたオウルが口を挟んでくる。
「イザベル様もサシャ様もろくに弱音を吐かぬお前の代わりに泣いてくださったんだぞ。それにな、私に時々ぽろっと話す程度でお前はそういう辛い経験を主人と共有しないだろう。悪い癖だと思うぞ」
「な、なんだてめえ急に……」
「前から言おう言おうと思っていたのだ」
「なんだそれ……」
(気味悪……)
アミーカの呟きを心の中で聞きながら私は彼を抱きしめ、いい子と頭を撫でる。前もそうだったが恥ずかしかったり居た堪れなかったりするとアミーカは姿を隠してしまうので、動きを封じるためでもあった。抱きしめられているアミーカは、何だかふてくされた子供のような、自分のことなのに他人事のように己の過去を斜に構えて見ていた。
「……もういいから茶飲めよ。冷めたぞ」
「うん」

 この日イザベルさんは泣いたり笑ったり忙しく、それが良かったのか悪かったのかこの時の私には分からなかった。マシューには寮に戻ってからお礼を言われたし、後々聞いたらイザベルさんもこの日のことは嬉しかったと言ってくれたので結果的には良かったんだけど。

「おーもーいー」
 問題は寮へ戻ってからのアミーカだった。夕食を終えると使い魔は人の姿のままベッドの上で私にまとわりついて離れず、そして心の中で何を言う訳でもなくて対応に困っていた。
「もー、どうしたのよー」
アミーカは本を読む私の膝に頭を押し付けて、トレードマークの帽子もその辺に転がってしまったのにお構いなし。仕方がないなと本を放って使い魔の頭をくしゃくしゃ撫でる。
「甘えん坊ね。甘えてくれていいんだけどさ」
アミーカのご機嫌は戻らず、その晩私は使い魔の腕の中で寝る羽目になった。


「ぎょわー!!」
 マリルーの使い魔、古竜の宵闇が育って数日。今日も元気にマリルーの叫び声が第三演習場に響き渡る。
「元気ねえ」
宵闇が成長したことでマリルーの魔力操作は改善された、と言いたいところだがそこは相変わらず。しかし宵闇のアドバイスが入ることで状況は段々良くなってきていた。
「マリルー、君は魔力が多いんだからもっと絞って出さないと」
「絞ってるよ! 絞ってるもん!」
「もっと絞って」
「ひーん!」
私やオルフェオは彼女を見守りつつ、他の生徒より進んだ訓練をこなしていた。今日は炎の槍投げから弓矢をつがえるところまで。本当なら順調に訓練を進められたはずなのだが、マリルーが暴発させた火の玉や槍などが三回に一回は飛んでくるのでレイン家への訪問以来ご機嫌斜めのアミーカの機嫌は更に悪くなっていった。
私の方に飛んで来た槍を弾き返し三角帽のアミーカは羽を逆立てている。
「てめえー……いい加減にしろ!!」
「ごごごごめんなさーい!!」
「まあまあ、悪気はないんだし」
「お前が怪我してからじゃ遅いんだよ!!」
「そうだけどー。気持ちはわかるけど、一番困ってるのはマリルーなんだからキツく当たらないのー」
私とオルフェオの近くで練習兼護衛をしている騎士ダリアも何度も私の盾になるうち表情がすっかり引きつってしまって、遠目に私たちを見ている騎士アレクサンドラも冷や汗が止まらない様子だ。
「ミス・スロースは魔力保有量が多い上に四属性だから力を持て余しているのかも知れないな……。サシャが指南してあげては?」
「ん? うーん、そうね。操作感覚くらいは伝えられるかも知れないけど……」
私はチラリとデルカ先生を見やる。
「先生の仕事奪っちゃうのもねえ」
「君の場合その辺りは気にしなくていいと思うが」
「そう? まあでも聞いてみてからね」
デルカ先生の元へ行きマリルーの手伝いをしたいと申し出ると、あっさり許可が出た。
「さてじゃあ、どこからやりましょうね」
白いレースの手袋を付けた私がマリルーを後ろから支えて手取り足取り教えているそばで、オルフェオはアミーカの腕を叩いた。
「何だ」
「君の主人のことなんだが……最近はソル、ああいや天の花嫁が自然に表に出て来ている気がするんだ。その辺りどうなのだろうと思って」
「あー、あいつは女神としての性格と人の性格でバランスが取れなくて乖離してたんだが、最近折り合いがついたみたいでよ。大体のガキは成長したらそれなりに女らしくなるだろ。同じだ。だからそのうち馴染むさ」
「そうか。……君は平気なのか?」
「何が」
「今はともかく最初の頃は君にとって主人が二人いたようなものだろうに。混乱しなかったのか?」
「然程。俺は無意識にあいつが自分の根源だと解ってたようだし、今も昔もあいつの槍だってことに変わりはない。驚きはしたが大したことじゃねえよ」
「……そうか。いや、それならいいんだ」
納得して頷くオルフェオをアミーカはジロリと見下ろす。
「まさかとは思うが俺の心配か? てめえも根っからのお人好しだな」
「そんなことはない。友人の使い魔だから気にかけているだけだ」
「はっ、それがお人好しだっつってんだよ」
フンと鼻を鳴らすとアミーカは私とマリルーの元へ戻ってくる。
「悪い、ベルフェスのガキ相手に喋りすぎた」
「構わないわ、代わりに説明してくれたんでしょう? ねえ、マリルーなんだけど」
「質は月側なのに血の気はお前に似てるな」
「そうなのよ。心臓も強いし、生き物としてはいいことなんだけど力の強さも含めて本人の性格からはちょっとズレてるのよね」
「その辺りは混沌の特徴だが、こいつの場合特に反対の性質が足引っ張ってんだろうな。そうだろ宵闇」
「うん」
トカゲ大の宵闇はマリルーの袖から出て来るとアミーカの腕に飛び移り、チョロチョロッと肩に登る。
「闇の魔力って言うのは暴発すると洒落にならないから、マリルーと俺が運命付けられてるのは星の意向だと思うんだ」
「そうだな。光の方は弱えみてえだし敢えてそっちから覚えれば良いんじゃねえのか」
「闇と光の混合が使えたら星魔法使いよね。覚えられたら現代でも指折りの魔法使いになれるわ」
「サシャさん、それは私が魔力をまっとうに使いこなせてからの話で……」
「マリルー的には気が早いって、ママ」
「そう?」
うーん、と私が首を捻る横で宵闇はアミーカの肩から跳んでマリルーの肩に着地する。
「どこかで力を出せるだけ出す訓練もした方がいいのかしら? マリルーの場合」
「それなら少なくとも学園内じゃ無理だろ」
「でも一学生のお財布じゃ広いところなんて借りられないわよ?」
「……今のお前のコネなら何とかなるんじゃねえのか?」
それだ、と私は手を打った。

「無論ございます。ご使用になられるならば私から申請に参ります」
「話が早くて助かるわー」
 私とマリルー、オルフェオやジョゼットさんたちいつもの面々で騎士ユベール、もといソレル先生の元へ訪れると話はすぐに通った。
「天の花嫁の為に様々な施設を整えてありますが、それらは天なる御方の為のものでございます。我が主がご友人と共にお使いになられると言うことであれば無論すぐにでも」
「なるほど、私の物だから私が使うついでにマリルーにも提供ってことね」
「左様でございます。その他幾つか使用に関してご説明を」
「お願い」
「は。ではまずは我が主は私を含む己が騎士と共に太陽騎士団の拠点へ参り、今世の肉体への様々な引き継ぎを行なってください。儀式ではなく書類での手続きですので然程お時間は取りません」
「休み一日あれば足りる?」
「はい」
「そう。じゃあ貴方の都合のいい日に行きましょう」
「ありがとうございます。しかし主のご都合でようございます」
「そう? 次の休みでも平気?」
「はい」
「じゃあ土曜日ね」
「畏まりました」
「早めに借りられるようにしとくから、来週以降空けておいてね、マリルー」
「もちろん! ありがとうございますサシャさん!」
「どういたしまして」

 騎士を二人連れみんなと次の授業へ向かう途中だった、その男が暗がりから現れたのは。
「ご歓談中失礼致します、陛下」
最初は先生に声を掛けられたのかと思った。これが奇襲なら確実に負けていたことだろう。
使い魔たち、神霊の花嫁の騎士たちが一斉にそれぞれの影から出て来て場に緊張が走る。暗がりから男は一歩前へ出て来て、その姿を見せた。
高級な物だとすぐわかる黒いスーツには金の蔦が這っている。触媒はオークのステッキ。うねる短い髪は己が造った獣と同じ、星のない夜の色。左の瞳は白く濁り、右の瞳は赤茶色に透き通っている。歳は意外に若く、壮年から中年といった様子だった。
騎士ダリアが私の前に出て腰から剣を引き抜く。彼女は私を庇うため左腕を広げて男の前に立ちはだかった。
「邪魔だ」
男は無詠唱で魔法を使い騎士ダリアを壁へ弾き飛ばす。近くにいた生徒の中から悲鳴が上がる。
「っダリア!」
「ダリアさん!」
「騎士ごっこか。子供が束になろうが大したことなど出来ん。そこで大人しくしていろ」
男は片膝をつき左胸に手を添えると、私に恭しくお辞儀をする。
「お初にお目にかかります、天の花嫁。麗しい御方」
友人でもある騎士を攻撃され、頭に血が上った私は己の槍を使おうとアミーカの手を掴んだ。しかし。
「天なる御方。畏れながら、この狭い学舎でお力をお使いになられますとご学友も無傷では済みますまい」
男は頭を下げたままくすりともしない口元で言葉を紡ぐ。
「ご学友を巻き込みたくないのであれば、私の手を取り別の場所へ移動を」
「聞くなサシャ! 我々はどうにでもなる!」
「天なる御方」
静かな口調なのに男の出す声は脅しそのもので、ティアラ姉妹やマリルー、ジョゼットさんは既に怯えている。私は怒りを鎮めるため一呼吸し、一歩前に出る。
「サシャ!」
「……散々わたくしの命を狙っておいて結構な態度ですこと」
「想定より陛下の目覚めが早く手間取りまして、申し訳ございません」
私は冷たい目で男を見下ろす。男はまるで忠実な部下のように私の前で膝をついたまま。
「天の花嫁、私と共に参りましょう」
男は立ち上がり右手を差し出した。納得はいかない。でも、確かにこの狭い廊下で私が本気で暴れればマシューもマリルーもみんな無事じゃすまない。
私は振り向いてまずアミーカを見る。
「アミーカ、私の代わりにマリルーのそばにいてあげて」
この状況で置いていかれると思っていなかった使い魔は唖然として私を見つめる。
「……冗談だろ」
「命令よ」
「……わかった」
次に私はマリルーを見る。
「マリルー」
「さ、サシャさん……」
「貴女ならきっと出来る。だから自信を持ちなさい」
涙目の彼女から視線をずらしオルフェオを見る。彼は怒りを滲ませながら私を見つめ返した。
「オルフェオ」
「……君は勝手だ」
「そうよ。だから貴方も勝手にして」
最後にティアラ姉妹と、ジョゼットさん、マシューを見つめる。私の月(マニ)は落ち着いた表情をしている。
「マシュー」
「何だい」
「……みんなと、後をお願い」
「分かった」
痛みに呻きながらも立ち上がろうとした騎士ダリアを見下ろす。いま動いては駄目。そう視線で伝えると私は男の前に一歩二歩と踏み出す。
「っ……サシャ様!」
私は男の手を取った。
先生たちが遠くから駆けつける最中、男は私を連れプロメテウス学園から逃げ去った。



──『太陽の女神、月の男神』第二章・完
次作へ続く

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