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此処ではないどこかに思いを馳せる話。

今自分が居るところは、居たいと思った場所なのかな?と考えてみた。そんな話。


いきなりだが、私は、割とJ-POPが好きだ。好き嫌いがないと言えば嘘になるが、そこそこ幅広いアーティストの楽曲を聴いたりする。その中で、王道と呼ばれるものも、もちろん聴く。

Mr.Children の曲に『Any』というものがある。超有名な曲なので、今更紹介するつもりなどはないが、多感な学生時代にこの歌を聴いて、じんわりと心に寄り添ってくれるような温かさを感じていたものだった。

この『Any』の歌詞の中に、このようなフレーズがある。

今僕のいる場所が探してたのと違っても
間違いじゃない
きっと答えは一つじゃない

(中略)

今僕のいる場所が望んだものと違っても
悪くはない
きっと答えは一つじゃない

ど真ん中のサビ。どうしてここまで心に響く歌詞が書けるのだろう。櫻井さんの才能とかそういったものについて私が触れることなど、神をも恐れぬ行為なので遠慮しておくけれど。

とにかく、私は今までに、何度もこの歌詞に助けられてきた。

実は私には、中学生くらいの頃からずっと、なりたい職業があった。その思い描いてきた職業になるために大学まで進学したのに、入学してからすぐに受けた授業の内容がどうにも自分にフィットしていないように思えて、結果的にあっさりと諦めてしまったという経験がある。最終的には、大学は卒業はしたものの、卒業後の私の進路は、かつてのそれとは全く関係ない職業に就くことになった。

他方で、同じ大学で出会った同級生は、やはり私と同じようにその職業に就くという夢を持っていた。そして卒業後には彼はその夢を見事に叶えて、現在はバリバリと第一線で活躍している。私と彼とで、大学入学時点は同じスタートラインに立っていたはずなのに、どこでどうしてこの差は生まれてしまったのだろうと思うことがよくある。

もちろん、その道を志しそれを貫徹することに対する強い意志力、そして膨大な知識と技術を身につけるための並々ならぬ努力とその継続力、そういったものが、彼にはあって、私には無かった。そんな単純な話なのかもしれない。

けれども、彼とは、単なる同級という間柄を超えて、同じ研究室で学び、しかも学外でもよく一緒に遊ぶことの多かった親しい友人関係だったからこそ、余計にその差が圧倒的に思えてしまって、私には辛く感じられた。

そういう時には、上で挙げた歌詞が、自分の心に訴えかける。そしてそれは同時に少しだけ前を向く勇気をくれる。

ああそうだ、今ここにいるのは、私が自分で選んだからだ。たしかに昔思い描いたイメージとは全く違うけれど、今は今で、これはこれで、良い。たしかに悪くはない。正解なのかもしれない。いや、正解なのだ。

正直「あの時もっとああしていれば」という思いが何度も頭をもたげることはあるが、そのたびに『Any』の歌詞を思い出し、今に向き合うきっかけになっている。今を受け入れて、明日をより良くしていきたいから。何より、今の開発の仕事が好きで、こう思えて、なおかつ生活もできているということは、ひとまず正解なのだ。

もちろんこの先はどうなるか分からないから試行錯誤は続くけれど、今はこれで、そして、ここで良い。今はこれが正解。此処が良い


本当なら、もっと物理的な、「今住んでいる町」と「憧れていた住みたかった町」のギャップについて触れて、それでも「今住んでいる町」の良さはあるし、これはこれで正解なのだ、という、結論にしたかった。

今私は地方都市(埼玉)に住んでいるのだけれど、折に触れて、海の見える町や、便利で洗練された都会に憧れたりする。だけれど、この町は子育ては割としやすいし、長閑だし、クルマもあるから不便せずにそこそこ色んな場所にも行けるし、結果良かったかな。というような。

でも、結局はどのような題材にしても、同じ結論になったのだろうと思う。住処だろうと、職業だろうと。いずれにせよ、「今を受け入れる」そうすることで前に進めるような気がしている。

そして同時に触れておきたいのは、「今」がたとえ違和感があったとしても、それが「唯一の正解」でもないということ。間違いかもしれないし、正解かもしれない。でもそれはやっぱり、やってみなければ、そこで過ごしてみなければ分からない。そうやって今を受け入れることが、大事なように思う。それは無理して我慢して「今」を耐え続けなければならないということを意味してはいない。

このような言葉があるらしい。

If you don't like where you are, move!
You are not a tree!

(意訳)
もし貴方が今いる場所を好きになれないのなら、今すぐに動きなさい。あなたは、その場所に立ったまま動くことのできない木ではないのだから。

まさに、私が言いたかったこと。

とにかく、探す。動く。もがいてみる。そのように努力することが必ず報われるなんて無責任なことを言うつもりはない。けれども、動けば動くだけ、きっといつか自分なりの「居場所」は見つかる可能性は高まる。たとえ昔考えていた形とは違うものであっても。何となくだが、私は経験上、そのような気がしている。


ところで、「此処ではないどこか」+J-POPって言ったら、普通なら、ミスチルよりもGLAYのほうが思い浮かぶのかもなぁ、などと、軽く不安を抱きながら今回の記事を書いてみました。

今となってはGLAYも好きだけれど、実は、全盛期だった中高生時代は、どちらかというとラルク派でした。そんな自分がGLAYを語ることは何となく気が引ける。「にわかのくせに」と言われてしまいそうで。

どうでもいいが、GLAYというと、どうしてだか函館にあるハンバーガーチェーンのことを思い出してしまう。チャイニーズチキンが非常に美味しかった。その話は気が向いたら記事にしてみます。いや、やっぱりしないかな。そんなに膨らませる自信が無い。おしまい。

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