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誰のために仕事をするの?という話。

唐突ですが、「仕事のやりがい」って何なんでしょうね。

よくOB訪問とか、会社説明会とか、ネットのインタビュー記事とか、そういったものの中では「お客様から頂く感謝の言葉」といったようなフレーズが、回答として良く目立つ印象です。

もちろん、それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、

・・いえ、あんまり言うと、私がいかに社会不適合者で、ロクデナシかバレてしまうので非常に言いにくいものではあるのですが・・

本当に、みんなそう思っているのかな
とちょっと疑問に思ったりもするわけです。

「お客様からの感謝」は、たしかに嬉しいんですけど、私はそれが怖いと言いますか。私は「いえ、あの、やめてください、そんなに言うのは・・」という気分になってしまうんです。恐縮、です。文字通り、恐縮。恐れ入って、縮こまってしまいます。

もちろん、それは私の職種もあるかもしれません。そもそも感謝されるような立場の仕事じゃなかったり。または、私のプロ意識の欠如と言えばそれはそうかもしれません。全然感謝されるに値しないようなクオリティの成果しか上げていないとか。

でも、ダメなんですよね。私は。
仮に、そう言われても。

誰かから期待してくれるようなことを言われると、どうにも怖いわけです。

言ってしまえば、人が信じられないので、「今はこんなに優しくしてくれるけれど、いつこの人は私のことを裏切るのか分からない・・」といった思いを抱いてしまうんです。大変失礼ではありますけれど。

そもそも、現在私は、接客とか営業ではなくて、どちらかと言うと技術寄りの職種に就いています。部署としても、事業の売上に直接的に関わるようなところに所属しているわけではありません。あくまでコストセンターと言いますか、会社のために稼いできてくれる人たちのサポート役なんですよね。

そのため、業務に関係する人たちは限られていますし、営業の方のように不特定多数の人と何かやりとりする機会というのもそこまで多くはないわけです。目の前の成果物を、いかに要求通りに(そして要求以上に)、いかに品質高く、いかにスピーディに作り上げるか、といった側面が大きいのです。

とはいえ、それでも全く他人が介在しない業務というのはあり得ないですし、自分の対応した結果が直接誰かの業務に影響する機会も多いわけで、そういう時には、ごくまれに(本当に、ごくまれに)「ありがとうございました。おかげさまでとても助かりました」といった有難いお言葉も頂戴したりするわけです。

でも、やはりそういう場面でも、「あっ良かった、嬉しいな・・」と思う反面、「いやいや、図に乗るな。これはお世辞だし、誰もお前のことなど評価はしていない」という思いが出てきて、逆に一瞬で落ち込んで、なんだか複雑な気持ちになります。

そう考えると、やはり自分にとっての「仕事のやりがい」はそこに無いんだろうなぁ、と思うわけです。申し訳ないですけど。


昔。

と言っても、今から10年近く前になりますが、一度だけ、現在のようなエンジニア職とは違う職種に就いていたことがあります。その期間は一年くらいなので、言ってしまえばほんの一瞬だけですけれど。

その業務の内容について、ここでは詳しく書くつもりはないのですが、当時私は、とある取引先からとあるお客さんのリストを提供してもらって、その連絡先に片っ端から電話をし、話を聞いてもらう約束を取り付け、実際に会いに行って契約をとる、という、いわゆるテレアポのようなことをしていました。

あっ、念のため言っておきますと、別に怪しい仕事ではないです。真っ当な提携先企業から、お客さんと結んだ契約の内容に沿った形で、我々がその先の手続きをサポートするというものです。その際に「これこれこういうサービスがありますが、ご入用ではないですか?」と。

実際、テレアポと言っても、上で書いたとおり、その先の対面営業とか、さらに契約を取り付けた後の手続きなんかも自分たちでおこなっていました。なので、なんちゃって営業と言いますか。その頃の話は色々あるので記事に書きたいところですが、結構長くなりますし今回の記事と大きくズレるのでそれは別の機会にしますが。

で、アポを取って契約してくれたとあるお客様が居たのですが、なかなかの大きい金額のものだったんですよね。それはもう偏に、お客様の人柄とかが良かったと私は思っていましたし、今もそう思っているのですけど。なので実力ではなくて運によって契約できたものだと。

しかし、諸般の事情から、私はその仕事を退職する運びとなりまして。その大きな契約のお客様の手続きも途中だったことから、引継ぎと言いますか、担当者変更のご挨拶に伺ったんです。

その時に、お客様から言われた言葉が、

「そうですか。退職されるんですね。
 私は、あなただからこの契約をして、
 お願いしたのですが・・残念です。

 でも、あなたが仰るのなら、きっと後任の方も
 素晴らしい人なのでしょう」

と。

私はこの言葉を聞いた時、本当に嬉しく思いました。そんなふうに自分のことを見ていてくださったこと。評価してくれたこと。安い買い物ではないのに、それを私なんかを見て決めてくれたこと。とても有り難かったです。これこそが「感謝」を貰って嬉しくなる気持ちなのだと理解しました。

ですが、その内心、嬉しさよりも「申し訳なさ」のほうが大きかったのです。

仮にお世辞だとしても、私が営業担当としてこのお客様にお会いして、契約を結ばせていただいて、手続きもまだ終わっていないのに、その途中で、自分の都合で抜けてしまうこと。それが何とも申し訳ないというか、「ああ、何だかそう言ってもらえて有難いですが、こんなダメなやつですみません。本当は、評価していただいているほどそんな出来た人間じゃないんです・・」という思いでした。

それはもう、恐縮。
人生最大レベルの恐縮でした。

それだけ有難い言葉を貰っても、私にはその仕事を続けていくことはできず、結局、エンジニア職に戻っていくことになりました。

つまり、そのお客様には申し訳ないですが、私にとっては「やりがい」には繋がらなかったというわけです。

何故なんでしょう。

恐怖?かもしれません。

お客さんが、自分のことを「期待していた通りの奴でなかった」と、いつ気付いてしまうのか、いつ自分の化けの皮が剥がれるか、というその恐怖。だから誰かが私のことを評価を高くしてくれればしてくれるほど、いつかそれが崩れる日が来てしまうかもしれないという恐怖があるのです。とても私には「他者の評価」をやりがいにはできないと思ってしまいました。人間不信の根が深いとこうなってしまうのかもしれません。

そういったわけで、現在は何とか働いていますが、なぜ働くか、何のために働くか(これは抽象的過ぎて良くないですね。厳密には「何を原動力として働くか」ですね)、ですが、それはもう「自分のため」であるわけです。

自分がこの仕事を楽しいと思うから
自分がこの仕事で解決できる問題があるから
自分がこの仕事をすることで自分を変えられるから

傲慢ですみません。自己満足でごめんなさい。

そこに、他者は居ません。

居るとすれば、その結果によって、他者の何かが嬉しくなるかもしれませんが、それは直接私が仕事をするための原動力には、ならないのです。申し訳ないですが。

とはいえ、自分一人で仕事をするわけではないですから、他人と一緒に仕事をして、その結果が他人の何かを変える、ということを意識したうえで、仕事はするようにしている(つもり)です。自己満足ではあるけれど、それは一応人様にお見せできるだけのモノにしますと。単なるマスターベーションじゃないつもりではいますよと。

ただ、根っこの部分は、「自分」です。
自分がどう思うか。自分の評価が一番大事。

何が言いたいか、取っ散らかってきたのでそろそろ結論にしますが、誰かの評価軸で生きる、って自分にはできない、ということです。

いえいえ、もちろん、多かれ少なかれそういう軸に振り回されてしまうことは事実ですし、何なら仕事なんて他人の評価の上で成り立っていることも否定できませんが、それでも核となる部分は自分の中に持っていたいのです。

結局は、根本的には「自分大好き」ちゃんなんだろうな、と思うわけです。

なので、結論。

「やりがい」ですか?

ごめんなさい、そんなものは無いです。無いと言いますか、あったとしてもそれは別に人様に言えるようなことではないですし、そもそも、他人にそれを伝えるつもりもなければ、それを理解してもらおうとも思っていません。自分が良ければいいので、それって実はどうでもいいことです。

そして何より、そんなことを考える暇があったら、楽しく仕事します。

という感じでしょうか。


なお、この考え方は決してオススメはできないですし、別に「お客様からの感謝」をやりがいにすることを否定しているわけではありません。

むしろ、そうやって誰かのために動き、何かをすることが出来る人というのが世の中を支えている事実はあると思います。私にはできないことなので、それに羨ましさや尊敬の念さえあります。

ですが、これは本音として、少なくとも私が働く際の前提にあることなのです。経験上、仕事において最後に自分を守れるのは、やっぱり自分しか居ないと思うわけです。

「誰かのための私」には、やっぱりちょっと、なれそうにないんですね。主に仕事面では。

この話は以前にどこかでしたかもしれませんが、仕事で潰れてしまった経験がある私としては、やっぱり仕事なんかに、そして他人なんかに自分自身を捧げて苦しめるなんてことは、もう二度としたくないのです。家族とかには自分を喜んで捧げますけど、仕事面ではやっぱり無理なんです。

だから、仕事においては、最後は自分で自分を守るしかない、自分のために働く、と。なんとも寂しい人間ですけどね。こんなちっぽけな自分という存在を生かしておく手段としては、そうするほかないと、思うわけです。

とはいえ。

では実際に「仕事のやりがい」そんなことを問われた時にはどう答えるのかという話となると、もしかしたら若干別物かもしれません。

私の見解としては、内心は上に書いた通りですが、インタビューとか会社説明とか、前途ある学生さんが参考にする情報としてそれではあまりに明け透けなので、ちょっと優等生的な回答も考えておかないといけないのかな、とも思ったりするわけです。

そう考えると、本音であっても建前であっても、そういう「お客様からの感謝」という回答が一番適しているのかもしれませんね。良くも悪くも。

実際私も、以前勤めていた会社のリクルータと言いますか、学生と懇談する場では、そのような答えをしたような、していないような…。うーん、大人って何ともズルいですね。。おしまい。

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