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この価格の裏には・・の話。

ゴールデンウィークです。

勤め先はカレンダー通りのお休みではないため、毎年この時期は働いていたりしたのですが、今年は私はお休み。

「さあ、仕事は忘れて、めいっぱい遊ぶぞー!」となりたいところではありますが、そうはいきません。私はお休みでも、同じ部署の他の人や、仕事上で付き合いの深い他部署はバリバリ繁忙期だったりするわけで。

そうすると、こっちはお休みにも関わらず、メールやチャットがバンバン入ってきたりするわけです。

そして、幸か不幸か(いや多分きっと絶対不幸なんだと思いますけど)仕事関連の連絡は、私用のスマホで確認できてしまうんですよね。

ですから、まず「連絡が来ているかな」と思って気になって確認してしまうし、連絡が来ていることを確認したら「何かこっちで対処しなきゃいけないことがあるかな」と更に気になってしまうのです。

「気になるなら見なきゃいいじゃん」という意見はごもっともなんですけど、意志が弱いんですよね。つい気になっちゃう。

「確認しないでモヤモヤを抱え続ける」ことと、「一回確認しちゃって何も無ければスッキリする」ことを比較すると、つい後者を選びがちなんです。ただ、後者は「何かあった」場合に、前者よりもさらに大きなモヤモヤを抱えるリスクがあるので超危険。

結局、生命を削ってんなと思うわけです。

そのことでちょっと考えた話。

それは「何でこんなに仕事を気にかけてんのかな」というところからスタートしました。

まず、仕事上で誰かに迷惑をかけたくないなという思いがあります。それはそうなんですけど、精一杯やってそれで上手くいかなかったのはもう個人の守備範囲から外しても構わないんじゃないかと思うんです。

私は上記の通り気にしがちで臆病な性格なので、必要以上に仕事関係にビクビクしちゃいますけど、それはもう仕方ないとして。別に怠慢な態度で仕事に臨んでいるわけではないので、その上で何か問題が起きたらそこはチームとして組織として何とかすべき領域なんじゃないかと最近思うようになってきました。ちょっと言い訳がましいかもしれませんけど。

だって、逆に考えたら、何か問題が起きましたとなった時に、そりゃ担当者として私にも責任があるケースはあります。ですけど、じゃあ100%私の責任ですかと言ったら、ちょっとそれは言い過ぎな感じがします。

なぜならこの仕事は私一人のものではないから。たとえ主担当が私であっても、その作業にOKを出したリーダーが居るわけですし、その業務を取り仕切る部署のマネージャーも居るわけですし、何ならその事業を舵取りする責任者もあるわけです。

責任転嫁に聞こえたら申し訳無いですが、彼らの責任もあるでしょ?と私は思います。

そうすると、業務時間外にも関わらず仕事に対して自分のリソースを割くことで、私は必要以上に自分の守備範囲を広げようとして、それで苦しんでる感じもある気がするのです。

また、そういう「業務外にリソースを割く」ことは、コストの面にも影響があると思います。

極端な例を出せば、とある製品またはサービスがあって。それはA社では100円ですが、B社では500円ですと。

生産体制にもよりますけど、100円と500円とではかかるコストが違う可能性が高いです。もちろん性能的な差はあるかもしれませんし無いかもしれませんが、A社では安く作ることができてそれを売っているわけです。A社とB社とではブランドに差があるかもしれません。

そういう時に、消費者は「安ければいい」と考えて何も気にせずA社のものを選ぶ人も居れば、「多少値が張っても信頼できる会社で品質の良いものが欲しい」と言ってB社のものを選ぶ人も居ると思います。そうでなければ、どちらもビジネスとして成り立ちませんから。

適切に利益が出る前提としてA社もB社もビジネスをしているわけですが、その価格に差があるんですよね。

となると、今度はそれを自分の仕事に当てはめてみますと、私の仕事はとある情報システムの保守開発業務なわけですが、サラリーマンなので毎月の給料を貰ってそれをおこなっているわけです。生産性はちょっと横に置いておくとして、毎月それなりに実績といいますかアレコレやってくる要望を取り入れて日々業務改善に励んでいます。

ただ、前述したように、サラリーマンであって事業主ではないのです。毎月決まった給料を貰っているわけで、出来高報酬も無いわけです。頑張れば頑張っただけ、成果を上げれば上げただけ貰えるお金が変わってくるというわけではない。そりゃ組織に属する以上、評価という点では将来的に貰えるお金は変わってくる可能性はありますが、その仕事単体で見た時に、そこに違いは無いわけです。

じゃあ会社はなぜ固定の給料を支払っているかというと、毎月これだけの働きをしてくださいねということを期待して払っているわけです。

ですから、その期待以上であれば「頑張ってるね。もっとお金あげるね」と評価が上がって昇給することもあるし、その反対に期待に満たない場合には「思ったよりもダメなのでお金減らすね」と降給させられたり、最悪の場合はクビになる可能性もあるんですよね。

そしてその「期待」ってやつに対してどれだけ会社が精緻な計数管理をしているか分かりませんが、本来は、かかるコストも計算して給料を支払っているはずなわけです。

とするとですよ、私が業務時間外に仕事を気にかけることで、つまり所謂「サービス残業」をすることで、本来はかかってくる以上にコストを費やしてしまっているにも関わらず、提供するサービスの価格は変わらないままということになりますよね。

A社は100円で提供しているけれども、もしかしたら実はB社の500円よりも裏ではコストがかかっている可能性があるわけです。サービス残業のおかげで成り立つ価格。それって何か変だなと個人的に思ってしまいます。

まあ仕事そのものは、やりがいだとか自己成長だとかもあるでしょうから、そんな単純な話ではないかもしれませんが。

とにかく、私が業務時間外に仕事を気にして胃をキリキリさせたりすることも、コストにかかってきているんじゃないかと思うんです。言わば、命を削ってコストにしているような。

そうすると「その頑張りや責任感が、自分を含めた何かを犠牲にしている可能性もあるのでは?」なんてことを思ってしまったわけです。パケ放題ならぬ働かせ放題で、得するのは一体誰なんでしょうね。

不真面目で怠惰な人間の戯言なんでしょうけどそんなことを思った連休でした。どうでもいいですが。おわり。

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