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距離感と決めつけの話。

ちょっと note で、行き過ぎたことをしたなぁ、と思ってしまうような出来事があった。

まあ実際は大したことはないのだけれど、ああそうか、他の人からは私はこんなふうに思われていたんだな、と改めて思ってしまって、若干落ち込んだ。

そんな話。


「決めつけ」ということが私はあまり好きではない。

とは言え、人間は少なからず決めつけて生きているということは理解している。「客観的に」とか「純粋に」とか「淀みのない目で」とか言ったところで、ある程度は実現できるとは思うが、何かしらの「色眼鏡」も持たないで行動を起こすことはきっと不可能だと思う。

だから私は、自分以外の人やモノ、出来事に対して、「きっとこれはこうだからなぁ」と思ってしまうようなケースに当たった時には、出来るだけ少し立ち止まって「いや、待てよ。決めつけていないか」と思うようにしている。

もちろん、毎回毎回立ち止まって考えていたら物事の進みが悪くなって恐ろしく効率が悪いので、もっぱら「あっ、これは良くない状況だな」と思う時には、一度歩みを止めて考えるようにしている。もっと厳密に言うと、「状況が悪くなりそうだな」と察知した時に、その一歩手前で少し慎重になって、その解決手段(あるいは回避手段)の一つとして、発想を転換させる方法をとるような感じ。言わば、歩みを止めて「決めつけ」を排除して、物事を好転させるきっかけにするためだ。

そういうわけで、上手くいっている時とか、調子に乗っていたり、油断している時なんていうのは、私は、大いに決めつけて生きていると言える。

で、本題なわけだが、そうやって油断してつい調子に乗って、行き過ぎたことをしてしまう。よくある失敗例は、「距離感を間違える」ということだ。

今回も、あまり詳しくは書かないが、とある方が、結構こちら側に対して好意的なアクションをとってくれたように感じていたので、良かれと思って私も先方にお返しで、ちょっと踏み込んだアクションを取ったら、何となく「あっ、向こうとしては私のことをそう思っていたのね…」と軽くショックを覚えた出来事があった。

つまり、向こうがこちらに抱いているイメージと、こちらが向こうに抱いているイメージにギャップがあって、ちょっと残念な感じになった。

具体的に言えば、てっきり、仲良くできそうかな?と思って調子に乗って交流していたんだけど、いざこっちが距離を詰めたら、相手としてはそんなはずじゃなかった、みたいな。いや全然具体的じゃないけど。


思い出すと、昔、こんなことがあった。

以前に記事にも書いたかもしれないが、高校時代によく話して仲良くしていた同級生がいた。彼は、生徒会長を務めるくらいに人望もあって活発で勤勉で、絵に描いたような優等生だった。

そんな彼とは図書館でよく話をして、当時から内向的なこんな私に対しても彼は優しくしてくれた。

で、私は、高校を卒業して大学は遠方にあるところに進み、社会人になってから関東地方に戻ってきた。結婚して子供も産まれた。地元に帰省して、子供向けの遊びの施設に立ち寄った時のこと。

なんと、高校時代のその彼も、そこに居るではないか。外見はあの当時のまま。そういえば、風の噂で、彼は大学卒業後に市役所の職員となったということを聞いた。そうかそうか、市の仕事で子供関係の施設を担当したりしているのかな。真面目そうなのは変わらないんだなぁ、昔のまま仲良く話ができそうだなぁ、なんて思って話しかけた。

ところが、彼から帰ってきたのは、一瞬「誰だコイツ」という表情をした後、思い出したように「あっ、○○中学出身の□□君だね!」という言葉だった。

たしかに、出身中学も、名前も合っていた。けれど、それ以上は話が広がらなかった。

そうだ、私と彼との共有された情報なんてそれ以上に無くて、特に一緒にプライベートで遊んだ記憶なんて無い。具体的な思い出も特に無い。ただ単に、学校内で取り留めもない話をしたに過ぎなかった。

私は一方的に彼に対して友好的な感情を持って話していたと勘違いして、つまりその当時仲良くしていた友人関係だと「決めつけ」ていたが、彼にとっては別に高校時代の同級生で、今となっては単なる知人レベルの一人にすぎない、ということだったのだ。

そのことがはっきり分かって、私はショックを覚えた。彼が悪いんじゃない。私が距離感を間違えて、勝手に傷ついた格好なのだ。自分の愚かさを恥じ、悔やんだ。


話を戻すと、今回のことでショックを受けたのは、相手が私に対して「決めつけ」をしてくれたことで、それで私も「私のことを分かってくれているのかも」という思いが全くの幻想だったということが分かったからだった。

それは、上にあげた高校時代の同級生との例と、ほとんど同じような構造だ。言い換えれば、自分の自分自身に対して抱いているイメージと、他人の私に対して抱いているイメージがあまりに違っていて、勝手にそれで私が傷ついているだけだ。

改めて、良い学びになった。少し、note での付き合いというか交流や使い方についても、よく考えないといけないなと痛感した。

非常にズルい考え方で恐縮だが、私は傷つきたくはない。もちろん、学びはしたいし、成長もしたい。その過程で、ダメージやストレスを感じることは致し方ないと思うが、それを意図しないタイミングで受けたいとは思わない。

だから、可能な限り、自分が想定する範囲で、タイミングで、「よっしゃ、やっつけてやるから、こっち来いよ」と身構えていた状態で、課題や諸問題に受けて立ちたい。そのような姿勢で、世の中で起こっている全ての物事を処理するのは不可能だと分かっているからこそ、自分でコントロールできる範囲で、それをしたいと思うのだ。不意に後ろから攻撃を受けたくはないのだ。戦うならば、前から攻撃を受けたいと思ってしまう。

今回のように、勝手に自分が距離感を間違えて、勝手に自分で決めつけて相手に歩み寄ったことで、結果的に自分がダメージを負うというのは、できることなら避けたい。くだらない理由と思われようが、結構傷ついた。しかも、誰に言われてやっているわけでもない、自分で好んで利用しているこの note という場で、だ。自分が豆腐メンタルだということも忘れていた。

そういうわけで、今まで私は、結構色んな人の記事に、スキボタンとかコメントとか送ったりしていたけれども、改めてちょっと考え直した方がいいかな、と思っている。距離感を間違えてまた傷つくのはごめんだ。そもそも好きでやっている note でそのような思いはしたくない。よほどのことがないと、コメントするのはやめようと思った。私は、ほとんど書く専門でいいや。自己保身で結構。臆病者なんです、すみません。

とは言え、共感したり面白かったりしたら、やっぱりコメントしたくなってしまうのだけれど。ああ、また距離感を間違えてしまうのは嫌だなあ。でも仕方ないかな。それも人間だし。傷つくことも気にしないで距離感を無視してガンガンいけたらいいだろうが、それも自分には出来ない。あっ、でもそれも一種の「決めつけ」なのかな。まあいいや。

とにかく、そうは言ってもやっぱり面白い記事を書く方々はたくさん居るし、そういう記事には惜しみなくスキボタン押してしまう。共感したり、めっちゃ参考になる情報もあるし、純粋にその方の紡ぎ出す言葉が魅力的で惹かれたりもするし。だからフォローさせてもらっているわけだしなぁ。また、有難いことに、こんな私でもフォローしてくださる方もいらっしゃるわけで。そのような方々を大事にしていきたい。それでいいかな。うん、きっとそれでいいよね。

そんなこんなで、起き抜けに一気に思考して書き殴ってしまって、若干疲れた。シャワーでも浴びてきます。今日からまた月曜日、がんばって生きていこう。非常に歯切れの悪い話でした。おしまい。

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