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パラメータ化された生活の話。

たとえば・・

<エアコンのリモコン>

今の季節であれば、朝起きて「ああ、寒いな」と思ったりします。

そうすると、私は手元のスマートフォンにインストールされている家電メーカ製のアプリを起動します。アプリに表示されている 室温:10℃の表示を見て「ああ、こりゃ寒いわけだ」と。

それから、アプリ内にある「運転」ボタンをタップ。すると、運転モード:{自動}、温度:{25℃}、風量:{自動}、風向き:{自動}の文字が並び、即座にリビングに設置してあるエアコンが動き出します。

しばらく布団にくるまり、数分後にもう一度そのアプリを確認します。室内温度:22℃との表示。「おお、そろそろいいかな」リビングに向かいます。

<ワッフルのリベイク>

「おはよう、いつものバタートーストでいい?」

子供たちに訊くと「それはもう飽きちゃった」とのこと。仕方ないので、昨日買っておいたワッフルを朝食にします。

ただ、そのままよりも、少し温めたいところです。そのほうが美味しくなりそうなので。最近は、リベイク、という言葉もよく耳にしますね。

さて、このワッフルは生地も少々固め。なので、まずは電子レンジ、{600W}の{20秒}です。それからオーブントースター、これは{1000W}で{1.5分}~{2分}です。

そうすれば、ほら。ふっくらで熱々、外側はちょっとだけカリッと、美味しい触感に。どうぞ、召し上がれ。

<車内のテレビ>

他にも、娘を保育園に送りに行く途中の車内。

「パパ、テレビつけて」
「ああ、分かったよ」

私は、運転しながらハンドル横にある切替ボタンを押して、メディアプレーヤからテレビに出力を切り替えます。音量ボリュームは{7}です。それより大きいとちょっと騒がしいし、それよりも小さいと子供の座席の位置からテレビの音が聞こえにくくなります。

前回送り迎えの帰りに一人でロック調の音楽を聴いていたので少しボリュームが大きくなっていましたので、慌ててそれを下げ、{7}に変更。

「うん、これでちょうどよくなったな」

<お風呂の給湯>

「寒いね。そろそろお湯、温かくしようか」

そう言って、慣れた手つきで給湯温度:{40℃}から{42℃}に変更。

これで、子どもたちが入れ代わり立ち代わりジャブジャブお風呂に入っても、多少は湯冷めしないでしょう。たしかに最近、風呂から上がっても寒いなあと思っていたから。

でも、そうすると、食器洗いで普段使うお湯も、少し熱めになっています。それは気を付けないと。

夏になったらまた温度を下げないとな、とも。


何が言いたいの?

本題

すみません、いきなり例から書き始めてしまいました。

ふと、身の回りの物事を観察すると、実に「パラメータ」に囲まれているのだなぁとしみじみ思ったので。つい。

パラメータと言いますと分かりにくいですね。実は私もよく分かっていません。適当に言葉を使ってしまいました。すみません。

私はシステム開発の仕事をしていまして、たまに「パラメータ」という言葉も聞きますが、イマイチしっくり来ていないんですよね。どっちかというと、業界では「変数」という意味で使うことが多いのかな?と思うのですが。

でも、日常生活の中で「パラメータ」を考えると、もしかしたらそれは「設定値」みたいな表現が一番近いものなのかなと思います。

設定値、つまり自分が任意に決められる入力値のことです。

それが、たとえば、私が上に書いた例の中で{ }のカッコで囲んだような情報だったりします。エアコンの{25℃}だったり、電子レンジの{20秒}だったり。そういう自分だけの「設定値」、きっと多くの方は持っているんじゃないかと思います。

そして、それらの「設定値」は、もしかしたら「数値」や「テクノロジー」に関係するものとは限らないかもしれません。

<スーパーのレジ>

いつもよく行くスーパーマーケット。お昼時や夕方の時間帯が一番混みます。いつもならそこまで気にしませんが、急いでいるときにはちょっぴり困ります。

ですが、大丈夫。そんな時、私は、{〇〇さん}がレジを打っているレーンに並びます。何せ、〇〇さんはいつもレジ打ちのスピードが速いので、溜まっている行列もどんどんさばいてくれるからです。気持ち悪いですが、名札の名前を覚えてしまいました。

もし〇〇さんが居なければ{メガネをかけている細身のあの男性スタッフの方}。居なければ{髪を一つに束ねている少し年配のあの女性スタッフの方}。いつも足を運んでいるスーパーなので、大体速そうなスタッフの方は経験的に分かります。

・・おや、困った、レジ打ちの速そうな人は見当たらないようです。そんな時には、最後尾に並んでいるお客さんが{男性}の列を探します。理由は、男性客なら大抵買い物の量が少なく、すぐに行列が無くなるから。よし、居ました。あの人の後ろに並びましょう。

・・ああ、しまった、どうやらこの方はその法則に当てはまらないようでした。いっぱいになった買い物かご。ああ、カートの下にもあったのね。。とほほ・・。まあこんな時もあります。


まあこの例は正直微妙かもしれませんが、それでも大きく的を外れるような題材ではないと私は考えています。

「パラメータ」つまり「設定値/入力値」と考えた時に、そこに何をセットするのか、といった裁量があるわけなんです。それが無いものはそもそも「デフォルト」(しかも固定値)なわけで、自分がいじれる前提の話ではありません。

あくまで、自分がどうしたいのか、という明確な意思(適当であったりする場合もありますが)があった、それに基づいて、どういう設定/入力をするのか、が決められるわけです。

ただ、それは日常生活の中で、当たり前にやっていることではあるのですが、ふと「なぜ自分で決めているのかな」と思ったりもします。

だって、AI(人工知能)の時代だし、なんでも自動化の時代なんじゃないの?って。けれど、そうしないわけです。全てを決めてもらうわけではなく、自分で決めて自分で動かしたい、そんなニーズがあるのかもしれない。そんなふうに思います。

{21℃}ではなく{25℃}がいいのはなぜ。
ボリューム{10}ではなく{7}がいいのは。
急ぎの際は{研修中の新人スタッフさん}ではなく{○○さん}のレジがいい。

今一度、どうして自分はそういう設定/入力にしたいのか、そんなことを考えてみたいなと。

結論

きっと様々な経験から、「ちょうどいい塩梅」を探り当てて、そうして勝ち取ったものではあると思うんですけど。

ふと、身の回りのものがそれらに支配されているような気持ちもしてしまったのです。何がなんでもそのかつてセットした「パラメータ」を崇拝して、「そうしておけば大丈夫、問題ない」と無批判に受け入れすぎてはいないかな、と。

極端な話をすれば、そういう「パラメータ」から逃れて生活をしてみる機会がもし持てるなら。もしかしたら、ちょっと自分自身の身の回りのあらゆるものを見つめるきっかけが出来たりするのかなぁ、なんて思ってみたりするわけです。

パラメータ化された社会。

それってもしかしたら、{自分}も、ある意味パラメータになっちゃったりしているんじゃないの?誰かのための自分になってやしないか。いやいや、私は私で、決して誰かの目的を果たすための「設定値」ではないと。そう信じたいけれど。

なんて適当な問いを投げかけて終わりにしてみます。おしまい。

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