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静かなる同志?の話。

私には、記事を書きたくなる時があります。

それは、コインランドリーに行った時と、美容院に行った時。

何故なんでしょう。考えてみました。

前者は、洗濯物を乾燥機にかけている間に手持無沙汰になるからだと思います。コインランドリーに行くのは大抵は夜なんですけど、そうすると本を読むにもちょっと暗いんですよね。ですから、スマホでポチポチと note の記事を書いてしまいます。

後者は、普段私は家族以外の他人とあまり会うことのない生活をしておりますので、赤の他人と一緒に過ごす時間を久々に味わって新鮮な気持ちになるからなのでしょう。美容院って、赤の他人と一緒に時間と空間を共有しますよね。カットしてくださる美容師さんもそうですけど、近くに他のお客さんとかも居ますよね。私はカットしてもらっている最中は目を閉じて、無駄な会話をしないようシャットアウトしているんですけど、耳は聞こえてくるんですよね。他のお客さんと美容師さんが話している会話が。そういう、自分とか他の人の会話に刺激を受けて、何かちょっと記事を書いてみたくなるのです。

というわけで、前置きが長くなりましたが、美容院に行ってきました。そしてその時、他のお客さんとの会話が聞こえてきたのです。

そんな話。(悪趣味でごめんなさい・・)

ちょっと最近、髪がモッサリしてきていて。洗髪が面倒になってきたのでそろそろ切りたいなと。ちょうど仕事終わりにちょっと時間が空いたので、近所の美容院を予約していってきました。カット1回2,000円しないくらいの格安店。閉店時間の間際。すでにお店の扉には「受付終了」の文字。滑り込みセーフ。

入店すると、私のほかにお客さんはもう一人。すでにカット中でした。

準備ができて私の番になりました。私はいつものように、美容師さんに髪型の注文をして(と言っても「長さはあまり変えないでいいので、すいてボリュームを落としてください」という程度です)、目を閉じました。

いつもは目を閉じたまま美容師さんからの軽い会話をしつつ、疲れていると眠ったりするのですが、今回は、少し離れた席でカット中の他のお客さんの声が耳に入ってきます。

どうやら、話の内容からすると、小さい子供がいるお父さん。会話は断片的にしか聞こえませんが、時折「アンパンマン」とか「おもちゃ」というワードが登場します。

で、私のほうは、そこまでカットの時間もかからなかったようで、シャンプー台へ。シャンプーしてもらっている間も、そのお客さんと美容師さんの会話が耳に入ります。シャンプー台のほうが近いので。

聞き耳を立てていて思ったのが、すごくよく喋る。そのお客さん。しかも嫌な感じもしない。愛想というか、感じも良いんですよね。ガンガン喋りかけているというより、キャッチボール的に次から次とへ話に花が咲くというか。

話の詳しい内容はちょっとよく聞こえませんでしたけど、そのお客さんは、美容師さんが切った箇所とかもものすごく褒めたりしていて。

「あっ、すごい。良くなりました。考えていた通りの髪型です。いやぁ嬉しいなぁ」とか、そういうことを言っている。上っ面な感じがしなくて、本音で喋っているように聞こえます。

そして、受付終了したはずのお店のドアがガラガラと開きました。私は目隠しでタオルをかけられてシャンプーをしてもらっているので見えませんが、どうやら、そのお客さんの奥様とお子さんの様子。

「パパー」「あっ、良いね。良くなったじゃん!」
「かっこいいだろう」「このツーブロックすごく良い」

カット後も、とても楽しそうに家族を交えて、仕上がりを絶賛している。褒められた方の美容師さんも嬉しそうなんですよね。

何だか、微笑ましい気持ちになると同時に、自分のことを思うと惨めな気持ちになりました。

自分は、手早く切ってもらおうと格安のスピードカットのお店を求めて、別にカットのクオリティなんてどうでもよくて、ただただ重たい毛のボリュームを落としてくれさえすればいいと思っていて。カット中も美容師さんとの会話もシャットアウトして。

もちろん、そんな状態で私は文句も言うつもりもないので、仕上がりの確認は一応「あっ、ありがとうございました。さっぱりしました」って言います。美容師さん的には、流れ作業的に切るだけなんですけど、やっぱり、カットして楽しいとか嬉しいとかいう気持ちになるのは、私よりもそのパパのようなお客さんなんだろうなと思いました。

私は、美容師さん含めこの美容院自体を単に「自分の髪を切ってもらうという欲を満たすだけのツール」としか見ていなかったことに気付きました。

他方で、そのパパは、美容師さんとの出会いに感謝し、その仕事にも感謝し、さらには家族にもその喜びの感情を共有し、結果、お店のスタッフさんまで喜ばせている。もはやそれはエンターテイナーなわけです。

カットしてもらっている最中は、私は勝手にそのお客さんのことを「ウチと同じように小さい子がいるパパなら『同志』みたいなもんだな」なんて思っていましたが、とんでもない。大間違いでした。

彼が周りを幸せにするエンターテイナーならば、さしずめ私は自身の欲望を満たすだけの自己チューなケダモノとでも言いましょうか。誰も幸せにしない。何の価値も生まない。金を払って欲を満たすだけ。世の中を変えることなんてできないわけです。一瞬たりとも「同志」だなんて勘違いした自分をぶん殴りたいものです。

恥ずかしさのような、惨めな思いがしました。自分に対して。私は、散髪に関して、そのお客さんのような態度で向き合ったことは無かったのです。同志だなんて、とんでもない。彼に対して失礼な話です。

私は、カット終了後、そのお客さんのご家族の顔を見るのも恥ずかしくなって、そそくさと会計を済ませ、逃げるようにお店をあとにしました。

帰宅後。

「あんま変わってなくない?」

開口一番、妻や子供に言われました。

そう。変わらない。私は何も変えることなんてできない。ただ自身の欲を満たすだけのケダモノだよ。おしまい。

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