その思い出で生きていけるという話。
いつにも増して妄言です。いや放言。
ちょっと書くの恥ずかしい話。
別に相撲に詳しいわけでもないですし、この方のファンというわけでもないのですが、ちょっと気になる記事がありました。
https://bunshun.jp/articles/-/66110?page=3
この記事の中で、このような言葉がありました。
ほう・・。
記事の中で触れられていた、この方が再婚されるきっかけになった動画のほうも、せっかくなので観てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=wVzNa6JfmfY
なるほどなぁ。
動画の要所要所で独特な思想みたいなのは気になりましたけど一旦それは横に置いておいて。
上で引用した言葉は、やっぱり心のどこかに響くものがありました。
分からないですけど、なんだか、分かるような気がしました。
たった一つの思い出が、心の支えになる。それによって、くじけずにまた歩き出していける。そんな思い出。
・・自分にはあるかな。無いような、あるような。
いやぁ。勢い余ってこのままこうして書いてしまいそうだったけれど、やっぱり書けない。書いたら何となく、それは違う顔を見せてしまいそう。
言葉にすると、文字にすると、多分、変わってしまうような気がするんですよね。それはそれでいいかもしれないですけど、でも、敢えて変形させる必要もないかな、という気がします。むしろ変えたくない気持ちもある。だからやっぱり、書けないなぁ。
「あの時、ああしていたら・・」
そんなことを思ったこともありましたけど、変えようがない過去だから、今となってはもはや触ることのできないものだからこそ、より綺麗な状態に見えてしまうのかもしれないですね。それを、美化、と呼ぶのでしょう。
もし、過去に戻れたとして、もう一回、同じ場面でやり直しができるとして。おまけにスペシャルオプションで、環境と肉体は当時と同じだけど、頭の中身は今の状態を引き継いで行けたとしたら、どうしていたかな。
・・恐らく、何にもできない。
当時と同じことしかできない。
そんな気がするのです。
なぜなら、「やり直したい」なんて気持ちは、今更無いからかもしれない。この先色んなことがあるけれど、こうして生きてきて、それなりに幸せで、満足している今があります。だから、たとえ一つの過去を変えることができたとしても、そんなことをする必要なんて無い。
・・いえ、ちょっと強がりました。ごめんなさい。
本当は、多分、怖いんです。
幸せな今が、変わってしまうんだとしたら、可能だとしても過去の出来事を変えることなんてしたくない。だから多分、何もしないで、当時と同じことをするんだと思うんです。
臆病なのは、昔も今も、変わらない。
思い出は思い出として。誰にも話さず、自分の中でしまっておく。それでいいし、多分それがいい。
そこにあるのは、後悔といったような、生々しい現実チックなものじゃなくって、単なるイマジネーションの世界の中だけで閉じた感情。
言ってしまえば、メルヘンというかお花畑というか。頭の中にぼやーっと浮かぶお花畑って、それがどんな花の種類で、どういう配置にしたらより綺麗だろうとか、それを植えるだけの土地の面積はどうだとか、そういうのを考えないのと似ている気がします。
そこにあるのは、単なる花。実物のものではないのです。空想の、妄想の、抽象概念としての花。ぼやーっと浮かんでいて、心地良くて、ふわふわしていて、実体なんか何にも無いものです。
そういうものを、たまーにですけど、当時聴いていた歌とか、遊びに行った場所とか、そういうものに触れて思い出したりするのです。ある種の現実逃避に近いのかもしれない。
・・何言ってんでしょうね。
とにかく。誰しも、思い出はあるんでしょうけれど。それを胸に、前に進めるのこともあるかもしれないですけど、でも現在そうやって足を踏み出すことができているのは、過去のおかげなんかじゃなくて、今の自分の勇気と決断のおかげだと思うんです。
だから、思い出なんて、本当は捨ててもいいのかもしれない。綺麗さっぱり忘れてしまっても、多分、生きていけるんじゃないかと思います。もしかしたらその方が、何のしがらみもなく前に進める可能性すらある。
大事なのは今です。この今しか無い。今を良くするためにどう生きるかを考えるだけで、本当は十分なはず。
ただ、そうは言っても、捨てられずに時に思い出してみたりして、しみったれているのが人間なのかもしれない。そんなことを思いました。自戒ですが。おしまい。
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