休み中に会社のメールを見るとなぜモヤモヤするか考えてみた話。
ああ、またやってしまった。
タイトルにも書いた通り、休みの日に仕事のメールは見ないと決めていたのに、つい見てしまいました。
すると、案の定と言いますか、いつも連絡なんてそこまで多くないのにこういう時に限って「これこれの件、どうやら本来あるべきファイルが出力されていないのですが、確認してもらえますか?」のメール。
軽く確認してみると、たしかに出力できてない。一度手動で再処理を実行してみる。しかしやっぱり出てこない。どうしたものかなとログを確認すると、見たことないエラー。
さすがに休みの日に出先にチャチャッと解決できるような問題ではなさそうです。
うーん、どうするか。
ここで、以前の私ならこういう二極化した思考に支配されていました。
そのどちらも、よく分かります。
精神衛生上やっぱりこういう問題って本当は何とかしたい。綺麗にしたい、さっぱりしたい。そう思ってしまいます。
ただ、ちょっと考えてみたんです。
なんで、そもそも休みの日に仕事メールを見てるんだと。それって、何か自分にメリットあるのかなと。でもよく考えてみても全くメリット無いんですよね。
いや、そりゃまあ24時間いつでも会社からの連絡に応えるようにしてすぐにレスポンスくれるという評価を得られれば何かしら上からの覚えは良くなるかもしれません。「アイツは頼りになるやつだ」って。もしかしたら良い評価がもらえて昇給や昇進できる可能性もあるでしょう。
でもそんなの本当に私は求めているのかなあと自問自答すると、全然欲しくないと気付いたわけです。貰える給料は多いに越したことは無いけれど、四六時中会社からの依頼に対応できるようにしてまで自分の時間や精神力を削りたいと思わないし。何より別にそこまでして出世もしたくない。
損得勘定としてはあまりコスパが良くないなら、他に理由はあるのか考えます。もしかしたら「よく思われたい」「嫌われたくない」という八方美人的な下心もあるかもです。「アイツ、すぐに対応してくれる」という評価が欲しい気持ちは、裏には「アイツ、言われても動き遅くて使えねーな」という評価を恐れているということがあるのではと思います。嫌われたくない、好かれたいという気持ちです。
じゃあそんな好きになってもらえたら、何か良いことがあるのか。無いんですよ。別に会社関係の人に好かれたところで、多少の仕事のやりやすさは生まれるかもしれませんが、それよりも「アイツは頼んだらすぐ動いてくれる」ということで都合の良い扱いをされる可能性のほうが高いです。それって全然嬉しいことではないんですよね。
やっぱりメリット無かったです。自分の中で。
で、もう一度その問題(なんかこういう休みの日の会社メールってモヤモヤしちゃうなぁという気持ち)に向き合ってみました。
じゃあなんでそうまでして会社メール見ちゃうのかって、単なる興味本位なんですよね。「気になるなあ」ってだけ。もしかしたら急な対応依頼とかトラブルとか起きてたらどうしようかな、そういう単なる興味を満たしたいという気持ちにすぎないわけです。
で、すぐに解決できない問題が起きていると分かると、「ああ、解決したい…でもすぐには解決できない…」というジレンマに挟まれてモヤモヤするという感じです。
なるほど、理解できてきました。
では次は、そのモヤモヤした問題の核に迫ります。ずばり、「本当にそれって解決しなきゃいけないのか?」、ということです。そして、解決しなきゃいけないのなら、「本当にそれは今すぐ手をつけるべきものなのか?」ということ。
今回のメールを確認すると、他部署ですがまあまあ偉いマネージャーの方から直接私に連絡が来ているんですよね。しかも宛先は私だけ。個別に。
これはどういうことかと言いますと、私の直属の上司を通していないわけです。私の勤務先の仕事の流れとして、本来のルートなら以下のようなものになるはずです。
たとえば、Aという部署の偉い人からBという部署の偉い人に仕事の依頼があって、依頼を受けたB部署の偉い人は自分の配下のチームメンバーにそれが可能か確認したり可能ならいつそれができるのかスケジュールを確認したりしてそれでようやく「今すぐやらなきゃね!」なのか「これは大変そうなので、いついつにやりますね」みたいな決定をして、それをA部署の偉い人に伝えるわけです。
まあ、ちょっと効率悪いですけど、それでも個人が働きやすいように考慮した割とホワイトな運用だと私は思っています。以前の勤め先では、仕事を受けたら休みの日だろうが何だろうが常にいかなる時でも即座に対応しなければならないという環境に身を置いていたので、それと比べるとありがたいです。
話がちょっと脱線しちゃいましたが、今回のメールは、そのルートを辿ってないわけですよ。そして私は休暇中なわけで。本来なら仕事はしない。たまたまそのメールを私が見てしまったという事実があるだけです。
仮に私がそのメールを見なかったらどうなるか、考えます。
急を要する件なら、多分うちの部の偉い人に連絡が行くわけです。こいつじゃ反応無くて話にならんということで。でも、しばらく待ってみましたが、別に私の上司からは連絡がありません。おや?そしたら、そこまで急を要する話ではなさそうです。
そうすると、別に急ぎではなさそうなら、週末を挟んで、週明けの月曜にこの問題を確認してそれから取り組むのでいいんじゃね。という感じに見えます。よし、そうしよう。
状況としてはそんな感じで自分の気持ちを整理できてきました。
でもまだモヤモヤするなあ。仕方ないことではあります。本当ならすぐに解決したいのにできないわけですから。
じゃあ最後に、そのモヤモヤについて向き合います。
そのモヤモヤ、どうして発生するのか。
恐らくですけど、何か問題があったら解決したい。そういうシンプルな思考に見えて、実はそれって自分のクッソ高いプライドから生まれた醜いモンスターだと思うんです。だって、自分ならその問題を解決できると思ってるんですから。驕った態度ですよね。その根本にあるのは完璧主義だと思います。完全な状態を求めているんだと思います。自分が関わる環境も、そして自分自身も。
でも、完璧なはずないんですよね。当然私は完璧ではない。もちろん完璧を求めて頑張ることは否定しないですけど、無理なものは無理です。今からめっちゃ高身長にもなれないし爽やかなイケメンにもなれない。高学歴にもなれないし、むちゃくちゃ高収入も無理です。
そりゃ頑張ればある程度のことはできるかもしれません。身長を伸ばす手術をするとか整形をするとか。学校に通い直すとか何か儲かるビジネスに手を出すとか。ただ、本当にそこまでやりたいか?と自問すると、全然そんなことしたくないわけです。
そういうところで「いや、でも今のままでも良いよ」と思っているはずなんです。つまりそれは、言い換えれば不完全さを許容しているということでもあるわけで。
そんな中途半端な状態のくせに、どうして仕事関係では完璧を求めようとしているだと思うと、ちょっと笑けてくるんですよね。バカなんかと、自分は。なーに自分にそこまで高いレベルを要求してんだと。思い上がるんじゃないよ、そんなに自分はスーパーマンじゃありません。
別にいいじゃん、そこまでやらなくて。そんなに自分に大きな期待を寄せる必要なんて無いよ。
そんなふうに肩の力を抜いてあげるのでいいんじゃないかと思えてきました。
こんなモヤモヤ問題を抱えた時、その対処の思考として、上のほうでこう書きました。
グダグダとここまで考えてきた結果、ここにもう一つの考えを追加してみます。
だって、完璧な人間じゃないんだから。というか、完璧じゃないという状態で、すでにそれで完全なんだと思うんです。その前提で人間は作られているんだと。意味分かんないですけど。
私のようにここまで拗らせた豆腐メンタル人間がどれだけ居るか分かりませんが、これは大事な考え方だと思っています。
本当は、そこからもっと飛躍して「もうそれで嫌われたり評価が悪くなってクビになるならそれでも仕方ないよね」という思考まで飛んでいく話もしようと思ったのですけど、ちょっと長文書きすぎたしまた脱線しそうですのでこの辺にしておきます。
結論。それでいい。そのままでいい。放っておけばいい。
言ってみれば、仕掛かり中の問題なんて山ほどあるじゃん、と。たかだか会社のメールだってそれと同じだよ、と。そういうふうに自分に教えてあげる。そうやって不完全さを受け入れてあげると、生きやすくなるんじゃないかと思うんです。だから全部OK。問題なし。おわり。
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