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もう一度めぐってきた夏

ビチクソ感想文:映画「君たちはどう生きるか」

公開二日目の朝いちの回。同居家族と出かけた。三日前に予約したときはポツポツ席が埋まり始めている状況で車椅子用の座席はすでに完売だった。べつに車椅子の身内がいるわけではないのだが、将来そうなるかもしれないと思っているのでつい目がいく。わたしたちはスクリーンに少し近い真ん中の席をとった。席について周りを見渡すと満席。人々の期待感が雲のように膨らんでいる。人があつまるとそれだけでお祭りになるんだなと思う。

本編が始まる前に今年公開されるアニメ映画の予告編がいくつか流れた。目を見張ったのはディズニー。何がどうなってこんな映像をつくれるのだろう。まさに魔法としか思えなかった。ほかにもクレヨンしんちゃんといった定番のファミリー映画から、著名なアニメスタジオや脚本家などの新作映画の宣伝がつづいた。そういえばジブリの映画を最後に劇場で見たのはいつだろう。あのときも家族と見に行った。いつでもそうだ。ジブリの映画は家族の思い出とつながっている。

幸福な子供時代――そんなものが本当にあるのかは疑ったほうがよいが(というと親に失礼な気がするが、そういうことではなく)、少なくともジブリの映画とともにあるわたしの家族の記憶には抗いがたいある種の甘やかさがある。それは悲惨さがあふれる世の中で奇跡のような出来事だったのかもしれない。しかし、生きることはそれほど単純じゃない。禍福はあざなえる縄の如し。「君たちはどう生きるか」と問われたら、正直なところ「いきあたりばったりで生きてますぜ」と答えるしかない。なぜか声のイメージはクロトワだが。

トトロの横顔が描かれたスタジオジブリの青い画面が大写しになったとき、感極まっている自分におどろいた。生まれてきてよかった(と、これはポニョだった)。だけど、こんなところで感激している場合じゃない。映画ははじまったばかりだ。

前半と後半で物語ががらりと変わる。前半は眞人の疎開先での日常が丁寧に描かれる。少しずつ異変が起きていくが、ゆっくりとしたテンポだ。久石譲の音楽もつつましく、しずかによりそっている。ここでわかったことが一つ。わたしはここ数年アニメーションのすごさをすっかり忘れていた。

具体的なシーンを上げようとすると全部かもしれないのでキリがないが、異界巡りのまえに焦点を絞ったとしたら、思い出すだけでもこんなアニメーションがあった。

邸宅のなかを気をはって背筋を伸ばして歩くリズムと、ベッドに腰掛けてから力が抜けてやわらかに倒れ込むしぐさ。池にたたずむサギの美しさと気持ち悪さ。塔をめざしてぬかるみを歩く足どりのねちっこさ。せまい土壁をくぐり抜けようとするときの身体のねじれと、堆積した泥壁のなかで思うように動かせない閉塞感。あるいは豪邸の廊下で音をたてないように四つん這いになりながら後ずさる(!)慎重さと器用さ。恐れと不安と抜け目なさ。生きて、動いていることの豊かさと複雑さ。

眞人が異界に叩き込まれたあとも、このようなアニメーションはずっと続いていく。

そうだ、すっかり忘れていた。これこそが宮崎アニメだった。人間の動きのみならず森羅万象の動きをアニメーションで批評する。そして気持ちよく誇張する。見ている者の身体感覚と想像力を同時に刺激する。

かつて宮崎駿はアニメーターとしての喜びをこのように語っていた。以下、2013年の引退会見時のことばから抜粋する。

アニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ることだ。
風や、人の動きや、いろんな表情やまなざし、体の筋肉の動きそのもののなかに、世界の秘密があると思える仕事なんです。
それが分かったとたんに、自分の選んだ仕事が、非常に奥深くて、やるに値する仕事だと思った時期があるんですよね。

2013年引退会見 リンク動画の4分35秒あたり

動きがすべてを語りはじめる。物語のみならず、世界の秘密さえ明かしはじめる。ほかのアニメーション映画では動きの魅力がこれほどまでに(むせ返るほどに)前面に出てくることはそれほどない。少なくともジブリの映画が公開されなくなってから、わたしはこのようなアニメーションのすごさを思い出すことはなかった。というか、このようなメジャーな規模のアニメーション映画では、もはや宮崎駿しか採らないアプローチなのかもしれない。ありきたりだが、宮崎駿(のディレクション)がすごいんだと思った。

「次はどんな展開になるんだろう」と混乱することはなかった。なぜなら動きを見ているだけでずっと見ることができてしまうから。でも「筋書きなんてどうでもいい」とはならない。今回の映画は物語も興味深かった。しっかりと正統な児童文学ファンタジーをやっていた。具体的には「マーニー」とか「トムは真夜中の庭で」とか、ああいう感じのテイストだ。

思えば、ジブリで死の匂いのする児童文学を正面からやっていたのは「マーニー」だけだったと記憶する。わたしはマーニーにはとても感心した。これからのジブリはこういう路線にいくのかと楽しみになった。若手の才能もすばらしかった。たが、これ以降、長編映画が作られることはなかった。
しかし、ここへ来て「君たちはどう生きるか」でそうした展開が回収されたように思った。

まるでこれまでの宮崎アニメやジブリ映画の総括をして宮崎監督自身が「ほら! こうやるんだぞ!」といっているようにも感じられた。そして、それは「たしかに! こうやるんですね!」という内容だった。何をいっているのか自分でもわからないが。…

たとえば異界の海と船のシーン。わたしはこれは「未来少年コナン」ではなくて「ゲド戦記」だと思った。「ゲド戦記」の原作のイメージというか「宮崎駿のやりたかったゲド戦記」の一端をやっていると思った。そして、そう思っただけで満足してしまった。やっかいなファンだ。

しっかりとした物語の構造。往って還ってくる物語。ファンタジーにすべてを任せるのではなく、SF的な背景を匂わしていることも新鮮だった。なんとあの塔は宇宙から飛来したという。マジかよ。人類の科学技術を超えた謎パワーをめぐる人間の悲喜劇。まるで庵野秀明の「シン」シリーズじゃないか。

そしてラスト、塔は崩壊してインコが空を舞った。なんでインコなの? というかインコ大王ってなに?

すべてが最高だった。きちんとわたしは映画から日常へ帰ってくることができた。たいせつな人が出てきた夢をみたときのような当惑。鮮烈さとさびしさ。万感胸に迫る思いがした。そしてエンディングロールが流れておどろいた。情報量が多くて映画の余韻に浸るどころではなかった。せっかくの米津玄師がぼんやりとしか耳に入ってこなかった。…

後日『地球儀』をSpotifyで聞き直して、もう一度おどろいた。やっぱり名曲だったじゃないか! 何度も聞いて、聴きながら猛暑の夜を眠った。

この歌の感動を説明するのはむずかしい。アレコレいうのも野暮かもしれない。米津玄師自身がツイッターで語っていることに尽きている。でもわたしなりに短く言うとこうなる。

ジブリの映画が見られる夏のよろこびを祝おう

パンフレットが出始めたら、もう一回見に行こうと思う。

“地球儀を回すように” 再びめぐってきた夏を感じながら。

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