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わたしの自由意志はホンモノを感じたい

ビチクソ感想文:『マインド・タイム 脳と意識の時間』ベンジャミン・リベット(岩波現代文庫)

本書はとても有名だ。タイトルや著者の名前を知らなくても、こんな話は聞いたことがあるだろう。私もそのクチだった。
私たちがなにか動こうとするとき、じつは「動こう」と意識する0.5秒前には脳内ですでに電気的なアクションが始まっている。「動こう」と思って動いたはずなのに、実際には「動こう」と思う前にすでに脳内は動き始めている。じゃあ私たちの自発的な意識とはいったい何なのか。…
信じられないような話だが、これを科学的な実験で証明したのが、本書の著者であるリベットだ。意識にまつわるサイエンス、哲学、SFが好きな人にはおなじみの実験だろう。
しかし、上のような文章では実は詳細がさっぱりわからない。意識というのは、ただでさえ曖昧なもので、たとえば上の文章でいえば、どうやって「動こう」と思った時点の意識を計測するのかとすぐに疑問が浮かぶ。動こうと意識した自分を意識する状態を意識する自分――といった感じで意識が無限に後退していく(逃げていく)ように思える。そもそも「いま意識したぞ」という瞬間は明確に時間のなかで区切れるものなのか。…
ちょっとツッコんで考えると、とたんにワケがわからない。不可能に思える。だからいつか手にとって読んでみたいと思っていた。文庫化に感謝。
リベットの実験結果に限らずだが、科学的に得られた知見の俗流解釈やマウンティングは社会生活にとって害悪だと思っているので(ただしエンタメは除く)、実際にじぶんの頭を使って考えてみて納得できるかどうかを大事にしたかった。
とはいえ、いざオリジナルの古典や論文にあたると、歯が立たないことがほとんどだ。だが、たとえ十分に理解できなくても、なんとなく伝わるものがある。そもそも「理解」とはなんなのかという話でもある。
たびたび書くが、私は「理解」したいから読んでいるのではないのかもしれない。一番求めているのは驚きに胸を打たれることだ。畏怖を感じさせ、思わず謙虚な気持ちになってしまうようなホンモノの知識に触れたいのだ。
さらにいうと、追体験がしたい。その境地に至った苦労や経験こそ共有してもらいたいし、感じたい。
それにはなるべく原典をあたるしかない。

通読の結果、上に書いたような疑問は完全に解決した。すごかった。そんな手があるのか。そもそも意識に対する深い洞察がなければ、このような実験は思いつかないのだなと思い知った。
どのような洞察か。リベットがこの実験を思いつく前の前提として考えたことは、なんと物質と精神は別物であるという理解だった。ここにまず驚いた。え、科学者って物理学で精神も無双できると考えてる人たちなのでは?と偏見を持っていたが、たいへん失礼な認識で恥じ入った。別物としてあつかうからこそ、実験手法を考えることができた。しびれた。これは実際に読んでみないと分からなかったことだった。
精神は客観的に計測できないとリベットは明言する。意識経験の内容を第三者が把握する方法は存在しない。さらに、たとえ物質的な面を仔細に観察できたとしても、それが主観的な経験を生み出す仕組みを明らかにすることは金輪際ないという(古くはライプニッツが喝破していた)。だからこそベンジャミン・リベットは内観報告こそ重要だと語る。つまり「思いました」「感じました」という主観を経験している者からの報告を観察対象に組み込む。主観を斥けずに取り入れる。内観報告しかないと割り切り、そうした主観的な報告を如何にして実験に構成できるかを考えるのだ。
しかし、そうなると話はふり出しに戻りそうだ。そんな方法はとても考えつけそうにない!
じつは彼自身もそうだったらしい。このあたりの文章は人間味があっておもしろい。アイディアは一体どのように生まれるのかについて興味深いパートになっている。
そして、ついにリベットは思いつく! 詳しくは本書に譲る。「意識とはなにか」という知性の限界に挑む姿勢に感服したし、実験のシンプルさに美しさすら感じた。

前提として物質と精神を別物と考えると書いたが、そうはいってもリベットは物心二元論者ではない。もっと繊細な手付きで、物質と精神のあいだに横たわる深い谷をあつかっている。正確には「現象学的に別物」という言い方をしている。このあたりの記述は慎重だ。唯物論も物心二元論もともにある種の信仰なのだと、反証可能性にこだわる科学者としての矜持を語る。私からすると、そうした慎重な態度に宗教的な敬虔さが感じられて好ましかった。

何度もいって悪いが、科学的な知見の俗流解釈とマウンティングは社会悪だと思っている(但しエンタメを除く)。私はパスカルの「真理の濫用は虚偽の採用と同じく罰せられるべきだ」に深く共感する者だ。正しさやもっともらしさを振りかざすことの無礼さは、デタラメを堂々と流布する恥知らずと変わらない。
だけど人間にはそのような傾向がある。こうした害悪は現象として消えることはないのだろう。度し難い。だからこそホンモノに触れることが重要だ。なぜならホンモノはすごいからだ!

自由意志をめぐる文章も熱かった。リベットは決定論をはっきり否定する。たしかに、リベットの発見は決定論的な考え方を推し進めているように見えるが、ちがうのだ。これまでに誰も思いつかないような実験を考えついて実行できるくらい慎重だからこそ、リベットは自由意志など存在しないとする人たちには冷ややかな目線を送る。単純に理解しようとする人を諌める。分かったつもりになっている人を批判する。
力強い謙虚さとでもいうか、不可知と可知のはざまに立ちつづける胆力のようなものを感じて、頭が下がってしまった。

いままでぼんやりしたイメージでしか知らなかったリベットの実験は、実際はとても丁寧で周到だった。結論として「私たちって常に0.5秒遅れて意識してるんだよね~」も間違いではないが、本書を読むと、雑な言い方だったと反省した。事態はもっと精妙で複雑だ。わからないことだらけだ。だからこそ、この実験結果が際立つのだ。

精神場理論を検討する章もすごい。けっこうグロくてびっくりした。あと最終盤のリベットとデカルトの架空の対話はお楽しみのデザートのようなパートだった。読み終わるのが惜しくなるほど、おもしろかった。

これからも何度も読み返したい。名著!

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