見出し画像

ドキュメンタリー | 殺人鬼との対談:ジョン・ウェイン・ゲイシーの場合※支配

Netflixドキュメンタリー
「殺人鬼との対談:ジョン・ウェイン・ゲイシーの場合」を観ました。

本作のお話や興味を持たれたきっかけを聞かせていただときに、以前読んだ本「FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」私もシリアルキラー、どうしてこれほどの行動を実行してしまったか、なんでだろうって疑問に感じて調べたりしたこと、思い出しまして。

全三話、一話が大よそ60分構成なので180分。
逮捕されるまで33人もの男性を自身の性衝動、支配欲の赴くまま犯罪を犯し続けていました。逮捕に至ったのはゲイシーが最後に犯した犯罪がずさんだったため。

  • 行方不明になる事件が多発

  • 複数の人々がゲイシーと行方不明者が話しているところを目撃していた

  • 直後に行方不明となった

最後の犯罪を犯していた際、これまでの犯罪が明るみにならなかったことから、気が緩んでいたのですね。多くの目撃情報、過去の犯罪歴から、逮捕に至りました。1970年代は同性愛者に対する理解がなかったために発覚が遅れたようです。

行方不明になる→家出、そのうち返ってくるよ
同性愛者→勘当、知らない、関係ない

こんな感じなので帰る場所のない方々、大人はまだ何とかできそうなものですが年若い少年、青年は街中で居場所を求めてさすらうしかなく…そんな方々をゲイシーは物色、言葉巧みに誘い込んで貪りつくし、自身に危害を加える可能性或いは衝動から"捨てる"。

ゲイリーは逮捕後、嘘をつきますし、よくわからないことを言うし、或いは自身の思う通りとするために傲岸不遜な態度をとったり、どうしようもない人物でした。膨大な録音テープが残っていて、質疑している内容を聴いていますと一切反省はしていない、被害者への謝罪、後悔、自責の念とかいっさいありません。

彼にとって他人を"支配"すること、彼へ何もかも"捧げること"は「当たり前」だということにぞっとしました。"金を払ったんだからー"何をしてもよいのだ、という主旨のことを話していて、もうどうにもしようがない、そう思いました。

ゲイリーは幼いころ小柄で、太っていて、一般の男の子よりも運動などが苦手で本を好んで読んでいる少年だったそうです。対する父親は当時らしく男たるものは"男らしく"、マッチョ至上主義で度々、酔ってはゲイリー少年を虐待、自身の持つ少年像からかけ離れた息子を"存在しないもの"のように「扱って」いたようです。ひたすら男らしさを押し付け、ただただ力で押さえつけられ、何をしても認められない、認めてもらえない。

でも、ゲイリーは父の期待に応えられなかった自分が悪い、ということを言っていまして、これを聴いたときには何とも言い難い気持ちとなりました。


何にも力がない、だから価値はない
自身が好きなことは異常、自然じゃない、だから悪
らしくないから悪、存在しない(一切認めない)


全否定されたらどうなってしまうのか
そんなことを想像してたらもう、こんな時間…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?