フリカツday25 すべての源は愛

おはようございます。
今日からまた一週間が始まりましたね。
早いもので10月も後半へ。
10月は来年の縮図とも言われているそうです。
来年をどう過ごしたいのか・・・
意識して残りの10月を過ごしていこうと
わたし自身、想っています。

さて、今日のフリカツは、
とっっっっっっても濃厚でした。
毎回濃厚で学び多き時間なんですが、
今回は特に(笑)

今日も2人の仲間が自身の週末の
出来事からの氣付きや消化不良を
アウトプットしてくれました。

それぞれ、
育児のことと旦那さんとの関係性のこと…
と、内容は違ったんですが、
わたしが感じたことは
《行動、悩み、モヤモヤ…全ての源は愛》
だなということでした。

その愛の向いている、
向けられている矢印は
それぞれ違うんだけれど、
人それぞれ起こす行動や
感じる感情や悩み、モヤモヤは
愛から生まれているということを
今日改めて感じました。

育児のことでアウトプットしてくれた
仲間の話を簡単に話すと、
子どもの友達関係のトラブルで、
相手の保護者さんから我が子が
お叱りを受けたということでした。

叱る基準も、叱り方も、その後の対応も
全て人それぞれ。
分かってはいるけれど、
我が子が自分から見て理不尽な
叱られ方をしたら、
ついつい冷静でいられなくなる。

わたし自身、本当によくあります。
自分の
ことは淡々と対応できるのに、
我が子のこととなると
どうしても氣持ちが追いつかない…。

これも愛。我が子への愛。

また、
子どもが叱られる
(他者からの子どもの評価)
=親としての自分の評価
のように捉えて、自分を守りたいのか?
とそんな自分も見たくない…

これも愛。自分への愛。

そして、
仲間の子を叱った相手方の保護者さんも
我が子への愛、家族への愛、そして…
もしかしたら仲間の子どもへも愛
あったのかもしれない。
(表現はひとそれぞれだから)

愛の矛先は違えど、
表に見えているもの全ては
みんな何かしらへの愛から
始まっている
ように見えました。

だけど、
そう思えたのは、
今回聴く側だったから。

もし、わたしが当事者だったら…
(話聴きながらも涙でそうだったのに)
きっとこんな冷静ではいられない。
相手も愛だの言っていられない。
そう氣付けるのはずいぶん先。
そして、反省する。
相手には相手の愛も理由もあるのにと。

だからこそ、今回、仲間の話を
聴くことができてよかったと想います。

話を聴きながらも自分事として捉え、
自分だったらどうするかなと考え、
想像し、具体的対策を考えてみる。

その通りにならなくたっていい。
人も環境も違うんだから、
同じ状況はなくったって、
何も知らないときよりも
応用が利く自分になれると感じました。

こんな風に想えたからこそ感じたこと、
勇気を出して話してくれてありがとう。

今日のアウトプットは挙手制でした。
だから
自分から「わたしの話を聴いてほしい」
「わたしの話を深掘りしてほしい」って
言わない限り、この状況は創れなかった。
わたしは、ついつい、
こんな話してもいいかな?
自分情けないって想われるかな?とか
ふわっとよぎることがあるんです。

だけど、ここは安心安全の場だから
そんな仲間だから。

そして、
《自分で自分を変えていく》という
固い決意を持った仲間たちだから
そんな空気ができるんだろうなと感じました。

全肯定じゃないのに、
安心安全ってすごいなって想うんです。

そりゃ、全肯定されるって
自分を否定されないという安心感はあるけれど、
わたしはそこだけを求めているわけではない。

自分が成長するための
自分を想ってのご意見や問いは
有り難く受け取りたいと想うのです。

だからこそ、
今回の仲間のこの会への参加の姿勢についても
本当に刺激をもらいました。
こんな風に参加できるのは、
仲間が固い決意と、日々を意識して過ごす
毎日の積み重ねの結果だと想います。
本当にそんな仲間たちに囲まれているこの環境に
感謝しているところです。

自分のアウトプットだけれど、
聴き手の受け取り方次第では、
相手にとっても学びはいくらでもある

そう想うと、
聴いてくれる方への感謝を持って、
自分のことを話す勇気を出していこうと
仲間に氣付かせてもらいました。

そして、もう一人の仲間の話は、
旦那さんとのパートナーシップについて
でした。

仲間は、自分のことよりも
家族を優先してくれる旦那さんが心配で
そのことについて伝えても伝わらない。
その状況がもどかしいという気持ちで
話してくれました。

だけど、客観的にわたしが感じたことは、
「なんて愛にあふれた夫婦なんだろう」
でした。

仲間の旦那さんへの愛もだし
旦那さんからの仲間と家族への愛もだし。
そんな互いへの愛を持つ夫婦の中で
育った息子さんは幸せだろうな

感じたのです。

だけど、本人にとっては真剣な悩み。
旦那さんのことを大切に思っているから
旦那さんも自分を大切にしていいんだよ
って伝わってほしい…そんな風に話す仲間。
なんてすてきな夫婦なんだろうと。

でも、ふと記憶がよみがえってきました。
そういえば、
言い方はもっとぶっきらぼうだけれど、
同じようなことを初めての子育てで
頭がいっぱいになっていた頃に
我が旦那さんから言われたことがあります。

だけど、当時は受け取れなかった。
「もっと育児を真剣に一緒にしてよ!」とすら
感じているくらいでした。

わたし自身が旦那さんの愛を受け取る器
小さかったんですね。

受け取る側の問題という言葉が
身にしみた瞬間でした。


そう想うと、やはり、
こうやって仲間に話していく事って
本当に大切だなと感じるのです。

自分から話す=自分の身から離す

一旦距離を置いて、客観的に捉えてみる。
するとそこにはそれぞれ向かう先は違えど
〝源には愛〟があることが分かる

感じました。

今日も仲間からたくさんの学びを得て、
本当に有り難いです。

わたしも、
・目の前の相手の行動には
 自分と違う矛先かもしれないけれど
 源には愛
があること、
自分のことを話す(離す)ことで、
 自分も氣付くことはもちろん
 相手のためにもなることがある
こと
・それは受け取り側の問題であること
を意識して、今日学んだことを
生かしていきたいと想います。

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最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。       EMI

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