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フリカツday29 循環・巡る

おはようございます。
(こんばんわ。かな?)

昨夜、娘が発熱して看病をしていたため、
今朝は久しぶりにフリカツへ参加しない
選択をしました。

きっと、フリカツ始める前のわたしは、
この選択ができなかった。
以前のわたしは、
・意地でも参加して集中できず、自己嫌悪
・つい寝過ごして参加できなかったことを
 悔やんで一日を過ごす
のどちらかだったんじゃないかなと
想います。

けれど、昨日は、
娘の体調不良が分かった時点で、
潔く今は娘に集中しようと決めました。
だから、フリカツはお休みすると。

あ、わたしこういう風に
子どもたちに寄り添いたくて、
働き方を考えたいと想ったんだ。
その未来に向けての今の選択が
できているという実感がありました。

以前の選択だったら、
「何の仕事をしても、
 ダメなんじゃないか・・・」と
考えていたんです。

もちろん、
子どもたちに寄り添うって
いろいろな寄り添い方があるから、
整えていくのは、
仕事の種類だけではありません。
自分の在り方、土台を整えない限り、
どんな仕事をしようが
在りたい自分、なりたい自分には
なれない。

土台を整えたうえで、手段である
お仕事の内容を考えていく。
土台がしっかりしていないと
手段も使うことができない。

こんな風に想えるようになった自分が
素直にうれしい。
ひねくれていた分、被害者意識で生きてきた分、
こう捉えることができるようになるまでに
本当に時間がかかりました。
今ですら、意識していないときには、
ひねくれ、被害者意識がすぐに顔を出す。

だけど、このフリカツの場があることで、
自分を否定するのではなく
落ち着いて見てあげられている感覚に
なってきました。
だから、無意識にひねくれていた自分に
氣付いたとしても素直に認められる。
改めてフリカツの場にも感謝ですし、
この場を整えて、わたし自身も整えてくれる
そして、適度に緩さも出してくれる
ピロさん(全力応援マインドコーチ)にも
感謝です。

ピロさんだから出せる適度な緩さ。
その適度な緩さがあるからこそ、
お休みする選択がすんなりと
できたのもあります。

緩すぎない、適度感。

緩さを出せるって、
このフリカツメンバーを
信頼しているからこそだと感じました。

自分がコミュニティを創り上げていく
と考えたときに、緩さを出せる条件は、
メンバー自身が自分の選択で行動できると
信頼しているかどうかかなと考えました。
そして、さらけ出すという信頼も。

人によって違うかもしれないけれど、
やっぱりそこには様々な信頼があるから
成り立っていくものだなと感じました。


前置きが長くなってしまいましたが、
今日のフリカツを速攻で動画配信を
してくれているものを見て、
私が感じたこと気付いたことを
残していきたいと想います。

今日は二人の仲間がアウトプット
してくれていました。

一人は、個人事業主として
お仕事をしている仲間がお仕事で
新たなチャレンジに取り組んでみての
リアルを話してくれました。
このチャレンジの裏側、今の感情を
聴けるって、本当に貴重だなと
聴いていて学びしかなかったです。

そして、もう一人の仲間は、
3歳のお子さんの
秩序の敏感期(いやいや期)のことを
話してくれました。
お子さんのいやいやが強くて
まいりそうだったけれど、
フリカツの仲間の話を聴いて、
実践してみたら手ごたえがあり、
息子さんの成長をより感じたと
話してくれました。

二人の話を聴いていて、

「あ、これも《循環》だ」

と想いました。

わたしは、《循環=お金》と
勝手に設定していました。
もちろん、それもあるけれど、
こうやって、
自分のこれまでの経験、
立ちはだかっている壁、
一人じゃ消化できなかった想い
そういうものをシェアして、
みんなで感じ切って、考えていく。
そうすることで、
全体の人生にヒントが散りばめられて、
暮らしが豊かになっていく。


仲間たちのアウトプットから
何を得るのか、
何を行動に移していくのかは
自分次第。
だからこそ、自分を整えることが大切で、
みんなからもらったヒントを
使えるような自分であることの
大切さを実感しました。

これぞ循環だと、
今日の仲間の話を聴きながら
想いあふれて、
概念を壊してくれた仲間たち、
気付かせてくれたピロさんに
本当に感謝でしかありません。


そして、今回の子どもの話の中で、
ピロさんが話していた
《信じきる》
という言葉が胸に響きました。

以前も、聴かせてもらった言葉だけど、
きっと落とし込めていなかった。
だから、またこうやって響いて
くれたんだと想います。

親はついつい先を見越して
「危ない」「間に合わない」と
心配してしまいがち。

今回の話では、
行きなれた道ではあるけれど、
横断歩道でも手をつなぎたがらない
わが子への対応に困ったという
仲間から話がありました。

子育てしているとあるあるだなと。
ましてや2~3歳の頃って
自我もはっきりと芽生えてくる。
それを表現もできるようになってくる。

わが子も3歳なので、よくある話です。
わたしの場合は、
娘のが手をつなぎたがらないときは、
そうします。安全面の条件は伝えた上で。
だけど、旦那さんは絶対に手をつなぐ。

わたしは、娘を尊重したいという愛。
旦那さんは、娘を危険から守りたいという愛。

どっちも愛。

だけど、わたしが守りたかったのは、
今日ピロさんが言われていた
《信じきる》ということだったのかも
しれません。
娘に信じきってもらえる経験を
積んでほしいと想っていることに
今日氣が付きました。
だから、わたしは我が子もですが、
子どもたちと関わるときに、
《待つ》を大切にしているんだ
ということに氣が付きました。

これも自分の幼少期の経験から
大切にしたいものが定まっている。

点と点が少しずつつながっていく。
仲間とピロさんの会話で、
また一つ自分を知れた瞬間でした。

ありがとう。

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最後まで読んでいただき
ありがとうございました。  EMI

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