フリカツday14 感謝でしかない

こんにちは。
今朝もフリカツからのスタート。

仲間のシェアが、捉え方が、すてきすぎて
また、そのシェアに対して
ピロさん(全力応援マインドコーチ:大野ひろこ)の
深掘りの問いが鋭すぎて、
日々学び、気づきが渋滞状態です。

さて、
今日は、2人の仲間のシェアから
氣づいたことや学んだことを
書いていきたいと想います。

一人目の仲間は、
旦那さんとの会話の中で、言われた
「自分を守る言い方をするよね」

この言葉から、旦那さんに対して
《否定されたくない》《認めてほしい》
という想いが強く、つい言い方も強くなりがちで、
〝自分が正論〟という刃で
旦那さんに向かっていたことに氣づいたそうです。

旦那さんにどうしてそういう感情を抱き、
そういう言動をとってしまうのか。
そうしたくてしている訳ではないのに…
(わたしも同じことがよくあります。)

深掘っていくと、行き着く先は
《お母さんの想うわたしでいなくては
 わたしではない》

というこれまで人生の中での植え付け

心の中で、本心では
「望まれるわたしは手放したい。」
「わたしは、わたしでありたい。」

そう想っているのに、
ちらちら顔を出す、手放したい過去の植え付け。

そのためにはどうしたい?と
ピロさん(全力応援マインドコーチ:大野ひろこ)が
仲間に尋ねると、
「母の言動をやめてほしい」「父の恐怖を消したい」
切実な願いを話してくれました。

じゃあ、それを実現するためにどうする?と
再びピロさんが仲間に尋ねると、
「・・・わからない。今はわからない。」と仲間。

そこでピロさんが仲間にかけた言葉が
とても印象的で暖かかった。

いいんだよ。根幹はここだとわかっただけでもいい。
 今は蓋開けなくても、また準備ができたら
 向き合ったらいい。」

わたしは、
これまで見つけたら無理にでも
向き合わなくてはいけないという謎の設定で
自分を自分で苦しめてきました。

でも、
それって、いらなかったんだなと
昨日初めて気づきました。
幸せになるために向き合う。
ことによっては、向き合うのにも
大きな大きな覚悟がいる。
だから、自分のタイミングで、自分を信じて
向き合っていこうと想いました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

もう一人の仲間は、
昨日の集団での学びの場で、
他者が褒められている姿を見て
うらやましいと想ってしまったと話してくれました。
(わたしもこの感情抱くこと、よくあります。)

仲間も話していたけれど、
人が褒められている姿を見ると、
自分は否定されているように感じてしまう。
事実はただ《その人が褒められた》なのに
自分で現実をねじ曲げている

そのわき出る感情やねじ曲げるくせの
奥深くの根幹には、母との関係性であると
仲間は話していました。

《目の前の敵は、敵ではない》

今日仲間が教えてくれた言葉です。
初めて意味を府に落とすことができました。

問題は、目の前の人、もの、ことではない。
そう捉える自分の、これまでの経験の積み重ねに
本気で向き合って、捉え直しをして、
手放しをしていくものが潜んでいる

それが、親との関係性であることが多いと
ピロさんが話していました。

わたし自身もそう。
母親には今でもなかなか本音を話せない。
母の前では、〝母の望むわたしスイッチ〟が
自然と入ってしまう。

正直なところ、
母のようになりたいと想ったことがなかった。
わたしの中の母のイメージは、
常に忙しくて、イライラしていて、泣いていて。
とっても愛情深いけれど不器用で。

だから、結婚式の両親への感謝の手紙でよくある
「お母さんのようなお母さんになりたい」
「お父さんとお母さんのような家庭を築きたい」が
どうしても言えなかったし、言わなかった。
期待されているのが、ひしひしと伝わるのに
わたしは言えなかった。言わなかった。

そんな自分に罪悪感を感じている時期も
しばらくありました。

それは、
そう両親につたえることが正解だと
思い込んでいたから。
人の数だけ、家族の数だけ、望む姿があっていいと
自分に自由を許可できたときから、
その呪縛から自分を解き放つことができて、
自然と母との会話の中でも、
「もっとこんな家庭を創るんだ!」と
理想を話せるようになりました。

自分が子どもを生み、育てる中で、
両親と意見が合わずに衝突することが増えました。
自分のことだと、両親の望む道を生きていたわたしが
我が子のこととなると、
自分の信じる道を進もうとしていることが
自分でも分かりました。
はじめて反論をしたり、反対を押し切ったりしました。

それが、もしかしたら〝正義の刃〟だったかもしれない。
だけど、わたしにとっては、
反対されようが、何をいわれようが
《わたし》を貫いた瞬間でした。

それと同時に、
両親もきっとこんな葛藤の中で
悩み、もがきながらわたしを育ててくれたことが
容易に想像できました。
両親は、その当時の両親のベストで
必死にわたしと関わってくれていたことが
心の底から分かるようになりました。
そしたら、距離を詰めたくなかった母との距離感が
少しずつ少しずつ縮まってきたように想います。

今日ピロさんが話していた《欠落感》

わたしは、
両親共働きでほとんど家にいない
家事はほぼ自分でやっていました。
妹たちのお世話をするために
わたしは生まれてきたのかな?とすら
想っていたこともあります。
両親が、わたしや妹よりも
祖母や祖父が大切に思っているように見えて
本当に本当に寂しかった。

だから、
いじめにあったとき保健室登校になったり
仮病を使って学校を休みがちになったり

色々な方法で自分を
助けようとしたのかもしれません。

本当につらくて、寂しかった経験があるから
今のわたしがある。

友達ともあまり遊べず、
家事はつらかったけれど、今でも生活に困らない程度できる。
寂しかった経験があるからこそ、様々な立場の氣持ちが分かる。
いじめや仮病の経験があるからこそ、仕事で子どもに寄り添える。

ほかにもたくさんの《欠落感》を感じていました。
自分には何もないと
本当にここ数ヶ月前まで想っていたけれど、
(今でも精神状態によっては想うけれど)
これまでの経験を人に売ろうとは一ミリも想わない
と気づいたときに、こんなにつらいと想っていたことが
全て愛おしいもの、感謝しているものへ変わりました。

自分が乗り越えて、血肉にしてきたと
心の底から想えるから。
どれ一つかけても、今の自分とは出会えなかったから。

まだまだ、ここには書き切れないほどの
苦い氣持ちや隠したい気持ちや経験も
正直なところあります。

わたしにはまださらけ出す勇気がない。
きっとまだ伸びしろだらけ。
でもいつの日にか、自分の中の安心安全の場を広げ、
いつでも、どこでも、誰とでも、一人でも
自分のことをさらけ出せるほど、
懐でっかい人間になっていきたいと
強く強く感じました。

日に日に、フリカツの内容が濃厚すぎて、
アウトプットが長くなってしまう。。。

そんな濃厚な時間を共有してくれる
ピロさんはじめ仲間に改めて感謝です。

快も不快も感謝でしかない。
きれい事ではなく、腹落ちした今日でした。


++++++++++++++++++++++

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。     EMI


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?