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群像劇とは何か

映画のジャンルの一つに、
アンサンブルキャストと呼ばれるものがあります。

アンサンブル・キャスト英語: ensemble cast)は、映画テレビドラマなどで、特定の主役を設けず、役割が同じ複数の主要な俳優で構成するキャスティングである[1][2]

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88

引用の通り、
アンサンブルキャストとは、
キャスティングの観点からの名称であり、

脚本視点では、
これを群像劇と呼びます。

この群像劇に関しては、
苦手、つまらない、
あるいは反対に、
大好物、
といった賛否両論の声を少なからず見聞きします。

かくいう自分も、
群像劇には否定的であり、
構成面の視点から、
過去に群像劇を批判しましたが、

新しい発見など、
少し更新もあるので、
本記事では、
群像劇とは何なのか、
改めて分析していきたいと思います。






群像劇には二種類ある

群像劇には、
アンサンブルプレイや、
ハイパーリンク映画、
あるいは、
メリーゴーラウンド形式、
など様々な呼び方があり、

それによって、
細かなニュアンスは変わってくるのですが、

いずれにせよ、
共通しているのが、

特定の主人公が存在せず、
主人公格のキャラクターが複数登場するストーリー、
と定められている点です。

この定義をもって群像劇とした場合、
突き詰めれば、
群像劇とは二つに大別できます。

一つ目は、
複数の主人公(=主人公格のキャラ)と、
複数のメインストーリー(=メイン格のストーリー)を持った作品。

つまり、
主人公一人ひとりにストーリーが用意されており、
主人公の数だけストーリーが存在するタイプの作品で、

いわゆる、
グランドホテル形式と呼ばれるものです。

グランド・ホテル形式(グランド・ホテルけいしき)は、映画や小説、演劇などで、ホテルのようなあるひとつの場所を舞台に、特定の主人公を設けず、そこに集う複数の登場人物の人間ドラマを並行して描く物語の手法である[1][2][3][4]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E5%BD%A2%E5%BC%8F

グランドホテル形式は、
前述の通り、
主人公とストーリーを複数抱えている点において、
一般的なストーリーとは異なります。

一般的なストーリーは、
たとえば「レオン」であれば、
主人公のレオンが、
パートナーのマチルダと出会い、
悪役である麻薬捜査官へ復讐を遂げる、
といった形を取っており、 

一人の主人公と、
一つのメインストーリー(事件ないし特別な出来事)で、
作品が成り立っています。

それに対して、
グランドホテル形式では、
複数の主人公たちが、
同じ舞台のもとで、
個別に事件などに遭遇し、
それぞれのストーリーが平行して進み、
時々、
互いのストーリーが重なり合い、
主人公同士が接触することはあるものの、
基本的には独立を保ったまま、
複数の主人公による、
複数のメインストーリーが展開されます。

したがって、
グランドホテル形式の群像劇には、
メインストーリーが複数あるために、
一般的なストーリーに見受けられるような、
作品全体を貫く、
軸となるメインストーリーが存在しません。

https://filmarks.com/movies/27447 

名前の由来になった「グランドホテル」でいえば、
高級ホテルを舞台とし、
主人公はそこに宿泊する客たちです。

借金まみれの泥棒、
落ち目のバレリーナ、
余命幾ばくかの労働者、
金策に追われる社長など、
登場する主人公たちはそれぞれに問題を抱えており、
それぞれのストーリーがありますが、

一方で、
麻薬捜査官への復讐、
(鬼退治でもいいです)
といった、
登場人物たちの足並みを揃える、
一つの大きな事件は存在せず、
主人公たちに共通するのは、
グランドホテルという舞台のみです。

そうした一つの舞台のもとで、 
それぞれのストーリーが同時進行し、
ストーリーが進むにつれ、
泥棒とバレリーナが恋に落ちたり、
労働者と社長がいがみ合ったり、
互いのストーリーが複雑に交錯する、
といった構成になっています。

「グランドホテル」は、
群像劇という新しい構成を生み出し、
映画史に名を残しましたが、
特徴としては、

・複数の主人公が一つの舞台に集まる
・複数のストーリーが平行して進む

この二点であり、

一般的に群像劇と呼ぶ場合は、
このグランドホテル形式を指すことがほとんどかと思います。




群像劇のもう一つのパターンは、 
駅馬車形式と呼ばれるものです。

主人公が複数いる点は、
先に説明したグランドホテル形式と共通していますが、
駅馬車形式の群像劇の場合、
メインストーリーは一つです。

駅馬車方式は、ジョン・フォード監督の西部劇『駅馬車』(1939年)に因んで、駅馬車のようなひとつの箱のような空間に「いろいろな人間を入れこみ、その人間たちがある時間からある時間の経過のなかで、その人生の変化を表現する」という手法

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E5%BD%A2%E5%BC%8F 

グランドホテル形式が、
一つの舞台のもとに主人公たちが集うのに対して、
駅馬車形式の場合、
一つの事件のもとに主人公たちが集います。

https://filmarks.com/movies/34561 

名前の由来となった「駅馬車」では、
駅馬車に乗り合わせた客たち(主人公たち)が、
インディアンの襲撃を受け、
危機的状況に陥る様子が描かれています。

主人公たちが一つの舞台に集まっている、
という意味では、
グランドホテル形式と同じですが、
その舞台で一つの事件(インディアンの襲撃)が起こり、
それが主人公たちの共通点、
つまり、
主人公たちの足並みを揃えるような、
メインストーリーになっている点が、
駅馬車形式の特徴です。

もちろん、
駅馬車形式においても、
各主人公のストーリーは存在しますが、
あくまでメインストーリーは、
インディアンの襲撃をかわして逃げ切る、
といった事件であり、

グランドホテル形式が、
各主人公のストーリーがいずれもメイン扱いなのに対して、
駅馬車形式の場合、
主人公たちの個々のストーリーは、
メインに対するサブの役割といえます。
(つまり、サブストーリーと呼べます)

メインストーリーが一つか否かで、
以下のような違いが生まれます。

グランドホテル形式では、
メインストーリーが複数あるために、
主人公たちは単独行動になりがちですが、

それに対して、
駅馬車形式の場合は、
主人公全員が同じ空間にあり、
かつ、
同じ事件に遭遇し、
同じ目的を抱えているため、
ほとんどの場合、
主人公たちは集団行動であり、
必定、
主人公間の絡みも強くなります。

つまり、
グランドホテル形式と比べたとき、
主人公が複数なのは同じですが、
メインストーリーの数、
という点が異なっており、
その違いが、
両者のストーリーの性質を決定づけているといえます。

グランドホテル形式
・複数の主人公
・複数のメインストーリー

駅馬車形式
・複数の主人公
・一つのメインストーリー

冒頭で、
群像劇は苦手な人が多い、
と書きましたが、
駅馬車形式なら楽しめる、
という方も多いかと思われます。

主人公とメインストーリーが複数あるグランドホテル形式と、
主人公こそ複数いるものの、
一般的なストーリーのように、
メインストーリーは一つである駅馬車形式。

一口に群像劇といっても、
対極といえるほど、
両者の性質は異なっているのです。





グランドホテル形式の群像劇

ここからは、
各形式が持つ特徴に関して、
具体的な作品を挙げつつ、
もう少し細かく見ていきます。

https://filmarks.com/movies/16206 

前述した通り、
グランドホテル形式の特徴の一つに、
複数のストーリーが平行して進みつつ、
それでいて、
完全に独立しているわけではなく、
関わり合いが薄いながらも、
どこかで繋がる点があげられます。

アカデミー賞作品「クラッシュ」では、
ロサンゼルスでの一日を舞台とし、
移民の親子や、
黒人刑事のコンビや、
二人組のギャング、
あるいは、
検事の夫婦など、
7組のコンビによるストーリーが、
グランドホテル形式で描かれていますが、

たとえば、
移民の親子の話であれば、
日頃から人種差別を受け、
人間不審から銃を購入した移民親子が、
ある日、鍵屋とトラブルになり、
鍵屋へ発砲する、
といった具合に、
話の中に別の主人公格である鍵屋(の親子)が登場します。

鍵屋の親子の話に目を向けると、
愛する娘と暮らす鍵屋の男は、
ギャングのような身なりのために、
移民親子同様、
日頃から差別を受けており、
差別する存在として、
話の中に検事夫婦が登場します。

検事夫婦は夫婦仲が悪く、
話としては夫婦関係の危機が描かれているのですが、
そのきっかけになったのは、
車を奪われたことであり、
車を奪ったのがギャング二人組です。

そして強盗を繰り返すギャングたちの話には、
白人刑事のコンビが登場し、
ギャングの一人が刑事によって射殺されます。

さらには白人刑事たちの話と平行して、
黒人刑事のコンビの話も描かれますが、
事件を知った黒人刑事の一人が、
ギャングの死体を見て、
殺されたのは自分の弟だったと知ります。

(群像劇のストーリーは伝えるのが難しく、
ややこしくなってしましたが)
このように、
あたかもパズルのごとく、
複数のストーリーないし主人公たちが繋がり合っているのです。

一つポイントなのは、
主人公同士ががっちりとは絡まないため、
関係性や距離感は深まらず、
一見すると、
主人公間の関係性は限りなく遠いのですが、
一方で、
範囲的には狭く、
7組のコンビという小さな世界の中で、
主人公たちが幾重にも繋がっている、
という点です。

遠いが狭い関係、
ともいえる、
そうした人間模様が描かれているのが、
群像劇の特徴の一つといえます。

https://filmarks.com/movies/20690 

9組のカップルを描いた「ラブアクチュアリー」も同様です。

本作はクリスマスのロンドンを舞台に、
独立した9つのラブストーリーが同時展開されていきますが、

本作の場合、
主に人物同士の繋がりが発生しています。

https://guch63.hatenablog.com/entry/2019/12/15/000000 

引用させていただいた相関図を見れば、
一目瞭然ですが、
(各ストーリーは番号で区切られています)

たとえば、
⑧の主人公である恋に奥手な首相は、
⑦に登場する浮気に悩む主婦と兄妹関係にあり、
その主婦の夫の会社では、
⑤の主人公が部下として働いており、
その主人公は、
②の主人公である小説家と友人で、
③の主人公である新婚の男とも友人、
といった具合で、

各ストーリーが進むにつれ、
主人公同士の意外な繋がりが、
段々と明かされていきます。

本作や「クラッシュ」に限らず、
こうした構成が、
グランドホテル形式の特徴であり、
一般的なストーリーでは味わえない、
この形式ならではの、
醍醐味であるともいえます。

(ちなみに、
自分はグランドホテル形式に否定的で、
構成についても評価していないのですが、
それについては後ほど書きます)

https://filmarks.com/movies/36793 

もう一つの特徴としては、
グランドホテル形式のストーリーでは、
ほとんどの場合、
主人公たちに共通する、
特定の舞台(場所や日時)が用意されている点です。

たとえば、
「桐島、部活やめるってよ」なら、
高校の校舎が舞台であり、

高校生の主人公たちは、
その舞台のもとで、
個々のストーリーを展開していきます。

前述したように、
グランドホテル形式では、
一般的なストーリーと異なり、
登場人物たちに共通する事件や出来事といった、
メインストーリーが存在しないため、
その場合、
当然作品全体をまとめあげるものがない、
という状態になります。

したがって、
作品に統一感を持たせるためには、
複数の主人公やストーリーを一つにまとめる(あるいは綴じる)必要があり、
おそらくですが、
グランドホテル形式では、
事件や出来事の代わりに、
舞台にその役目に担わせているのでは、
と推測します。

そして、
「桐島、部活やめるってよ」でいえば、
その役目を担っているのが、
学校なのです。

(もちろん、
一般的なストーリーでも特定の舞台を持ったものは多いですが、
ストーリーをまとめているのは舞台ではなくそこで起こる事件のはずです)

ほかにも例を出すと、
先ほどあげた「クラッシュ」であれば、
ロサンゼルスのある一日が舞台であり、

「ラブアクチュアリー」なら、
クリスマスシーズンのロンドンです。

3時間超の大作「マグノリア」なら、
「クラッシュ」と同じくロサンゼルスのある一日、
「アメリカングラフティ」は田舎町、
「どん底」なら長屋、
「幕末太陽傳」は宿場、
といった具合です。

また、
複数のストーリーをまとめる存在は、
舞台のみとは限りません。

https://filmarks.com/movies/34455 

巨匠橋本忍が書き上げた「七つの銃弾」は、
銀行強盗という事件によって、
複数のストーリーをまとめています。

ただし、
事件といっても、
一般的なストーリーや、
駅馬車形式のような、
事件をメインストーリーにするやり方とは異なり、

本作の場合、
作中の冒頭で、
銀行強盗の計画が行われていることを示唆した上で、
銀行強盗を企む男を始め、
狙われた銀行の銀行員、
あるいは、
タクシー運転手など、
後に発生する銀行強盗に関わることになる、
複数の人物たちの生活に焦点をあて、
独立した複数のストーリーを描き出し、
最終的に、
銀行強盗が発生し、
その人物たちが凶弾に倒れる、
といった構成になっています。

つまり、
題材へのフォーカスが、
銀行強盗そのものではなく、
銀行強盗に居合わせた人たちの生活、
に当てられているため、
銀行強盗という事件が、
メインストーリーにはなりえず、

ホテルや学校といった舞台と同じように、
事件はあくまでも、
複数のストーリーをまとめるための役割に過ぎないのです。

先にあげた「桐島、部活やめるってよ」も、
厳密には、
学園のスターである桐島が突然退部した、
という事件ないし出来事で、
複数のストーリー(桐島と接点のある生徒たちの学校生活)をまとめている、
といえるかもしれません。

https://filmarks.com/movies/14720 

「バンテージポイント」もまた、
大統領暗殺という事件によって、
複数のストーリーをまとめています。

本作の場合、
大統領暗殺の瞬間を、
複数の目撃者の視点から描いており、
一つの事件を多角的な視点で捉える、
そうした構成になっています。

ストーリー自体は、
大統領を暗殺したのは誰か?
といった一つのメインストーリーが展開していくため、
駅馬車形式である、
複数の主人公による、
一つのメインストーリー、
といえないこともないのですが、

実態としては、
グランドホテル形式の、
複数の目撃者による、
複数のストーリー(目撃シーン)が描かれ、
独立した各ストーリーの中で、
人物同士が繋がっていく、
そうした構成になっているため、

本作の事件もやはり、
複数のストーリー(目撃者たちの人間模様)をまとめるための役割と呼べるかと思います。

https://filmarks.com/movies/10223 

群像劇に関連する言葉として、
オムニバスやアンソロジーがありますが、
先ほどから説明している、
複数のストーリーをまとめる存在がある、
という視点からみれば、
グランドホテル形式と本質は同じなのがわかります。

オムニバス映画である黒澤明の「夢」は、
黒澤明が見た夢をモチーフに、
8つのストーリーが描かれています。

つまり、
完全に独立した8つのストーリーを、
夢というモチーフでまとめたものであり、 

各ストーリーが交わることがない点を除き、
その構成方法は、
グランドホテル形式のそれと、
何ら変わりません。

テレビドラマを例にとれば、
「世にも奇妙な物語」は、
奇妙な物語という、
同じ趣のストーリーを集めたオムニバスドラマです。

あるいは、
小説の短編集でも、
恋愛や雨など、
一つテーマやモチーフを決めて、
短編を構成する手法が存在しています。

そうしたオムニバス作品の中には、
ある話に登場する人物が別の話にも出てくる、
など繋がりを持ったものもありますが、

その場合は、
「ラブアクチュアリー」のような、
グランドホテル形式の作品と呼べます。

https://filmarks.com/movies/106550 

先ほど「バンテージポイント」のところで、
少し触れましたが、

これまで説明してきた、
二つの特徴である、

・複数のストーリーが所々繋がり合う
・複数のストーリーをまとめる存在がある

のほか、
一つの出来事が多角的な視点で描かれる、
という特徴を持った群像劇も存在します。

カンヌを穫った「怪物」も、
学校で起こったいじめや体罰や、
教師の問題行動が、
保護者目線や生徒目線、
あるいは、
教師自身の目線など、
複数の目線から描かれています。

教師の問題行動、
という同一の事件に焦点を当て、
ストーリーが進められるため、
駅馬車形式とも考えられるのですが、

この複数の目線というのは、
個人的には、
複数のストーリー、
に相当するかと思います。

たとえば、
同じモデルを対象に、
複数の絵描きが絵を書き、
その絵を一冊の本にまとめたもの、
そうしたものが、
複数の目線によるストーリーです。

その場合、
モデル(事件)は同じである一方で、
絵(ストーリー)は複数枚です。

同じモデルを見た複数の絵描きが、
同じカンバスで共作して絵を書く、
なら駅馬車形式になりますが、
そうはなっておらず、

そう考えると、
一つの出来事を多角的な視点で描いた話、
というのも、
複数の主人公による、
複数のストーリー、
を意味するかと思うからです。

したがって、
このタイプもまた、
グランドホテル形式に分類できると思います。





駅馬車形式の群像劇

次に駅馬車形式の特徴について、
書いていきます。

この形式が使われている代表的な映画に、
「ポセイドンアドベンチャー」があります。

https://filmarks.com/movies/19673 

本作は、
豪華客船が舞台のパニック映画であり、
嵐によって船が転覆し、
船内に閉じこめられた客たちが脱出を目指す、
というストーリーです。

駅馬車形式の特徴としては、
主人公は複数いるものの、
メインストーリーは一つである点です。

本作のメインストーリーは、
前述したように、
船内からの脱出です。

もちろん主人公たちは、
神の存在を信じない牧師だったり、
恋人がいなくて寂しい男だったり、
個別にストーリーを抱えているものの、
それはメインストーリーに対する、
サブストーリーの役割であり、
その点が、
個々のストーリーがメインとなる、
グランドホテル形式と違う点であることは、
これまでにも説明しました。

閉鎖された空間の中で、
船内からの脱出という、
目的を共有しているため、
冒頭の人物紹介パートを除き、
事件発生後は、
主人公たちは終始行動を共にします。

その意味で、
本作は、
数ある駅馬車形式の作品の中でも、
主人公たちが単独行動になりやすい、
グランドホテル形式とは好対照の群像劇といえます。

また、
駅馬車形式の特徴である、
メインストーリーが一つ、
というのは一般的なストーリーと同じです。

たとえば、
本作の主人公の数を一人にして、
その主人公が、
転覆した船内にヒロインと共に閉じこめられ、
二人で脱出を計る、
といったストーリーなら、
それは一般的なストーリーになります。

あるいは、
主人公の数は同じでも、
一人に焦点を絞って描けば、
主人公は一人で、 
ほかは脇役、
のキャラ配置になり、
やはり一般的なストーリーと同じです。

つまり、
駅馬車形式の群像劇と、
一般的なストーリーは、
登場人物への焦点の当て方、
言い換えれば、
主人公を一人に絞っているか否か、
単にその違いでしかなく、

本質的には、
先ほどあげた「レオン」や、
あるいは、
「ダイハード」や「アルマゲドン」などの、
一人の主人公が一つの事件に遭遇する、
そうした一般的なストーリーと、
何ら変わらないものが、
駅馬車形式の群像劇なのです。

ちなみに、
駅馬車方式という名前について、
少し補足しますと、

この記事では駅馬車形式(の群像劇)を、
グランドホテル形式と比較して、
以下のように定義しましたが、

・複数の主人公
・一つのメインストーリー

駅馬車形式の本来の定義としては、
外部の脅威に晒された空間内で繰り広げられるグランドホテル形式の群像劇、
といった意味合いになります。

実際、
「駅馬車」のストーリーは、
どちらかというと、
「グランドホテル」と「ポセイドンアドベンチャー」の中間辺りに位置する群像劇であり、

「ポセイドンアドベンチャー」ほど、
事件に対する主人公たちの一体感や、
人物同士の絡みが強くなく、
また、
個々のストーリーも、
メインストーリーには絡まない形でそれなりに描かれているため、

本来の定義のように、
主人公たちの抱える複数のストーリーを、
たとえば、
火災が発生したホテル、
といったような、
特殊な舞台でまとめあげた、
グランドホテル形式の群像劇、
といった見方もできるのです。

https://filmarks.com/movies/36264 

「駅馬車」に類似する作品として、
「タワーリングインフェルノ」があります。

「ポセイドンアドベンチャー」と同じくパニック映画(脚本家も同じ)であり、
火災が発生した超高層ビルを舞台にした群像劇です。

本作には、
火災が発生したビルからの脱出、
というメインストーリーこそありますが、
人物間の絡みがさほど強くなく、
個々のストーリーが分散している感じもあり、
「ポセイドンアドベンチャー」と比べると、
グランドホテル形式の色合いがやや強いです。

「駅馬車」は、
この「タワーリングインフェルノ」と同タイプの群像劇であり、

したがって、
駅馬車形式は、
本来の意味からすると、
グランドホテル形式の対となる言葉ではないため、

「ポセイドンアドベンチャー」のような、
本記事で定義した、
複数の主人公を持ちながら、
一般的なストーリーと本質を同じとする、
そうしたタイプの群像劇を表すのであれば、
まさにポセイドンアドベンチャー形式、
という名称が相応しいのですが、

駅馬車形式という、
先人のネーミングを借り、
その定義を異なる視点、
つまり、
一般的なストーリーとの近似性の視点から、
解釈したものが、
本記事でいう駅馬車形式の群像劇であることを断った上で、

駅馬車形式の特徴について、
話を続けますと、

・主人公は複数いるものの、
・本質は一般的なストーリーと同じ

そうした特徴を持った映画は、
「ポセイドンアドベンチャー」のほかにも、

美少女コンテストへと向かう一家を描いた「リトルミスサンシャイン」、
異なる生徒たちが居残りをする「ブレイクファストクラブ」、
捕虜が収容所からの脱走を企てる「大脱走」
などがあり、

村を襲う野武士に立ち向かう「七人の侍」も、
駅馬車形式の映画といえます。

https://filmarks.com/movies/36607 

本作は、
野武士に村を襲われると知った百姓たちが、
村を守るために侍を雇い、
侍と百姓が共闘して野武士と戦う、
そんなストーリーですが、

特定の主人公は存在せず、
主人公格といえる、
主立った人物をあげれば、
侍の勘兵衛、
百姓上がりの菊千代、
若侍の勝四郎、
百姓の利吉、
の四人です。

勝四郎なら百姓の娘との恋、
利吉なら野武士に浚われた女房との再会、
といった、
それぞれに濃密なストーリーがありますが、

メインストーリーはあくまでも、
野武士を倒す、
であり、
そのメインの中にうまく溶け込んだ状態で、
そうしたサブストーリーが展開されます。

仮に「七人の侍」において、
メインストーリーが存在しなかった場合、
若侍なら百姓の娘との恋、
利吉なら野武士に浚われた女房との再会、
あるいは、
菊池代なら侍になるために勘兵衛にまとわりつく、
といったように、
メインストーリーが複数に分かれ、
キャラクターは単独行動し、
村を舞台にした、
グランドホテル形式の群像劇となります。

あるいは、
本作はもともと、
七人の剣豪たちのエピソードを連ねたオムニバスとして企画されており、
その場合、
剣豪という題材で束ねた、
独立した7つのメインストーリーをもった、
(当然)オムニバスです。

一方で、
メインストーリーが複数あっても、
必ずしも、
グランドホテル形式やオムニバスになるとは限りません。

「七人の侍」において、
仮に侍の官兵衛と、
野武士のボスの二人を主人公にした場合、
官兵衛のメインストーリーは、
野武士から村を守る、
であり、
野武士のメインストーリーは、
村を襲って略奪する、
となり、
二つのメインストーリーが生まれ、
両者の目的も、
行動も異なりますが、

しかし一方で、
あくまで事件(村への襲撃)は共通しており、
村を守ると村を襲う、
は切り離せない関係であり、
互いのメインストーリーが重なり合うため、
この場合は、
事実上、
メインストーリーは一つといえます。

https://filmarks.com/movies/2709 

「インファナルアフェア」を始めとする、
ダブル主人公の作品が、
上記ケースに該当します。

本作は、
マフィアへ潜入捜査した警官と、
警察に潜り込んだマフィアの、
二人の主人公が存在し、
メインストーリーは二つですが、

二つのストーリーは、
互いが互いの正体を暴こうとする、
という切り離せない関係にあるため、
やはりメインストーリーは一つと見なせます。

ダブル主人公ものは、
群像劇に分類されるケースもあり、
ほかにも、
ダブル主人公ものの映画として、
時空を越えた親子の交流を描いた「オーロラの彼方へ」が思いつきますが、

ダブル主人公のうち、 
どちらか一方に焦点を絞れば、
たとえば、
ジャズ映画「セッション」における、
音大生とスパルタ教師といった、 
主人公と敵対者(あるいは協力者)の関係となり、
本質は一般的なストーリーであることから、

いずれの映画も、
駅馬車形式に分類できる作品です。

反対に、
二つのメインストーリーが重ならない場合、
同じダブル主人公ものでも、
グランドホテル形式の群像劇になりますが、

そうした映画に、
「パンズラビリス」があります。

https://filmarks.com/movies/25787 

本作は、
空想と現実の二つのストーリーが交錯し、
空想パートでは少女の冒険ファンタジーが、
現実パートでは軍人である少女の義父によるゲリラ討伐の話が展開していきますが、

空想は空想の話、
現実は現実の話と、
二つのメインストーリーが重なり合わず、
ほとんど切り離されています。

父と息子の二つのストーリーを描いた、 
「ゴッドファーザーPART2」も、
本作と同じような構成で作られており、

メインストーリーを二つ持った、
それらの作品は、
群像劇として分類するのであれば、
グランドホテル形式になります。

https://filmarks.com/movies/10004 

「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」は、
グループ型主人公の群像劇です。

多くの群像劇には、
たまたま馬車に乗り合わせた客たちを描いた「駅馬車」を始め、
百姓と侍が共闘する「七人の侍」や、
別々のカーストに所属する生徒たちが居残りをする「ブレイクファストクラブ」など、
見知らぬ人たちや異なる人種同士が、
一つの空間に集まる傾向が見られますが、

本作は、
いつもつるんでいる、
似たような境遇や属性のチンピラ4人組が主人公であり、
4人一組で一人の主人公、
と見なすこともできます。

そうした映画は、
ほかにも、
SFサークルに所属する大学生たちを描いた、
「サマータイムマシンブルース」があり、

どちらの映画も複数の主人公を持っているため、
分類としては駅馬車形式の群像劇ですが、
主人公が一人か、
それとも、
似た者同士のグループか、
一般的なストーリーとの違いは、
その点だけといえます。

https://filmarks.com/movies/32101 

「12人の怒れる男」、「キサラギ」、
あるいは「レザボアドッグス」など、
複数の主人公による会話劇(密室劇)も、
駅馬車形式に分類できます。

「12人の怒れる男」は、
密室に集まった12人の陪審員が、
ある殺人事件について、
有罪か無罪か、
話し合って評決を出す、
というストーリーで、

主人公格の男たちが、
常時同じ空間で、
常時同じ事件(事件の評決を出す)と向き合っているため、
必然的に、
人物間の絡み合いも強く、
本作は、
「ポセイドンアドベンチャー」さながら、
グランドホテル形式の対極をなす、
群像劇であるといえます。





群像劇の構成は本当に巧みなのか

具体的な映画をいくつか取り上げ、
群像劇について説明してきましたが、

一般的なストーリーと比べて、 
群像劇というのは、
構成が巧み、
と評されることが多いです。

そしてその場合における、
巧みとは、
意味が限られており、

グランドホテル形式の、
独立した複数のストーリーが、
ふとした瞬間にリンクする、
そうした構成に対してであり、

たとえば、
駅馬車形式である「大脱走」などは、
筋が面白いと聞くことはあっても、
構成が巧みなどの感想は、
あまり聞きません。

冒頭で、
自分は群像劇に否定的だと書きましたが、
それはグランドホテル形式の、
巧みといわれる構成に対してです。

グランドホテル形式の、
複数のストーリーが平行して進み、
時折交じり合う、
その点に対して、
むしろ自分としては、
構成力の不足を感じるのです。

上記記事でも似たようなことを書きましたが、
構成とは、
つまるところ、
橋本忍が剣豪たちのオムニバスを、
一つのストーリーとして仕上げ、
「七人の侍」を生み出したごとく、
点と点を結びつけ、
いかに一本の線にするか、
その力のことだと、
自分は認識しています。

オムニバスを見ればわかるように、
オムニバスにおけるメインは、
作品全体(ストーリー全体)ではなく、
一つひとつのストーリーです。

点と線でいえば、
オムニバスは一つひとつの点がメインであって、
線が存在しないため、
その代わりとして、
再三書いてきたように、
複数の点を一つにまとめあげる役割として、
舞台やモチーフなどが存在します。

したがって、
オムニバスにおいては、
線は点に対するサブ(補助)の役割ですが、

それに対して、
一般的なストーリーや、
駅馬車形式の群像劇の場合は、
線(全体のストーリー)がメインであり、
点(キャラクターや個々のストーリー)は線のためにサブとして存在しており、
オムニバスの構成とは真逆です。

翻って、
グランドホテル形式も、
結局のところ、
オムニバスの発展型であり、

「グランドホテル」も、
「ラブアクチュアリー」も、
「アメリカングラフィティ」も、
「怪物」も、

複数あるストーリーの、
一つひとつのストーリー、
あるいは、
複数いる主人公の、
一人ひとりのキャラクター、
つまり、
点をメインとした、
点(キャラクターないし個々のストーリー)のための構成であって、
線(ストーリー)のための構成では決してないのです。

https://filmarks.com/movies/28794 

グランドホテル形式の群像劇である、
吉田修一原作の「悪人」では、
構成によって、
「本当の悪人は誰か?」、
というテーマが示されています。

(ちなみに、
坂本裕二の「怪物」は、
この「悪人」の影響を受けているはずです)

あるいは、
「クラッシュ」や「桐島、部活辞めるってよ」や「怪物」など、
構成によってテーマが示されている作品は、
少なくありません。

それらの作品の場合、
点がメインなのは変わりませんが、
テーマという観点では、
線(正確には点と点の配置)、
つまり、
ストーリーの全体像をメインとし、
構成が組まれています。

しかしながら、 
その構成というのも、
結局はテーマのためであって、
やはりストーリーのためではありません。

一般的なストーリーにおいても、
テーマのために構成を考えることは、
多かれ少なかれあるのですが、

一般的なストーリーの場合、
テーマのための構成とは、
まず構成によってストーリーを生み出し、
生み出されたストーリー構造を通して、
テーマを示すことをいいます。

クライマックス(事件解決)が、
その好例です。

古沢良太の「キサラギ」では、
展開によってメインストーリーとサブストーリーが絡み合い、
点同士がうねりとなり、
線になった果てに訪れる、
クライマックスによって、
作品のテーマが示されています。

つまり、
構成→ストーリー構造→テーマ、
この手順があって、
初めてテーマは示されるのであり、

動くことのない点と点を配置し、
全体像を作り出し、
それを以てテーマを示す、
そうしたグランドホテル形式とは異なり、
ダイレクトに構成でテーマを示すわけではないのです。

そして、
ストーリー構造でテーマを示すのと、
構成で直接テーマを示すのでは、
どちらが構成として難易度が高いか、
を考えたとき、
自分としては、
後者とは思えないため、

その点が、
(グランドホテル形式の)群像劇は構成が巧み、
の言説に対して、
懐疑的な理由となります。

アンサンブル・キャストは、異なるエピソードの異なるキャラクターに焦点を当てるなど、ストーリーを作る作家に柔軟性を与えることができ、また主要キャストがシリーズから離脱してもプロットへのダメージが少ないという利点もあることから、テレビシリーズでもよく用いられている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88 

アンサンブルキャストは、
キャスティング視点の用語、
と冒頭に書きましたが、

wikiを読む限り、
グランドホテル形式が生まれた背景として、
キャスティングの都合があるのかなと、
何となく思ってしまいます。

主要キャストがシリーズから離脱してもプロットへのダメージが少ないという利点もあることから、

利点ではある反面、
ストーリーが崩れることをおそれて、
初めからキャラクターをメインにしよう、
とも読みとれます。

こうした事情を知ると、
グランドホテル形式の作品は、
必ずしも最良のストーリーを追究した結果に、
生まれた構成ではないのかもしれない、
と自分は思うのです。

https://filmarks.com/movies/60578 

とはいえ、
グランドホテル形式の群像劇でも、
個人的に面白く観れた作品はあります。

「怒り」(「悪人」と同じく原作は吉田修一)は、
まず作中の冒頭で、
逃亡中の殺人犯がいることが提示され、
その後、
犯人に似た特徴を持つ、
三人の男が登場し、
その男たちの私生活が描かれていきます。

本作の場合、
メインストーリーは3つで、
3つのストーリーとも独立し、
絡み合うこともありませんが、

犯人によく似た男、
が複数のストーリーをまとめる存在になっており、
それによって、 
三人のうち誰が犯人か?
という謎が発生しています。

つまり、
複数のストーリーをまとめあげる共通点に工夫があるため、
通常のグランドホテル形式の群像劇よりも、
ストーリーに吸引力があるのです。

繰り返すように、
平行して描かれる複数のストーリーが、
時折リンクする構成には、
自分は魅力を感じないのですが、

何か、
グランドホテル形式に対して、
面白さを見いだすことがあるとすれば、
「怒り」で実践されたような、
共通点(複数のストーリーをまとめあげるもの)を何にするか、
そのアイデアかと思います。

そのアイデア如何で、
グランドホテル形式が苦手な人でも、
楽しめるものに仕上がるのではないかと、
自分は考えます。




第三の群像劇 数珠繋ぎ式

グランドホテル形式の本質は、
一般的なストーリーとは異なるが、
一方、
駅馬車形式の本質は、
一般的なストーリーと変わらない、
と書いてきました。

つまり、
ストーリーは、

1 一般的なストーリー
2 見た目も中身も群像劇(グランドホテル形式)
3 見た目は群像劇で、中身は一般的なストーリー(駅馬車形式)

に分類できるのですが、
では、
もうひとつ、
見た目は一般的なストーリーだけど、
中身は群像劇、
というパターンもあるのでは、
と考えたところ、

数珠繋ぎ式のストーリーが、
思いつきます。

https://filmarks.com/movies/19568 

「愛が微笑む時」は、 
主人公が自分に憑りついた四人の幽霊を上仏させるために、
幽霊たちを願いを叶えていく、
というストーリーです。

主人公である傲岸不遜な青年が、
嫌々ながらも幽霊たちに付き合い、
一人目の幽霊の願い、
二人目の幽霊の願い、
と順番に叶えていく中で、
次第に心に変化が生じ、
最終的にはヒロインの恋人と結ばれ、
ハッピーエンドで終わります。

このように一見すると、
「レオン」や「ゴースト/ニューヨークの幻」と同じく、
一般的なストーリーに思えますが、
異なる点としては、
パート間の繋がりの有無です。

「ゴースト/ニューヨークの幻」であれば、
主人公が地下鉄のホームで物体に触れるための特訓をするパートや、
主人公かインチキ霊媒師につきまとうパートなど、
そうした各パートは、
ストーリー全体に対する部品の役割を担っているため、
歯車のように繋がっていますが、

「愛が微笑む時」の場合、
一人目の幽霊の願いを叶えるパートと、
二人目の幽霊の願いを叶えるパートは、
もちろん主人公を通して繋がっていますが、
一方で、
4人の幽霊たちのパートは、
一つひとつが完結したものであるため、
一人目の幽霊のパートと、
二人目の幽霊のパートの間には、
歯車のような繋がりはありません。

イメージとしては、
マッチ売りの少女です。

寒空の中でマッチを売る主人公パートがまずあって、
少女がマッチを擦るたび、
暖かい暖炉や食事、
豪華なクリスマスツリー、
優しいおばあちゃん、
といった空想パートが描かれますが、

この複数の空想パートは、
並列の関係にあり、
仮にどれか一つのパートが存在しなくても、
ストーリーは成立するはずです。

それが意味するところは、
パート同士に有機的な繋がりがないということです。

この手のタイプの話を、
(一般的なストーリーを縒り縄式と呼ぶのに対して、)
数珠繋ぎ式と呼ぶ、
と習った記憶があります。

そして、
パート同士が繋がりをもたない、
そうした特徴を見れば、
数珠繋ぎ式は、
グランドホテル形式と本質は同じであることがわかります。

「愛が微笑む時」における、
幽霊たちのパートを、
メインストーリーという言葉に置き換えれば、
グランドホテル形式の群像劇のように、
絡み合うことのない、
独立した複数のストーリーといえるのが、
幽霊パートであり、

かつ、
複数のストーリーをまとめる役割として、
主人公(あるいは主人公のストーリー)が存在している、
と見なすこともできるため、
その点においても、
グランドホテル形式と同様だからです。

つまり、
以下のように分類ができ、

1 一般的なストーリー(縒り縄式)
2 群像劇(グランドホテル形式)
3 見た目は群像劇で、中身は縒り縄式(駅馬車形式)
4 見た目は一般的なストーリーで、中身はグランドホテル形式(数珠繋ぎ式)

数珠繋ぎ式のストーリーとは、
見た目こそ一般的なストーリーですが、
本質はグランドホテル形式であり、
見た目は群像劇で、
本質は一般的なストーリーの駅馬車形式とは、
逆のパターンに分類できるかと思います。

https://filmarks.com/movies/28386 

「極道めし」も、
典型的な数珠繋ぎ式のストーリーであり、
完結した複数のパートを、
主人公パートでまとめあげています。

本作は、
刑務所の囚人たちが、
年に一度のおせち料理を賭け、
かつて食べたうまい飯を語り合い、
一番うまそうに語った奴が優勝、
といったストーリーです。

主人公が複数おり、
分類としては群像劇になるため、
少し説明がややこしくなりますが、

おせち料理を賭けて勝負、
という主人公たちに共通するメインストーリーがあるため、
一見すると、
・複数の主人公
・メインストーリーは一つ
を特徴に持つ駅馬車形式の群像劇に思えます。

しかし、
実際にメインとなるのは、
主人公たちがかつて食べた飯を語り合うパート(回想パート)のほうであり、

メインストーリーである、
おせち料理を賭けて勝負、
というのは、
メインでありながら、
実質、
複数のパートを一つにまとめるために存在している、
サブの役割であるため、

(説明がややこしいですが)
見た目こそ駅馬車形式ですが、
数珠繋ぎ式のストーリーであるため、
実際はグランドホテル形式の群像劇といえます。

したがって、
本作のようなストーリーを、
名実ともに駅馬車形式にする場合、
縒り縄式で作る必要があります。

たとえば、
もともとオムニバスだった「七人の侍」は、
縒り縄式によってまとめあげられました。

剣豪のエピソードを連ねたオムニバスの状態から、
百姓が侍を雇って野武士を倒す、
というメインストーリーを軸に据え、
そのメインストーリーのもと、
百姓と侍の交流をはじめ、
若侍の恋模様や、
百姓の抱える悩みなど、 
いくつものサブストーリーを濃密に絡ませたものが縒り縄式であり、
名前の所以でもあります。

一方、
オムニバスの状態から、
仮に数珠繋ぎ式で書かれていたとすれば、
主人公に侍を一人据え、
一人目の剣豪との対決、
二人目の剣豪との対決、
といった単発的なストーリーになったはずです。

それをもう少し煮詰めると、
武者修行中の主人公が、
各地に散らばる剣豪たちに勝負を挑み、
最強の称号を手にする、
的なストーリーとなり、
その場合、
ログラインを見ただけでは、
おそらく縒り縄式のストーリーと区別はつきませんが、

中身を見れば一目瞭然で、
数珠繋ぎ式なら、
各パートは並列の関係であるため、
事実上は、
剣豪たちとの勝負を並べた、
エピソードの羅列にすぎませんが、

縒り縄式なら、
剣豪たちと戦う、
というメインストーリーに従い、
主人公、相棒、ラスボスといった、
キャラクター配置や、
キャラクターへの焦点の当て方を決めたり、
あるいは、
剣豪同士にも関係性を持たせたりなど、
全体のために部分同士を絡ませる、
そんな作りになるはずです。

https://filmarks.com/movies/77566   

ロードムービーも、
数珠繋ぎ式になっているケースがあります。

細田監督の「未来のミライ」は、
主人公の少年が時空を旅し、
未来の妹や、
若き日の祖父など、
メイン格のキャラたちと出会う、
ロードムービーの形をとった作品です。

冒険と出会いを通して、
主人公が成長するさまは、 
一般的なストーリーと同じですが、

パート同士、
あるいは、
メイン格同士の繋がりがなく、
やはり主人公という存在で、
複数のパートをまとめあげる、
そうした作りになっているため、
本作もまた、
数珠繋ぎ式のストーリーであるといえます。

(ちなみに、
この作品はタイトル詐欺であり、
あたかもミライがヒロインであるかのように錯覚させていますが、
上述の通り、
実際は一つのエピソードにしか登場しません)

https://filmarks.com/movies/76712 

東野圭吾原作の「マスカレードホテル」も、
数珠繋ぎ式のストーリーです。

本作のストーリーは、
とあるホテルで殺人事件が起こることを予測した主人公の刑事が、
潜入捜査のためにホテルマンとして働く、
といったもので、

殺人事件の捜査という、
メインストーリーこそあるものの、
実際は、
宿泊客たちがホテル内で起こす騒動を、
ホテルマン扮する刑事が苦戦しながら解決していく、
そうした一話完結のエピソードをいくつか繋げ、
一本の映画にまとめたのが、
本作であり、
実質は(数話分の)一話完結型ドラマです。

「極道めし」同様、
やはりメインストーリー(殺人事件の捜査)は、
複数のストーリー(客たちの騒動)をまとめるためのサブの役割にすぎません。

前述した、
「愛が微笑む時」も、
「極道めし」も、
つまるところ、
いくつかの完結したエピソードを繋ぎ合わせたものなので、
一話完結型のストーリーを繰り返している、
ともの見方もできなくはありません。

最後に、
再び構成面からの話をしますと、

数珠繋ぎ式のストーリーは、
本質的にはグランドホテル形式、
と書きましたが、

逆もまた然りで、
グランドホテル形式の群像劇も、
数珠繋ぎ式のストーリーといえます。

これまで取り上げてきた、 
グランドホテル形式である、
「クラッシュ」、「ラブアクチュアリー」、「マグノリア」、「怪物」、「桐島、部活やめるってよ」、
そうした作品が、
本質的には数珠繋ぎ式なのに対して、

駅馬車形式であり、
本質的には縒り縄式のストーリーである、
「ポセイドンアドベンチャー」、「七人の侍」、「12人の怒れる男」、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」、「リトルミスサンシャイン」。

両者の作品群を見渡したとき、
少なくとも、
ストーリーのための構成、
という意味では、
グランドホテル形式の、
複数のストーリーが、
時々絡みながらも、
基本的には独立したまま進行する、
そうした群像劇に対して、
構成が巧み、
はやはり誤りだというのが、
自分の考えであり、

駅馬車形式を含めた、
縒り縄式のストーリーこそ、
構成が巧みなのではないだろうか、
そんな結論を出して、
記事を終わりたいと思います。

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