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[短編小説] 明日〜彼女のストーリー〜

ずっとそばにいると あんなに言ったのに

いまは一人見てる夜空 儚い約束

つけっぱなしのラジオからは、透き通るような歌声と、心を優しくなぜるハープの音色。

久しぶりに聞く彼女の声は、あの頃とおなじように私の中に静かに注ぎ込まれる。

部屋のストーブの上では、ホーローのケトルがシュンシュンと音をたて、うっすらと細長い煙を吐き出している。

窓の外には、静かに、絶え間なく降り注ぐ白い結晶たちが、ひらひらとダンスを踊りながらそっと地面に着地する。

彼と最後に会った日も、こんな雪の降る夜だった。

彼の震える声は、季節外れの雪が舞う、寒い夜のせいだけではなかった。

私はただ黙って、彼の頬に伝う涙を見ていた。

もうこれで、本当に終わり。

それだけは、はっきりと理解できた。

不思議と、涙は出ない。

その代わりに、鼻の奥がツーンとなって、まるで麻痺したかのように、唇が思うように動かなかった。

彼は目を伏せ、そっと私を抱き寄せる。

凍えそうな冷たい空気の中で、ダウンの擦れ合う音と、彼の体の重みが、これは現実なのだと私に告げる。

彼が私の髪に顔を埋め、その腕が背中に回される。

次の瞬間、身体中の骨が砕けてしまうくらい、強い力で抱きしめられる。

彼の吐く白い息が、私の耳からうなじにゆっくりと流れ込み、私の脳内に一瞬幻想を抱かせる。

これで終わりだなんて、そんなことあるはずがない。

こんなにも、愛しているのに。

その思いも一瞬にして、彼の吐息と一緒に混じる嗚咽に、かき消される。

私たちの愛は、あまりに真っ直ぐで、幼なく、そして脆かった。

大切な人達を傷つけてまで貫くほど、私たちは強くなかった。

何度も話し合ってきたこと。

二人で決めたこと。

私はゆっくりと目を閉じ、彼の首元に鼻を押し当ててめいいっぱい、目眩のするような芳しい香りを吸い込む。

もう、これで最後。

そっと、彼の胸に手を押しあて、ゆっくりと体を離す。

ためらいがちに見上げた彼の瞳は、熱で潤んで今にも溢れそうだ。

大きく息を吸い込んで、彼の頬を指先で愛おしく撫でる。

彼の耳元に唇を寄せ、精一杯平静なふりをして絞り出した囁き。

「だ・い・じょ・う・ぶ」

そう言って、にっこり笑ったつもりだが、彼の瞳にはどう映っただろうか。

このまま、時が止まればいいのに。

このまま、あなたを独り占めできればいいのに。

ラジオから流れる音楽は、いつの間にか軽快なポップスに変わっていた。

にゃーん

クロスケが足元に擦り寄り、ちょこん、と横に座って私を見上げる。

「なぁに?クロスケ。お腹空いたの?」

そう言ってふわふわの毛をなぜながら、自分の頬からぽたぽたと雫が落ちているのに気づく。

あの時は流せなかった涙。

今頃になって、溢れてくるなんて、おかしな話だ。

あれからもう、長い年月が経っているのに。

顔を傾げて耳をピクピクしているクロスケを抱き上げる。

その体温と、どっしりとした重みを愛おしく感じながら、背中をゆっくりと、丁寧に撫ぜる。

「さき、コーヒー入ったよ」

彼が私の名を呼ぶ。

慌てて涙を拭い、できるだけ明るい声のトーンで。

「ありがと。今行くね」

ふと窓の外を見ると、うっすらと薄化粧を施した木立の中に、見えないはずの星屑がキラリと光ったような気がした。

私の新しいページには、もう次のストーリーが始まっている。


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ミラーリング小説:明日~彼のストーリー~















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