月がまんまるな夜に

「ねえ、見てよ。月がまんまるだよ。」
目的もなく、途方もなく、ただ連れ立って歩いている最中に君は言った。その言葉につられて頭をあげたら、確かに月は丸かった。
「そうだね。月がまんまるだ。」
彼女は幾分不満そうな顔をした。
その顔はどこからくるものかと私が逡巡するやいなや、彼女は言う。
「それだけ?」
どうやら私の答が気に入らなかったらしい。困ったな。この、いつまで続くかもわからない散歩の同伴者たる彼女の機嫌を損ねるのはよろしくない。不機嫌な彼女より少しでも上機嫌な彼女の方がずっと好ましい。なんと返すのが良いだろう。どこぞの文豪みたく、気障でぶっきらぼうに
「月が綺麗ですね。」
とでも言うべきだろうか。きっと彼女のお気には召さないだろうし、私とて天地がひっくり返ろうとも言いたくない。そういうのは、威厳と尊厳を兼ね備えた紳士が言うから様になるのであって、私が言ったところで笑いもの以外の何でもない。やめだやめ。却下だ。
思考を巡らせる私を何も言う気がないと取ったのか、彼女は少しつまらなそうに腕をぶらぶらと振った。
こんな時直ぐに最適解を出せたら良かったが、なかなかお眼鏡にかないそうな答は出てこない。はてさて、困ったなあ。
実のところ私は、月がまあるいことを知っていた。月がまあるいことを知った上で彼女に言われて見上げたのだ。月がまあるいことを知った上で彼女を散歩への誘ったのだ。そう、だから私の中で、既にこのまあるい月とその空とに抱いた気持ちが存在していたからこそ、別の彼女を満足させられる考えなど、とんと浮かばなかったのである。
私は彼女に対してこの散歩に誘った理由を話さなかったし、彼女もまた何も聞くことなく二つ返事で散歩に行くことを承諾してくれた。その彼女に対して私なりの誠実で答えるべきなのではないかという気がしたし、答えたいと思った。
「月がまんまるで、溶けてしまいたいような空だね。この下に死なずしていつ死ぬべきか迷うような空だ。」
彼女が問うてからしばらく空いてからの返事であったが、彼女は少しも驚いた様子なく、ただ私の答を受け入れたようだった。満足とも不満足ともとれない反応に少し不安を覚えたが、その答が私の全てであったからもう今更不安を覚えたとて仕方がない、と諦めた頃に彼女は言った。
「次は生きたくて仕方のないような空の日に誘ってね。」
私は一言
「わかったよ。」
と返した。その後しばらく私たちは静かに歩いていた。

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