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第1053号『記憶の扉を開くスイッチ』

脳内の奥に折り畳まれた記憶が、ひょんなきっかけで開くことがある。記憶の扉を開くスイッチ。それは、匂いや音や場所と連動していることが多い。例えば、洗濯の柔軟剤の蓋を開けた瞬間、その香りで10数年前に訪れたロスアンゼルス国際空港での入国審査のシーンを思い出したり、台所から聴こえてくる煮炊きの音で、ふと母の姿が思い浮かんだりする。そして、場所も眠っていた記憶を呼び醒ますことがある。

”弘前の老舗百貨店・中三(なかさん)デパートが破産、閉店。”先週、ニュースで故郷の出来事を知った。地方都市のデパートの倒産なんて珍しくもない。むしろ、時代にそぐわない業態を何十年も続けられてきたことのほうが不思議だ。でも、一抹の寂しさも感じた。そして、記憶の扉を開くスイッチが入った。

将来、どうしてもデザインや映像の仕事がしたい。高校2年の夏、桑沢デザイン研究所の夏期講習会に参加するため上京した。そして講習の他にもう一つ、出版社に勤めていた従兄弟のアドバイスもあり、合間を縫ってトヨタ・資生堂・マックスファクター・サントリーなどの広報室を訪ね、ポスターを集めた。今では考えられないが、田舎の高校生が一流企業の広報室を訪ね歩ける時代だった。東京に滞在した3週間で100枚ほどのポスターを集めた。トヨタのスポーツ800が画面いっぱいに配置されたデザインがクールだったポスター。開高健がコピーを書いたサントリーオールドのポスター。前田美波里をモデルに横須賀巧光が資生堂サンオイルキャンペーンの写真を撮っていたポスター。宇野亜喜良がマックスファクターのイラストを描いていたポスター。あの時代、ポスターが最先端のクリエイティブ表現の場だった。そのポスターをみんなに見せたいと思った。

弘前に戻り、『ポスター展』をやりたいとデパートの催事担当者に掛け合った。思いがけないほどあっさりとOKがでた。そればかりか、企画料としてお金まで頂いた。仲間を集め、徹夜で展示した。この『ポスター展』が取材され、地元新聞の小さなコラムに写真付きで載った。このデパートが中三だった。

40代のある時期、仕事と人生の森でさまよっていた。なんだか全てが上手くいかない。けっして、仕事が嫌いなわけじゃないし、手を抜いているわけでもなかった。でも、いまの仕事が合っていないのではないか、とも思いはじめていた。そんな時、たまたま知人の結婚式で帰省した。式の翌日、帰り支度をしていると父が後ろに立っていた。(僕が母になにげなく言った愚痴を父に伝えていたらしい)父は黙って、丁寧に折り畳まれた古い新聞紙を手渡してくれた。広げると、マジックで小さなコラムが囲まれている。そこには、『ポスター展』を準備している高校生の僕と、僕のメッセージがあった。

二十数年も前の、しかも自分自身も忘れていたような記事。16歳の僕が何を目指していたのかを、もう一度みつめ直すことができた。読みながら、自分自身を信じてあげられなかった悔しさと、父と母への感謝の気持ちで肩が震えた。

”弘前の老舗百貨店・中三デパートが破産、閉店。”のニュースは、ちょっぴり苦く、そして温かい記憶を蘇らせてくれた。

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