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私はこうして販売員をやってきて、何も後悔していません

 先日、ファッション業界の専門家の方々が販売員教育について情報交換をする場をZoomで視聴させてもらえる機会がありました。販売員を取り巻く問題について、こんなに真剣に考えてくれようとしている大人たちがいるんだなとうれしく思う一方で、当の販売員が置いてきぼりじゃないかな?とも感じてしまいました。チャンスを与えてもらい、道が舗装されるのを待つのか、自分たちが動くのか。

 私はかれこれ20年以上社会人をやってきていて、そのうち9割近くはファッション小売の販売員として日々を過ごしてきました。そのため、今20代で販売員歴3年目とか、30代で10年目とかの現役の方々がいま感じておられる仕事への不安だったり、直面している課題だったりは、正直、同じ温度感では分かち合うことができないと思います。分かってくれると思った方、すみません。育った時代が違うから分からないです。逆にいま20代30代のみなさんが、40代半ばの私が過ごしてきた20代の頃の販売員人生について聞いてもなかなか想像がつきにくいのと同じです。世間にとってのファッションの立ち位置も違えば、EC化率も違うし、SNSの普及度合いも違うから、あるべき姿も、やらなきゃいけないことも、情報源も違います。さらには社会情勢も違って、産休育休のこととか、ハラスメントへのリテラシーとか、そういう時代背景が異なるために、同じ温度感で「分かるよ」とはいえる気がしません。昔のほうが酷かったことも、今のほうが大変なことも、きっとそれぞれたくさんありますから。でも、ときどき転職や退職を考える気持ち、「それは分かる」。

 右も左も分からなかった頃、お客様から声を掛けられて一生懸命接客したのに、それを見ていた先輩にストックへ呼ばれて「私のお戻りだったのに横取りしないでよ」と言われたこと。店長に「トルソー変えてみて」と言われて着せ替えたら「全然ダメ」しか言われず、それを何回も繰り返されたこと。無視されすぎて店長に話しかけようとすると喉の奥が詰まって話せなくなったこと。社販したいけど在庫が少ない商品だと言い出しにくかったり、社販のコーデにOKもらえなかったり。釣銭が合わない日のあのイヤな空気。掛け持ち対応していたからレジを頼んだら、そのスタッフが自分のIDでレジ打ちやがったときのテメコラ感。全然ストック整理してくれないあいつと、最近モチベ低下でストック作業ばっかりしているあの子。休み希望が多すぎるバイト。掃除ができない後輩、棚卸で数が数えられない中堅。売上がよくないと不機嫌な店長。試着後に全部裏返しで試着室の床に脱ぎ捨てられた商品たち。使われなかったフェイスカバー。デリケートな素材の商品に触れるスタバのカップ、ベビーカーからはみ出した子供の足、泥の付いた靴。タイトなヒールにねじ込まれる踵。なんだか最近うまくコミュニケーションがとれない上司、何か悩んでいそうな同僚。伝え方を間違えたと思いながらも詫びることができていないまますれ違い続けるシフト。相談したいことがあったのに時間がもらえないまま、結局怒られる始末。子供が熱だしたからって忙しい日に休んだくせに、出てくるなりストックが汚いと小言たらたら不機嫌な時短社員。休むのはしかたないけどね。

 こんな感じの日常に加えて、地方と都心の環境の違いが加味されていない評価と、空かないポスト。販売員が仕事に「やりがい」を感じる時間を、不満と不安が覆い尽くすまでそう長くかからないと思います。そういう意味では、長く販売の仕事を続けている人は「販売員をやりながら暮らせている人」ということになります。「暮らせている」というのは、暮らせる収入と生活スタイルが保てている人、という意味です。基本的には、お給料が高い職業ではないので、辞めていく人の多くは将来への不安が退職(転職)理由の一つにあることでしょう。ただ、このお給料の問題については販売職に限ったことではなく、縫製業もそうだし、アパレル業界の外にも目を向ければ介護職などもそうだし、単純にお給料を上げると転嫁する先がエンドユーザーへの価格になってくる職種が多くあります。私はどうだったかというと、販売員になりたての頃は一人暮らしで切り詰めた生活をしていました。実家から通う先輩たちが毎日1000円のランチに出掛けるのを横目に自作のお弁当を持参し、食費は月2万円以内、一方で社販も月1.5~2万円くらい、人前に出る仕事だから化粧品代や美容院代はかかるし、お店で社販できる靴やアクセサリーがないとそれらは他店でプロパー購入といった感じです。当時、私なりの計算ではじき出した1か月に必要な金額は、家賃光熱費全て込みで14万4000円でした。手取りではなく必要なお金がこれで、僅かな差額は貯金です。少なくてかわいそう、と思う人もいるでしょうか。この金額には保険も新聞代も入っていました。贅沢はできなかったけど「やっていけない、ではなく、やっていく」のだと思っていましたし、そもそも手取りが毎月の必要金額を下回るような求人には応募をしていませんでした。

 お金が貯まらないことを理由に販売員をやめる人も多いので、もうずっと前に専門学校で臨時講義をした際には学生さんにこの話をしました。かなり赤裸々な話だとは思いましたが、せっかくアパレルに就職して「暮らしていけない」を理由にやめてほしくなかったから、続けられるところに行ってほしいし、自分の環境を分かった上で仕事を選んだほうがいいと伝えたかったのです。では足りない場合はあきらめるのかというと、私の場合は欲しいと思った服や靴が高かったとき、実はバイトしてました。若かったからできたとも言えますが、コンビニやカフェで早朝バイトです。月3万円くらいにもなれば、貯めるなりなんなりで社販じゃなくてもそれなりのブランドの服が買えるようになります。苦労していると思われるでしょうか。ブランド名を知っている・店に行ったことがあるだけの状態と、「定価で買って着ている」の経験値の違いは、販売員としてはなおのこと、大きな大きな違いです。当時そこまで考えていたかと問われれば、ただ欲しかっただけでしたが、結果論として、それなりのブランドを定価で買う行為は、それなりの接客を受けて買うという経験がついてきます。そこでどんなアプローチとクロージングを受けたか、どう感じ、何を思ったか。それを買うことにした理由は、商品だけか、接客だけか、何が気持ち良くて、何が気分悪かったか、なんでそう思ったのか、安い店と高い店では店員の立ち居振る舞いの何が違うのか、自分の店ではどうか。こういったことを考えるきっかけをもらうには自分で買うしかなかったと思います。そうしないと、自分の店でよしとされる接客しかできなくなり、接客の幅も広がりません。

 私はアパレル企業だけでも何社か転社していて、経験業態も国内SPAからセレクト、デザイナーズブランド、ラグジュアリーブランドとまたいだので言えることですが、販売職は転々としていいと思います。環境ってすごく大事で、お店の空気や時間の流れ方が合わないところにしがみつくと心が持ちません。販売はチームプレイでもありますが、基本は個人のスキルなので、そのスキルを携えて色んな世界を見てみていいと思います。私は、ラグジュアリーの空気が一番好きでした。外資で、評価にグレーゾーンが少なかったこともその理由です。せっかくのスキルですから捨ててしまわずに、ほかの場所で磨き続けるほうが無駄になりません。勤務先の少人数の社会が、アパレル業界の全てではないと知っておいてほしいです。

 前半につらつらと書いた販売員の日常のできごとは、それひとつが退職理由になるほどのことではないけれど、シフト制で万年欠員状態では、こうしたことを話す相手も時間もなく、心に溜まりやすいというのは事実だと思います。そこへ何か決定打となることが起きると、もう無理だ、となってしまうケースが多いのではないでしょうか。のどに小骨が刺さったまま、お客様には最高の笑顔をなんて、一生続けるのは無理ですからね。小骨は抜いたほうがいいです。でも店頭のチームは本当に小さくて、それがなかなか難しいことは分かります。

 私が販売をやってきてよかったと思っていることは、お客様がなぜ財布を開くのかが分かるようになったことです。商売の基本ですよね。まずはお店に来てもらわないといけないし、来たら入って見てもらわないといけないし、手に取ってもらって、いいなと思ってもらって、納得してもらわないといけなくて、今買おうと思ってもらわないとです。来てもらいたいのはだれか?のところから始まって、これがそう簡単にはいかないから、やることはものすごくたくさんあって尽きなくて、飽きないし、楽しいのです。同じ毎日なんてないから、試行錯誤して成長していきたいなと思います。

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