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1年365日、どの日にも、誰かの記念日がある。

10年前、東日本大震災が起こった後、こんな言われ方が目に付いた。

「なんでもない日が、こんなにありがたいなんて!」

この場合、”何でもない日”というのは、もちろん、一日が、自分の生活に大きな事件や事故や災害などが起こらず、無事にすぎたということだ。大震災が起こって、日々の生活が激変した方たちはもちろんだが、そうした情報に接して気分が落ち込んだり、気が滅入ったりする方々にとっても、一日が無事終わるということの奇蹟をかみしめた、ということだろうと思う。

かく申す私にしても、そういうありがたさに感謝することが、当時多かった。平穏さの尊さを痛感しものだった。

けれど、或る時、「待てよ?」と、思ったのだ。1年365日(366日)で、誰かの誕生日になっていない、誕生を祝福されない人がいる日があるかな? と。

私が参加している、或るクラシック音楽好きのFacebookグループがある。そこで、或る方が、1年365日(366日)、「今日の暦」と題して、誕生日の音楽家と、その日に亡くなった音楽家を列挙されている。それを観る限り、一日として、誰の誕生日でもない日はないし、誰も亡くなっていない日もないのだ。必ず、誰かが生まれ、誰かがなくなっている。

誕生日にしても、亡くなった日にしても、それは、その人にとって”特別な日”のはずだろう。

また、その「今日の暦」には、クラシック音楽関係の事件はもとより、世界で、「今日は何の日」と決めた事柄や、世界で起こった事件・事故も併記されている。それを観るにつけても、「今日は、なんでもない日」だなんて、とてもじゃないが言えないなぁ、と、思ったりする。

加えて、人それぞれが大事に思っている日、忘れられないことが起こった日だってあるだろう。世界がどうあれ、自分にとっては決して忘れられないという日があるはずだと思うのだ。

結婚とか入学とか就職とかはもちろんだけれど、親友とケンカしたとか、家出したとか、愛する命が天国に帰っていったとか・・・・。或いは、好きな人に告白されたとか、初めて旅行をしたとか・・・。普段は、記憶の海の底に沈んでいても、何かの拍子に思い出す日、というのもあると思うのですな。

私は、数字に極めて弱い人なので、細かい日にちは、ほとんどおぼえていない。事柄によっては、記録を取ってあるけれど、そのメモも探さないと、何処に置いたかわからないこともある。若いころは、日記を書いていたのだけれど、或る時すべて処分したので、読む術もない(日記をつけていたころは、今よりも記憶力が良かった気がする。若かったから? 単純に)。

それでもなお、何かの拍子に、「あ、あれ、今頃じゃなかったっけ?」と、思い出すことがある。どんなに小さいことだったとしても、私には、何らかの思いを引き起こす時間なのだ。まぁ、最近とみに記憶力が衰えておりますゆえ、記憶違いも多いのですが。

”何でもない日”など、この世界には存在しない。誰かの誕生日であり命日であり、記念日なのだ。そんな何でもないことを、ふと思う雨の夜でございます。

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