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12年前のあの日から覚悟していること。

2011年3月11日午後2時46分。

南東北地方を中心に、東日本の広範な地域が激しい揺れに見舞われました。岩手・宮城・福島・茨城・千葉各県の沿岸部には、津波が押し寄せました。中でも、東北沿岸部を襲った津波は、それまでの災害予想をはるかに超えた巨大さ。たくさんの命を飲み込み、建物を破壊し、街を壊滅状態に追い込みました。

私は、12年前、東北にいたわけではないので、津波を観たわけではありません。ただ、震災の1年後から、仙台を中心にして4年前まで毎年東北に出かけていました。通い始めて数年たった時、私は愕然としたんです。津波の巨大さに。

宮城県には仙台空港があります。ここも、当時壊滅的な被災をしたと聴いていました。私は飛行機には乗らないのですが、初めて仙台に行ったとき、在来線の「仙台空港アクセス線」に乗って、終点の仙台空港に行きました。私が訪れたときは、空港も再開していましたが、一歩外に出たら、壊滅的な光景が広がっていたんです。
この時の打ちのめされた様と、1羽のセキレイに救われた話は記事にしたので割愛します。ただ、この時の私は、目の前の光景のすさまじさに感覚のすべてを奪われていました。津波のパワーの恐ろしさは実感したのですが、その規模のイメージができてなかったんですね。

津波はもちろん、海からやってきます。けれど、駅から海は観えないんです。初めて駅を出て歩いたときも、海ははるか向こうで、気配さえ感じられませんでした。その時、私の中で、何かがカチリ! と音を立てて合致しました。
全然観えないということは、海はここからはるか遠くにあるということ。にも拘わらず、津波はこの地域を襲い、街を飲み込んだ。空港も被災して、一時は、機能不全に陥った・・・・・・。

そう考えた瞬間、自分が真っ黒な水の壁に覆われてしまうイメージと、全身鳥肌に襲われて、その場に立ちすくんだものでした。

「こんなすさまじいものに襲われたら、そりゃあ、逃げ切れんわね・・・・・」

今私が住んでいる千葉県の松戸市は、幸い海からは離れています。しかも、私が住んでいる場所は、いささか高台にあって、台風の時にも浸水などの被災も免れてきました。
けれど、今度もし12年前のような大地震が発生したら・・・・・? 今度も無事などという保証は、ありません。ましてや、我が家には26羽のインコたちがいます。私には、彼らを置いて避難するという選択肢はないな、と、改めて思います。
12年前にも、余震におびえながらも、そう覚悟を決めたものです。彼らを見棄てて、自分だけ助かったりしたら、私は命が尽きるまで自分を赦せないだろうと、確信していますから。彼らのそばにいて、生き延びるための手を打ちつつ、万策尽きたときは、彼らと運命を共にする。

今朝5時過ぎに、久しぶりの揺れにあって、改めて、そんなことを考える私の今日でした。

光に帰られた方々のご冥福を、改めてお祈りします。
また、今も懸命に生きておられる方々の一日も早い平穏を、心からお祈りしております。

別の視点から書こうと思っていたのに、気が付いたら、こうなっていました。これでよかったのでしょう。

今夜が、このまま穏やかで、鎮魂の夜になりますように。

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