アイドルは特効薬ではない。でも。 / SixTONESを応援し始めて四年目を迎えるオタクの話


人にはそれぞれ様々な記念日があると思う。
わたしにも自分にとって特別だと感じる日がいくつかある。

"その日"はいつもと変わらない日常の一日だった。これからもそうだと思っていた。
2021年8月9日、その瞬間を迎えるまでは。
(日本にとってはかなり大きな意味を持つ日付であるが今は一旦横におかせてください)

わたしはずっとアイドルもアイドルファンも、生きている人を推すことにも抵抗感があった。
しかし2021年8月9日、あの日あの時ひとりの人に出会ったわたしの人生はすっかり変わってしまった。

この短いようで長い三年、わたしがだいすきになってしまった彼と彼ら、そしてそれによって出会うことが出来た最高の友人たちに感謝をこめてこのブログを書きたいと思っている。

ちなみにこの"最高の友人"とは、今この文章を読んでくださっているあなたのことです。

これから何度も同じようなことを書くことになるが、何度言ったって悪いものじゃないと思うのでまず一度目はここで言わせてください。

みなさんがいたからわたしはこんな風にたくさんのものをあいし、そのあたたかさに感謝しながら今この文章を書くことが出来ています。
出会ってくれてありがとう。

そして今これを読んでくださっているあなたと、今の、少しくらいはいろんなことに恥ずかしくなく生きられている、と思えるようになった自分に出会えたきっかけとなった彼、そして彼ら。

田中樹さん
SixTONES

あなたたちがわたしの命と人生とこころをすくってくれた。
とても大袈裟なようでわたしには全くそうではない。

彼と彼らがわたしにとって最高のヒーローでであること、そして今これを読んでくれているあなたがわたしにとってどれだけ大きな存在であるか。
その理由を綴らせてほしい。
お付き合いくだされば幸いです。




※※注意※※

・ものすごい自己開示から始まります
・機能不全家族、心理的虐待(DV)、精神的な病、ADHD、希死念慮についての表現があります。
・ここでのアイドルはSixTONESという存在を前提として語っていますので「彼ら」と表現しています

・大変申し訳ないことに自分でもドン引きするほど長くなりました


・とても烏滸がましいことかもしれないけど、万が一にもわたしの地獄が誰かの蜘蛛の糸になることがあったら、そんな幸福って他にないかもなと思ったりして。


○生きづらさ

わたしは子どもの頃から生きづらさがあった。

遡れば親のコメントより幼児の頃から「物を持たせると必ずなくす」と言われていた。
小学校の通知表、各学年三学期×六年間ずっと「落ち着きがない」「忘れ物がひどい」と書かれていた。

習い事は長続きしないし整理整頓は苦手だしケアレスミスも多い。
変なこだわりも強かった。友達との会話が噛み合わないことはしょっちゅうだし、子ども同士、グループ内や交流する人たちの中にある暗黙のルールのようなものがさっぱりわからず、自分の何気ない発言が周囲を凍り付かせること数知れず。
自分の何かしらと世界のチューニングがあってないことはなんとなくわかるが、なにが問題なのかもさっぱりわからなかった。
様々なズレや困りごとによって親しい人との関係が崩れたり失ったりしたことはたくさんあった。そのたび自分を責めるが根本的なところが理解できていないので解決に至らない。今もそういうことに困らされているが、当時はもっとずっと苦しめられた。

これは先日いただいたマシュマロの返信にも書いたし、特別隠すことでもないので書く。
のちにいくつもの専門病院や医師のもと、あらゆる検査をうけた結果、立派なADHD(注意欠如・多動性障害)だと診断されました。おめでとう、ありがとう。


○家庭

それに加えて残念ながらうちの家庭は今でいうところの心理的虐待が日常化している、これまた立派な機能不全家族だった。

それはいつ始まるかわからない。
あまりこういう言葉を使って例えたくないが、しかしあまりにも適切であると思えるのであえて使う。
それはいつ何がどれをきっかけにして爆発するかわからない『地雷』だった。
(繰り返しますがあえてここでこの言葉を使っています)

今でもはっきりと覚えているほど一番驚いたのは、夕食時。

平穏に鍋を囲んでいたはずなのに親の片方が「具材のこれは?」と聞いた。
もう片方の、準備に追われていた親が慌てながら「ああ、ちょっと待って!」と言った。その瞬間、爆発した。本当に目の前でドガン!!!!!といった。まあ強く机をたたいたのだから音がして当然なのだが。
夕食どきなのでだいたい十九〜二十時くらいだったと思う。
そこから罵倒、罵声、暴言もろもろが家中を響かせる時間が始まる。
サザエさんのEDでみんなが家に入って、建物が揺れている場面があるがまさにあんな感じで「今家揺れてない?」と思うほどだった。
深夜二時になっても三時になっても家中に響いていた。
今考えるとそこまで大声で人を罵倒し続けられるってある意味ではエネルギーがあったんだなあ(ぼうよみ)とも思う。

そんな状況が常だった。
本当に何がきっかけになるかはわからなかったので、帰宅してからは自分だけでなく他の家族の一挙手一投足、それこそ瞬きから呼吸から全部に神経を研ぎ澄ませていた。

明確な年月は記憶していないが少なくとも十年以上はその環境にあった。
(実際はもっと前からあったんだけど、少なくとも自分にもはっきりと被害が及び、それを感じられるようになったのが六歳からとして、この時点で高校生だったので、やっぱり十年ちょいくらい?
それにしても人生のほとんどやんけ!だった。)

長くなるし、単純に思い出したくもないし、あと普通に考えてここに書けないだろ(笑)というようなことも山ほど目の当たりにした。

これがまた厄介なことにうちは裕福な部類の家庭だった。
稼ぎがよく、ひとりが働くだけでもう一人は専業で、姉妹ふたりを私立の高校大学に進学させても生活が困窮しない程度には。欲しいと言ったものややりたいことは話し合いもありつつ希望は出来るだけ叶えてもらえる側面もあった。

環境の良さと悪さがあまりにも極端でわたしの精神はぐらんぐらんになった。

周囲の大人に意見を求めてみたが、保健医は「身体的虐待を受けて身体に傷がある子もいるのよ。命の危険があるの。それに比べてあなたは怒鳴られてるだけでしょ?我慢できないの?情けないね」と笑った。
とある大人は「親だって親ははじめてなんだからそうやって間違うこともあるんだし過敏になるなよ」と呆れたように溜息をついた。

しかしわたしは『虐待』も『DV』という言葉も知っていた。ありとあらゆる本を読み漁った。当時の自分ができる限りの情報は得たつもりだったし、『心理的虐待』という言葉とも出会った。

そして震えるからだと心を押し込めて声を上げた。行動を起こした。でも状況は変わらなかった。むしろ悪化した。

命もこころもだが、生活も金銭も全てを握られている未成年が保護者とこんな形で向き合うことは自ら社会的な死に走っているようで恐ろしくもあった。
それでも泣いている家族のために、家族と戦っているつもりだった。
でも暴言を浴びて震え泣いている家族は、その背をさするわたしに言った。

「あんたが反抗的な態度をとるからこんなことになってた。あんたが謝って大人しくしてくれてれば。この状況がひどくなっていってるのは、あんたのせいだ」


わたしのこころは壊れた。

家から出られなくなった。食事もとれなくなり風呂にも入れなくなり窓もあけられない真っ暗な部屋の中で布団をかぶってすごしたこともあったし、パニックをおこして家族におさえこまれたこともあったし、まあいろいろあった。病院にもいくつも通った。薬も山ほど飲んだ。
余談だがドラマで精神疾患に使用される薬や睡眠導入剤の名前が出てくるとだいたい使用したことがあってウケる。

おかげさまでその頃にはもうすっかり死にたかった。

そこにきてようやく、今まで問題と向き合わずのらりくらりな、いや本当のところは向き合うことを恐れていた、なんとかやり過ごせるはずだと思っていた家族たちが「これはやべーかも」と動き出して、主にわかりやすく加害をしていた親と別居することになった。

そんなこんなで多少の環境改善はされたものの一回壊れたものはもうどうにもならない。

なんとか高校やら大学やら入学卒業して突入した二十代は常に希死念慮と恨みつらみ憎しみ、でもオタクして楽しかったり友達と飲みまくったり、やっぱりどぎつい精神の荒波にもまれて何もできなくなったり、でも働かなきゃいけなくて仕事して、休んで、辞めて、ちょっとよくなって働いて、また......を繰り返していた。

やっぱりここには書けないようなハイとロー、山と谷、というより谷とどん底を往復していた。

そんな中で、2021年8月9日に出会ったのがSixTONES・田中樹さんだった。


○SixTONES、田中樹さんとの出会い

経緯は沼落ちブログにも書いているが、この瞬間のことは今でも鮮明に思い出せるし、何度だって初めて話すかのように語ることができる。
夕食後、何気なくついていたバラエティ番組を見ていた。ただぼんやりと見ていただけだったしその番組内で何かが起きたわけではない。
ただ、よく聞くビビッときた感覚があった。
ひとりの人に惹きつけられた。

この人誰だ。
なんだかわからないけど、ものすごく、ものすごくこの人がすきかもしれない。

その人が樹さんだった。

そしていろいろ調べてYouTubeからSixTONESに出会った。

一生無縁だと思っていたし、実際に「もうこの年齢までハマらなかったんなら一生ハマらないでしょ」と言っていた。そんな自分が。

人間とは不思議なもので戸惑いやこれまで自分で作り上げて頑丈だと思っていたなにかしらを、オタクの自分がどんどんぶち壊していく。
いや、違う。

わたしのしょうもない偏見とか謎のこだわりとかくだらない壁は彼らによって崩されていき、どんどんと向こう側の新しい世界が見えていく。そんな感覚だった。

毎日YouTube見て音楽聴いてCD買ってライブDVD買ってラジオ聴いてFCに入るまでおそらく二ヶ月かかっていない。
わたしも驚いていたが周囲の方が驚いていた。

でも、残念なことに都合よくいろんなことが治るわけではなかった。当たり前だ。
アイドルは特効薬ではない。

相変わらずいつも死にたかったし、自分という存在が恥ずかしかったし、夜は眠れないし、でも仕事にはいかなければならない。手のひらいっぱいの薬も慰めにはならなかった。

その頃は一人暮らしをしていた。
主に加害をしていた親とはもう完全に距離をとっていたが、実家にいるということがわたしには最悪の環境だった。
他の家族との関係性もあるが、ずっと事件現場にいるのだから常にトラウマ発症ありがとうごさいます案件なので。


○入院

ある日、友達数人と深夜まで電話をしていた。それはそのメンバーではいつものことだった。
「ばいばーい、はい、おやすみ〜〜」
明るくそう言って電話を切った。
そして倒れた。
なんだかもう無理だと思ったのだった。

そして次に意識を取り戻したら見たことのない小部屋にいた。

入院することになった。

病院でのことは詳細はかけない。ただコロナ禍であったので一日に外に出られる時間はとてもとても短かった。出来ないことを数える方がはやいくらいいろんなことが厳しく、小さな窓の細い隙間から見える満開の桜がとても遠かった。
あんなに毎日楽しみにみていた『カムカムエブリバディ』も、よりによって最終回は入院先の談話室で立って見た。

その頃は正直SixTONESのことを考える余力がなかった。
『カムカムエブリバディ』の最終回を見知らぬ場所で立ってみながら、砂粒ほど僅かに残ったオタク精神が(北斗くん出なかったな。でもここで彼を見たくはなかったからよかった)と思っていた。

※カムカム最終回は出てなかったですよね?もし出ていたとしても認識できないくらいにはなっていました。

本当はもっと入院していないといけなかったが、集団生活がむいてなさすぎて予定よりはやめに退院となった。集団生活むいてなさ、ここでも発揮されてんのわろた

仕事は療養のため休養をとっていた。
入院したことは、妹にも従姉妹にも仕事先にも友人にも恩人にも伝えたが、両親には言わなかった。
突然の入院によるサポートは他の家族から受けており、両親に伝えることはかたく口止めをしていた。


○退院後、よすが

帰宅したのは一人暮らしの家。

朝起きて薬を飲んで寝るだけしか出来ない日々の中で、ふとSixTONESのことを思い出した。何故、なにをきっかけに思い出したのかはわからない。

当時はどのテレビもドラマも映画も情報量が多くてしんどくなって避けていた。
でもYouTubeをつけてSixTONESの音楽だけずっと流していた。

退院後も当然通院は続けていた。

食事も睡眠もままならない。ただぼーっと窓の外を見ることもあれば寝っぱなしの時もあるし、ばかほど酒を飲んで無茶苦茶になったりもしていた。

今この瞬間もみんな頑張ってるのに、仕事してるのに、結婚したり子育てしたりしてるのにわたしはわたしは。意味のない比較と自責もろもろを繰り返していた。

でも、必ず起きたらYouTubeをつけてSixTONESの音楽を聴いた。

みんな自分より若くて、たくさんの苦労とか葛藤をしていて、それなのにこんなに輝いていて......、また無意味な比較をしてテレビの電源を消す。

でもやっぱりSixTONESの音楽を聴き始める。

そんな日々だった。

わたしとわたしの暮らす部屋はいつも暗かった。でもテレビだけが、向こう側の彼らだけがきらきらと光っていた。

アイドルは特効薬ではない。
でも、真っ暗な世界にさす一筋の光にみえた。よすがだった。


○そめアカウント

そんなこんなしていたが、なんやかんやでちょっとずつ人間としての生活が取り戻せるようになってきた。幸いにも退院後も通院を続けていた病院が自分とあっていて、とてもいい先生と出会えたおかげもある。入院を経たことで、以前からついていた病名と違う病であることもわかった。
(見極めが難しいので以前のそれが誤診であったわけではないらしい)
そんな経緯もあって、適切な治療を受けられるようになったことがかなり大きい。

ドラマやバラエティを観たり、日記を読んだり、雑誌をみたり。
企画系のSixTONES YouTubeで声を出してとわらったり。ちょっとずつ出来ることが増えていった。

そして2022年の8月ごろ、彼らをすきになってちょうど一年、今のそめのアカウントを開設した。

実はハマりたてすぐに一度アカウントを作ったのだがどうにも勝手がわからずアカウントを消した。それから上記のことがあってXやるとかいう状況でもなかったのだが、人間としての生活を取り戻し始めてオタクエンジンがかかるとわたしはひとりでそれを抱えこむことが出来なかった。

無理じゃない?????
ひとりで抱えるとか無理じゃない?????
すきなことすきって言いたくない????

ただでさえ喋って共有して発散したい性質なのに(そうなんです)
いやーーーーーーーーー無理ですわ

というわけでそめのアカウントが出来た。
繋がりタグなどにより、今の相互さんたちと出会えることとなる。

そんなわけでわたしの楽しいSixTONESオタクライフ再開とともにそめという人格が生まれた。


ちなみに2022年8月8日にアカウントを作ったようです。
何故9日に作らなかったのか。
多分8日に登録して9日に投稿したんだろうなと思います。


○人とのかかわり

ここまで書いてみてふと気付いたが、この時期、SixTONESやじゅりさんのどこの何のどの曲に助けられて、など詳しく書いていない。
正確にいうと多分書けないのだと思う。
この時期はツイッターで愉快にやりつつも自分を立て直すことで精一杯だった。

フォロワーさんの方が「そめあそこで盛り上がってたよ」とか「あんな話したでしょ」とか覚えてくださっていると思う。
全てを忘れているわけではないけど、こうして振り返ると体感としてはいかに生きることに精一杯だったかを思い出す。

実際に主治医からの指示で日記をつけていた。起床・就寝時間、食事量、睡眠、一日のスケジュール、出来事やそれについての感情の揺れ動きなど。

今改めてみてもざっくりいうと「おきる。食事をする。寝る」がほとんどだった。

しかし、だからといってSixTONESからもらったものやフォロワーさんたちとの交流がなかったことになったわけではない。
むしろ、それらがなければわたしの人生って今どんな形になっていたのであろうかと思う。


○改めて今振り返る「どんなところがすき」

じゅりさんの発する言葉がすき。
空間把握能力の高さ、瞬発力、大きな口あけて顔くしゃくしゃにわらうところがすき。YouTubeとかですぐメンバーにもたれかかったりよっかかったりくっついてしまうところがすき。北斗くんがメンバーとの関わり方に悩んでいる期間にもフラットに接したこと、なにひとつ特別に思っていないところもすき。


北斗くんは勝手に共感できるポイントの多い人だと思っている。おそらくやりたい、目指したいと思ったらまっすぐで、多分頑固で、でもちょっと自分に自信が持てないところもあるから自虐したりして。なのにパフォーマンスになるとそんな片鱗ひとつもみえずにうつくしくしなやかなアイドルになるところがすき。心の一部をほんの少しのぞかせてくれるような心地にさせてくれる言葉の綴り方がすき。お話長いところもすきだよ。感じたこと伝えたいことたくさんあるのわかるなって一方的に思ってる。


髙地くんのわけわかんないところがすきだ。突然角刈りにしたり突然年齢不詳にしたり、あっちこっちで可愛がられてるしおじさんたちをすぐめろめろにさせちゃうし、人の懐にするっと入り込めちゃう愛嬌とかコミュニケーション能力の高さ、尊敬する。おそらく仕事とプライベートの線引きがしっかりされてて、たくさんのすきなことがあって、つきつめて資格までとっちゃうエネルギッシュなところも魅力的。
SixTONESの中では最年長。メンバー内にさほど年齢差がないことや関係性があるとはいえ歳上然としすぎておらず、でもきっとこの人が一番上でいつもそこにいてくれるからなんだか安心できてしまうんだろうなと思う。北斗くんとはまた違って意味で丁寧に生活しているところ、これは妄想だけど「プライベートの自分」「髙地優吾」という人をどこかにやってしまわないようにしているような気がして、惹かれる。


大我さんの つよい ところがすきだ。人生で一億万回くらい言われてそうだけど、見た目は儚げ綺麗で今にも消えてしまいそうなお兄さんなのにお喋りやインタビューでご本人を知ると「この人消えてしまいそうどころかどんな暴風雨がきても絶対に倒れない、倒れてなるもんかとまっすぐに立っている人」すぎる。
あなたはコウモリに例えられていましたが、わたしの中ではライオンみたいだなって思ってるところもある。大きくて、つよくて、目をひく。でも孤高じゃない。真摯さと誠実さとちゃめっけのあるところ、誰もがすきになっちゃうんだろうなあ。
自分の世界観とペースがしっかりとあってその中でゆるりと生きている姿がすき。
めちゃくちゃオタクすぎてわりと結構な親近感あります。灰原哀ちゃんとマキマさんがすきなの好みに一貫性があって非常におもしろい人だなと思ってます。わかる、どうしても癖が出るよね。
ありがたいことに『モーツァルト!』観に行けることになりました。ミュージカルの舞台に立つあなたをみたらますますすきになっちゃうんだろうな。


慎太郎くんのこと、尊敬している。
明るくて、からっとしててご飯もりもり食べて、自然と動物を愛しててちょっと衝動的で「すき!」「興味ある!」と思ったら150万のテント買おうとするところとか勢いと元気がありすぎる。大型二輪免許、一級小型船舶操縦士、ダイビング、ユンボの資格(重機)、潜水士、しかも雪中キャンプの講習受けてるし、ユンボの資格はツアーの講演後にうけた……んだよね?どうなってるんだあなた……そのエネルギーはいったい……元気でかわいい末っ子くんってだけではなくて勉学的な意味でも人間的な意味でも聡明なところがすきだ。
快活で、しかし繊細で気遣い屋さんなところもすきだ。


ジェシーくん
ジェシーくん、SixTONESつくってくれてありがとう。
すきあらばふざけてギャグいっておっきな声でわらってそのこころと身体でまわりを包み込む姿がすきです。
第一印象はベタに根っから明るい人なんだなあと思っていたので、あなたのAREA dot.でのインタビューの死生観

死ぬことって全く怖くないんです。本当の地獄って今、ここだと思っていて。誰かが死ぬとみんな泣くけど、実は死んだほうがいい世界なのかもなって。


二つの意味でびっくりした。
アイドルってそんな風に人生観を語っていいんだ、というか語ってくれるんだということ。
あなたがそんな風にこの世をとらえて生きているということ。わたしには希望だった。
あなたの歌声をいつも魔法みたいと思っている。さっきまでわらったり冗談言ったりしてたのに一瞬にして違う世界に連れて行かれるように心をうばわれる。
でも魔法じゃない。
きっとあなたの努力や積み重ね故のものをもらっているんだと思うとなんてうつくしいんだろうと感じている。
心配性で臆病な性格と言われるあなたの繊細さを何より尊いと思っている。
とっても傲慢だけど、なるべくあなたが傷つかないでいてくれたらいいのになって思ってしまう。


SixTONESのことがすきだ
六人でいると決めたところがすき
いろんなことを経て、時間をかけて六人でいることを絶対に手放さないようにしているようにみえるところがすき
全員揃ったらおしゃべりとまらないところがすき
きっととても愛されてきたんだろうなと伝わる育ちや品のよさがすき
礼儀正しくて、多分マナーに厳しくて、みんなとってもやさしそうで、実際やさしいんだろくけど、周囲や人間のことをよく見ていて線引きが明確にありそうなところがちょっとこわくて、でも真っ当な感じがしてすき
サプライズ好きでちょっと驚くこともあるけどめちゃくちゃに楽しませてくれようとしているところがすき
丁寧に生きている人たちが多い気がしてすき。料理したりスキンケアしたり健康に気を使ったりするって意識しなければ疎かになりがちだし、生きることを大切にしているって心身ともに力がいることだから素敵。

彼らの音楽がすきだ。
恋愛要素がある曲だと高確率で振られてるか、相手に振り向いてもらおうとしているところも、バラードもロックも、音楽の知識乏しすぎてジャンルとかわからんけどどの曲も結局全部「すきだな」になる。
音楽に対する姿勢がすき
ライブへの想いもすき
そこに彼らがやりたいことや伝えたいこと、伝わってほしいと思ってるたくさんのことがぎゅっとつまってる気がするから、こっちもそれあますことなく受け止めさせてほしいと思う。

天国と地獄は見たけど、頂点はまだ見てない。頂点はこれからSixTONES6人で見るよ。頂点は目指すけど、調和を忘れない、それは俺の経験値から言えること。

令和Jr.維新! #14 森本慎太郎


○変化:退職

それぞれに激重感情を抱きながら、ようやく人間の形を取り戻しつつも精一杯な日々。
SixTONESを見つめることはもちろん、Xを通していろんなスト担さんとやりとりをさせていただくことがとても楽しかった。

すきな人たちのこと、音楽のこと、生活のことを共有出来ることがうれしかった。この出会いがなければすれ違うことすらなかったかもしれない方々と、現在も距離のあるところで各々の暮らしをしながら、SixTONESという存在をきっかけに繋がっていること。

それは病による休養から、ドクターストップにより退職することとなり、ひとつ社会との繋がりを失ったわたしにとってはかなり大きなものだった。

長く休みをいただいていた仕事を辞めた。とてもやさしい職場だった。突然入院してとんでもない迷惑をかけたのに上司は心配してくれて「辞めたからって縁がきれるわけじゃないんだから困ったことがあったら連絡してきて」「絶対力になれることあるから。遠慮しちゃだめだよ」「一人で暮らしてるの?体調悪いんでしょ?大丈夫?食事はとれてる?」と最後まで気にかけてくれていた。
長期間休んでいたにも関わらずみなさんま最後は「本当に大丈夫なの?」「大事にしなよ」「身体が一番だよ」と声をかけてくれた。
うれしくもあり、ここで働けない自分が憎たらしくて悔しくてたまらなかった。


○変化:派手髪

帰宅する。
手を洗ってうがいして(シャワーしたり着替えたりなんやかんや清潔にしつつ)YouTubeをつけてSixTONESをみる。
これがこの時期のルーティンだった。

ある日、ふと彼らの姿ををみて思った。

そうだ、派手髪にしよう。

その時、メンバーの誰がどんな髪色でどんな髪型をしていたが正確には覚えていない。
でも彼らの鮮やかな髪色や各々に似合うヘアスタイルを見て純粋にいいなと思った。

どうせ仕事できないんだし、だったらそれを利用して働き出したら出来ないことを満喫してやろう!彼らみたいにかっこよく堂々といられるような自分には程遠いけど、外見からでもちょっと強い自分になってみるのもいいかも。

ていうか仕事でもなんでもなく突然に角刈りにしてメンバーやファンをひっくり返らせたような人だっているのだ。
わたしだって、なんか思い切ったこと(彼にとっては思い切ったことではないかもしれないけど)してみたい。
心が動いた。

いつもの美容院に行った。
何年とお世話になっている美容師さんに事情を説明して、とりあえず金髪にしてもらった。

生まれて初めてのブリーチ
金髪

ちょっとだけ違う自分になれた気がした。
ちなみに身近な人間からは「関西のヤンキーすぎる」と言われた。わたしもそれは思いました。


○変化:新たな趣味

その頃のわたしは主治医から「自己肯定感や自信をつけるために何か趣味を見つけてみよう」と言われていた。

それで、ふとずっとやってみたかった楽器を習ってみようと思った。
楽器といっても山ほどある。ただなんとなくずっとかっこいいなと思って、いつか機会があればやってみたいなと考えていたサックスとトランペットと悩んでトランペットにした。

講師に目標は?と聞かれて、困った。
喉の奥で言葉がからみついて、緊張して何度もどもってそれでも思い切って「SixTONESがすきでいつか吹けるようになってみたい」と言ったら「SixTONES知ってるよ!すごくいいね!友だちがスト担だからどれがやりやすいのかとかきいてみようか」と言ってもらえた。

当たり前だけど、練習すると少しずつ出来ることが増えていく。
彼らとは違う表現だけど、同じ音楽という大きなくくりの中で、わたしが元気をもらった音を奏でられる可能性に一歩ずつ近づけていると思うと勇気がでた。

結果的には練習場所だったり体調面でレッスンに通いきれなかったり、いろんな事情で長くは続けられなかった。
それでもわたしの自信や、なにかを楽しむこと、いい意味で頑張るの一歩になった。


○フォロワーさんと会うこと

このあとしばらくして『慣声の法則』申し込み、当落があった。
慣性の法則の性→声に変えるって発想、確かじゅりちゃんから出たんだと思うんですけど、そういう考えが生まれるところもすきだ。
でもはずれた。ドームもはずれた。

はずれた〜〜〜〜〜!!!!と思ったが、自分にはいつか自分にとって一番必要なタイミングでSixTONESを生で見る機会があるんだと思って整理をつけた。
あとSONYさんの円盤が素晴らしいのでもちろん生で見たいけど満足度高いしね!と自分を慰めた。

この頃にはライブのために関西にきた、だいすきフォロワーさんにお会いできたりした。
今までは画面上、文章のみでのやりとりだったけど、そのコミュニケーションがあまりにも日常に溶け込んでいたのでまるで初めての気がしなかった。

でも不思議なものでやはり目の前にご本人がいると「本物だ……!」という高揚と驚きとわくわくで情報処理が追いつかなかった。
必死に平然を装った(つもりだ)がキモムーブ満載だった。

うれしかった。
SixTONESをすきになったことで出会えた人がいて、お互いの私生活のこととかいろんなこと、さほど知らなくても相手を信頼できたり楽しい時間を過ごせたりすることが出来る。

相手だってわざわざ遠くからきてくれていて、大切なライブがあるのに時間をさいてわたしに会ってくれている。それはとてもありがたくうれしいことだった。

また少し、自分のエネルギーとか、なにかが回復していく感じがした。
自分はいけなくてもフォロワーさんとかスト担さんが今この瞬間もSixTONESの音楽とパフォーマンスを浴びて幸福とか元気をチャージしているのだと思うと勝手にわたしも元気になれた。


○髪色:金→ピンクへ

2022年12月ごろ、金髪もそろそろ染め直ししなければいけないタイミングだったので別の色にしようと思った。

ほのかにじゅり担の自覚はあったので色々調べたあといつもお世話になっている美容師さんに「青色系とかどうですかね?」と聞いたら愛想笑いされた。
これは知っている。
はっきり言葉にしないだけで絶対わたしには合わないと思っているリアクションだ。

相談の結果、紆余曲折あってピンクにした。
ピンク?わたしが?と思った。
かわいらしいイメージのある色味と自分というものが結び付かず、とにかくずっと(ピンク……?わたしが……?)だった。

が、しかしなんとこれがかわいい。
自分でいうか?と思うだろうが、ピンクの自分、新しい自分だ、と思えた。
それになにより最高の技術をもつプロが時間をかけ、かつ太鼓判をおしてくれた仕上がりを、わたしの自信のなさで否定するのはとんでもない無礼。

誰よりもわたしが似合っている!と思わなくては、美容師さんに失礼だと思った。
すぐに自信を削ぎそうな自分を自分で倒して「似合ってる!」と言い聞かせた。

ありがたいことに周囲からも評判が良かった。
家族や友人からもいい言葉をもらえたのはうれしかったが、たまたま立ち寄ったお店やいつも行くところの店員さん、あまり関わりのない人と話す時も、お世辞かもしれないけど「似合ってますね!」と言ってもらえた。

そして、前の職場で仲良くしてくれていた北山宏光さん担さんが
「昔の樹くんと同じ色だね」
と言ってくれた。

わたしはそのことをすっかり忘れてピンクにしていたし、色合いは若干違うし、じゅりくんは以前にもうピンクにはしないと言っていたし、どちらかといえばSnowManの佐久間さんの方が近くはあったと思うが、そう言ってもらえたことがうれしかった。

そこからわたしのピンク髪生活が始まった。


○変化:服装

髪色を変える、そして仕事をしないとなると服ももっと自由度の高いものでいいのでは?と思うようになった。
今まではオフィスカジュアル系だったけど、そこは意識しなくてもよくなった。
金髪やらピンク髪にしたことで合う系統も変わってくる。

なによりSixTONESの衣装などをみていて、わたしももっとお洒落をしてみたいかも、と思った。
かつてのわたしは自信がなくて、さっきの髪色髪型よろしくどうせ似合わない、どうせこんなの着てもと思っていた。実際に言っていた。

一緒に買い物をいった人には「どうせどうせって言ったって着てみないとわからないでしょ!」と叱られることも多々あった。

頭ではわかっていても整理がつかない。
いつの話してんだといわれるかもしれないが学生時代すれ違いざまに男子に「ブス(笑)」と投げかけられた声は未だにはっきりと思い出される。
思春期にとても太った時みんながからかって笑っていたことも昨日のことのようだ。
そういう細かな何かが一歩踏み出すことを躊躇わせた。

いや、しかし!今の自分はこれまでと違う。
なんたって頭がピンクだ。
くだらない過去なんぞ忘れてしまえ。

SixTONESの彼らとわたしでは何もかも異なるけれど、衣装やらスタイルやらを参考にして、自信を持って楽しく、彼らの音楽を聴きながら軽やかに外を歩けるような自分になってみたいと思った。 
髪色と同じく形から入ってもいいのではないかと思った。

この頃には少しずつ調子も良くなって、以前に比べれば食事も比較的安定してとれるようになってきていた。
外出もちょっとずつ増やせるようになってきた。
ちょっとずつ増えた外出時に着られるものをとネットなどでみる意欲がわいた。


○変化:アクセサリー

これまであまりアクセサリーをつけてこなかったけど、樹さんがゴールドアクセをつけているからわたしもと思い、ゴールドのブレスレットとリングを買った。

もちろん彼がつけているそれとは値段もいろいろ違うけど、いつもつけていると、そしてじゅりさんやみんながアクセをつけているのをみるとなんだか力がわいてきた。うれしかった。


○2023年、大きな変化

人間らしい生活を送っているつもりでも、実際は起きて食事して家事をしてたまに散歩したり買い物したりして、また家で寝ているような日々だった。
毎日必ず悪夢を見ては自分の叫び声で起きたりして質のいい睡眠がとれていたわけではなかった。

一方でご機嫌にスト担もやっていたように思う。
時々友人と遊んだり信頼オタクが泊まりにきてくれたりすることを楽しみに、そこに心身の調子を合わせながら過ごしていたように記憶している。

ここが二十代と違うところは、かつてに比べればまだ気分の変動の波が少しずつましになっていることだった。
今までは+10000↑から-1000000↓みたいな極端さだったけど、その幅が狭まっていってきているというか。

それを実感するような、自分にとってひとつ衝撃的なことがあった。

ある時から不思議と希死念慮がとけて消えていっていた。
それまでは瞬きしてもリモコン見ても鉛筆見ても晴れてても雨降ってても暑くても寒くても死にたかった。
仕事だる〜〜家帰って映画みたいな〜〜と同じ感じで死にたかった。

お腹すいたとか眠たいとかそんなことと同じように意思とは関係なくコントロールできない強い感情に苛まれていた。
それがゆるやかにレベルがさがっていき、気付いたら一日も「しにたい」と思わなかった日が少しずつ増えていった。

SixTONESのYouTubeみたり、ラジオ聴いたり、X見つつそのまま寝たりして
「あれ、昨日の夜しんどくなかった」という日が増えていった。

ある日の朝、起きてすぐに「あれ?そういえばここ数日一回も死にたいになってないぞ」と思った。
その瞬間震えた。

ずっとみんなこの希死念慮をどう飼い慣らしながら生活できているのだろうかと思っていたが、もしかしてそれがない状態のひとが多いのではないか?と思った。
この、しにたいが頭の中で響いていない時間のストレスの少なさといったら。
生まれ変わったようだった。世界がまた一つ輝いてみえた。


○2023年の大きな変化・2

2023年はさらにいいことがあった。
以前からX内で「この人の言葉がすきだな」というひとがいた。叶うならいつかお話してみたい。そうと思っていたらいろいろあってその願いが叶った。

その人から『アイドリッシュセブン』というゲームを教えてもらった。
以前から存在は知っていたが、リズムゲームが苦手なこととソシャゲが初めてだったので手を出せていなかった。

主人公がマネージャーとなってアイドルたちを育成する、と記憶していた。大まかには間違っていないと思う。
しかしうけたプレゼン内容からはどうやら違いそう。
高い熱量の気持ちを伝えてもらったので、心くすぐられてはじめてみることにした。

個性豊かで、一見するといろんなジャンルのかっこいいお兄さんたち。彼らは『アイドル』なのでそれはそうか。
プレゼンは受けたもののポップでライトでほんのりラブもあるのかなあと考えながらぼんやりと読み進めていたが、気付いたら時間を忘れてのめり込んでいた。

一ヶ月でストーリー公開されている全て、全六章読み切ったらお勧めしてくれた人が「はやすぎない……?」とちょっとひいてたと思う。

複雑な人間関係、繊細な心理描写。
『アイドル』とは?
『アイドル』とファンとは?
ファンにとっての『アイドル』とは?

ファンが見つめる先にあるのは推しというコンテンツではない。間違いなく人がいる。

それぞれのトラウマや悩み、葛藤を抱えながら『アイドル』という存在になること、そうであること、あり続けること。
何があってもステージに立ち、客席で待つファンのために輝くこと。

画面の向こう側にいるのはゲームのキャラクターではなく、『アイドル』たちだった。

育成だなんてとんでもないことだ。
彼らのマネージャーになって『アイドル』という存在と彼らの見つめ方を知った。
育て上げられたのはわたしの方だった。


ちなみにソシャゲがわからんすぎて、妹に聞きまくってガチギレされてちょっと喧嘩しました。お互い三十過ぎてゲームで喧嘩すな。

Re:vale推しのモモちゃん担です。
最近その話をしたら別のアイナナ好きフォロワーさんから「樹くんがすきでモモちゃんがすきなのはそれはそうすぎてなんの驚きもない」(意訳)と言われた。
それは本当にそう。

みんなにやってほしい。
でもとりあえず樹担さんは「樹くんがすきでモモちゃんがすきなのはそれはそう」であることを確認するためにぜひともプレイしてください。
あとSixTONESの○○担で、アイナナでは○○がすきですみたいなの知りたい。
すでにプレイ済みの方はマシュマロ等でご連絡ください。
よろしくお願いします。



○『アイドル』の見つめ方

自分は、趣味と、少しばかり仕事で演劇に携わる機会が多かった。
それもあってわりと最初から、ファンや客席から見つめる先にあるのはコンテンツではなく人間であるという意識は持っていたが、しかしその感覚はより色濃く強くなった。

そうすると同じくらいの色濃く強くなるの
が、人を推すということの加害性だった。
言動やビジュアル、パフォーマンス、そして私生活。彼らの人生と存在をエンターテイメントとして消費していることへの大きな罪悪感。
年齢に対して健全ではないと思われる環境の中で、自ら望んでいるいないはさておいても幼い頃より多くの人間からの評価と消費と浴びていることの異様さ。

どう向き合うべきか困った。

何が問題かというと、上記のことに加えて、そこに着目しすぎて過剰に罪悪感を覚えることもまた『アイドル』である彼らに失礼だと思ったからだった。
過程はさまざまでありながら、結果としてそこにいることを選択している彼ら。
『アイドル』であることを選び、そこに向き合っている人たちに「かわいそう」も「申し訳ない」もとても無礼だ。


いや待てよ。難しく考えそうになったが、そもそもアイドルに限らず他者に対して「きっとこうであるはずだ」と相手の感情や考えを勝手に想像して決めつけて見つめることは等しく失礼ではないか?
というか実生活とかであまりしないよね?


思考を巡らせながら、いろんな人といろんな話をした。

それにより、ひとまず

●親しいひとたちや自分が直接関わる人たちにしないこと・思わないこと・伝えないことは『アイドル』にもしない。
決めつけない、口出さない、踏み込みすぎない、想像しすぎない

●『アイドル』が届けてくれるものを素直に受け取る。よろこぶときはよろこぶ。楽しいときは思いっきり楽しむ。

●届けられたものが少し眉を顰めてしまいたくなるものだった場合、それが法に触れることや倫理・人権を侵害していることでなければNot for meだったとする。

わたしが"人間である『アイドル』"を応援する自分へのルールとした。

まあ要は 自他の境界ちゃんと守ろうね! です。
どうしてか不思議なことに対アイドル、対芸能人になるとそこを見失いがちになるので。

といいつつ思いっきり間違えるときもあるし、「〜〜しない」をしているときもあるのでずっとトライアンドエラーの日々。


○沼落ちブログ

なんの流れだったか忘れたが、沼落ちブログなるものを書いてみようと思った。

アイドリッシュセブンを教えてくれた信頼オタクが書いてたからか、その人が「みんなも書こうよ!」的なことを言ったのに影響されたのか、時間あるしなんか発信してみたいと思ったのか、多分全部のような気もする。
自分がどういう経緯でハマって今どんなふうに応援しようとしているのか。
Xのbio欄にあるプロフィールのような、自己紹介のような気持ちで書いてみるのもいいかもしれないなと始めた。

ここまで読んでいただいておわかりの通り、わたしはいちいち長い。
言語化もうまくない。感覚的にものをとらえるが、それをアウトプットする際にいろんな言葉や表現を使って整理整頓しながら巧みに綴ることなど出来ない。

まあでも自分にしか書けないものもあるかと開き直ってnoteをあげた。そうしたら想像していたよりもいろんな方に読んでいただけたらしい。驚いた。ありがたかった。


なかには内容に共感してくださったり、言語化うまい、綺麗に言語化されていると誉めてくださった方もいて、ものすごくうれしかった。
自信に繋がった。

これもまた、多くの方と密にコミュニケーションをとるきっかけのひとつとなったのでやってよかったと心から思う。


○クソくらえ、だけど、

先ほどいろんな人といろんな話をしたと書いた。
本当にいろんな人といろんな話をした。 

主に相互になって仲良くしてくれているだいすきフォロイーたち
スペースにふらっと立ち寄ってくださってお話出来た方々
マシュマロによって届いた言葉

他者に自分の評価の軸をおくことはあまりいいことではないが、やはりポジティブな言葉をもらうとうれしい。まあどう考えてもほめられたらうれしい。ほめられるのだいすき!

それになにより「とっても素敵だな」「すきだな」と思う人と価値観が合った時のうれしさたるや。


決して自分はできた人間ではない。
(誰もできた人間だね!とは言ってないが)

過去のことだって絶対自分がこんな目に遭う必要のない理不尽だったと思っているし、美化するつもりもない。
「ああいう目にあったからこそ今の自分があるんだね」なんて綺麗事だ、クソくらえ、である。

しかし残念ながらこの過去があったから、自分が自分だったから今ここにこの感覚を持って立っていることもまた事実だった。

美化するつもりもないし綺麗事だしクソくらえ、だ。
でも、でもまあめちゃくちゃに頑張って生きてきたご褒美が今のこの出会いと環境なら、まあ生きてみるものである。
死ななくてよかったねという話になる。


○今更に『VVS』のこと

2024年年明け
『VVS』当落発表

おかげさまで無事に自名義ががんばってくれて福岡に行くことが出来ました。


当落のブログを書いて、その中でも「ライブの感想を書きたい」と記したがいまだに出来ていない。
単純にサボっているのもあるけど、どう言葉にしていいのかわからない部分もある。
これを機に書いてみようと思う。


福岡はいわゆる天井と呼ばれるような席だった。
舞台はデカいがSixTONESちっっっっっっさ!遠っっっっっっっっっっ
(記憶違いだったら申し訳ないが北斗くんが蛍光のパンツを履いてくれていたので唯一視認できたと言ってもいい。
SixTONESありがとう、北斗くんありがとう。
あなたたちの派手衣装だいすき)

一瞬残念な気持ちにはなったが、いやいや!こんなに遠く感じられても同じ空間にいること、生でパフォーマンスを浴びられること、ここまでぶち上がれるくらいの最高のものを届けてくれる信頼。絶対楽しいに決まってるんだからそっちに思考を切り替えようと思い直した。

始まった。
曲が流れたとき、一瞬、なにもかもわからなくなった。

え…………………今、生で聴いている?

ずっとずっとずっと、画面の向こう側にいた人たちが今あそこで実際に歌って踊っている?


一日が始まることが重苦しかった朝
布団をかぶって生きることを呪った昼
怯えて過ごした夜

自由が少なくて酸素が薄いような気持ちだった入院生活
退院してからは自由なはずなのに何も出来ない日々
今も先も見えない暗い時間の中でずっとずっと眺め続けていたひとたち


わたしの人生に光とたくさんの人や価値観との出会いと「生きててよかった」をもたらしてくれたひとたち

気付いたら泣いていた。
次から次から涙が出て止まらなかった。
口元をタオルで抑えた。
そうしないとへたり込んで子どもみたいに声をあげてありがとうありがとうってわんわんと泣いてしまいそうだった。

でも、だめだ。
わたしがやるべきは泣いてありがとうと叫ぶことではない。まあ普通にやっちゃだめですけどね。
思いっきり、全身で、頭の先から足の先まで全部で彼らが届けてくれる音楽を楽しむんだ。
あなたたちのことがだいすきだって想いをペンライトにのせた。

あなたたちがだいすき
SixTONESがだいすきだ
ありがとう、ありがとう

アイドルになってくれて
SixTONESになってくれてありがとう


○『アイドル』とファンの物語

実はご縁があってもう一公演だけ入ることができた。

いやいやいやいやいやいやいや………………いやいやいやいやいやいや夢か?

わたしの運、上半期で使い切るんか?
ていうか人生の運、ここのために溜め込んでて今全部使い切ろうとしてない?いける?大丈夫そう?

ちなみにうちわいらないか〜〜と思っていたが福岡でファンの方々が写真撮ってるのみて「わたしもあれやりたい!!!買えばよかった!!!」と思ったし、参加させていただけるもう公演の際に買おうと思ったが時間の関係上当日物販が間に合わない。
あれやりたかった………………
うちわいらないか〜〜とかなにを言ってるんだ過去の自分

しょぼしょぼポストしたら、なんとフォロワーさんからお譲りいただけることになった。

いや〜〜〜〜〜〜これは人生の運全部2024年上半期で使い切るんだ。確定だ。

ありがとうございました。おかげで写真も撮れたし、ペンラと共にじゅりちゃんだいすきだよの気持ちものせました。

ライブ前、福岡でわたしがガン泣きしたことを知っているフォロワーであり友だちが冗談混じりに「そめちゃん今回は泣かないでよ〜〜」と言った。
「今回はさすがに泣かん!」と返した。

今回は泣かなかった。
楽しくてふと隣をみたらわたしをからかった友だちが泣いてた。しかもどの曲か忘れたけどガンガンにブチ上がりソング
それでいったらわたしもガンガンのブチ上がりソングで号泣したので一ミリも人のこと言えないがびっくりした。
(なっ、なぜにここで!!???)
となった。

あれなんの曲でしたっけね?(私信)

あとからその話になって理由を聞いて、はっとした。そしてからかわれたのでからかい返してやろうという気持ちを恥じた。

彼らはわたしたちファン個人を見つめることはないし、わたしたちも彼らに直接関与することはない。出来ない。してはならない。
彼らはステージやテレビの向こう側にいて、わたしたちは客席やテレビのこちら側にいる。

でも、ファンにはファンひとりひとりひとつひとつ、彼らへの大切な思いがある。自分も含めた誰かのこころを大きく揺さぶる物語が生まれることがある。

胸がいっぱいになった。アイドルって、なんてうつくしい存在なんだろう。まぶしい。


○SixTONESとフォロワーと友だちと

SixTONESと出会って生きようというエネルギーをもらえた。

SixTONESを通じてたくさんの人と出会った。
年齢も住んでるところも社会的なポジションも過去もなんなら本名も知らないけど、多くの言葉を交わした。
SixTONESすきなところを話したし、お話している相手のすきなところも話した。オタクをする上での悩ましいこと、前述したような加害性や消費のこと、倫理観のこと、どうやってもすきな自担のことも。

はじまりはフォロワーだったけど、友だちになったひともたくさんいる。
本名も過去も社会的ポジションも住んでるところも知っているし知られている。
電話したり悩み相談したり、たまに相談?をうけたり、一緒にご飯食べたり、遊園地で遊んだり。
友だちが大切な友だちを紹介してくれて、その人とも仲良くなれた。

今まで手にとらなかったジャンルの雑誌を買ったし、CDショップやいわゆる聖地、彼らがYouTubeで行った場所やラジオで言及したものなど関連づいたものに触れるため外に出かけるようにもなった。
ライブに行くから、新曲聴きたいから、ドラマが舞台が映画が………。それらを楽しく受け取りたいから全力で楽しめるように健康でいようと思った。
フォロワーとか信頼オタクとか友だちとたくさん喋って遊びたいから、みんなに恥ずかしくないわたしになりたいから意識改革とか情報をとり入れるとかそういうことにも向き合うこと、その余裕を作ることが出来る生活を送ろうと思った。

ライブを終えた約一ヶ月後、春。
週一ペースの、変わらない通院。
そこで先ほど書いたような
死にたいがなくなったこと、健康でいたいと思えるようになったこと、今の自分のことを肯定してくれる人がいて、そんな自分って悪くないと思えること。素敵な自分になれるように健全にがんばりたいと思うこと。
そんな話をした。

それらを聞いた主治医はメモをとっていたPCから身体ごとこちらにむいてわたしの目を見て言った。

「そめさん、ずっと治療してきましたしこれまでもたくさんお話を聞いてきました。でも、もう入院していた時やそのすぐあとの、あのあなたとは全然違いますよ」

やさしい眼差しだなと思った。
窓もない診察室なのに、暖かい春の陽の光が差し込んだように見えた。

週に一回だった通院は二週に一回に減った。
三週間あく時もあるし、イレギュラーだったけど一ヶ月通わなかったこともあった。

病院に行かなきゃ、先生に話を聞いてもらわなきゃ不安で不安でたまらなかったはずだった。
いつかは通院しなくても良くなる日がくるんだろうか。とてもそんな時が訪れるとは到底思えなかった。そのはずだったのに意外と暮らせている。

もちろんその間に何もなかったわけではない。
でもなんとかなるといえばなっている。

服薬も続けている。
全てがいきなり良くなるわけでもない。
でも最近は社会復帰のリハビリのために単発でバイトも始めている。
この単発バイトのことだって事情を知っているフォロワーであり友人がきっかけだった。

少しずつ変化している。きっといい方に。
明るい方に。


○アイドルは特効薬ではない。でも、

わたしの改善はひとえに家族や友人や主治医含めた医療従事者、元職場、たくさんのひとたちによるものだ。

『アイドル』はステージやテレビの向こう側の人で彼らもわたしも互いに直接関与することはない。

でも『アイドル』は、SixTONESは間違いなくわたしをこの世に留めてくれた。
まばゆい世界を見せてくれた。
たくさんの人と、そして新たな自分と出会わせてくれた。

わたしの命と人生とこころをすくってくれた。
とても大袈裟なようでわたしには全くそうではない。

アイドルは特効薬ではない。
お互い人間だし、いろんなことがあるし、これから先どんなふうに形が変わるかもわからない。
でもこれだけは間違いなくわたしの中の"永遠"だと断言できる。

アイドル、SixTONESはわたしの最高のヒーローである。
ずっと心にあり続ける、わたしを救ってくれたひとたち。

ずっと感謝しているし、これからもし続ける。出来る限りずっとわたしなりの方法で応援する。もし何らかで応援できなくなっても、この感謝と彼らがヒーローであることだけはわたしの"永遠"だ。


そして今ここまで読んでくれているあなたへ。あなたもわたしの生きるエネルギーなんです。ずっと健康で、出来ればどうかあなたの喜ばしい形でしあわせでいてと勝手に願わせてください。


わたしの最高のヒーローたちへ
わたしの自慢の友人である素敵なみんなたちへ

あなた方がいなければわたしの今日はありません。
「この人がいない人生なんて考えられない」ってことはない。でも、あなたたちと出会える人生でよかった。あなたたちと出会える自分でよかった。

本当にありがとう。
だいすきだよ。

4年目を迎えるオタクより愛をこめて。

長い文章を読んでくださって本当にありがとうございました。


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