看護観について思うこと
看護観という言葉をご存知ですか?
簡単にいうと、「看護に対する考え」です。
これは一人一人違っていて、正解や不正解はありません。
(ただし、模範解答はあるのがミソ)
学生時代を振り返ると、看護観を問われ続けていました。
・「看護」と「介護」の違いとは
・どんな看護師になりたいか
・ケアの根拠とは
・それが看護と言えるのか
こういった質問に立派に答えられることが
看護師の必須スキルだと思ってました。
でも、臨床現場に出ると
そんなこと言ってる暇、ない!
・やらなければならないタスク※が山積み
・優先順位をつけて粛々とこなさないと残業確定
・学生時代に学ばなかった知識や技術が「次々と」「当たり前のように」求められる
・業務外の病棟会、勉強会、委員会活動等がプライベートに食い込む
・社会一般と逸脱した「暗黙のルール」が多い
・ていうか人間関係ハードモードすぎ
※タスクの例
情報収集、行動計画、生活援助、医療的処置、看護記録
医師の指示受け、書類作成、看護計画の立案および評価 等
正直、毎日が必死です。
ミスしても、職員同士が迷惑してそれで済むならいいです。
医療の現場では、誰かのミスが患者さんの身体や治療に影響を及ぼす可能性がある。
だから自分がミスしないことはもちろん、他人のミスを見逃さないことも必要。
そんな中で、自分がやりたい看護を考察し、追及する暇はありません。
(例えば「患者さんの心の寄り添う」ことが看護観だったとして、勤務時間中にタスクを完了させた上で心に寄り添う時間が取れるかという話)
看護観を深めていけるのは、
一通り経験を積んで、業務に余裕ができてから。
仮に余裕ができて、タスクをマッハでこなして患者さんの病室にいる時間を増やしたとしましょう。
目くじらを立てたお局ナースが、「詰所でナースコールを取れ」と言って来るでしょう…
忙殺されている臨床現場において
自らの看護観を理想の形で実現するのは、
そう簡単なことではないと感じました。
そもそも看護観って
「日々の業務や患者さんとの関わりを通して自然と頭に浮かび、
また、経験とともに変化していくもの」じゃないかなあ…
と思うんです。
病院や看護部の「理念」ならば
全員が統一して取り組む必要がある。
でも「わたしの看護観」は
わたしの価値観、概念であって
「わたしと患者さんのためのもの」
「他者に問われて見出すものでも他者に評価されるべきでないもの」
だと思うのです。
つまり、学生時代に叩き込むべきは
理想論の看護観よりも
日々のタスクをこなせるだけの知識と技術!
・就職してから新人同士の腕を使って採血やルートキープの練習をしあうのでは遅い!(とは言え無免許で人体に針を刺すと傷害罪になる恐れがある)
・就職して初めて骨髄穿刺を見学し、その場でぶっ倒れているようでは先行きが心配!(←わたしのことや)
オーストラリアの看護学生さんは、
実習で看護師見守りのもと薬剤の投与など医療行為をガンガンやるし、実習後半には看護師並みに受け持ち患者を持つとTwitter界で知りました。
他の国ではどうなのか分からないけど、
学生時代に実践的な学びができれば
臨床現場でのリアリティーショックはだいぶ減るでしょうね…。
概念は後からいくらでもついてくる。
だから言いたい。
学生さん、理想より現実見て。
病院の人事の方々、看護観より知識・技術について聞いて。
幸い今の世の中は、SNSを使っていくらでも情報収集できる時代。
現実を知ることは、難しいことではないです。
看護は大変な仕事だけど、その分やりがいが大きい仕事。